何がどうして【side-P】 何がどうしてこうなったのか。
目の前で穏やかな寝息を立てている男がいる。
知らぬ仲ではなく、見知った……見知っているどころではない、現在寝食を共にしている旅の仲間の一人だ。出会って数週間の男が、今、同じベッドで、俺の隣で、寝ている。
(これは……どういう状況、だ……?)
妹の仇討ちの旅の最中。見つからない仇と過ぎていくだけの時間に焦り、そこに付け込まれた。
その結果、今旅を共にする一行の命を狙い、敵として彼らの前に立った。その際、一行の一人と戦い、負けた。本来ならそいつの持つスタンドの炎で焼かれ、死んでいた。
そんな俺を助けたのが、モハメド・アヴドゥル。
目の前の男だ。
冷静で思慮深く、一行のリーダーであるジョセフ・ジョースターを支える参謀、と言ったところであるこいつ。スタンドに対する知識やそれ以外にも詳しく、頼りにはなる。いい意味でも悪い意味でも、真面目で頭が硬い。
俺とは正反対で、何かにつけて俺に突っかかる。
そんなこいつが、なんで、俺のベッドで、お互いの鼻が触れそうな距離にいるのか。
全くもって、わからない。
昨日は、人数分の部屋が取れず、ツインが二部屋。片方にエキストラベッドを入れてもらい、それぞれの部屋へ分かれた。
部屋決めはくじ引きの結果、俺とアヴドゥルが同室となった。
部屋を確認した後、一度ジョースターさんと高校生二人のいる部屋に集まり、翌日の予定や進路なんかを相談。それを終えてから、ホテル近くのレストラン、とは名ばかりの食堂で夕食を取った。
その後。
(確か……ジョースターさんと近くのバーで軽く飲もうって話になって……それから…………)
いつもより酔っていた気がする。
年齢はかなり上だが、話しやすく冗談の好きなジョースターさんは話が巧い。自身の経験や周りにあったことを面白おかしく話してくれた。
その話は、身振り手振りで上機嫌に話す老紳士の向こう、澄ました顔でノンアルコールカクテルを飲むアヴドゥルのことも含まれていた。
ジョースターさん曰く、彼は冷静に見えて激情家であり、意外と短気な上、熱くなりやすいという。その様子は、彼のスタンドである「魔術師の赤」を彷彿とさせる、と。
チラリと見た話題の人物は、グラスを傾けながら「私の話はいいじゃあないですか」と、出会ったから見たことの、困ったような顔で笑っていた。
そこまでは覚えている。
だか、そっから先。それが思い出せない。
ジョースターさんの話。そして、その向こうで普段見せないような柔和な笑みを浮かべて、静かに話を聞く男が珍しくて、いつもより酒が進んでいた。
(…………深酒ってほどでもねぇか……それにしたって……)
酒による頭痛や吐き気はない。飲みすぎたとは思うものの、二日酔いというようなものはない。
が、この状況である。
男と同じベッドで夜明かしなんて、いくら酔っていたとはいえ、ありえない。俺は女の子が好きだ。可愛い女の子が。決して、目の前で気持ちよさそうに寝息を立てている、俺と同じようなタッパで、確実に自分よりウェイトのある、ゴツく分厚い身体を持った男ではない。
そう思いつつ、掛けられているシーツを恐る恐る捲る。
(……下着は……OK、穿いてる)
昨日のままではあるが、下着はピッタリと俺の下半身にくっついている。
近くにある顔を改めて見てみれば、いつも奇妙に束ねている髪が下り、枕やシーツに広がり、顔にも落ちている。
(こいつ、こんな顔してたっけ……?)
記憶にあるアヴドゥルの顔は、眉間に皺を寄せ、暑苦しいぐらい強い瞳で俺に小言を言う時の表情と呆れたように俺の方をみる時のなんとも言えない憐みすら感じる表情だった。どちらを思い出しても、イラつくのは許して欲しい。
ただ、その二つだけだったものに、昨日の困ったように笑った顔と、ジョースターさんの話を聞きながら穏やかな笑みを浮かべるアヴドゥルが加えられる。
(ふっとい眉。睫毛、意外と長えし密度高ぇな……)
頑固そうな太く濃い眉と今は伏せられ濃い黒で縁取られた瞼。それに隠れている褐色の瞳。少し低いような、鼻とその横を通るタトゥーなのかなんなのか、特徴的な模様。旅の間、皆を導き勇気づけるだろう言葉を紡ぎ、俺には小言を叩きつける厚い唇。
(……承太郎にブ男って言われたらしいが……アレにかかっちゃ、誰でもブ男だよなぁ……俺以外は)
特に意味はない、なかったと思う。
伸ばした手で、目の前の顔に落ちる髪をそっと退ける。
もっと顔を見たいとかそういった他意はなかった、と思う。ただ、本当になんとなく。
退けた髪を耳の後ろの方へ流そうとさらに手を伸ばした時、ゆっくりと重そうな睫毛が揺れた。
(あ……)
少しずつ瞼が上がり、その奥の炎がゆらりと灯る。暗い闇の中、そっと蝋燭に火が点されたような、柔らかくて穏やかな視線。
ぱちり、と一、二度瞬きをした後、下げられていた視線が俺の方に向けられる。
「悪りぃ……起こした?」
「…………あぁ……」
少し不機嫌そうにも見える無防備な表情に、寝起きの少し掠れたような低い声で無愛想に返される返事に、何故かどきりとする。目の前にいるのは、ガタイのいい野郎なのに。
「…………重い……」
小さく聞こえた声に、ハッとする。
今まで、自分の状況と目の前の顔の確認しかしていなかったが、よくよく見てみれば、アヴドゥルの片腕は俺の下にある。
そして、もう片方は、俺の上。
俺、抱き枕にされてた? なんで? え、コイツ、そういう趣味? いや、中東では男同士でも仲が良ければ手を繋ぐ文化があると聞く。
その延長か? しかし、いくら仲が良いとはいえ、一緒に寝るか? 抱き枕にするか? それに、宗教の関係上、同性同士の恋愛はご法度のはずだ。だが、俺は、そのことに関して偏見はない。が、俺の恋愛対象は女性である。それは確かであり、それだけである。今まで付き合ってきたのは可愛らしい女性だ。
昨日見たこいつの穏やかな笑顔が気になったとか、さっきまで見ていたこいつの顔が案外整って見えて、どきっとしたとかそんなんは気の迷いだし、今の状況に驚いたからだ。
「……重いんだが…………」
もう一度、聞こえた声に慌てて身体を起こす。
「わ、悪りぃ……」
小さな溜息とともに身体を起こし、俺の下になっていた腕が痺れるのか、確かめるように撫でている。そして、顔へとかかった髪を掻き上げるアヴドゥルの仕草に、またどきりとする。
なんで!? いや、小言を言われるかもしれない、という緊張……だと思う。きっとそうだ。目の前にいるのは男であって、あのアヴドゥルである。
俺の行動に眼を光らせては、いちいち口を出してくる。やれ、うるさいだの、落ち着けだの、一人でどっかに行くなだの、母親かってぇの。
そんな男を嫌い、相手に嫌われこそすれ、「胸がどきん(はーと」なんて、ありえない、はず。そりゃ、命を助けてもらったりなんだりは感謝しているが。
ないない、あるわけない、とサイドボードに置いてあった煙草とオイルライターに手を伸ばす。気を落ち着かせようと咥えたそれに火を付けるため、フリント・ホイールを回転させる。
何度か回転させるが、煙草の先に火が点ることはない。オイルが切れたか? 昨日の夜は使えてたはずなんだが……。
空回るような音を繰り返していると、す……と目の前に伸ばされる褐色の分厚い手。そこから伸びる太い指が、パチンと音を立てると同時に煙草の先に赤い火が点る。
「Merci……」
離れていく手とその持ち主をチラリとみれば、呆れたような視線をこちらに向けていた。
んな、顔しなくてもいいんじゃあねぇかなぁ…朝から、眉間に皺なんて寄せるもんじゃあない。俺は、なんとなく居心地が悪く、ベッドの上で膝を抱えた。
ベッドが軋み、隣が急に軽くなる。それに合わせ、膝に寄せていた顔をその方へと向ければ、少し癖のついた髪を直し、不意にこちらを見る。
「お前……」
「…………ん?」
「少し酒を控えたほうがいいんじゃあないか?」
「へ?」
間の抜けな声で思わず聞き返すと、小さく息を吐く音の後、もう一度言葉が繰り返される。
「酒を控えたほうがいいんじゃぁないか、と言ったんだ」
「はぁ!? なんだよ、急に!」
思わず、声を上げちまった。なんで起き抜けに、そんなこと言われにゃなんねぇんだ?
ティーンの二人ならいざ知らず、俺はとっくに成人している。なんで、年もそんなに変わらない相手に?なんなんだ、この上から目線は。
「なぜ、そんなことを言われなければならない…そんな顔だな」
「ったり前だろうが! なんで、テメェにんなこと言われにゃなんねぇんだよ!! ワケわかんねぇだろうが!」
「ならばお前……」
朝起きたら、目の前には可愛い女の子ではなく、ガタイのいい野郎の寝顔。
目覚めた俺を抱き枕状態で包んでいたのは、細くしなやかな腕や柔らかい胸ではなく、しっかりとした筋肉のある、男の分厚い胸板と逞しい腕。
さらに寝起きに俺の顔を見ての不機嫌顔。朝イチで目にできたのが、ハンサムな俺様の顔だなんて、ありがたく思え!!
そして、この発言である。
これを怒らないでいられるか!?
俺は妹の仇討ち、ジョースターさんと承太郎は身内の命を助けるため。それも常に命を狙われるような旅だ。その合間、酒に癒しを求めるだってあるし、それぐらいの楽しみはいいだろう。
それを!コイツは!!
沸々とどころか、軽く沸点を通り越してぐらぐら煮えたぎり、ベッドの上から今にも飛びかかってしまいそうな俺に、アヴドゥルはいつもの口調で静かに続ける。
「昨夜、この部屋に戻ってきた時のことを思い出せるのか?」
心臓がキュッとした。
指摘されたことに一切覚えがない。アヴドゥルが眼を覚ます前、記憶を探ったとおり、バーに行き、ジョースターさんの話をツマミに、楽しく酒を飲んでいたこと、目の前の男の見たことない表情ぐらいしか覚えていない。
完全に記憶がない。
酒を飲んだ後、朝起きて目にした光景、一緒にベッドにいたのが男だったこと。
そして、そのベッドにいた相手が目の前のアヴドゥルだったことに驚いてからの記憶しか。
黙り込んだ俺に、アヴドゥルは一つ大きく溜息を落とす。そして、その赤褐色の瞳で俺を見据え、昨夜、俺からすっぽ抜けている部分を話し出した。
アヴドゥル曰く。
昨日は、ジョースターさんも上機嫌でいつもよりペースが早かった。隣で飲んでいた俺も、それに合わせるように飲み、お互いのグラスが空けば、もっと飲め、とオーダーを繰り返していたそうだ。
飲み過ぎてくれるな、というアヴドゥルの願いも虚しく、俺もジョースターさんも立って歩いているのが奇跡ではないか、という仕上がり具合だった。
店に迷惑をかける前にと、飲み足りないと駄々をこねる俺たちを宥め、ホテルへと戻ってきた。
その際にも、俺とジョースターさんはご機嫌で、肩を組み、歌ったり笑ったりしながら、それはもう賑やかにしていたそうだ。
「道を行く女性に声をかけては呆れられていた」
マジかよ、それ……超恥ずかしいじゃん。
ジョースターさんを高校生二人のいる部屋に届けると、閉まるドアの向こう、孫にウザ絡みする祖父とそんな祖父に今にも声を上げそうな孫の承太郎とそれを宥める花京院が見えたという。
その一方で、アヴドゥルは上機嫌にフラフラとする俺を引き留め、やはりウザ絡みする俺をあしらいつつ、なんとか部屋へと戻ってきた。
へらへらと笑う俺をベッドへと寝かせ、意識の有無を確かめた。さっさとシャワーでも浴び、自分も寝てしまおうと準備を始め時だった。
『ゔ、ぇ……っ……ア、ヴドゥ……』
不穏な声が背中の方でし、振り向いたアヴドゥルが見たのは、手を口で抑えら抑えた口から呻き声をあげる俺。
事態を察し、アヴドゥルが俺を抱え、あまり揺らさぬようにしながら3点ユニットになったバスルームのトイレへ俺を運んでくれたらしい。
「しかし、間に合わず、俺の着ていた服が一式……そして、バスルームが大惨事になった。お前は、覚えていないだろうがな」
その声は、不機嫌そうだが、怒りよりも呆れ、さらに言えば、悲惨さを滲ませている。
(あぁ、だから……下着一枚で寝てたのか……)
そう、さっき俺がシーツの下、自分の下着を確認したのはそこにあった。
目の前にあったこいつの首から下が何も身に付けていなかったから。
そうして、アヴドゥルは日付が変わろうかという頃、酒に酔い自分の体も儘ならぬ俺、吐瀉物に塗れたバスルーム、そして、自分の服を掃除、洗濯する羽目になった。
酔っ払い、しかも嘔吐した後の俺はさぞ重かっただろうと思う。それでも、アヴドゥルは俺を放っておくことはせず、汚れた服を脱がせて洗ってくれていた。
「え、マジかよ……。俺、そんなに酔ってた? 吐くほど?」
「あぁ、さっきも言ったが、バスルームはお前が吐いた酒と胃液の臭いで酷いものだった」
「わ、わりぃ……」
「まぁ、酒をしこたま飲んでいたのが幸いし、固形物が少なかったからな……掃除はシャワーで流す程度で済んだが……」
それらを終えたのは日付もとっくに変わった深夜。当初の予定より、大幅に遅れての就寝となったアヴドゥルは一時的に寝かせていた俺を、再度吐いた際、吐瀉物が口や気道を塞がぬよう横向きに寝かせてくれたらしい。
「……もしかして、俺、ベッドにも……やった?」
この流れに、もう一度嘔吐した可能性が浮かんだ。そのせいでベッドが汚れ、アヴドゥルは同じベッドに寝ざるを得なかったのではないか。
そう思い当たり、思わず聞くと、聞いた相手は眉根を寄せ、こちらを睨むように見る。
「そうではない……が……お前、覚えてないのか?」
吐いてはいないらしく、安堵したのも束の間、続いた言葉に引っかかった。
「………悪い、覚えてねえ……。店で飲んで、ご機嫌だったこと以外、全く……」
「………………」
深い、深い溜息が静かな室内に響く。
ちらりと見たところ、少し驚いた顔をした後、天井を仰ぐように見たアヴドゥルがため息をこぼしていた。
「……俺、吐く以外になんかしたり、言ったりした?」
恐る恐る聞いてみると、呆れたような視線をこちらに向けて、肩を軽くすくめて見せる。その後で、ゆっくりと息を吐きながら、丸テーブルに置いてあった灰皿を差し出してくる。
「もういい、大したことじゃあない。ただ……」
ベッドの上、小さくなりながら灰皿を受け取る。溜まり始めた煙草の灰を底へ落とした後、続いた言葉にアヴドゥルを見上げて、驚く。
なんて顔してんだ、お前。
「あまり飲むな………飲むなら、部屋で飲むか、私と一緒の時にしろ」
呆れたような、仕方がないというような表情。太い眉の端が下げられ、困ったように笑う。
それが、妙に柔らかく穏やかで。
昨日見た表情と違う、全く。同じように困ったように笑っているだけなのに何かが違う。
違いはなんだ?なんでそんな表情をしてる?
そんなことを考えていると、なぜか顔が、身体が熱を持っていく。
「な、なんで!? お、お前、飲まねえだろ!?」
火照るような顔を誤魔化すように声を上げる。目の前の相手はベッドに、ゆっくりと腰を下ろし、男2人に乗られたそれが小さく悲鳴を上げる。
「飲まないが、話し相手ぐらいにはなる。それに、素面の者がそばにいた方がお前も安心だろう?」
「いや、まぁ、そうだけど!」
「それに、ジョースターさんや承太郎、花京院に粗相の始末をさせるつもりか?」
「……ぐ……、それは……」
避けたい。そこはどうしても避けたい。年下のあいつらに酔っ払ってゲーゲーする姿を見せたり、その後の始末をさせるなんて、俺のプライドが許さない。
まして、花京院にそんなことさせてみろ、延々と「あの時は……」とネタにされた上、恨み言を聞かされるハメになる。
もちろん、昨夜一緒に飲んでいたジョースターさんだって、年上でもあるし、もっての外だ。
「だったら……」
煙草を取り上げられる。それに口をつけ、一度だけ吸う。離された唇から吐き出された紫煙は、俺の鼻先に吹き付けられる。
「私にしておくんだな」
目を細めながら、短くなったそれを灰皿に押し付け、目の前の男は腰を上げる。
「もう、恥も何もないだろう?」
呆気に取られ、ただ、その動きを目で追うだけになった俺に意地の悪い笑みを見せながら、顔を洗いにでもいくのだろう、アヴドゥルはバスルームへと足を向ける。
「起きたなら、支度をするんだな。あまりゆっくりはしていられんぞ」
そう言い置かれ、バスルームとベッドルームを隔てたドアの閉められた小さな音に、ハッと我に返れば、今あったことに改めて混乱する。
なんだ?
何が起こった?
煙草。
そう、煙草の煙。
それを顔に。
あぁ、いつだったか、花京院だったか。
同じようにからかった時に言っていた。
『君、その意味をわかってやっているかい?』
その意味は……。
あいつ、意味わかっててやったのか?
なんだ、あの顔は。
そんなことをする男だとは思わなかった。
じわじわと熱くなっていた顔が一層熱くなる。
ドアを見ていた顔を正面に向ければ、ドレッサーの鏡に映る自分の顔が、未だかつて見たことのないほど紅く、耳まで染まっている。しかも、なんとも言えない、情けない顔をしてる。惚けたような……いや、男相手に向ける顔じゃねえよ、その顔は。
「…………なんなんだよ、もう……何がどうして、こうなった……」
鏡の中の真っ赤に染まった自分と同じ顔の男を、いつもより早く打つ心臓の音を聞きながら見つめて、俺はひとり呟いた。