明星のアラーム 人工的な灯りが無いワイルドエリアの夜は、まるで黒のペンキをぶちまけたように暗い。子どもの時は少し怖かったが、知識も経験も得て大人になったキバナにとっては、恐怖よりも安心感の方が大きい。暗くて静かであれば、それはひとによってのトラブルが起きていない証拠であるからだ。
風が草木を揺らす音。目を覚まして動き出そうとするポケモン達の小さな鳴き声。日だまりの温もりがすっかりと抜け切った地面に腰を下ろすと、ざらりと手のひらに乾いた土の感触が伝わってくる。キバナは頬に風を受けながらぼんやりと暗闇を眺める。
ワイルドエリアの定期巡回。ナックルジムとエンジンジム、リーグ職員と持ち回り制で行われるそれは数ヶ月に一度、キバナにも平等に機会が回ってくる。
「おや、まだ起きてたのかい?」
「カブさんこそ」
巡回業務は必ず複数人でのチームで動く。普通ならそれぞれのジムリーダーが組むことなんて無いのだが、偶に今回のような「ワガママ」が通ることもある。
「少しは気分は晴れたかい?」
「それは……まあ……そうですね」
キバナがぼんやりと眺めていた視線の先の地面は、所々抉れており激しいバトルの跡が未だに生々しく残されている。キバナは今日、巡回業務という名目でここに来て、大きくなりすぎた野生のポケモン達の群れを散らす為に、態と一日中バトルをした。仕事の一環だった。そういうことになっている。
「ふふっ……今の君には少し意地悪な質問だったね」
「……そうっすね」
毎年行われるガラルのポケモントレーナーの頂点を競うリーグ戦。今年こそはと挑み続けたその戦いの回数は、今年でとうとう片手の指を超えた。今までで一番自分の思考とポケモン達の動きが一体化していたように思った。キバナは正直イケると思った。全身の血液が沸騰するかのような高揚感とヒリヒリするような緊張感。それらが全て自分の追い風になったようだった。でも、後一歩。後少し指先を伸ばせば引き摺り落とせそうだったクソほどにダサいマントは、キバナの指先を掠るだけで今もライバルである男の肩に乗ったままだ。
『今年は危なかった!本当に後一つ選択を間違えていたら負けていた!凄く、凄く!楽しかったぜ!!』
カラカラと笑いながら放たれた言葉は真実なのだろう。高揚した気持ちを隠すことなく満面の笑みのまま、噴き出る汗を拭うこともせずにバトル後真っ先に全力でキバナへと駆け寄ってきた無敵のチャンピオンダンデ。
『うるせえ!来年覚えてろよ!!』
そう言って勢い良く差し出されたダンデの手を叩き落としたら、何故だかもっと笑顔になってハグされた。キバナと同じ心の臓がある男の、早鐘のような心音が砂埃にまみれたパーカー越しに聞こえてくる。その音が、熱が、悔しさと高揚感が。キバナは数日経った今もしぶとくこびりついて忘れられないのだ。
「実はぼくも同じでね。ずっとテントの天井を見つめていたんだ」
飲むかい?そう、いつの間にか頬に当てられたボトルの冷たさに内心驚きつつ、ありがたく受け取る。何故だかとても喉が渇いていたから。そのままキバナは座って、カブはその少し後ろで立ったまま時間が過ぎた。バトルの成果が出たお陰か、風の音だけが響く暗闇は、とても静かで穏やかだった。
「おや」
どれくらいそうしていただろう。気付けば少しずつ明るくなってきた空の上。何かに気付いたカブがキバナの隣に屈んで空を指差す。そこには、一際輝く金色がポツンと一つ浮かんでいた。
「明けの明星だ。新しい朝が来る」
明けの明星と呼ばれた金色の星に迫るように、どんどん空が色を変えていく。ギラギラと輝く金色は、それに動じることもなくただそこで輝き続けている。その色と朝の光に負けない輝きが、決勝戦で見たチャンピオンの瞳と似ていて、キバナは自然と拳を握る。
「チャンピオンは強い。去年よりも進化していたね」
「……」
「キバナくんは諦めるのかい?」
「っんなわけねぇよ!!」
勢いよく立ち上がってカブを睨みつける。否定する声は、まるで咆哮する獣のようで朝方の空気によく通った。
「絶対に諦めねぇ!寧ろこれからが楽しいとこなんだ!今日からまた、アイツの背中を追いかけて!アンタにだって負けねえ!!全員吹き飛ばして、それから最後にあの能天気な顔をぶん殴ってやる!」
思ったよりも全力で叫んだらしく、後半自分の声が存外掠れていったのにちょっとだけ情けなさを感じつつも、キバナは素直に心の内を吐き出した。
「そうこなくっちゃ!!」
キバナの言葉に、カブは怒ったり宥めたりしなかった。本当に嬉しそうな顔をした。少なくとも、キバナはそう感じた。経験豊富な先輩である顔でもなく、スマホロトムの操作に悩む年上の男の顔でも無い。同じ明星を目指すライバルの顔だ。笑いながらバシンっと勢い良く叩かれた背中の衝撃にタタラを踏みつつ、キバナも笑う。
「なんだかキバナくんを見ていたら、凄いパワーが湧いてきたよ!止められそうにない!!ちょっとだけ近くをランニングしてくるね!」
「えっ?!ちょっ!」
ワハハっと笑いながら走り出した自分よりも低い位置にあるカブの背中は、明けの空にも負けないくらい赤く燃えているように見え、キバナは思わず目を擦った。
「一時間くらいで帰ってくるからー!!」
「カブさんっ!それ、軽いって言わない!ガッツリ!ガッツリだから!!ちょっ!嘘だろ速えな!」
手を振りながらの筈なのに、もの凄いスピードで走り去っていく。叩かれた背中はまだヒリヒリとして痛かったがなんだか、キバナはどっと肩の力が抜けて清々しい気持ちだった。
「また一年、やるかぁー!」
誰に向かって言うわけでもない。強いて言うなら自分と、そして自分を信じてついてきてくれるポケモン達へ。輝く明星を睨みつけてからキバナはテントへと戻っていく。考えたい戦術が、やってみたい技の組み合わせが山程ある。持ってきたペンとメモ帳で足りるだろうか。戻ってきたカブに、時間の許す限りバトルも挑もう。試したい道具もある。
キバナにはやりたいことがたくさんある。強いライバル達がいるお陰で、運の良いことにキバナは止まってなんていられない。ずっと走っていける。
これからが、楽しいのだ。