day and night昼間のサバイバーでは、春日と紗栄子が旅行会社のパンフレットを何枚もバーカウンターに並べ、あれはどうだ、これがいいなどと言い合っている。
「何処に行く? やっぱり近場? 箱根とか?
日帰りでもいいけど、どうせなら一泊したいわよね」
「俺はどこでもいいぜ、サッちゃんに任せるよ」
「移動手段はどうする?」
「レンタカー借りるか?」
「運転は足立さんにしてもらって?」
「それいいな!」
参加者が何人いるのか、改めて紗栄子が指折り数えながら確認する。
「イッちゃん、ナンバに足立さん、趙とハン・ジュンギと、えりちゃん、私....で合ってるわよね?」
温泉に行こうと趙がその場しのぎで提案したアイデアは、春日から他のメンバーに伝わり、瞬く間に現実味を帯びてきた。春日と、春日一人では心許ないと紗栄子が手を挙げ、二人が中心となって計画を立てている。皆のスケジュール確認をして、日付の候補を出す。人数が多いのでなかなが決まらないかと思われたが、丁度ぽっかりと全員のタイミングの合う日が見つかった。その他諸々の細かい手配と後は、宿を決めるだけだ。
「こんな、ちゃんとした旅行行くの初めてかもしれねぇな俺。旅行って行く前からこんなにワクワクして楽しいもんなんだなぁ」
春日がしみじみと心から嬉しそうな声を上げる。
「前に言った大阪は観光目的じゃなかったもんね」
「その割にはサッちゃん、ハン・ジュンギと一緒に食いだおれて、もう食べられないーとか言ってなかったか?」
春日が大阪での様子を揶揄すると、紗栄子は少しむっとした様子でうるさいわねぇと反論する。だがそれも本気ではない。春日と同じように紗栄子も気のおけない仲間達との温泉旅行に心躍らせていた。
「最初に提案してくれた趙に感謝しなきゃね」
紗栄子がぽつり呟く。それに対し春日ももっともだと頷いた。
「じぁあ泊まる旅館はここで決まりね。諸々の予約は私がしておくわ」
「ああ頼んだぜ、サッちゃん」
「任せといて!」
..........
「そういやよ」
温泉旅行計画が一段落し、ばら蒔いたパンフレットをひとまとめにし、トントンと揃えて封筒に入れている紗栄子をよそに、春日は隣で遠慮がちに切り出す。
「何よ?」
「サッちゃんに聞きてえこと、と言うか相談したいことがあってよ」
「あら、何でもこの紗栄子様に言ってご覧なさい?」
「ああ····俺は····女性にベタベタ触るのとか相手の許可なしに絶対やっちゃいけねえと思ってんだ」
「そうね、キャバクラと言えどもいきなり脇を舐めようとしてくる鄭のやつとか、マジで有り得ないって思うけど。大人しく胸にしとけよって思うわ」
「サッちゃんは、前も思ったけど、なんつーか許容範囲が独特だよな....」
紗栄子は語気を強くして、怒りを露わにした。胸を触られることよりも、脇を舐められることの方が許せないというのは独特な感覚で何とも理解し難い。しかし春日が聞きたいことは全く別の所にあった。
「相手が男でも女性ほどじゃねえけど、プライベートゾーン? つーのは、あると思うから俺は気にしてんだけど。けどよ、男同士は気軽に体を触ること、あるよな?」
「男同士? そうね、酔うと肩組むのとか、足立さんとかナンバはよくやってるイメージあるけど」
「なんつーかそういうのとはまた違ってるっつーか....」
春日にしては珍しく言葉を選びつつ喋っているからか、歯切れが悪いのが何とももどかしい。流れる空気を読んだ紗栄子は、春日へ助け舟を出した。
「イッちゃんがどんなことを想像してるのか全然分からないんだけど。いいわ、ちょっとやってみせてくれる?」
膝を突き合わせる様に向き合い、紗栄子は春日の目の前に自分の両腕を差し出す。
「サッちゃんに、触っていいのか?」
「いいわよ、やって」
狼狽えた様子で春日が紗栄子を見つめる。こういう時に春日は、戸惑いの表情を浮かべながらも律儀に了承を得てくる。そこがいかにも春日らしくて、紗栄子は好ましく思っていた。
「そんじゃあやってみるけどよ、こう、なんかこういう...」
すっと頭を切り替えた春日が急に真顔になると、まずは左手で紗栄子の向かい合わせの右手に指をするりと絡めた。所謂恋人繋ぎと呼ばれる繋ぎ方で。春日がずいと座ったままで前に出たことで、ふとした瞬間に間違いが起きてもおかしくはない距離感に、変わる。
続く春日の右手の指先は紗栄子の肩口に触れ、手のひらで肩を包む。そのまま身体の線をなぞる様に滑らせてゆき、肩から二の腕、肘を柔らかく掴んでから添わせた四本の指が、腕の内側を親指が、手首に向かってつうと辿る。
明らかに好意を伝える為の接触としか思えない触り方を、春日は紗栄子に再現して見せていた。紗栄子とて、代理を務めているとはいえ何も感じないわけでは無い。誰かが春日と、この様な行為に及んでいることを、無関心に傍観するなど出来はしないのだ。
恋路の邪魔をする目的で、紗栄子の都合の良いように、これ位のことは全く気にする必要はないと春日に伝えることも出来る。
春日に触れた何者か。春日の近くにいる男性は、そう何人もいないから、恐らく彼であろうという人物は想像が出来た。ただ彼のことを考えると、彼の春日への好意を無下には出来ないとも思う。自分の気持ちを差し置いてでも。
春日の右の指先が紗栄子の開いた手のひらをすりと擦る。それから春日の指に包まれた紗栄子の中指が、何かを隠喩するかのように上下に扱かれる。これは流石に露骨じゃない? と言いかけた紗栄子の前に、春日が早々に先に根を上げ、繋いでいた両手をぱっと離して直ぐに紗栄子から距離をとった。
「あーあいつみたいにうまくできねえ!」
「手ックス」
「てっくす?」
「いえ、こっちの話。にしても、誰に?」
「あ? 」
右手を開いたり閉じたり繰り返して、自分がされた時の感触を思い出そうとする春日に、紗栄子は急いて問い質す。
「イッちゃんは誰にやられたかって聞いてんの!」
「へ? 誰にって、趙だけど」
予想が当たり、紗栄子はさもありなんと目を細める。やった本人にでは無く、紗栄子に相談する位だから、春日は普通とは少し違っている違和感に気がついてはいるらしい。しかし自分がされた事実を隠すでもなく、相手の名前を正直に答える辺り、まだ受けた行為に対してどう対応したら良いのか、態度を決めかねている様にも見えた。
「それであんたは?」
「といいますと?」
「趙にされてどういう気持ちなの?」
「どういう?」
首を傾げて質問に質問に返す春日にも分かり易い様に、紗栄子は質問の仕方を変える。
「やめて欲しいとか嫌な気持ち? それともして欲しいとか、いい気持ち?」
「嫌な気持ちにはならねえよ。だって相手は趙だぜ?」
「じゃあいい気持ち? もっとして欲しい?」
「そうだな、なんつーかくすぐってえっていうか、むずむずする」
「むずむずっていうのは気持ちいいに近いかもね」
「あとなんかこうよ....」
「?」
「む....」
口をぎゅっと結んだあと、ぱっと開いて続きの言葉を言おうとするが、春日の口からは何の音も発せられない。紗栄子は口の形で母音を想像し、春日の言わんとすることが理解出来てしまった。
「あー....ムラムラしてえっちな気持ちになる?」
「なんだよ、なんでわかんだよ!」
春日は自分でも理解が追い付かない感情が、紗栄子に理解されてしまっていることに焦り、自然と声を大きくする。紗栄子は更に混乱する春日にも分かり易いように、言葉を続けた。
「趙がそういう風にしてくるってことは、一番にもして欲しいって思ってるかもよ?」
「ほう。つまり趙は俺とえっちしてえってことか?」
「究極な所にいきなり辿り着いたわね? そしてそれを私に聞く? まあ....そうでしょうね」
「そうか....その場合、俺は抱く側なのか? 抱かれる側なのか?」
「だからーそれを私に聞かないでよ!あー、もう知らないわよ! 一番はどうしたいの?」
目の前の春日は、腕を組んで暫く焦点が定まらぬまま、遠くを見つめた。紗栄子は春日の答えを黙って待つ。
しばしの無言。店内で静かに流れるアップビートのジャズはテナーサックスが軽快なメロディーを奏でていた。紗栄子は黙って演奏に耳を傾けつつ、ウイスキーの入ったグラスに口を付ける。
紗栄子のグラスの中身がなくなり、ちょうど曲が終わりを迎える頃、ぽつりと春日が呟いた。
「俺は....趙をぎゅっと、抱いてやりてえな」
「それは物理的に身体を抱くってこと? それだけ?」
「いや、あいつの中に入れてえ」
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「だってさ」
「だってさ。じゃ無いよ!なんでそれを全部俺に言っちゃうの?! 」
「え、だってなんだか面白いから」
「面白いって何が?! 俺全然面白くないんだけど!?」
「趙がイッちゃんに一生懸命なのがね」
「いや、なんなの?!俺紗栄子ちゃんに何か悪いことした?」
「さぁて、どうかしらね?」
「ほんと····なに····恥ずかし過ぎてもう····消え去りたい....」
「イッちゃんにあれだけ露骨に好き好きアピールしてたくせに、今更何言ってんのよ!」
「....あーもうだめだ。もう消すしかないかなー。紗栄子ちゃんの記憶」
「こわっ!」
夜。時は違えど、同じサバイバーのバーカウンター。紗栄子は同じ場所に座り同じ酒を飲む。隣に座って居るのが今は春日では無く、前回の話の元凶である本人、趙であることだけが違っていた。春日の気持ちを本人の意思と関係なく知らされてしまった趙は、乱れに乱れた感情と動揺を必死に隠して、目の前の酒をあおる。
「一生懸命? そりゃそうだよ、圧倒的不利な状況から、ここまできたんだから。にしても止めてよ。ほんっとに今、心臓止まりそうになったからね?」
「そう....とうとう趙の息の根を止めちゃうのね、私」
「うん。あとで流氓通じて慰謝料請求するからよろしく....」
「こわっ! って何回言わせるのよ?!」
..........
「それで、趙はどうするの?」
「どうするもこうするも、まだぜんっぜん心の整理付いてないから、俺」
「私よくわかんないんだけど、そもそも趙って、イッちゃんに抱かれたいの? 抱きたい、じゃなくて?」
「紗栄子ちゃん、今の質問は野暮だねぇ?!」
声色を変えて声に感情を乗せる趙に、紗栄子は全く臆さない。
「巻き込まれちゃったから、こうなったら全部聞いてやろうと思って」
「いやだ、言いたくない」
ふいと顔を逸らして趙が正面を見据える。
「あらそう。結構私、いいアシストしたと思うんだけどなぁ? ねえマスター?」
「そうだな、こいつらいつまで経ってもガキ同士の恋愛かよって位なんも進まねえからな」
趙がただでさえ大きな目を更に大きくして、声のした方を信じられないという風に凝視する。
「ていうかなんでマスターもいるの? こういう時、気を利かせていつもいないじゃん!」
思わずその場で立ち上がった趙はカウンターに両手を付き、マスターに向かって盛大に抗議の声を上げた。
「うるせえな。いちゃ悪いのかよ。俺はここの店主だぜ、嫌なら他所でやれ」
ヒラヒラと目の前で手を振り、追い出す仕草をするマスターを見つめながら趙は、すごすごと座ってカウンターテーブルに顔を伏せる。
「ほんとにやだ。この人達....」
紗栄子はそんな趙に構わず、ふとした疑問をぶつける。
「え、ねぇ。もしかして温泉行こうって誘ったのって、二人で行こうとしてた? 」
顔をあげた趙の表情は、散々心を乱した分、険しい。
「んなわけないじゃん。下心見え見えじゃないそんなの」
「二人ならいかにもお忍び訳ありって感じ、するわね」
「えーと、紗栄子ちゃん。なんで君はさっきからそんなに生き生きとしてるのかなぁ?」
「ふふ、旅行が益々楽しみになって来ちゃった! お膳立ては任せといて!」
キラキラと目を輝かせて何かを企む紗栄子に趙はうすら寒いものを感じて身震いする。
「何それ····こわい」
「何にしろ、進展あったら教えてね?」
「お断りしまーす」
「お断りをお断りしまーす」
..........
「ねぇ、紗栄子ちゃん」
「何?」
「良かったの? 俺に全部教えちゃって」
「何よ、良いに決まってるでしょ」
「俺、春日君のこと。本気だから」
「わかってるわよ、そんなこと」
紗栄子が趙に、春日の想いを伝えたことは、同じ春日を好きな者同士の秘め事になった。
互いの想いが交錯する。
温泉旅行の日まであと一ヶ月。