大切なもの(後編)「そんなことがあったのか」
広い砂漠の砂の上、無数の星が瞬く空を見上げていたアヴドゥルは隣で座っているポルナレフへと視線を向ける。
「……あぁ、ありがたいことにな。だがよぉ、3人とも、失礼なんだぜ?」
トントンと箱を叩き、そこから出た煙草を一本咥え、ポルナレフは肩をすくめた。
「何がだ?」
「花京院がよ、昼間の話を思い出してさ……」
ポルナレフが妹のためにケーキを焼いていた、という話を聞かせた。その時の花京院の反応が失礼だ、とジョセフたちに愚痴ったのだ。
『……あー、そりゃ仕方ないじゃろ。わしだって、そんなイメージ浮かばんしのぉ。おまえさんがキッチンに立っとるところすら、想像できん』
『………………ねえな』
ジョセフと承太郎、それぞれの反応にショックを受けるポルナレフの横で、花京院が勝ち誇ったように『ノォホホ』と笑っていたのを思い出し、思わず眉間に皺が寄る。
「なぁ、失礼だろ〜? 俺だって、料理ぐらいできるっての!」
「……………………」
「……? どうした?」
「……………………………………ない、な」
「あんたもかよ!!」
ポルナレフの声と共に、アヴドゥルの笑う声が静かな砂漠に響く。
「まったくよぉ、おまえらなんなんだよ」
「……しかし、よかったじゃあないか」
「ぅん? あぁ、そうだな……まさか、祝ってもらえるとは思ってなかったからな。あんたのこともあったし……」
「…………」
「まさか、生きてるとは思わなかった」
俺の涙を返せ、と笑うポルナレフにアヴドゥルは苦笑を見せ、『すまない』と返すことしかできない。
あの日の後、一行はDIOから送り込まれたスタンド使いを退けながら、数日をかけてたどり着いた紅海の小島で、死んだはずのアヴドゥルに助けられた。そこでやっと彼が生きていて、ポルナレフにだけ黙っていた、と事の顛末を聞かされたのだった。
咥えている煙草にポルナレフが火を点ける。その手には、承太郎たちから贈られた、小さな宝石のついたオイルライターが握られている。
「……瞳の色と好きな色、か」
「……ん?」
カチンと小さな音がする。自分の方を見上げるポルナレフの手のオイルライターにアヴドゥルは指先を向ける。
「ブルートパーズはお前の瞳の色、ゴールデンベリルはお前が好きな色だろう?」
「…………あ……」
今気がついたのか。改めて、手の中のオイルライターを見つめる様子にアヴドゥルは苦笑を見せる。
「ブルートパーズの石言葉は、友情・希望・知性。ゴールデンベリルは『輝ける良き日』、希望、光、勇気…」
言葉を続けるアヴドゥルへと視線を戻し、じっとそれを聞いている。
「……どちらも、お前にぴったりの石じゃあないか、ポルナレフ」
2人はセンスがいいな、とアヴドゥルは目を細め、再び空を見上げ、星を見る。
その横顔を見ながら、ポルナレフはゆっくりと腰を上げ、パンツの尻部分についた砂を払う。
「……なぁ、あんたからはねえの?」
「ん? 私から?」
「そ、あんたから」
隣に並んだ気配に視線を向けると、細められた薄いブルーの瞳がこちらを見つめていた。
「…………欲しいものでもあるのか?」
「んー……そうだな、あるっちゃあ、ある、かな」
「高価なものは無理だぞ?」
「……高価、なわけでもねえけどなぁ。あ、でも……いや、いいや、やっぱいらねえ」
しばらく考えたあと、肩をすくめて首を振る。
「これ以上、プレゼントなんてねだったら、怒られちまう」
「……どういうことだ?」
怪訝そうに訊ねてくるアヴドゥルに、ポルナレフは煙草を吸い、ゆっくりと紫煙を吐いた。白く浮いたそれがやがて暗い空間へと溶けていくのを見遣る。
「んー……だって、あんたが戻ってきただろう? それが俺にとっちゃあ、プレゼントみたいなもんだぜ」
ニッと白い歯を見せて笑い、ポルナレフは言葉を続ける。
「誕生日にゃ、ちぃっと遅いけど、すげえ嬉しかった。だから、いらねえ。今生きて、ここに居るならそれでいい」
言い終わると同時。ポルナレフは強く腕を引かれ、アヴドゥルの方へと倒れ込んだ。
「っ!? 危ねえだろ、アヴドゥル!!」
太い腕に強く捉えられる。持っていた煙草を確認しながら声を上げた。分厚い胸板と大ぶりなアクセサリーに顔が押し付けられ、抗議のために視線を向けると、そこにはなんとも言えない表情を映す顔があった。眉間に皺を寄せ、その大きな瞳はポルナレフを睨む。しかし、その口元は笑みを浮かべているようにも見え、怒っているのか笑っているかよくわからない。
「……んだよ、なんて顔してんだよ」
ポルナレフが小さく吹き出すと、難しい顔で自分を見る男は、さらに困ったような表情をそこへ加えていく。
「んな顔すんなって。まぁ、俺だけ知らされてなかったってのは、癪だが仕方ねえ。一生、言い続けてやっからな」
悪戯な子供のようにポルナレフが笑い、自分を抱きしめる男の背に回した手でポンポンと叩く。すると、男の腕に更に力がかかり、肩口に額を押し付けられた。
「おい、おい……なんだよ。いい加減はな…」
「…………もう、いらない、か?」
「ん?」
「……プレゼント」
顔を見せぬまま、アヴドゥルが呟く。
砂漠の冷えた空気の中、ぬくもりに包まれる。その奥で小さな音が聞こえる。ポルナレフは、その音がよく聞こえるようにと、そこへと耳を押し当てる。
「…………今もらってるから、いらねえ」
「……これだけでいいのか?」
少しずつ、聞こえる音が速くなる。自分のそれも同じように聞こえているだろうか。
「……さっき言ったろ。これ以上ねだったら、怒られる」
「誰にだ?」
「んー、神様?」
「……ほぉ? 神を信じていたのか?」
まさか! と笑うポルナレフに、アヴドゥルは顔を離し、改めてその顔を見る。
「信じちゃいねえけど、アヴドゥルが戻ってきた時に、ちったぁ信じてやってもいいかと思った」
「随分と尊大だな」
お互いに顔を見合わせていると、アヴドゥルの額がそっと合わされる。
「ならば、誕生日のプレゼントぐらいねだったってどうってことないだろう?」
「…………なら、アヴドゥル、あんたは何をくれるんだ?」
青い瞳がアヴドゥルのそれを覗き込む。
「…………何を望む?」
「それ、聞くのかよ」
くく、と小さな笑い声と共に腕の中の体が揺れる。こちらに向けられた笑顔に少しの期待が見えた。
「……あんたがくれるもんなら、なんでも。全部欲しい」
「……欲が深いな」
「それで? どうなんだ?」
さっきまで子供のような笑みは、こちらを試すような、それでいて揶揄うものに変わっている。返事を確信しているようなその表情は些か癪に触るが、こればかりは仕方がない。
「…………お望みとあらば」
その言葉に嬉しそうな表情を見せるポルナレフに、自然と引き寄せられる。
少しカサついた唇を重ねると、細めていた目が伏せられる。ゆっくり食むように薄いそれの感触を確かめていると、不意に離れていく。
「……残念」
顔を離したポルナレフは不満気に呟き、その視線は仲間の眠る焚き火の方へ向けられている。見れば並ぶ寝袋の一つがもぞもぞと動いていた。
それでも腕の中の体温が愛おしく離しがたくて、アヴドゥルはもう一度強く抱き寄せるように腕に力を込める。
「交代の時間。ジョースターさんと交代だろ?」
離せ、とポルナレフがアヴドゥルの胸を軽く叩くと体を捕らえていた腕が解かれていく。だいぶ短くなった煙草を足元へと落とすと、砂の上に落ちる寸前にポッと小さく燃え、灰へと変わる。
「プレゼント、ありがとな。続き、また今度、な?」
大人然とし、常から冷静なアヴドゥルが不満そうに顔を顰めている。
その表情にポルナレフは少し体を伸ばし、なだめるようにアヴドゥルの分厚い唇に自分のそれを触れ合わせる。
「ほら、行けよ。俺は、もう一本吸ったら戻るからさ」
ぽんぽんと押し出されるように肩を叩かれ、一瞬のことに呆然としていたアヴドゥルが我に返ると、ポルナレフは新しい煙草を出そうとポケットに手を突っ込んでいた。
「…………ポルナレフ」
「……ん? どうした?」
「Joyeux anniversaire. Je t’aime de tout mon cœur……」
煙草を探し当て、それを咥えたポルナレフの動きが止まる。聞こえた声にその宝石のような瞳を細めると、白い頬と耳が薄紅色に染まっていく。
「Merci beaucoup. J'en voulais un 」
子供のように嬉しそうな笑みを見せるポルナレフが言葉を返すと、アヴドゥルはふわりと満足そうな表情を見せ、交代のため仲間の元へと歩いて行く。
ポルナレフは緩む口元に煙草をくわえ、オイルライターで火をともしながら、その背中を見送る。その先、アヴドゥルはジョセフと焚き火に当たりながら話をしているのを眺めながらゆったりと煙草をふかす。
誕生日すら忘れていた。
祝うことはもちろん、祝われることなんて、もうないと思っていた。
空っぽで凍りついていたものが、ゆっくりと溶けていく。以前の自分には後悔と怒り、哀しみしかなかった。
たった数週間。その短い時間で、喜びや興奮、明るいものが増えた。どれもこれも共にいる大切な仲間がくれた温かさだ。
もちろん、その間にも辛いことや哀しいことはあった。あの時こうしていれば、と後悔もした。それでも、自分が今こうして立っていられるのは他でもない、ジョセフや承太郎、花京院、そして戻ってきたアヴドゥルのおかげだ。
家族を亡くし、この先はひとりで過ごすものと思っていた。それが当然のことだと。
だが、今は違う。何もなかった自分に大切なものができた。そして、先を考えられるようになった。
「色々もらっちまったなぁ……。俺、返せるもん、なぁんもねえんだよなあ」
紫煙を吐き出し、ゆっくり暗い空へ腕と体を伸ばす。
「とりあえず、失礼なこと言ってたからな。ケーキでも作って、俺の腕前を思い知らせてやるか」
誰にでもなく声をかける。
楽しみができた。どんなものがいいだろうか。
仲間の元へと戻りながら、ふと見上げた空に、ひとつ輝く星があった。
「明日も良い日になるといいなぁ……」
名も知らぬその星に、ポルナレフは小さく呟いた。
咥え直した煙草を一度大きく吸い、紫煙を暗い空へと吐くと、短くなったそれをポルナレフは指先で弾き飛ばした。
「吸い殻をその辺に捨てるんじゃあない、ポルナレフ」
弾き飛ばした煙草が燃え上がり一瞬で灰になる。声の主であるアヴドゥルと目が合い、思わず頬を緩ませると、訝しそうな顔をされる。
「Oui 〜 あ、ジョースターさん、俺にもコーヒー!」
調子のいい返事に『静かにしないか! 寝ている者もいるんだぞ!』と、負けないくらいの声量が響く。その声とコーヒーの香り、そして悪びれる様子のないポルナレフに呆れ顔のアヴドゥルを、ジョセフは愉快そうに笑っていた。
「そんなに笑うほど楽しい話、2人でしてたのかよ」
差し出されたコーヒーを受け取りながら尋ねる。
返ってくる言葉に予想はつく。
『大したことじゃあない』
『何でもない』
それでいい、それがいいんだ。
大したことじゃあない、何でもないことが大切だから。
そんなことも忘れていた。だから今、この瞬間がとても楽しく、愛おしい。
他愛のないことを話し、笑い合うことがどんなに大切なことなのか。
寝袋に包まれ穏やかな寝息を立てている承太郎と花京院の姿はどこか懐かしくあり、その分心配にもなる。
だが、3人の声にも動じずに寝続ける様子は頼もしく、先が楽しみにもなる。
先を考えるのも悪くはない。
それはきっと自分はもちろん、ここにいる全員に大切なことだ。
そう考えながら、ポルナレフは心地よい話し声と火の爆ぜる小さな音に耳を傾けた。
「……Demain sera Meilleur.」
――――Fin.