ドラッグストア店員Aさんの証言閉店時間も迫った午後10時前、しゃがんで化粧用コットンなどを補充していたら、棚の裏から男性二人の声がしてきたんです。
アホみたいな販促ソングがいつものように流れていましたが、真裏だったせいか、その二人の声はよく聞こえてきました。
「何見てるん?柿渋?」
若い男性らしき声が降ってきました。
「ほんまに効くんかな?と思てな」
答える声は、激渋低音ボイスでした。や、あの、柿渋に引っ掛けたワケではないですよ?
激渋低音ボイスの男性は初老なのだと想像しました。裏側はボディソープの棚で、そのボディソープは、加齢臭に特化した商品なのですから。
二人でラベルを眺めておられたようで、あーだこーだ仰ってましたね。聞きながら微笑ましいと思いました。
仕事柄母娘のお二人連れはよくお見かけしますが、こちらはお父さんと息子さんなのかしら?などとも。
そしてお二人とも東京では生であまり聞くことのない関西のイントネーションだったので、忙しなく商品を並べながらも聞き入ってしまいました。
「そんなん気にしな」
「いろいろ気になるお年頃なんですよ」
「気にせんでええって言うてるやろ」
「え〜?せやけど、」
「しつこいな、きょうじさんは」
──名前呼び?あ?親子ではない?親子でなかったら、どういったご関係?お友達?
「買うたらあかん」
「なんでよ」
「そんな、匂いとか、ぜんぜんやから」
「ほんまに?」
「ほんまです」
「せやけど、お仕事してたらさ、たまーに、ちょ、お前匂うでっていう奴おんねん」
「自分も?って思うたん?」
「うん」
「嫌な匂いとかしてへんし、きょうじさん、香水つけてるやないですか」
「匂いは元から断ちたいやん」
「元から断ったらあかん」
「なんでよ」
「さっきから、なんでなんでってなんなんですか?僕がきょうじさんのにおい好きやからに決まってるでしょ」
──へっ?!
「知ってるクセに」
——おおお?!180枚入り398円のコットンの袋をぎゅぅぎゅう握りしめてしまうな!
「え〜?初耳やし」
──激渋低音ボイスめちゃうれしそう。
「嘘ばっかり……食えんおっさんやな」
「……うん、実は知ってる」
「ふふ、バレてた?このへん、」
──えっ?どの辺?!後で防犯カメラ……確認……!
「嗅ぐのすき」
「もー、さとみくん、こしょばいやん、酔うてんの?」
「酔うほど飲んでないし」
「そんなかわいいこと言うてくれるんやったら、もっと酔わせたらよかったわ」
「なんでそうなるねん、酔うてないって言うてるでしょ」
「目がウルウルで、顔もちょっと赤いで?」
「やかましな。そもそも、酔わせてどうかしたろうっていうのが、おじさんの発想やん……加齢臭より始末に追えんわ。気持ち悪いです」
「気持ち悪くてごめーん」
──おじさん面白すぎだから。本気で謝ってないでしょ。
「あ、そうや、ゴムもうなかったですよ?」
──やっぱり?!そのようなコトを!致すご関係?!
「そやった?」
「早く買って帰りましょ?」
「はぁい!」
可愛らしい弾むようなお返事でした。
願わくば彼らのやり取りをずっと聞いていたい。心の底からそう願ったのですが、長くは続きませんでした。
なぜなら、その時、レジ応援のアナウンスが店に響き渡り、私は反射的に立ち上がってしまいましたので。全く、人手不足と骨の髄まで染みついたDS店員としての性根を恨めしく思います。
しかしながら、立ち上がったおかげで、お二人の顔面を一瞬ですが、拝むことができました。まさに拝むという表現が相応しいお二人でした。
背が高い男性、こちらが低音ボイスのお方でしょう、とても加齢臭を気にするようなお歳には見えませんでした。一瞬、驚きで見開かれた目と目が合ったのですが、男らしく整ったお顔立ちはとても「はぁい!」と可愛らしく返事をなさるようには見えませんでした。素早く隣に視線を移すと、頭半分ぐらい低い位置の青年の目元は垂れ気味で、眼鏡の奥の目がこちらも大きく見開かれていましたので、驚かせてごめんなさいと心の中で手を合わせた次第です。
まさか聞かれていたと思わなかったのでしょう、決まりが悪いのはこちらも同じでしたので、早々にレジに向かいました。後ろ髪を引かれながらですが。
レジはセミセルフです。二人のお客様の会計を処理した後、再び目の前に激渋低音ハンサムが現れ、ゴムやお菓子や飲み物やアフターシェーブローションなどをご購入なさいました。お顔をもう一度見たかったのですが、見上げるのも憚れ、シャツの胸元に目を遣るのが精一杯でした。
「ありがとうございます。お会計、2番でお願いいたします」
ご案内しながら、私はカゴをそちらに運ぼうとしたのですが、彼のほうが早くカゴを持ちました。右手を私のほうへ伸ばして。
——聡実?!
捲り上げたシャツの袖、右腕には確かに〝聡実〟と彫られていました。おおぉぉぉ?!と声に出しそうになりましたが、堪えました。しかし、びっくりしすぎて、ついお顔を見上げてしまったのです。
私の視線に気づかれたのでしょう、きょうじさんは、一瞬含んだような笑顔を私に向け、精算機に進まれました。
──どゆこと?!腕に名前……腕に名前ってなに?!
若い彼、聡実くんは、店の出入り口で待っていました。仲良く合流されて、夜の街に出ていかれました。
閉店を知らせるBGMが流れてきましたが、私の頭の中はあの二人に占拠されていました。それはもう、閉店業務など消し飛ぶほどに。
店内には、『またのお越しを心よりお待ちしております』などという、おざなりなアナウンスも同時に流れていましたが、店を飛び出て二人の背に向けて『またのお越しを心よりお待ちしておりますッ!!』と大声でがなり立てたくなりました。