学パロ(門弥)「弥鱈くん、これ今3年の人が…」
昼食後、午後の授業が始まるまで寝ておこうと机にうつ伏せになっていたらクラスメイトに声をかけられた。これ、と言って手渡されたメモ。入口を見るがその3年らしき人物はもういない。
「どんな人?」
「オールバックで…名前は分からないんだけど、でもこれは門倉雄大からだ、って」
受け取ったメモを開いてみる。
『弥鱈へ
今日放課後、体育館裏で
門倉雄大』
確かに、その名前が記されていた。
「じゃ、じゃあ僕はこれで…」
怯えるように自分の席に戻るクラスメイトに軽くお礼を言う。
まあクラスメイトの態度も無理はない。門倉雄大と言えばこの高校では――むしろ近隣の高校でも知らない者はいないだろう。一言で言えば番長だ。
リーゼントに長ランというヤンキースタイル。ただ不良かと言われればそうとは言えず、無駄な暴力は振るわないし、教師からの評判も悪くない。しかし迷惑行為をするいかにも不良な生徒に対してはその力を持って粛正をする。そう、教師なんかは面倒事を門倉に片付けてもらっているようなものなのだ。
くしゃりとメモをポケットにしまい込む。
昼寝をする気分ではなくなってしまった。
◆◆◆◆◆
門倉と初めて会ったのは夏だった。
入学した当時から名前だけは知っていたが、1年と3年では顔を合わせる機会もそうそう無かった。
ある夏の夜。
高校に入ってからたまに行なっていたオヤジ狩り。別に金銭が目的だった訳じゃない。偉そうな大人の崩れ落ちる姿が見たかった。
幼い頃目にした、地に頭を擦り付けた父の姿。小さな少年にとって絶対的な存在であった父のその姿に、何とも言えない感情を抱いた。
違うんだ、父だけがそうなんじゃない。それを証明するために始めたオヤジ狩りだった。ただ、いつしかそれはあの時の何とも言えない感情を求めるため、自身のためへと変わっていた。
そんな時だった。門倉雄大と出会ったのは。
「おどれ何しとんの?」
人が滅多に入り込まないような、裏路地の袋小路。いつものようにオヤジ狩りを終えたところで声をかけられた。
「最近なんか悪さしとるやつおるな思っとったけど、高校生…同じ高校だったとはね」
声をかけてきた男は、俺の制服の夏服のポケットに刺繍された校章を指差し、次いで自分も同じだと詰襟の校章をこちらに見せる。
「門倉…雄大?」
「なんじゃ。ワシのこと知っとんのか」
顔を見たのは初めてだった。ただ、リーゼントに長ランという姿に噂に聞いていた門倉雄大だと自然と思った。
「何にしてもそんなこともうやめぇや。暴れたいならワシが相手しちゃる」
「別に暴れたい訳じゃ…」
そこまで言って言葉をとめた。
この男の崩れ落ちる姿を見たい―――
そう思うと、突き動かされるように門倉に拳を向けていた。ニヤリと口角をあげた顔が脳裏に焼き付いた。
覚えているのはここまでで、気がついたら公園のベンチに横になっていた。
「気ぃついたか。ここ四丁目の公園。一人で帰れそうか?」
身体が痛い。ああ、門倉に負けたのか。
一刻も早く門倉から離れたかった。立ち上がると少しふらついたが、歩くのに問題はなさそうだった。
公園も知っている場所だったし、家まで帰るのも問題はない。
「おどれ、本当にあんなことやめぇよ?何かあったらワシんとこ来んさい。ほっとけんからね」
背中に投げられる言葉が鬱陶しくて、思わず声が出た。
「あんたは俺の親か?」
門倉と出会ってからはオヤジ狩りをやめた。
その地位や肩書きが自分の力であると勘違いしているようなつまらない大人相手では、何も満たされなくなった。
見たいのは門倉雄大が崩れ落ちる姿だけなのだ。
その想いを抱えたまま夏は終わり、新学期を迎えた。
あの夜「ワシんとこに来い」と言った門倉の言葉通りに3年の教室にでも足を運んでやろうかと何度も思ったが、足は進まなかった。
校内では問題事を起こしたくないのが本音だ。
これでも優等生で通っている。もはや癖となってしまった人と目を合わせない態度を一部の教師からは生意気と思われているようだが、内申に響くようなことは極力したくない。
どうしようかと悩んでいたが、その悩みはすぐに解消された。
帰り際、校門のところに立っていたのは門倉だった。
「当たり。おどれ部活も入っとらんし授業終わったらすぐ帰る思ったわ。1年4組の弥鱈悠助くん」
「…なんで知ってんの?」
「調べりゃすぐ分かるわ。で、あれからどないしとんの?あれまだ続けとんの?」
門倉雄大はデカイ。190cmはあるだろう。待ち伏せをされていたことと見下ろされることが面白くなく、小さく舌打ちをした。
「もうやってない。あんたのせいだ」
小さくついた悪態もその大きな身体には響かず、「なら良かったわ」と穏やかな声が降ってくる。何もかも面白くない。
「ねぇ、俺暇なんだけど。暴れたいって言ったらあんた今から遊んでくれんの?」
勝てるとは思わないが、イライラをぶつけたかった。
睨むように見上げれば、門倉の目が細められる。
「ええよ。場所移そうか」
河川敷の橋の下、いかにもな場所だった。
「あの、一応俺優等生だから見えるところはやめてほしいんだよね」
これから喧嘩をするのに場違いな提案をしているとは思うが、この先平穏な高校生活を送るためには譲れない。
「分かった。じゃあワシが勝ったらひとつお願い聞いてもらおうかな」
問題ないと言う門倉に、二度目――今度は足を蹴り上げた。
「なかなかやるね、弥鱈」
仰向けになり息をあげる俺とは反対に、門倉は涼しい顔だった。
「勝ったけえね、ワシのお願い聞いてもらわんとね」
「…何?金ならあるよ、これでも結構良い家だし」
「アホか。おどれはちぃと年上との接し方を気ぃつけんとね。お願いはな、とりあえずワシのことあんたって言うのはやめにせえ」
「は?」
思わず間抜けな声が出た。
馬鹿にされているようで苛立ちもしたが、初めに「見えるところはやめてくれ」なんて馬鹿な提案をしたのは自分だったし、約束を翻すのも嫌だった。
「ほれ、言ってみぃ」
「…門倉」
「ワシ先輩やぞ」
「…門倉…さん」
「ええ子」
また、目が細められた。
それからは何度か門倉と喧嘩をした。
校門で門倉が待っていて、一緒に移動して喧嘩をする。不思議と、俺がそうしたいタイミングと門倉が待っているタイミングは合っていて、喧嘩の相性というものもあるのだろうかと可笑しくなった。
一度連絡先を交換しようかと言われたが、そこまでの仲ではないと断った。何故か、そういう繋がりを持ったら引き返せないと思った。
◆◆◆◆◆
数日後には3年生が卒業を迎えるこの季節、まさか今門倉から呼び出されるとは思ってもみなかった。
実は、門倉の姿は秋が終わる頃から見えなくなっていた。噂では、事故にあい入院したと聞いていた。
それが今。
呼び出される理由は何なのだろうと、放課後までの短い時間考えていた。
書いてあった場所に向かうと、そこには既に人がいた。
「門倉さん…?」
名前を呼んだのは何ヶ月ぶりだろう。声は上擦ってはいなかっただろうか。
「弥鱈、来てくれたんじゃね」
「元気そうで良かった…」
お互いを気遣うような仲ではなかったが、心からそう思った。
リーゼントに長ラン。見た目には変わらないその姿だったが、どこか以前とは雰囲気が違うようにも思えた。
「事故にあったって…もう大丈夫なの?」
「事故?…ああ事故みたいなもんか。そうじゃね事故だったわ」
そう言って笑う門倉に、ああ雰囲気が柔らかくなったのだと感じた。
「吸う?」
ん、と差し出された煙草の箱。その本人は既に1本咥え火をつけている。
煙草を吸っている姿は初めて見た。元々高校生らしからぬ見た目ではあったが、煙を吐き出す横顔が余計大人に見えた。ドキリ、としたのは何故だろう。
「俺はいいや。門倉さん大丈夫なの?ここ学校だけど」
「もう卒業だし、そもそもワシになんか言うてくる教師はおらんわな」
先程大人に見えた表情が、一転えらく無邪気にも見えた。この人はなんでこんなにも俺にいろいろな顔を見せるんだ。
「ワシもう卒業じゃろ?弥鱈に会えなくなるのが寂しなってな」
俺に会えなくなるのが寂しい…?
門倉は人望も厚く周りにはいつも人がいる。つい半年ほど前に会ったばかりの俺のことなんて気にしなくていいはずだ。
今日だって3年は登校日でもないから、俺の教室にメモを渡しに来た3年は門倉のためにわざわざ着いてきたのだろう。
言われたことを理解できずにいる俺に構わず、門倉はそのまま話を続ける。
「入院してた間、ワシと遊べなくなってまたお前が変なこと始めてないかとか考えとった」
「…してない」
「なら良かった」
ああまた。また、その穏やかな笑顔が。
もうすぐ卒業。どうして最後の最後で俺にそんな顔を見せるんだ?
「ワシな、よく面倒見がいいなんて言われるんじゃけど、弥鱈のことほっとけなくてな」
「俺のこと何だと思ってんの?俺の親なのかよ」
「前にも聞いたな、それ」
もうこれ以上笑い顔を見せないでくれ。
こんなにも掻き乱される心が嫌でたまらない。
「もう卒業していなくなるんだから、俺のことなんて構わないでよ」
これは本心だ。
門倉の言葉をそのままに受け取るのならば、俺もそうなのだと言いたい。
門倉のことが気になるのだ。
「のう…連絡先交換しとく?」
二度目。
「…いらない」
今回も断った。
門倉はこれから違う道へと進むのだ。これまでと同じ付き合いを求めることはできないし、それならば連絡を取ってもどうなるというのだ。
「門倉さんは進学?でも入院してたから受験もできてないの?」
「進学はせんよ。就職…いうかツテがあってね」
じゃから弥鱈には会えなくなると思う。
そう言われると、いよいよ終わりなのかと天を仰いだ。
今後自分は、父の希望通りに進学をして一流企業への就職を目指すのだろう。そしてそれは、門倉の行く道と交わることはおそらくないのだ。
「最後に喧嘩でもする?」
「ワシ病み上がりよ?今日はな、これ渡しに来たんよ」
差し出された手の上、鈍い金色をした見慣れたボタンが転がっていた。
「は…?マジ?門倉さんってこういうことすんの?」
卒業に第二ボタン。この男でもそんなことを思うのかと可笑しくて笑ってしまった。そんな俺を不貞腐れたように見ている姿が何とも言えず、そのボタンに手を伸ばした。
「いいよ、もらってあげる」
「んー。ただあげるんじゃなくてな」
伸ばした手も虚しく、ボタンは門倉の手に握られ取ることはできなかった。
「弥鱈のこれと交換しようと思うんじゃ」
ボタンを握ったのと別の手で、俺の第二ボタンを触る。
驚く俺に構わず器用にボタンは外され、代わりに門倉の手の中にあったボタンが付けられる。
「ワシはおらんけど、お守り替わりに付けといてよ」
「は…意味、分かんない…。何だよ、お守りって…」
「弥鱈クンがええ子でいられるように、のお守りかな」
「馬鹿…じゃないの?」
ただボタンがひとつ、付け替えられただけだ。なのにどうして、こんなにも心臓が煩いのだろう。
「じゃあワシ、そろそろ行くわ。ダチも待たせとるしね」
そう言った門倉が、不意に顔を近づけ耳元で囁いた。
「おどれのこと、結構好きじゃったよ」
「っ!!」
急激に熱を持った耳をおさえ、睨むように門倉を見る。
あの日脳裏に焼き付いた、ニヤリと口角を上げた顔がそこにはあった。
◆◆◆◆◆
学校ではお利口に、家でもお利口に。
後はつまらない人生を送るだけだと、胸のボタンを触りながら思う。
後にどこからか聞こえてきた話では、門倉の入院の理由は事故ではなくヤクザと何かがあったらしい。
いや、門倉にとってはそれ自体が本当に事故のようなものだったのかもしれない。卒業後に裏の世界に身を置いたという話も聞いた。まあそれも不思議ではないなと思ってしまう。
やはり俺たちの道は交わることはないのだ。
「俺も…あんたのこと結構好きだったよ、門倉さん」
もう伝える意味の無い言葉なら空に溶けてしまえばいいと呟き、空に向けた舌先から唾風船を浮かべた。
end.