額が背に付いた瞬間に、息は止まった。腕を回すために更に体を寄せる。体の厚さを知るのは初めてだった。耳が背中に付いていても、聞こえる鼓動は自分のものばかりだ。
記憶の底にある、あの夏のスナックの、肩に回された腕の中。甘く微かな汗の匂いとは違う。冷えた空気と煙と油の匂い、けれど確かにその奥に、かつての甘い香りがあって、胸が詰まるような心地がした。ひとつ息を吐く。声を、もしかしたら目の奥からこぼれる何かも、堪えるように唇を噛む。
体温は遠く、不思議と周りの音も聞こえない。塞がれた左耳から自分の速い鼓動ばかりが相変わらず聞こえている。息が苦しい。
ああ、とすとんと落ちる気持ちがあった。振り払われないのを良いことに、もう少し腕に力を入れる。硬い背中、右手のひらにだけ伝わる熱を、忘れたくないなと思う。好きな男の感触を、確かに恋だった気持ちを。
「………なに?」
カシャとメガネが音を立てて、冷えた表面の上着から体を離す。もうすぐ、さよならの時だ。
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