消えたあなたの行方1.他愛も無い話
痛くねぇの、と、聞いてみた。
何が、と、彼は答える。
「それ、ピアス」
指を刺した先に、二つの金のループ。
おれの言葉に、彼は鼻で笑った。
「あんたがこさえる怪我より痛くねえよ」
考えてみればそうかもしれない、と納得しかけてしまったが、それとこれとは別の話なのではないか。
言い返す言葉に迷っていると、彼は、刺青の方が痛い、と、小さく言った。
じゃあなんでわざわざ痛いことを、と、口に出しかけて、口を噤んだ。小言を言って嫌われたくなかった。
だけど彼にはそんなことお見通しだったようだ。
「身体の痛みは過ぎればなんともない。だけど心は――」
そこまで言って黙った彼は難しい顔をしていた。
彼は以前、彼の身体にある刺青はおれを想って彫ったのだと言っていた。
死んだ者を悼む気持ちと、それを忘れぬための墓碑のような。
ごめんな、というのも違うな、と思って、愛してるぜ、と口にしてみた。
彼はふっと鼻を鳴らすと、知ってる、と笑っていた。
◇
2.とうの昔に死んだたましい
自分は、とうの昔に狂っている。
死体に紛れてフレバンスを出た時に、狂ってしまった。
だから死んだはずの彼が見えるのも、会話できるのも、狂っているからだと思っている。
「そういう病気があるそうですよ。脳の病気で……だからローさんには治療が必要なんです」
ペンギン達はそう言うが、おれはそうは思わない。
例えば、霊感があって、幽霊が見えるという人間は、狂っているとも、病気だから治せとも言われない。
おれは狂って死人が見えているだけで、そいつらと何が違うのだろうか。
規則正しい生活をし、知識を覚え、適切に医療行為ができ、人との会話も齟齬を起こさない。おれが狂っていると知らない人間からしたら、おれは狂っているようには見えないはずだ。
まあ、しかし、本当に全て(そう、こうして生きていることでさえも)がおれの狂った頭が作り出した虚構であれば、正しい人間からみたおれは狂っているのだろう。
しかしおれは満足しているのだ。
狂っているからこそ、そこに彼がいるのだから。
◇
3.幻覚をみる
コラさんは、朝起きるとおれの隣にいる。
幻覚も眠るらしい。
たまにおれの方が早く起きて彼を起こす。
おはようという声は昔のまま、変わったのは額にキスをくれることくらいか。今日も愛してるぜ、と、笑う彼の顔を直視できない。
おれは彼に劣情を抱いていた。
自分で作り出した妄想にどんな感情を抱こうと自由だろうが、死んでしまった彼に対して後ろめたい気持ちが湧いた。おれは理解している。彼が死んでいることを。
たまに思うのだ。
おれに見えている彼は幻覚ではなくて幽霊なのではないか、と。
幽霊だったらどれだけ良いか。
だってそれは彼そのものだ。
しかし幽霊ではないだろう。
幽霊の彼は、おれにキスをしない。
つまりやはり幻覚なのだ。悲しいことに。
おれの頭がおかしくなっている間にだけ現れる幻覚。
それならおれは、狂ったままでいい。
もう二度と彼を失いたくはない。
◇
4.だれが彼を狂わせたの(ペンギン視点)
いつだったか、彼が狂う前に聞いた話がある。
おれたちと出会う前の話はあまりしなかった彼が、珍しく酔って口を軽くした時の話だ。
おれは一度死んでる。
あの島から出た時に。
だけどコラさんがもう一度生をくれた。
だからおれの魂はコラさんでできている。
彼の口から出た話は断片的で想像するにも難しいはなしだったが、長年かけて彼の背景を知るうちに、ああ確かにその人は魂なのだと思った。
彼の大きな刺青も、行動も全てすべて、「コラさん」に帰結する。
彼にとっての「コラさん」は信仰や崇拝の対象である神様なんてものより大きな存在で、おれはコラさんという見たこともない人間に感謝すらしていた。だってそうだろ?不器用にも彼が生きているのはその人のおかげなのだから。
だからこそ、おれは彼に治療を勧める。
なんでも治せる人の傷は誰が治せるというのだ。
外傷ならまだしも、頭の中なんて。
このままでいさせてくれ、と彼は言う。
それではいけないと、おれは言う。
あんたが今見ているものを、見てもらわなきゃ、あんたの大切な人が、報われない。
◇
5.幽霊と幻覚の違い
おれが狂っているのを、クルーがどう思っているのか。
ペンギンはおれがおかしいと知っている。
見えないものが見えるなんて、それは幻覚で、治療が必要だとはっきり言ってくれている。
シャチやベポはおれの幻覚に付き合ってくれている。おれがコラさんに向かって話しかけると、そこにコラさんがいるように振る舞ってくれる。優しい奴らだ。
おはようコラさん。
おはようロー。
今日も目覚めると、彼は隣にいる。
そうして、おはようのキスを一つくれる。
こんな幸せなことがあっていいのだろうか。いいか、どうせ、幻覚だ。
幻覚だと思うと、どんな思いも伝えられる。
コラさん、好きだ
ベッド端に座った彼が寝転んだままのおれの頭を撫でる。子供のように、優しく。
何度も好きだと虚空に言った。
コラさんは幽霊じゃないのか?
幽霊じゃねえよ、ほら、歳とったろ
わかんねえよ、幽霊だって歳取るかもしんねえだろ
はは、確かに
この会話すらすべて虚空に向かっているのだと理解しているのに、おれは正しく認識できない。理解と現実と妄想と幻覚がごちゃ混ぜだ。
たまにコラさんが目の前にいない時だけ、おれはいつものおれに戻れる。
だけどおれは、彼がそばにいるのを望んでしまう。
(だから行かないで欲しいと、彼を引き留めてしまう)
コラさんは笑う。ああ、おれの記憶の中のコラさんはそんな笑い方をしただろうか。幻覚がはっきりしすぎていて、何が現実だったかわからなくなってきている。
◇
6.紐を解く(シャチ視点)
ほんの少しの違和感。
最初に気づいたのはベポだった。
キャプテンがなんか変だって言って、おれらも最初は何が?って感じだった。
いつもみたいに起きてきて
クルーと飯を食って
航路と天気の確認して
浮上しても問題ない海域だからと浮上して
おれらが洗濯干してる間は甲板にいて
こないだ寄港した島で手に入れた本を読んでた
何かおかしいかと思ったけど、おれにはわからなかった。いつも通りのキャプテンだった。だからベポの勘違いかと思ってその時は話を流してしまった。
少しして、キャプテンは幻覚が見えるって言い始めた。
幻覚を見ている人間がそれを幻覚と認識しているって状態って珍しいんじゃないか?
なんて思いながら話を聞くと、ベポがキャプテンの違和感を感じ始めた頃から見えているという。野生の勘に驚いた。
他のクルーに話すか迷った。おれとペンギン、ベポは昔からキャプテンのことを知っているし、いつだって味方でいてやろうと思っている。だからその話を聞いた時だって、驚きはしたけれど、それ以上はなかった。
でも他の奴らは?
キャプテンが好きな奴らばっかだとはわかっている。だけどキャプテンがそんな状態だと知ってしまったら不安になるやつだっているはずだ。
キャプテンは幻覚が見えるだけで他はハッキリしていると言ったし、実際、本当に変わりがなかった。けれど時間が経つうちに少しずつ亀裂は生じて、他の奴らに隠しておけなくなった。
全員集めて膝突き合わせて、キャプテンの状況を説明すると、薄々勘付いていた奴も何人かいて、納得しているようだった。
じゃあ、これからどうする?という話が出る前に、誰かが言った。
「キャプテンがそうなった原因ってなんだ?」
◆◆◆
「ローが小さくなったってほんとう、か」
慌てて部屋に入ってきて、最後の言葉がほとんど声にならなかったのは、昔のまんまのローがいたからだ。ちっちぇえクソガキ。宝箱に閉じ込めた頃とおんなじ小ささ。
ドアの前で固まったおれを見て、ローがめちゃくちゃびっくりした顔で、そんで、おれに飛びついてきた。
周りにいたクルーはみんなびっくりしてた。
そりゃ、キャプテンが小さくなったってだけでも困っていたのに、記憶までなくて。
ローはおれが来るまで、知らない大人に囲まれていろいろ考えていたんだろう。状況を受け入れようとしていたはずだ。だけどローの記憶がおれと別れた時まで戻ってたから、おれが生きてるのを見たローは、おれに抱きついてわんわん泣いた。
自分とこのボスが、小さくなったとはいえ人目も憚らず泣き喚く姿に、クルーたちは驚いていた。まあ、そりゃ、そうか。おれが生きてたんだから。
大人になって再開した時は、耐えてたんだろうな、ローも。
生きてたならいえよ、
なんで隣町に来なかったんだ、
ずっと死んだと思ってた、
と、同じことを繰り返して泣いて泣いて泣いて。おれはローを胸に抱きながら、落ち着くのを待っていた。言い訳はできねえ、だってローを待たせたのは本当だ。心配させたのも本当。おれは謝ることしかできないんだから、しばらく泣かせてやろうと思った。
でもこんなみんなの前で泣き喚かせるのはキャプテンとしての威厳とか、そーゆーのがあったかも。今更サイレントをしたって遅いのはわかっていたけれど、部屋から離れるくらいはしてやろうと思った。
ちょっとあやしてくるな、
と、ローを片手で抱き上げた。ローはおれに掴まって、泣き続けていた。
身体の中の水分が全部でちまうぞ、なんて、声をかけたらかえって泣かせてしまった。
なんでだ。
今更だけど、サイレントしといてやろう、と、防音壁を張ったら、周りの音が気にならなくなったからか、さらに泣いていた。
ロー、ごめんな、
大丈夫、おれはここにいるから、
と、二人だけの空間で声をかけ続けた。
好きなだけ泣けばいい、なんなら、その涙が枯れるまで。
そういえば、と思ってローの顔を見た。ぐしゃぐしゃの泣き顔だ。おれはローを泣かせてばっかだ。病院に行きたくないと泣いて、病気で苦しいと泣いて、おれが傷ついて泣いて。
だけど昔と違うのは、白い部分がない肌だ。大きくなったローを知っているから、自分で治したのはわかっていたが、子供の姿で綺麗に治っているのを見ると感慨深いものがあった。
涙脆くなったな、歳だ。
おれも泣きたくなった。だけど子供じゃないのでそこは我慢できた。
ローは泣き疲れてきたらしく、だいぶ泣くのも落ち着いていた。でもきっとまたちょっとのことで破裂して泣いてしまいそうだった。
このまま寝ちまえ、そしたら落ち着くだろ、と、
小さなローの背中をゆっくり(さらに加減して)規則的に叩いてやると、寝たらおれがいなくなるかもしれないというようなことを嗚咽に混じって言われた。
いなくならねえ、約束する
でもコラさんは嘘つきだ
ギクリとしたのはいうまでもない。そうだ、おれはこいつに嘘をついていた。大人になったローがあんまり言わないもんだから、許されたもんだと思っていた。でも子供のローからしたらまだ嘘つきのおれだもんな。だけど言い訳の言葉は見つからず。
心配なら紐でも繋いどくか?おれをどっかに閉じ込めたっていいぞ
おれの提案にローは小さく憎まれ口を言ったようだったがうまく聞き取れなかった。もう一回言って、と頼んだらもう言わないと突っぱねられてしまった。
でもだいぶ泣くのも落ち着いてきて、少し安心する。本当に枯れてしまうかも知れないほどに泣いていたから。
次に起きたとき、目の前にいてやるよ。
絶対?
絶対、約束する。次もその次も、起きたとき隣にいてやるから
嘘つきのおれが言っても説得力がないかと思ったが、ローは納得してくれたのか、絶対だからな。と、しゃくり上げた。
◆◆◆
7.紐を解く2
ローがおかしくなったのは、能力者がローの身体を小さくしてからだった。記憶まで戻って大変だった一件が終わってすぐ、ローがおかしくなった。
ローはおれが死んだままの世界にいた。
ローの身体と記憶が戻ってすぐ、ローはおれを見るなりとんでもないものを見たという顔をした。おれがローに抱きつくと、さらに困惑していた。けれどすぐに落ち着いたのでおれはいつも通りのローに戻ったものだと思っていた。
次におかしいと思ったのはいつだったか。
おやすみのキスをした時に、めちゃくちゃウブに顔を赤くしたことだったか。
いつもは澄ました顔でキスを返してくれるのに、一人で百面相していた。ちょっと変だとは思ったけれど、疲れてるだけかと思ってあんまり深追いしなかった。
次の日の朝は、小さなローと約束したから、ローよりも早く起きて隣にいてやった。目覚めた時にローがまた驚いていたから、「約束しただろ?」と言ったら、なんのことかわからないと言われて、そこでようやく、小さくなっていた頃の記憶はないのだと分かった。
その日のうちに、ローに何回か無視されることがあった。タイミングとしては、他のクルーが近くにいる時。
おれは直接、ローに尋ねた。
「何で無視するんだ?」
「ほかの奴らに見られたら変だと思われるだろ?」
「変?なにが?」
「あんたが見えるのはおれの幻覚なんだから」
なにを言っているんだと説明を求めたが、さらりとかわされてしまったのは、近くにクルーが居たからだ。そのあとしつこく色々聞き出してわかったのは、ローがおれのことを幻覚だと思っているということだった。
幻覚じゃないと何度も伝えたし、実体があるのだと何度も触れたが、ローの脳内ではうまい具合に幻覚になってしまうらしかった。
果たして困りに困ったおれは、ローの幼馴染達に相談する事にした。
「つまり、コラさんのことを幻覚だと思ってる、と?」
言われてちょっと堪えている自分がいる事に驚いた。なんともないと思っていたのに、本当はショックだったのだ。
「そう、らしい」
深く溜息をついてしまったが、本当はもう少し楽に話すつもりだった。神妙になってしまったことを後悔していると、ベポが「おれも変だとおもってた!」と言った。野生のカンなのだろうか。
ペンギンもシャチも、おれの話を半信半疑で聞いていたから、その時の相談はこのまま様子を見るということで落ち着いた。だってローがあまりに普通なのだ。
いつもと変わらずに生活をしている。二人きりの時なんか、ほんとに変わらない。
まあただ、違うことと言えば、触れ合いが減ったことか。いままで返してくれてたキスも、おれからの一方的なものになったし(まあ幻覚だと思ってるんだからそうだろうけど)
いい大人だし我慢はできるが、寂しさはある。
様子をみようといって二日も経った頃、ペンギンに呼び出された。
キャプテンが、コラさんの幻覚を見るという話をしてきた、という。
どうやらローもおれの幻覚に参っているらしい。そうじゃなきゃ、一人で溜め込むタイプのあいつがそんなことを話すはずがない。
でもキャプテン、このままがいいって言ってたんです。
自分の頭が狂ってしまって幻覚は見えるが、それを治そうとは思わないのだと。
なんでだ?
そりゃコラさんが見えているからでしょう。
当たり前のように言われて、おれは胸がきゅっとなった。
幻覚でもおれがいる世界を選ぶのだ、ローは。
それを少しでも嬉しいと思ってしまった自分の醜さが嫌になったが、今は自分のことを考えている場合ではない。
ローを治したいと思うのは、おれもペンギンも同じ気持ちだった。