パスカラ in 糖分過多「は、灰島くん?……こんにちは、校内にいるのは珍しいですね」
「甘いものですか?えっと、好きです……けど。ドライフルーツとか……」
「え?行く?ど、どこに?ちょっと待ってくださ……いや、予定があるとかじゃないです、けど……」
「……あ?うるせえな。締切明けで疲れてんだ、寝かせろ……」
「うるせえって言ってんだろ!……甘いもの?知るかよ……」
「しつけえな……あー……ゼリーとかなら食う。もういいだろ、寝……おい!何やってんだ、離せ!灰島ァ!!」
いかにも高級そうなホテルの、高層に並ぶレストランの一角。広大な庭園を見下ろせる窓際の席へ通された3人の表情は見事にバラバラだった。
悠々と腕を組んで笑みを浮かべている伊織。
額に青筋を立てて今にも怒鳴り出しそうな楓。
そして、そんな2人に挟まれて青い顔をしている杏寿。ここに連れて来られる道中で、すでに胃薬を摂取した杏寿の判断は間違っていなかった。
「……で?」
楓が伊織へと詰め寄る。
「で?ってなんだよ」
「なんだよはこっちのセリフなんだよ!いきなりタクシーに押し込んでこんなとこ連れてきてどういうつもりなんだテメエ!!」
「お……落ち着いてください、御来屋くんっ」
楓の爆発に周囲の客がチラチラこちらを見ている。慌てて杏寿がおろおろと間に入るも、伊織は気にした様子もなくドリンクメニューへ目を落とした。
「ここのスイーツビュッフェの無料券、スポンサーから貰ってたのすっかり忘れてたんだよ。で、3人分あるからお前らを誘った。分かったか?」
「なんで俺らなんだよ!」
「そ、それは僕も思いました……」
伊織が親しくしている人間で筆頭に上がるのは、知陽や、本人は不本意だろうが響だろう。最近なら和哉や純も挙げられるかもしれない。それら全てに介入してくる拓海もまた。
なぜ自分たちが、という顔をした2人に、伊織はメニューから顔を上げた。
「榊と多岐瀬には断られた。1年達は校外学習だそうだ。俺も校内に知り合いが多い方じゃねえからな、あとはお前らくらいだった」
「な、なるほど……」
消去法なら納得がいく、と杏寿は頷く。不服そうな楓を尻目に、話は終わりだ、と伊織はメニューをパタンと閉じた。
「ここは90分制だからな、時間は有意義に使わねえと。ドリンクは俺の奢りだ。好きなもん頼んでいいぜ」
サッと立ち上がってビュッフェコーナーへ歩き出す伊織を、2人は呆気にとられて見送った。少しの沈黙の後、楓が舌打ちをしながら立ち上がった。
「灰島に乗せられんのは癪だが、クソッ……」
「い、行きましょうか……」
定期的にスイーツビュッフェを開催しているここは、現在ハロウィンをコンセプトにしていた。並ぶスイーツだけでなく、コーナー一帯が毒々しい色彩で飾り付けられている。
「わあ……すごいですね」
「……」
杏寿の感想に楓から同意の返事はなかったが、凝ったハロウィン細工を見つめる瞳は忙しなく動いていた。皿を持ったままコーナーを見つめる2人の背後から声がかかる。
「なかなかだろ?ここ、結構毎回装飾に力入れてんだぜ」
すでに丸い皿にいくつかスイーツを並べた伊織が立っていた。
来てよかっただろ?と笑いかけられて、フン、と楓がそっぽを向いて離れていく。その背を見送った伊織が、スイーツの群れたちを指し示す。
「装飾もいいが、お前も早く取った方がいいぜ」
「あ、はい。あの、今更ですけど……誘ってくれて、ありがとうございます」
「無料券だから気にすんなよ。じゃ、後でな」
すぐにビュッフェコーナーへ戻って行った伊織は、どことなく浮き足立った様子だった。もしかしたら甘党なのかもしれない、と意外さを覚えながら、杏寿もその後に続いた。
早々に席に戻った楓は、他の2人を待つことなく黙々とスイーツを口に運んでいた。戻ってきた伊織が、楓の皿上のラインナップを見て口角を上げる。
「やっぱりそれ取ったんだな。美味いか?」
「……うるせえ」
伊織を睨んだその目は、ふとその前の皿へと向けられて、大きく見開かれた。
「お待たせしました。お二人とも、早いです、ね……」
机へ自らの皿を置いた杏寿の動きが止まる。楓と同じ方向へ向けられた視線に、伊織が首を傾げる。
「なんだお前ら。どうかしたか?」
「え、あ、あの……」
「お前、なんだその量……」
伊織の前には杏寿や楓と同じ大きさの皿があった。問題は密度だ。ギッシリ、という言葉が良く似合う風体で、スイーツが隙間なく並べられている。杏寿が5個、楓がゼリーを中心に4個。その2つを合わせた以上の個数が皿の上にあった。また、別皿で提供されているモンブランが2つ。極めつけにホイップの乗ったカフェモカもいる。
2人の表情を見て、伊織は喉の奥で笑った。
「1個1個が小さいから問題ねえよ。お前らこそずいぶん可愛い量だな?」
「あ……?」
ピシリと楓が青筋を立て、杏寿が慌てて制止する。
「と、とにかく食べましょう?時間制限もありますし……」
「だな」
伊織がフォークを手に取り、ケーキを半分に割って口に運ぶ。少しの間睨んでいた楓も、鼻を鳴らしてグラデーションの美しいゼリーへ視線を戻した。
その様子にほっと胸をなでおろして、杏寿の意識も色彩鮮やかな皿の上へと引き込まれていった。
1時間後。
「これ美味かったぜ。食べたか?」
「い、いえ……」
力なく首を振る杏寿に、ふっと笑って伊織がラズベリーのムースをスプーンで掬う。スプーンから溢れそうな量の真っ赤なそれが、杏寿の目の前へ突き出される。
「ひとくち食べるか?」
その言葉に、元々あまり良くない顔色がさらに青に近づく。う、と絞り出すような声だけが杏寿の口から漏れた。
「遠慮すんなよ。ほら」
「いっいいです……け、結構です……!」
迫るスプーンを、杏寿は何とか首を振って拒否した。そうか?と首を傾げた伊織は、同じく顔色の悪い楓へと目を向ける。
「じゃあ御来屋、いるか?」
「……いらねーよ……」
スプーンを見もしない楓の声には、いつもの覇気がない。少し残念そうに頷いた伊織は、その一口を自らの口に入れた。ムースを数口で平らげると、次はかぼちゃのショートケーキ。モンブラン。紫芋のプリン。赤、黄、紫のマカロン。チョコケーキ。またショートケーキ。
あっという間に皿の上は綺麗になり、伊織が立ち上がる。
「お前らもなんかいるか?」
「いらねーっつってんだろ……」
「だ、大丈夫です……」
「そうか?」
不思議そうな視線を2人に向けながら、再びスイーツの並ぶ場所へとその足は向かっていく。行儀悪くテーブルへと突っ伏した楓から、呻き声が漏れた。
「……なんなんだよ、あれ」
「す、すごいですね……」
かれこれ1時間。とうに糖分摂取の限界を迎えた2人に対して、パーセプションアート界の皇帝は変わらぬ勢いでスイーツたちをおかわりしていた。
「おかしいだろ……!あの皿何枚目だよ……」
初めのうちは周囲の女性たちから、伊織の整った風貌やスタイルの良さに熱い視線が注がれていた。が、時間が経つにつれ、それは畏怖へと変わっていった。ここのやつ美味いんだよな、と言いながら持ってくるモンブランの皿の数は、杏寿ですら数えるのを止めていた。
「もしかして、多岐瀬くんと榊くんは、これを知ってて断ったんじゃ……」
「だろうな。ハッ、これだからグレーダーってやつは。おかげで俺たちがこんな、」
楓がここにいない2人を罵る前に、テーブルへ影が落ちる。
「お待たせしました。ご注文のアイスココア、ホイップクリームトッピングです」
「ヒッ……」
「オェ……」
店員が持ってきた飲み物に、2人からとても歓迎とは言えない声が上がる。伊織の席に置かれたそれを、2人共即座に視界から外した。ちなみに、伊織の頼むドリンクには全てクリームがこんもり乗っていた。
反射のように楓がブレンドティーを啜る。
「あー……見てるだけで気持ち悪ぃ……」
「あの、御来屋くん」
「あ?」
「こ、こんなこと聞いていいのか、分からないんですけど……」
同じブレンドティーをストローで混ぜながら、杏寿が言い淀む。早く言え、と睨みつけられて、言葉を選ぶようにおそるおそる口が開く。
「いつもの御来屋くんだったら、その……帰ってしまう、という選択肢も、あったんじゃないかと思いまして。今日はどうして、灰島くんに付き合ったんですか……?」
「……」
答えないまま、楓は残り少ない飲み物を一気に煽った。伺うような杏寿の視線から逃げるように目を逸らす。
「……別に。理由なんてねえよ」
逸らした先にはビュッフェコーナーがあった。人で賑わうその隙間から、装飾やスイーツが見える。ローズマリーが浮かんだ爽やかなゼリーは、楓も気に入ったらしく、黙々と容器を空にしていた。
同じように視線を辿った杏寿が、少し笑みを浮かべた。
「美味しかった、ですね」
「……ふん」
完全にごちそうさま、の気持ちでこの体験を締めくくろうとしている空気を裂くように、スイーツがミチミチに置かれた皿が2人の視界に割り込んだ。
「お前らもういいのか?少食なんだな」
山盛りスイーツ、しかもクリーム系中心の視界の暴力に、杏寿が腹部を抑えて呻く。伊織の言葉に噛みつくことなく、楓も黙ったまま口元を抑えた。
「俺はこのまま事務所に寄る。今日はサンキュな」
時間制限ギリギリまでスイーツを食べていたとは思えない涼しげな顔で、伊織は去って行った。学園最寄り駅前に降ろされた2人の顔色は依然として悪い。タクシー内で一言も発さなかった楓が呟く。
「今後、灰島から甘いもんの話が出たら逃げる」
「そ……それがいいですね……」
重くなった胃を抱えながら、2人はよろよろと寮への道のりを歩いて行った。