レオマレ 無題時折、彼は呆然とした目をしてどこか遠い場所を見詰めている。
「キングスカラー」
誰にも見えない頭の中だけで独り、思考を巡らせている時の顔だ。幾人も出会ってきた人々たちの中にも同じ顔をする者らがいた。彼らは皆頭が切れ、それ故に人と歩調を合わせることさえ苦にするような者達だった。
「お前は何故この学校へ来ようと思ったんだ」
「……、……あ?」
思考の飛躍は止まり、サマーグリーンは真っ直ぐに僕だけに絡め取られる。
「……ンな話だったかよ」
「おや?……ふふ、聞いてもいなかったというのに分かるのだな?」
「……チッ」
「聞こえたなら答えてくれ。今は僕が問いかけているんだ」
例え絡め取られても、彼がその胸の扉を全て開くことは有り得ない。僅かに軋み薄く開いて見えたその景色だけが僕の知り得る彼なのだ。
「言わねぇ」
「そうか」
「言うほどの理由なんてものはそもそもねぇしな。招かれたから来た、それだけだ」
「学園は確かにお前を選んだのだ。……例え、他の何かがお前を選んでいなかったとしても」
「それはテメェも同じだろ。お前もココにだけは招かれた、捻くれた高慢ちきの掃き溜めにな。良く似合ってるぜ」
そうして、彼は皮肉の陰に隠れて姿を消そうとしてしまう。彼は姿を隠すことが上手かった。そして小さな城を世界と思って生きていた僕には、そんな彼の目まぐるしく移り変わる心を掬いとることが難しかった。
「そうだな、良く似合っていたよ」
だからといって、何も学ばなかった訳では決してない。ライオンの瞼が揺れる。僕は真っ暗な葉陰をも恐れずに踏み込んで彼を追いかける。
「僕の住んでいた場所は狭かった。それだけでは駄目だと僕が、皆が気が付いたから、僕は今ここにいる」
逃げ隠れようとするライオンの背に寄り添い、抱き留めた。それこそが彼を苦しめるかもしれないと思いながらも。
それで良いのだ。何故なら僕は、彼を救いたくて抱き締めているのではないのだから。
「キングスカラー。僕は、分からないということを知りに来たんだ」
3年が経っても、理解できなかったことが数え切れないほどあった。それで良いのだと教えたのはここに居る人間達すべてだ。無論、彼もまたその一人だった。
全てを解ることは到底無理な話だった。だが解らずとも隣を歩くことが出来る。人とはそうして解らぬなりにも生きていけるモノなのだ、と。
それこそが僕の信じている答えの一つだ。
「お前は何を知りに来た。ここで何を知ったんだ?」
例え解らずとも聞いてみたいんだ。
そう言うと、ライオンの腕が初めて動いて僕の体を抱き寄せた。硬く大きな掌が、お祖母様とリリアしか触れたことのない僕の髪を緩やかに乱す。
「フルートグラスよりジョッキで飲む方が美味ぇってことだな」
「……それだけか?」
「ルールも知らねぇバカとやるチェスも意外に悪くねぇってこともだな。あと鏡舍裏の木陰の居心地が良いこと。それとマジフトは戦術を組み立てんのが一番楽しいってことだな」
「…………それだけか?」
「ああ、それだけだよ」
「……そうか」
指先がくしゃりと僕の髪を乱れさせて、厚い唇が頭に触れた。僕の頭はたったそれだけで真っ白に熱くなり、僕はただ、彼の背に腕を回してしがみついていた。
彼らが瞬く間に歳をとっていくのと同じスピードで、幼子だった頃に戻ってしまうような錯覚を覚えていた。無性に駄々を捏ねたい気分だった。ずっと堪えてきた我儘を今ここで全て言ってしまいたいような気になった。
腕を離せば彼は今度こそ森の奥へ消えてしまう。それが正しい姿なのだ。そうするべきだと思う。けれどきっとこの腕を離せない。
何故なら僕は知ってしまったからだ。誰も彼も、純粋なものなどこの世界には生きていないということを。
「……あのなァ、マレウス」
頬を擽る指のおかげで僕は自分の頬が濡れているのに初めて気が付いた。ライオンの唸りが、リリアが僕を大層叱った後、零れる涙を拭いながら少し柔らかく語りかける時の声音に似ていた。
「言うほどのことはねぇと言っただろ」
「……だが知りたかったんだ」
「泣きじゃくってでも知りたかったのか」
「そうだ、キングスカラー。僕はお前を知ってみたかった」
「……俺達にココはよく似合ってたな」
「……」
「同じ穴に転がり落ちて来るヤツがこんなにも居るって、俺は知らなかったよ。マレウス」
「……僕もだ」
もうすぐ、僕達の物語は終わってしまう。
この学園(せかい)を旅立ったら、今この世の誰も知ることの出来ない新しい場所へと飛んでいかなければならない。
お前の瞳はその行き先をしっかりと見詰められているのだろうか。
僕の瞳には終ぞ、故郷の情景以外が映されることは許されないのだろうか。
暗いから、着いてきてほしい。独りきりでは怖いから。ただその一言を告げられず僕は押し黙っている。彼の方から、仕方がないから傍に居てやる、と甘い言葉が渡されるのを薄らと期待しながら。
ライオンの鼻先が僕の鼻先に触れ合って、僕達は静かに口付けをした。
「なあ、この先、自分の着いた場所が何処か解ったらお前を呼んでやるよ」
「……僕を?」
「だから……聴こえたなら、応えてくれ」
そうしたら俺は何処からでも駆けて行ってやる。その代わりお前も走れよ。そうしてもう一度ぶつかった場所がどんなところか見てみるってのは、結構面白いんじゃねぇか。
そうだな。そうかもしれない。きっとそうだ、と僕は答えた。そうして答えながら、それで良い、と彼の言葉はゆっくりと腑に落ちていった。
これから先に世界がどんな形に変わろうとも、彼が、瞬きの間に老いさらばえようとも。
例え、僕達が寄り添い歩く道が一つも存在しないのだとしても。
彼が吠えれば僕はきっと聴きつけて、その時だけは王様をやめて一心に走るのだ。きっと笑って走れるのだろう。それが二人出逢って手に入れたモノ。
すなわち僕達が出逢ったその意味だ。
「キングスカラー」
「ンだよ」
「レオナ・キングスカラー」
「どうした、マレウス・ドラコニア」
「お前を祝福しよう。お前という男と傷付け合った今までの全てと一緒に」
「はっ、そりゃ光栄なこった」
「贈り物をするのは僕の得意なことの一つさ」
「ジョークが上手くなったじゃねぇか。なら俺も一つ、お前にとっておきの言葉を返すぜ」
その理由は分からないながらも、僕達は今、確かに見詰め合っている。
「王よ、永久に幸あれ……ってな」