いとし愚物の食 これ以上にひどい朝は無いと言えないことこそがマークを苦しめ続けていた。
エジプトで過ごす最後の日の朝、決して店内が空いているわけではないのに、マークは四人がけのテーブルに一人で腰掛けていた。大きなテーブルを挟み、固いクッション付きの二人がけの長椅子。全体的に目に付く要素のほとんどが四角形の角が立ち、「ここもお前の居場所ではない」と伝えてきているように、マークは感じてしまうのだった。
他人じみた空間にいるマークの目の前には、もう十五分も前に提供された紙に包まれたハンバーガーが手つかずのままになっている。店員がたまにこちらを見るのは、無言の催促に他ならなった。
「それは食べ物ではないのか?」
店内のざわめきが一度に遠のく。もしくはマークの耳がこの声だけを拾っただけかもしれない。マークに対面して似合わない量産型の長椅子に腰かけているのは、まるで夢のような昨夜に出会ったばかりの神である。
「なんだ……。いたのか……。」
「それは私に言っているのか?」
「他に誰がいる。」
この出会ったばかりの神を何と呼ぶべきかマークは考えあぐねいていた。
「……食べないのか?」
質問ばかり、よく喋る神だ、とマークは思う。彼のことをマークはまったくと言っていいほど知らなかった。『コンス』という名前は聞いたが、スペルはわからない。
「は?」
「それだ。」
高圧的な態度、視線、古代エジプトの神の身体は大きくただ指を指すだけでマークは圧倒されそうになる。「食べろ」と暗に命令されたような気がして、マークは目の前のそれに手を伸ばすと、ことさらゆっくりとかじりついた。冷えたそれはすでに肉汁が固まっていて、マークの舌にまとわりついた。それでも感じるのは柔らかさと塩味といくつかの酸味。
「どうだ。」
「ああ……、そうだな、まあ、うまいよ。」
ありふれた、マークの故郷であるアメリカからやってきたチェーン店のハンバーガーだ。何度も食べ、味だって知っている。国ごとに味を調整しているのかもしれなかったが、そんなことはマークには知らぬ話だった。
「そうか。それはいい。」
神が愉快そうに言う。
なにがいいものか。
昨夜何が起きたか、この神と自分がどうして相席をしているのか、その顛末をマークは信じたくなかったが、ありありと思い描けるほどに覚えている。
「いいことなんてひとつもないだろ。」
「何を言う。今お前は私に捧げたその体を生かそうとしているのだろう? マーク・スペクター。人は飢えれば、簡単に死ぬ。」
「……俺は昨夜に死んでいたはずだった。」
砂漠に倒れたかつての仲間と無罪の人々とともに砂に埋もれてしまうはずだった。
「ああ、そうだ。そして今、私のために生きることを選んだ。」
「それは、お前が、俺のことを。」
「お前も私を、だ。お前が私の求めに応じるように、私もお前の求めに応じる。そうだっただろう、マーク・スペクター。」
「……何が言いたいんだ。」
「いや、何も。お前が感じことが全てだ。」
突き放しているのか、手懐けようとしているのかわかったものではない。マークが黙るとそれきりコンスも口を閉ざしたが姿を消すことはなく、そのぽっかりと空いた眼窩でマークを見続けた。コンスの視線にさらされていると、手の中のハンバーガーをテーブルの上に戻してしまうのも気が引けて、マークは一口、また一口と冷たいそれにかじりつき、嚙みしめた。
時計の長針が半周した頃、テーブルの上にクシャクシャに丸めた包み紙だけを残し、マークは席を立つ。
「満ちたか?」
コンスも立ち上がりマークを見下ろした。その距離は随分と近く、その声にこそ何かが満ちているようにマークには聞こえたが、きっと気のせいだろう。昨夜はあんになにも恐ろしいものようなの姿をしていたのに。
「……それなりに。」
「ならば次はさらに満たすといい。」
「簡単に言ってくれるな。」
「私のアバターならばそのくらい容易にできるだろう。マーク。」
マークが店のドアをくぐる頃、ようやくコンスは虚空へと姿を消した。彼はまたマークの次の食事の時間にやってくるのだろう、そんな予感をマークは感じていた。
そういえば。
一人きりになりマークは思う。明るい場所で誰かと食事をしたのはどのくらい前のことだったか。
おしまい