あの場所で待ってる歴史ある石畳、重厚な建物が連なる街並み。その真ん中に聳え立つ大きな龍が翼を広げたような建物が夜の帷が降りた中でも存在感を放っている。
「あれ?ここどこだ。」
そんな歴史ある街並みを見回しながら、ダンデはポツンと1人、いつの間にか暗い街の片隅で立ち尽くしていた。
「何してたんだっけ。」
腰部分を触るが、そこには何も無い。
「なんだっけ…なにか大切なものがここにあったような。」
周りをもう一度見回すが、ここがナックルシティであることしか分からない。そして、夜になっているとはいえ街から人の気配や生活音が全く聞こえない。
とりあえず歩き出そうと足を踏み出すと、何かを踏みつけてグッと首が引っ張られる。
「うわっ!?なんだ?あれ、俺マントなんて着けてたのか。」
自分の背丈よりも長いのか、地面にずるりと広がるそれは、首元にあった留め具を外せば重量に逆らわず落ち、色が真紅なのもあり、鱗模様の石畳の上にまるで絨毯のように広がる。
「おお…ワンパチみたいなもふもふ付いてる…。」
生地も豪華でよく祖母がとっておきの日に着ていたおしゃれ着みたいだと、暫く呑気にマントを触って遊んでいたが、やはりなんでここに居るのか、自分が何をしていたのかは思い出せない。
「ま、いっか!何かあったら思い出すよな。な!リザー…。」
はたと気付く。咄嗟に腰部分を触る。
「ポケモン!!そうだ!俺、ポケモントレーナー!何でこんな大事なこと忘れてたんだ!」
大好きで大好きで、毎日飽きずに考え続けていた彼らの事を何故今まで忘れていたのだろう。
「なんか変だぞ。街も俺もなんか変だ。それにここはナックルシティだ。ナックルシティ…なんか思い出せ俺…」
ううむ、と腕を組んで何とか捻り出そうとするが頭に霞が掛かったように何も思い出せない。びゅうと風が吹き、頭に被っていた帽子が吹き飛ぶ。あっ、と思う間もなく風に攫われて帽子は石畳の上を転がり始める。
「あ、待ってくれ!」
咄嗟に帽子を追って走り出す。路地はどんどん暗くなり、細くなる。やがて街並みは溶けるように無くなり、墨を落としたような真っ黒な空間に帽子だけが意志を持ったように転がっている。目の前の帽子ばかり見ながら走るダンデはそれに気付かず手の先を掠めながら転がる帽子に手を伸ばす。あとちょっと。
「止まれバカ!」
あまりの大声にビックリして立ち止まる。後ろを向いて声のした方を見ると、肩で息をしているチョコレート色した肌と、オレンジの大きなバンダナを着けた男の子が立っていた。
ダンデが止まったのを見て心底ホッとしたようで大きな溜息を吐きながらしゃがみ込む。
「君!凄い声だったな!こんばんは!俺はハロンタウンのダンデ!ここ何処だか分かるか?さっきまで…あれ、何処にいたんだっけ。」
「おう…元気なこった。こっちの気も知らないで…。」
ダンデは帽子のことなど綺麗さっぱり忘れたように男の子へと駆け寄り、鼻息荒く話しかける。話しかけられた男の子は、
「ナックルシティのキバナだよ。」
と息を整えて立ち上がる。同じ年頃だろうにキバナの方が自分より頭ひとつ分背が高い事に気づいて、背が高い!かっこいいなと大騒ぎするダンデを見て何故かキバナは悲しそうな顔をした。
「お前、色々落としてきちゃったのか。」
「おとした?」
「うん。ダンデはさ、何を覚えてる?」
「ポケモン!ナックルシティ!…父さんと、母さんと…お婆ちゃん達と…。」
「それだけ?」
「後は…青色。」
「青色?」
ダンデがハッとしたように呟いた言葉の意味が分からずキバナは鸚鵡返しのように聞き返す。
「ここに来てから、霞が掛かった頭の中でもずっと凄い綺麗な青色がキラキラしてるんだ。俺はそれが凄い大切な物だと思ってるんだが…思い出せない。」
「そっか。じゃあ、キバナと探しに行こうよ。」
「君と?」
行くとも行かないともダンデが返してないのに、キバナはダンデの手を握って歩き出す。キバナが歩き出すと少しずつ街並みは元のナックルに戻り、やがて見覚えのある龍のような大きな建物の前に着いた。
重厚で大きな扉は、何故か2人が近づくと自然に開き中へと誘うように中の電気が点く。
「こっち。」
手を引きながらキバナはどんどん足を進めていく。されるがままだったダンデだが、やがてある場所でピタリと足を止める。
「ダンデ?」
キバナが促すように手を引くが、ダンデはグッと踏ん張って今度こそ歩くのを拒否する。
「嫌だ。行きたくない。」
「…何でか聞いてもいい?」
「そこに行ったら今度は君も居なくなるかもしれない。」
「ならないよ。」
「そんなの分からない。」
今度は繋がれた手を離そうと力を込めるダンデだったが、ギリっと音がする程の力で握られていて離れない。流石に痛いと抗議しようとして顔を上げたダンデは、キバナが目をギラギラと光らせながら目を吊り上げている表情を見て目を見開いた。
「ダンデ、お前はキバナを馬鹿にしているのか!お前がどんな場所に逃げ込んだって地の果てまで追いかけて、バトルを挑んでやる!!これはオレさまの、オレのポケモン達との誓いだ!それにお前が言ったんだろ!」
バトルフィールドが最高の待ち合わせ場所だって!
その言葉を、その目を見て聞いて、一気に頭の霞が晴れていく。
頭に乗る王冠、肩に乗るマント。腰に下がる仲間達のボールホルダー。高くなる目線。
そしてダンデの目の前でずっと燃え続けてくれている何もかも焼き尽くす炎のような青色。
「ダンデ、戻ってこいよ。このままだと待ち合わせ大遅刻だぞ。」
その言葉を聞いて堪らずキバナの手を握り返して走り出す。聞こえる。割れんばかりの歓声が、高まる緊張感の音が。控え室から続く眩しく光り輝く道をキバナと一緒に駆け抜けてダンデは思い切りバトルフィールドの芝生を踏み締めた。
ハッとして目を開けると白い天井と覗き込む人達の顔が見えた。
「…バトルは?」
「このバトルアホ!馬鹿!看護師さーん!!」
「なんで母さんがいるんだ…あとシンプルに罵倒された。」
「そりゃあ、こんだけ寝坊助になってればそうも言われるもんさね。」
「えっポプラさ!っゲホっ…。」
「ほらほら、3日もぐっすりしてりゃあ喉も乾くだろうさ。まずは水でも飲みな。」
「ありがとうございます…み、3日!」
驚きのあまり、また大声を出そうとして咽せるダンデに呆れつつ、ポプラは何故この場に自分がいるのか、ダンデに何があったのかを話し始めた。
「つまり俺はルミナスメイズの森で、ポケモンの技を受けてすやすやと…。」
「すやすやどころじゃ無いわよ!あれは昏睡よ昏睡!もー!私ローズさんから連絡受けて心臓止まるかと思ったんだから!」
「寝ている坊やの生命力がよっぽど美味しかったんだろうねぇ。あのまま寝てたら今頃御陀仏だったね。」
そこで漸くダンデは状況を理解して青褪める。3日も動かしていなかった体は力が入らず、ベッドの背もたれを起こしてもらった背中を無遠慮にバシバシと叩く母親に対してダンデは文句を言おうと思っていたが、その目元が赤らんでいた事に気付き、されるがままになる。
「キバナ君にもお礼言っておくのよ。」
「キバナ?」
「ダンデが眠り込んだ時ね。中々目を覚まさなくてね。」
「記憶の【よすが】を持ってきて貰ったのさ。あんた、手首を見てご覧。」
「手首…?」
そう言われて持ち上げた右手には慣れ親しんだダイマックスバンドがあるだけだ。
「そっちじゃ無いよ。反対側さね。」
そう言われて左手を見ると、同じダイマックスバンド。
「『あいつが目を覚ますなら絶対コレしかない』って言われてね。それ、キバナ君のバンド。彼が着けてくれたのよ。本当はあの日にバトルの約束してたんでしょ。」
「そうだった!バトル!リザードン!!」
「ベッドに戻る!」
「…はい。」
「ポケモン達は貴方が預けたまま、ポケモンセンターでお利口に待っててくれてるわよ。兎に角目が覚めて良かった。私、お婆ちゃん達に電話してくるから。後でオリーブさんからもガッツリ説教があるって言ってたからね!覚悟しとくのよ!」
母親がダンデをグイッとベッドに戻しつつ、バタバタ廊下へと出て行く。
途端にシンっとした病室内。これから待ち受ける説教を考えて気持ちが落ち込むが、自業自得だと思いベッドに沈み込む。その様子を愉快そうに笑いながらポプラは言葉を紡ぐ。
「随分とピンクたっぷりな目覚めじゃないかい。」
「ピンクかどうかは分かりませんが、綺麗な色でした。」
お陰で帰って来れたんです。
そう噛み締めるように言いながら左腕をさする。
「【待ち合わせ場所で待ってる】だとさ。さて、伝言も伝えたしね。年寄りは帰るかねぇ。」
「ありがとうございました。このお礼は是非次のバトルで返します。」
「アンタはそれしかないのかい。やだやだ、次会う時迄に茶の銘柄の一つくらい覚えておきな。それがレディへの礼ってもんだよ。」
今度こそ静かになった部屋の中、もう一度ダンデは左腕をさする。
「待ち合わせに遅れた分、バッチリ返してやるぜ。」
早くあの燃える炎を見つめたい。そう思うと何だか最後の心の霧が吹き飛んでいくようだった。