特権 シャワーを浴び終え、下着だけを身につけたポルナレフは、開けたドアから見えた光景にその双眸を丸くした。
「………………」
まだ水滴が落ちる髪をタオルで押さえながら、二つ並んだベッドに歩み寄り、窓側のベッドのヘッドボードに背を預けたまま動かない男を見遣る。
自分がシャワーを浴びている間に着替えたのだろう、交代でバスルームに入る前に見たバスローブはゆったりとしたワンピースの民族衣装のような部屋着に変わり、投げ出された足の上にはペーパーバックが開かれたまま乗っている。
「アブドゥル?」
呼ばれた男は声に反応することなく、その肩がゆっくりと上下に動き、耳を凝らせば小さな寝息が聞こえている。
顔を覗き込むと閉じた瞼の上、黒々とした太い眉が中央に寄っていた。
「おーい……アヴドゥル?」
もう一度呼ぶがぴくりと眉が寄っただけで、それ以上の反応はない。
ポルナレフがシャワーを浴びていたのは十五分程度。バスルームに入る前、声をかけた時は返事があった。
(疲れてんなぁ……)
頭にタオルを乗せたままベッドへと腰掛け、難しい顔で眠りこけて自分の気配にすら気づかないアヴドゥルの顔をじっと見つめた。
いつDIOの刺客が襲ってくるともわからない旅。彼はナビゲーター兼参謀役として、リーダーのジョセフを支えて、旅を共にする承太郎や花京院にも頼りにされていた。ポルナレフ自身もその一人である。まして、彼のスタンドである魔術師の赤と対峙し、その炎を受け、強さを身をもって知っているから尚更だ。
(気ぃ張ってるもんな……)
自分を庇い、死んでいてもおかしくない怪我から奇跡的に復帰したばかり。いくらスタンド使いといえど、たった2週間で完治し、元通りとはいかないだろう。
ましてや、エジプトに入って以来、一行を襲うスタンド使いの力は強くなっている。
気を張るな、という方が無理な話だろう。
「…………」
覗き込んだ寝顔は、いつものそれより険しい。
おかしなものだ、と思いつつ、ポルナレフは深く刻まれている眉間の皺へと指を伸ばす。
アヴドゥルと出会って一ヶ月と少し、怪我で離脱していた期間を除けば、一緒にいるのは三週間に満たないかもしれない。それでも、彼の寝顔が見慣れたものになりつつあるのは、同じ部屋で、同じベッドで眠ることが増えたせいだろう。
取れる部屋の都合もあるが、一緒になれば嬉しいし、そうでなければ寂しいとさえ思う。
出会ってから大して時間は経っていないのに、アヴドゥルの隣にいることが当然のことのようになっている。
(もう少し、休ませてやれりゃいいんだけどな)
眉間の深い溝を撫でる。何か悪い夢でも見てるのだろうか。
無理をさせないようにしたいが、そうも言っていられない。加えて、アヴドゥルは元来の世話焼きらしく、普段からジョセフはもちろん、承太郎や花京院、自分にまでも気を配っている。そして苦言やお小言を食らうのだが、それが嬉しいやら恥ずかしいやら。
労うようにアヴドゥルの頬を撫で、少し身を乗り出して険しい眉間に唇を触れさせる。
「おーい、アヴドゥル〜? 寝るなら、ちゃんとベッド入れよ」
撫でていた手で、ぺちぺちと頬を軽く叩く。
すると、一度強く眉根が寄せられたかと思うと、カッと瞳が大きく見開かれると同時に、一気に室内の温度が上がる。
「おいおい、恋人相手にスタンド出すなよ」
驚いたような、熱の色を載せた褐色の瞳を向けられ、呆れたようにポルナレフが笑うと、しばらく彼を見つめ、アヴドゥルは安堵するようにひとつ息を吐いた。それと同時に、背後に見えていた炎を纏う鳥の頭を持ったスタンドがゆらりと消えていく。
「すまない……少し、驚いただけだ」
「珍しいよな、アヴドゥルが居眠りなんて。疲れが取れてないんじゃあないか?」
アヴドゥルは部屋の明かりが眩しいのか、目元を大きな手で押さえている。
「本なんか読んでねえで、とっとと寝ちまえよ。ただでさえ怖い顔がさらに厳つくなってんぞ?」
ポルナレフを見る顔はやはり疲労の色が濃い。相変わらず深く刻まれている皺を指先で撫でれば、その手首を掴まれる。
「……多少疲れてはいるが、顔のことは関係ないだろう」
気にしてたのか、そう笑ってやろうと思った矢先。ポルナレフは、手首を強く引かれ、アヴドゥルの胸へと倒れ込んだ。
「急に何すんだよ!?」
「髪が生乾きだろう? 癖がつくぞ」
ポルナレフが声を上げると、ぐるりと体の向きを変えられる。座らされ、頭にのせたままだったタオルで頭皮ごと揉み込まれた。
スタンドの影響なのか、その手指は自分のそれよりも温かく、心地いい。慣れたように指の腹で頭皮を揉み、毛先の方はトントンと叩くように髪に残った水分を取っていく。
「おい、子供じゃあねえし、ちゃんと拭いたぜ?」
「どうせ、乱暴にタオルで擦っただけだろう?」
アヴドゥルは髪からタオルを離すと、パチンと一度指を弾いた。すると、ポルナレフの背後から、ぶわ、と熱風が吹き付けられる。
「……Merci」
スタンドの熱によるドライのあと、ポルナレフは礼を言い、小さくため息を落とした。この後、起こるだろうことを知っているからだ。
「…………それ、好きだよな」
呆れたように言うポルナレフの背後。スタンドまで使って手ずから乾かした銀髪に、アヴドゥルが鼻先を埋め、シャンプーの香りを吸い込み、柔らかくふわりとした感触を楽しんでいる。
「なんで?」
ポルナレフが振り返ると、楽しみを邪魔され、不満げに顔を顰めるアヴドゥルがいた。
「……嫌か?」
「いんや? ガキみてえだから、初めは嫌だったけどな。今は、そうでもねえ。案外気持ちいいしな」
「なら、いいじゃあないか」
ポルナレフの言葉にアヴドゥルの満足そうな声が返ってくる。居眠りをしていた時と違う、リラックスしたような様子に少し安堵する。
「なら、いいってよぉ……そういう問題じゃねえし、そもそもあんた眠いんじゃあねえの?」
襟足の伸びた部分をアヴドゥルは指先で弄んでいる。時折指が肌に触れ、それがこそばゆく、ポルナレフは身を捩る。
「動くんじゃあない」
「くすぐってえんだって。てか、なんでこんなことすんだよ?」
不満げな声に体を離し、ポルナレフは体ごと向きを変える。足を跨いで向き合うと、穏やかだった表情がまた険しいものになっている。
「嫌でないなら、問題はないだろう?」
「なくねえよ、意図がわかんねえ。なんでだよ」
アヴドゥルを睨みつけるも、小さく溜息を落とされ、ポルナレフは顔を顰めた。
「お前が髪を洗うのは、ニ、三日に一回程度だな?」
「おう、まぁそれぐらいのペースだな。埃っぽい時は速攻洗うけど」
「承太郎や花京院は、髪を乾かしてくれるのか?」
「はぁ!? んなこと、するわけねぇだろ」
「そうだろうな。まぁ、私もタイミングが合えば……というところだしな」
唇を尖らせるポルナレフのこめかみ辺りから指を入れ、髪を撫でるように梳く。
「わからないのなら、大人しくしていてくれ」
しだいにアヴドゥルの目が、柔らかく細くなっていくのに気づく。
「これ以上、楽しみを奪われるのはごめんだ」
ん? とポルナレフは数度瞬きを繰り返す。
何か、引っかかる。「楽しみ」とアヴドゥルは言った。洗い立ての、乾かしたての髪を梳くのが「楽しみ」であると。
そんなことが?
そんなことだから?
ぐるぐると考えた末、ふと、ある結論にポルナレフは思い至る。それであれば、先ほど承太郎たちの名前を出したのも納得できる。
(ああ、そういう…)
ポルナレフは口元が緩むのを感じた。
髪を撫でていたアヴドゥルが、片方の眉をあげ、訝しげに見てくる。
「……アヴドゥル……あんた、意外に可愛いとこ、あんな」
「……は? なんだ、突然」
くふっと思わず吹き出すと、ますます怪しげにこちらを見るアヴドゥルの頬を手で包む。空色の瞳を細め、嬉しくてたまらない、とポルナレフは隠さず顔に出す。
「素直に言えよ、俺といちゃいちゃしたいって!」
「はぁ!?」
怪我からの復帰後、以前より性格が変わったように見えた。それでも、根はアヴドゥルである。真面目でお堅い男は機微に敏いが、自分の欲には疎いのではないか。だから、こんな回りくどいことをしているのではないか。
「だって、そういうことだろ? 承太郎たちはこんなこと、絶対にしねえ。されたら、俺も抵抗して暴れる。俺が暴れねえとしたら、アヴドゥルかジョースターさんだけだ」
アヴドゥルは、ポルナレフの言葉に「こいつは何を言ってるんだ?」とでもいうような顔をしている。
「だが、ジョースターさんはそんなことしねえ。するとしたら、孫の承太郎だけだ」
「…………あぁ」
「それに、アヴドゥル。さっきみたいなこと、承太郎や花京院にするか?」
「……しないな」
「だろ? 俺にするのはアヴドゥルだけで、俺が大人しくやらせるのはアヴドゥルだけだ」
「………………」
ポルナレフはアヴドゥルの鼻先に自分のそれを擦り寄せる。
「素直に言えよ、Mon amour……俺だけは特別だって」
とびきり甘い声を出す。これを聞けるのはお前だけだと伝わるように、ポルナレフは熱を込めた瞳で見つめる。
すると、瞼が伏せられ、大きな溜息が落ちた。
「……いちいち、言葉にしないとわからないのか、お前は。愛の国の生まれじゃあなかったのか?」
「うっせえ! わかりにくいんだよ、あんたは」
鼻先でぶすくれるポルナレフを見てアヴドゥルが肩をすくめ、笑いながら鼻を擦り合わせると額が触れる。
近い位置にあった透き通るような空色が、さらに近くなり何かを待つように見つめてくれば、それに応えるように唇をそっと触れさせる。
「……あれは、私だけの大切な時間だ。私の楽しみなんだ、ポルナレフ」
「なんだよ、それ……」
「私だけの、特権……と言ったところか。私だけにしかできないことだろう? Mon trésor……」
聞こえた言葉に、ポルナレフは少し驚くような表情を見せた。
特権。
そうか、特権なのか。確かに、こうして自分に触れるのはアヴドゥルだけだ。髪でも、唇でも、肌でも。そうだ、これは彼だけの特権であり、二人が「恋人」で大切な存在だから許される特別なことなのだ。
なぜ、そんな簡単なことに気づけなかったのだろう。いままで付き合ってきた女性たちには、今言われたようなことを口にしたこともあっただろうに。
「そりゃぁな。けどよ、そんな簡単に触れられるもんだと思うなよ?」
「あぁ、わかっているさ。だが、私はお前の『特別』だろう?」
「……おいおい、自惚れがすぎるんじゃあないか、モハメド・アヴドゥル。今はそうでも、今後はわからんぜ?」
ふふん、とポルナレフが笑ってみせると、アヴドゥルが額を離し、目を細め揶揄うような表情を向けてくる。髪を梳いていた手は、白い首を撫で、引き締まった腰へと降りていく。
「今後? なぜだ?」
「そりゃあ、そうだろう? 確かに、今のあんたは俺の『特別』でamoureuxだ。でも、俺は愛の国の人間だからな。ちゃんと言葉と態度で示してくれねえと……」
「……言葉?」
アヴドゥルの頬に触れていた手が、耳をくすぐり、首筋をすべる。太い首から、占い師というには些か分厚すぎる胸の中心へ。ポルナレフの白く長い指先が、トン、とそこに触れた。
「そ、言葉。あんたはそれが足りねえ、ちゃんと言ってくれよ。一言でここに伝わるし、ここにある言葉を、たった一言でいいんだ。それだけで俺は幸せになれるし、アヴドゥル……あんたを幸せにできる。そうだろ?」
「……一言でいいのか?」
「Oui! もちろん、多くて困るものでもないし、多い方が嬉しい。だが、そういう努力を怠るやつは……浮気されても文句は言えねえぞ?」
「……ほお?」
くい、とアヴドゥルの片眉が上がる。
次の瞬間、顔が近づいたかと思うと、その分厚い唇が自分のそれに押し当てられる。それと同時に体が半転し、お世辞にも柔らかいとは言えないマットレスと、そこに残る体温を背に感じた。
「浮気は……困る。手放す気も、誰かに渡す気も、私はないからな」
「なら、それを見せて、感じさせてくれよ、Mon flamme……そうすりゃ、俺はずっとあんたのもんだ」
額や頬、耳元に触れる柔らかい唇の感触と髪を撫でる優しい指に、ポルナレフは目細める。自分を組み敷く男の首筋を撫で、そのまま白い腕を絡めて抱き寄せる。お互いの距離が近くなり、触れる体温がより高く感じられる。
「……そうか。なら、私の全てをかけて、言葉でも行動でも尽くそう。だがな、ポルナレフ……」
「……ん?」
様子を伺うポルナレフを、アヴドゥルの真っ直ぐで強い瞳が射抜く。
「おればかり与え、尽くすばかりでは、割りに合わん。それなりのものをもらうぞ? この先、おまえを手放す気もなければ、離れるつもりもない」
「…………」
「おまえがおれから離れるのも、逃げるのも許さん。重いぞ、おれのそれは」
真っ直ぐに向けられた瞳と言葉に、ポルナレフは少しの間、瞬きも出来ずにいた。
ようやく瞬きをすると、アヴドゥルの真剣で真摯な瞳と表情に胸が熱くなる。
あの、真面目でお堅い男が自分を欲している。
自分を手放すつもりはないと言っている。
それだけで、ポルナレフは高揚し、胸の奥はうるさいぐらいに早鐘を打つ。
「ああ、わかってる……このジャン=ピエール・ポルナレフ様がしっかり受け止めてやるさ! おれの懐と愛の深さ、なめんなよ?」
「……言ったな?」
「おう、任せとけ。こちとら、愛の国生まれだぜ?」
ふ、と笑うアヴドゥルの顔は、普段の大人然とした表情とは違い、どこか柔らかいように感じる。昼間、ポルナレフを含め周囲の言動、変化に気を張る男はいつも厳しい顔をしている。怪我からの復帰後、何か吹っ切れたのか、いろいろな表情が見れるようになった。
それでも、こんな柔らかく穏やかな表情は、ポルナレフだけに見せるものだ。
ポルナレフが首に絡めた腕に少しだけ、引き寄せるように力を込める。それに促されるように唇を触れ合わせる。
一度離れ、もう一度。啄むようなそれは、いつの間にか、お互いの唇を喰み、その隙間からどちらともなく舌を滑り込ませる。
口内をなぞるように動く分厚い舌に、ポルナレフは白い背を震わせ、腹の下辺り、奥の方が熱く重くなるのを感じた。
褐色に空色が、空色に褐色が。お互いに、お互いの瞳が映る。
アヴドゥルはおれを選んでくれた。
その事実がさらにポルナレフを焚きつける。
繰り返されるキスの合間、呼吸を整えながらアヴドゥルの眉間に手を伸ばす。
「……ん、気になるか? ポルナレフ、これはおまえのせいじゃあ……」
額に残る生々しい傷。自分を庇った時についたものだ。
手を伸ばしたことで、アヴドゥルはそれを気にしていると思ったのだろう。
「ああ、違う違う。気にしてねえとは言わないけど、そうじゃあねえ。なくなったなって……」
「……? 何がだ?」
アヴドゥルが首を傾げると、ポルナレフは透き通るような薄い空色を細め、不思議そうにこちらを見る愛しい男に唇を押し付けた。
「……なんでもねえ。なんでもねえからさ、続き……しようぜ? まさか、このまま寝ちまうなんて酷い真似、しねえよな?」
アヴドゥルの頬を撫で、誘うように笑う。
他の誰にも聞かせたことのない、とびきり甘えた声で囁きながら。
「……おれはおまえにどんな風に思われているんだかな。おまえが思っているほど、疲れてもなければ、枯れてもいない」
頬の手を取られ、掌にアヴドゥルの唇が触れ、手首へと降りていく。触れる唇の感触に、ひとつ息を吐く。
熱の籠る瞳は瞬きさえも見逃さないというように、ポルナレフを捉えたままで――。
その視線から感じる熱と情欲に、ポルナレフはぞくりと背を震わせる。
「……焚き付けたのは、おまえだ、ポルナレフ。途中でいらんと言われても、聞き入れないからな」
「……上等……全部よこせよ、それしかいらねえから」
にやり、とアヴドゥルが口元を歪めると手首を引かれ、噛み付くように唇を塞がれる。そこから喰われてしまうのではないかと思うほどのキスを受けながら、ポルナレフはその広い背に腕を伸ばす。
「Je t’aime à la folie……」
小さく聞こえた声はどちらのものか。
ふ……と室内灯が落とされると、重なる2つの影は、部屋に満ちる夜の色に溶けていった。
――――――――――――――――――――――
「…………ン……」
何かの眩しさを感じ、ポルナレフは小さく身を捩る。
カーテンの隙間から覗く太陽の光がその顔を照らしている。
「…………、んだよ…ちゃんと閉めとけよ…」
小さく文句を言いながら、ポルナレフは体の向きをカーテンとは逆の方へと変える。
変えた先。まだ目覚めきらず、とろとろとした心地よい眠気の中で見るのは、隣で眠る男の顔だった。
すぅすぅと規則的に呼吸を繰り返す、穏やかなその顔にポルナレフは、うっそりと笑みをこぼす。
「……やっぱり、ここの皺はない方が良い男だぜ、アヴドゥル」
昨夜見た眉間の皺。今は緩み、伸びているそこを昨日と同じように指先で撫でる。
この穏やかな寝顔を間近で、見られるのは自分だけ。
同じ時を過ごし、同じベッドで眠らなくてはこの顔は見られない。隣合うベッドで寝ていたならば、きっとアヴドゥルは先に目を覚ましてしまっている。
(……特権、か)
昨夜、アヴドゥルが口にした言葉を思い出し、ポルナレフは笑みを深くする。
心地よいような気怠さが残る体。ベッドに肘をつき、上半身を起しサイドボードへ手を伸ばす。置いてあった煙草とオイルライターを探し当てると、一本咥えて火を灯した。
一度肺に溜めた紫煙をゆっくりと吐き出しながら、隣のアヴドゥルを見遣る。
自分より少し年上で、少しだけ背が高く体格の良い占い師。その意志の強さを主張する眉と何事をも見通すような大きな目。誰よりも己に厳しく、誰からも頼りにされる男。
そんな男が、無防備な寝顔を自分だけに見せている。その占い師らしからぬ逞しい腕で寝ている間すら離れたくない、とでもいうように抱き付きながら。
「…………愛されてんねえ、おれ」
時計を見れば、いつもより少し早い時間を示している。もう少し寝るのもいいが、昨夜のことを考えるとゆっくりシャワーも浴びたい。
ポルナレフは隣で寝息を立てるアヴドゥルの黒く長い髪に指を滑らせる。太さと髪質が違うせいか、その感触は自分の知るものとは違う。
(ああ、確かにこれは……良いかもしれねえな)
アヴドゥルの髪を梳きながら、ポルナレフは目を細める。指に触れる感触もだが、こうして自分にしか見せない無防備な恋人の姿を見るのは実に楽しく、心地がいい。
(さて……)
アヴドゥルの髪をひとしきり撫でると、ポルナレフは、目を閉じたままの恋人の耳元へと唇を寄せる。
「……そろそろ寝たフリやめねえと、朝食に間に合わねえぞ?」
「…………」
リップ音を立て、擦り寄せた頬にキスをする。すると、アヴドゥルがゆっくりと瞼を開き、その太い眉を中央へと寄せた。
「Bonjour , mon petite marmotte……」
お互いの視線が交わったところで、ポルナレフはその眉間へとひとつキスをする。
「気づいていたなら、起こせばいいじゃあないか……」
拗ねたように、ふん、と鼻をひとつ鳴らす。身体を起こすアヴドゥルの腕が離れたのを合図に自分も身体を起こすと、ポルナレフはゆるりとベッドから抜け出し、床に落ちた下着を拾い上げた。
「……そんなことしねえさ。おれだって、楽しみを邪魔されたくねえからな」
「……楽しみ?」
下着を指に引っ掛け、くるくると回しながらベッドの正面にかけられた鏡越しに、まだ少し眠そうにしているアヴドゥルを見遣る。
(なんとまぁ、間の抜けたいい顔しやがって……)
どこかぼんやりとして、覚醒しきっていない恋人の様子に、ポルナレフが小さく笑う。それに気がつくときまりが悪いのか、アヴドゥルがこちらを睨む。
「……なんだ?」
「い〜んや? なんでもねえ。誰かさんのおかげで、体が怠くてたまんねえなって思っただけ……って、おれ、すんげえ跡ついてんじゃん!?」
「……それはお互い様だ。ポルナレフ、そもそもおまえが煽ったんだろう?」
「はぁ!? あんたが素直じゃねえから悪いんだろ!?」
自分は悪くないとでもいうようなアヴドゥルの言葉に声を上げながら、バスルームに向けた足を止めてベッドの方を振り返ると、そこから立ち上がる様子が見えた。
数時間前まで、自分を組み敷いていた分厚い身体。そこには肌の色で目立たぬとはいえ、背中や腕、肩の辺りに紅い筋やら噛み跡やらが、しっかりとついている。自分の体も、胸や背中、太腿に同じようなものがある。
お互いにしかつけられぬそれに、ポルナレフはなんともいえない多幸感と優越感を感じ、ふるりとその身を震わせる。
これが彼が、自分が持つ『特権』なのだ、と。
「……どうした?」
「……なんでもねえ。てか、さっさとシャワー浴びようぜ?」
「そうだな、おまえはまだしも、わたしが遅れるわけにはいかないからな」
「はぁ? どう言う意味だよ、それぇ!?」
ぎゃんぎゃんと吠えながら、アヴドゥルと共にバスルームへと向かい、そのドアを閉じた。
そして、バスルームをシャワーの温かい蒸気が満たす頃、目の前の穏やかな恋人の顔を見られるのは、自分だけだという幸福感に浸りながら、また一日が始まり共に居られるという幸福を噛み締める。
それは、共にある二人の特権なのだから。
――――Fin.