嘆きの島に雨は降らない。海の中にあるくせに、遠い先祖の土地と同じく水資源に乏しい島は、無機質な潔癖さに満ちている。住んでいた時には何も思わなかったのに、久しぶりに足を踏み入れた故郷は、知らない人のようだった。まだ来ない迎えにぶつけるように靴底で地面を強く踏む。カンーッと鳴るこの地面の音も、外にはない物だ。一見石畳に見えるのに遥かに滑らかで歩き易い塗装された地面。円形に敷き詰められた模様の外には、迎えが来ないと出れない。
小さい頃は格好良いと憧れたカローンが囲む中でジュナはもどかしく首輪を引っ張った。魔法力の乏しい両親から生まれたジュナはなぜか豊富な魔力を持っていた。ヒューマン種の保持魔力は年齢と共に増加する傾向がある。両親がせめてプライマリーまでは、と偉い人に掛け合ってくて、ジュナは小学校に上がるまでは両親のもとで暮らす事が出来た。だが、この海底の島は、魔法力を持つ人は住めないのだ。ジュナは泣き喚きながら全寮制の名門プライマリーに送り込まれ、こうして偶にしか帰郷できない。里帰りの度に付けられる魔力制御装置の首輪を窮屈に感じたのも、島の外に出たからだ。
島の外はずっと不便で、魔法に満ちていた。
こちらに向かう飛行ビーグルの音を聞くたびに顔を上げて探すも、乗っているのは違う人で、その度に足元の石畳を蹴ってしまう。とっくに立っているのに疲れて、持って来たトランクに腰掛けた。手持ち無沙汰に小石を蹴ろうにも、完璧に整備されたここにはそんな物もないのだ。両親に会うまでは通信デバイスも支給されないし、暇で暇で、ジュナは強く地面を踏んだ。
「あなた、キャンディはお好き?」
そんなジュナを見かねたのか、近くに立っていた少女が屈むように手を差し出して来た。同じ首輪を付けた、違う制服の年上の少女。
「……レモン味はある? 私、レモン味が好きなの」
「ええ、もちろん。私もレモンキャンディは大好きよ。はい、どうぞ」
差し出された瓶の中から、黄色い包みのレモンキャンディを口に入れる。
「おいしい……、ありがと」
「どういたしまして! 私はディア・アスター、英雄の国の寄宿舎に通っているの。15歳よ」
「ジュナ。ジュナ・ストラウス、8歳。……ねぇ、ディアの家はどこなの?」
「英雄の国の塩湖の街よ」
その途端、ジュナは裏切られたような気持ちになって、思わず叫んだ。
「違う!!!」
「ジュ、ジュナ……?」
戸惑うディアにもう一度叫んだ。
「違うの!! ジュナの家はオケアノスのクロリス地区の!」
「こらこらこら、大声で家の住所を言わないの」
「おかえりなさい、ジュナ。迎えに来るのが遅くなってごめんね」
「ぁ、お、おかあさん!!」
ジュナの目にはもう、こちらに向かって手を広げる母の姿しか見えていなかった。立体ホロの通信じゃ全然足りない、本物の熱と暖かさと、懐かしい母の香りに幼い涙腺は崩壊した。
「うわぁーーん! おかーさん!! おとうさんも!!!」
「僕はおまけかい? 悲しいなぁ」
「あなた!この子を揶揄わないの!!」
「ごめんよ……」
嗚咽を我慢する事なく存分に母の胸に甘えるジュナには、もう周りの事など見えていなかった。
「うちのジュナが迷惑をかけて申し訳ないね、ご両親は……」
「いえ、私もホームシックに耐えきれず、ああなった記憶がありますのでお気になさらず。あ、うちの両親も来たようです」
「それはよかった。でもあの子を気にかけてくれて本当にありがとうね。良かったらお礼をさせておくれ」
「いえ、本当に大丈夫なので」
「私からも、本当にありがとう。この子のことを気にかけてくれて。よかったらこれを貰ってちょうだい」
懐かしいパッケージのお菓子に、思わず辞退する手が止まる。嘆きの島にしかない、懐かしいお菓子。
「この島の子はみんなこれが好きよね。帰省楽しんで」
こちらに駆け寄ってくるディアの家族に会釈して、ジュナと両親は飛行ビーグルで家に向かった。
母の胸に存分に甘えたジュナは、飛行ビーグルから見る懐かしい景色に目を瞬かせた。島の真ん中にある、父と母がお仕事をしているS.T.Y.X.本部。壁に沿った偽物の空。風は心地よく、暑くも寒くもない。虫の声も鳥の声もしない、懐かしい静寂。
「ねぇ、お母さん。今日は久しぶりに全自動入力マシーンに入りたいな。あとお母さんが作ったムサカが食べたい。それとね……」
思いつく限りのわがままを言って、ジュナはまた母の胸に顔を埋めた。右手で握りしめるのは父の制服だ。皺くちゃになってしまえば良い。
「……ただいま、お母さん、お父さん」
「おかえりなさい、ジュナちゃん」
「おかえり、ジュナ」
ほろりと、最後の涙が落ちて、母の服を色濃くする。ジュナの夏季休暇は、始まったばかりだった。