ジェ様+チュリン 🦚がまだ幹部じゃないときの話「僕に庶務ばかり回していいのかい?」
「あら、そんなに退屈な思いをしていたの? なら、もう少し骨が折れる案件を引き継いであげるわ。手足の一本や二本くらいでいいかしら」
「冗談はよしてくれ! そんな物騒な債権回収を、君が受け持つとは思えない」
「そんなこともないわよ。それで、貴方に案件の希望はあるの?」
眉、目尻、口角。いつも寸分違わぬ位置に揃った部位が、そつのない笑みを形成している。
上司からの説明に用いられたウィンドウが姿を消す。同時に、アベンチュリンのメールボックスがファイルを受信する。今日このあとはそれらを読み込む時間に充てないといけないほど、ジェイドから受け取る仕事の量は、多かった。嫌味にも及ばないようなそれを、つい口にしてしまうくらいには。
「望みというほど大層なものじゃないけど、てっきり、僕は君の後継として適性を見出されたんだと思ってた。自分の力を過信するつもりはないよ。ただ、星神が手土産に持たせてくれた幸運には、それなりに利用価値があると思ってる。だから……ああ、それとも、見込み違いだったかな? それならいっそ戦力外通告をしてくれた方が嬉しいんだけど」
これで「じゃあ」と頷かれてしまえば、根無草にならざるを得ない。すでに首に刻まれたそれを、重ねて焼き付けられることもあるかもしれない。職位が上の幹部には、多少勢いづいて出世した程度の部下の命運など、易々と左右できるだけの権力が与えられていた。
しかし、そのようなつまらないことを彼女がしないのは承知の上で、甘えよりはもう少し打算的な考えの元で、アベンチュリンはつらつらと申し立てた。賭けというには、リスクの足りない挑戦だった。案の定、退治する上司の口からは、決して物騒ではない、細やかな笑い声が溢れる。
「ふふ。その舌がいつも通り絶好調で安心したわ。不貞腐れちゃったのかと思った」
「茶化さないでくれよ、ジェイド――」
アベンチュリンが肩を竦めたそのときだった。じいっと此方を見つめている白金色の二つの瞳がいつも以上に透き通って見えたのは。蠱惑的なまでに美しい虹彩が、まるで、秤のように他人を見定めているようで。
「当然のことよ。少しでも代償を伴う融資なんて、したら駄目に決まってるじゃない」
常日頃から聞いている口調、言葉選び、表情――何一つ、綻びのあるところはない。なのにどうして鋭く胸に刺さってくるのか。駆け引きを司る星神が特別にいるのなら、そいつを飼い慣らして仕事をしているのだろう彼女の前でそれを疑問に思うのは愚かだとわかっている。故に、アベンチュリンは、至極不明瞭な言葉を繋ぐことしかできなかった。
「それは、そうだけど」
「けど、何? 異論があるのかしら」
「ないよ。ただ、君が、P10より下の社員向けに開かれる投資アカデミーの講座の講師みたいなことを言うから」
「仕事の合間にちゃんと通ったのね。偉いじゃない」
「わかったよ。君は、セオリー通り貸付にハイリスクハイリターンは求めてない。その代わり、初めからリスクがこびりついて出来上がったような回収になら、僕程度のリスクを放り込んでも構わない、と」
「貴方の物分りがいいところが好きよ」
間髪入れずに飛んできた不意の賞賛は、あからさまな社交辞令の類だとわかっていても、アベンチュリンの胸の内の柔いところをこそばゆくする。遠い記憶の中、穏やかな手つきが頭を撫でていったときのような感覚。甘美なそれを受け取っているのは、すっかり彼女の掌中で転がされているという証だった。
「……光栄だな」
「アカデミーでもさぞ優秀な生徒だったんでしょう」
「まあね。その勤勉さを買われて僕は今此処にいるんだから……。まさか、歩くリスク呼ばわりをされるとは思わなかったけど」
「そんなに直接的なことは口にしていないわ。ただ、合理的な話をしているだけ。どうせ、どうにもならず終局してしまいそうな盤面なら、いっそのこと大胆な一手を投じてみたいの。貴方はそのためのとっておきのスパイスなのよ」
「……そう。わかったよ。君に『とっておき』と言われちゃ、僕は尻尾を振って喜ぶしかないかな。たとえ、調味料扱いされてもね」
「あら、失礼。今度は言葉を選ばなすぎたかしら」
「大丈夫、気にしないよ。ハラスメント窓口にも通報しない」
僕はよくできた部下だから。舌が回るままにそう告げたところで、不意に会話が止まった。すっと体温が引いていく気配を覚えるが、相手の顔色は、相変わらず、少しも変わっていない。
「アベンチュリン。貴方――」
名を呼ばれ、ん、と首を傾げようとすると、軽やかなムスクの香りが漂ってくる。ジェイドが、一歩、近づいてきたのだ。そして、彼女は、向けられた自然と同じ向きに首を揺らしたあとで、目を細めて。
「この程度で拗ねてしまうようなお子様が仕事を選ぼうなんて、百年早いのよ」
――これで満足かしら?
近づかれた側に耳を傾けると、去り際に、そう耳打たれた。
別に、怒られたかったわけじゃない。ただ……と、その先がどうしても思い付かないことに気がつく。
凹まない石の床を爪先で穿りながら、アベンチュリンは、ふんと鼻を鳴らした。