COMMAND ME, PLEASEあのあと、コラさんとはお互いの相性に関してのすり合わせをした。コラさんは「おれはめちゃくちゃに甘やかしたいDomだ」と宣言した。Subの中には被虐的な支配を望む人も少なくないが、そういうSubの相手はできないんだと付け足して。
「だって痛そうだろ?」
と、いいながら、おれを甘やかしまくったコラさんはとても満足気だった。そのおかげでコラさんもおれとのプレイでよくなってくれているのだと思えて安心できた。
しかし、おれは自分のSub性の特性がわからない。めちゃくちゃに甘やかしてもらったのは悪くなかった。もっと虐めてくれ、という欲求はでなかったし、被虐的な支配よりもお世話されるような支配の方が向いている気もした。
普段Domで過ごしているからだろうか、誰かに甘やかされるというのはあまり経験がないからだ。
それが心地いいことだと気づいてしまったから、甘やかされた方がいい。
ただ、まだおれのSub性がわからないというのもあって、もし相性が悪ければパートナー解消してもらってもいいからな、と、コラさんはしきりに念を押した。
「ちょっとでも不満が出ればちゃんと言うんだぞ」
と、やはり甘やかすように言われて、この人に不満を抱くことがあるのだろうかと不思議に思った。(コラさんは自分のドジが不安だったらしい)
さて、
コラさんとパートナーになってから、おれの調子はすこぶる良かった。
お互い仕事時間が不規則なので週に一度程度、簡単なプレイをするだけだったが、極端に薬が減った。
もちろん薬は飲まない方がいいが、長年飲み続けていたので急に止めることもできず、少しだけ飲んでいる。ただ、薬なんかよりプレイのほうがよっぽど効くのだ。コラさんを薬代わりにするのは心苦しかったが、「おれがしてやりてぇからいいの」と言われたので甘えさせてもらっている。
コラさんはおれが仕事で病院に缶詰になっている時も、わざわざ病院まで足を運んでくれて、短い休憩時間でプレイをしてくれた。簡単なコマンドなので身体の触れ合いはないが、それでもプレイをしないよりはずっと良かった。
「……よし、ロー、come《おいで》」
呼ばれて、車内の狭い距離を詰める。
軽くハグされて、「良い子だ」と褒められると力が抜けていく。体温で温かいと感じるだけではない、身体の芯からじんわりと熱が湧く。ハグをするとストレスが減るというから相乗効果があるのかもしれない。軽いプレイだけで調子が良くなるのは本当にありがたかった。こうしてプレイをするときは、基本コマンド以外は使わないと決めていた。それもこれも、彼との相性が良すぎたせいだ。一度、少し多めにコマンドをもらったら仕事に戻れなくなりかけた。
そんなことを思い出しながら彼の体温に身をまかせてていると、タイマーが鳴って、逢瀬の時間が終わったのを告げられた。
「……ごめん、コラさん時間だ」
名残惜しいと思ってしまうが、この後も仕事があるし、我儘は言えない。時間をつくってきてくれているだけで感謝している。それを伝える度に「おれがしたいからいいの」と言われてしまうが。
「ん、お疲れ、頑張れよ」
抱きしめたまま、頭をポンと叩かれる。別れ際はいつもこうだ。子供にするみたいなそれは、優しくて心地良い。
「ありがと」
後ろ髪をひかれつつ車を降りる。
ドアを閉める直前に「いってらっしゃい」と、声をかけられた。
「行ってきます」と、返してドアを閉めたが、コラさんはおれが病院に入るまでずっと手を振ってくれていた。
「トラファルガー先生、ご機嫌ですね」
院内に入ってすぐ、自分より随分年上の看護師に声をかけられた。
「パートナーさんですか?」
どうやら見られていたらしい。言いふらすような人ではないと知っているし、同じくダイナミクスを持っている人だと知っていたので苦笑しながら、曖昧に返事をする。
「素敵な方ですね。わざわざ職場まで来てくれるなんて」
彼女は心底感心しているようだった。
「確かに……感謝してます」
コラさんには本当に感謝している。連絡だってコラさんからばかりだ。こんなに尽くしてもらっていいのかと不安になることもある。
「あ、カラーって送られてます?もしまだでしたらお勧めのお店がありますよ」
話の流れでそう言われた時、一瞬何を言われているのか分からなかった。ただ、すぐに相手が、おれのことをDomだと思っているのだと理解した。本当はSwitchで、相手はDomなのだと説明するのも面倒で、適当に話を合わせることにした。
「確かに……考えないといけないですね」
自分で言いながら、そういえばコラさんからカラーをもらっていないな、と思ってしまった。
その考えが頭をよぎった瞬間、胸の中がざらついた。
もうパートナーになってしばらく経つが、カラーの話は一度も出ていない。
カラーは、DomがSubに贈る所有の証みたいなものだ。首輪だったりネックレスだったり、指輪とか時計だったり色々あるが、所有したい/されたいDomとSubにとっては大切なものだ。
おれとコラさんは正式なパートナー、に当たるはずだ。……多分。
多分、とついてしまう理由は、コラさんがいつも『ローに恋人ができたらいつでもパートナー解消していいから』と言うからだ。確かにおれは恋人とパートナーは同じだと嬉しい方だとは言ったが、今のパートナーはコラさんだし、そう簡単に恋人を作るとかは考えていない。
そりゃ、パートナーと恋人は別がいいというダイナミクス持ちだっている。けれど少数派だ。
実際、ダイナミクスを持つ人間とノーマルの人間が恋人だと長続きしないというのは統計にも出ている。まあ、自分の恋人が他の人間に服従していたり、他の人間を支配していたりするのは妬みや確執を生むのだろう。
そうなるとやはり、恋人とパートナーが一緒の方が良いと思うのは必然かもしれない。
おれもその意見に同意だが、自分のダイナミクスがSwitchということもあって考えることは多い。
おれはDomかSub、どちらかの欲が満たせればもう片方の欲も満たされるタイプのSwitchなので今の状態に不満はない。けれどSwitchの多くは片方の欲が満たされてももう片方の欲は満たされないことが多い。そうなると必然的にプレイの相手は一人だけというわけにはいかなくなる。コラさんはそういうことに気を遣ってくれているのかもしれない。
『おれより良い人がいたらいつでも言えよ』なんてコラさんは言うが、コラさん以上の相手なんているんだろうか。
だけどコラさんとおれの関係は恋人ではなく、「パートナー」で、暴論を言ってしまえばセフレみたいなもんだ。
……いや、暴論すぎるか?
まあお互い同意の上で気持ちよくなることをしていると言う点ではセフレもパートナーも同じだろう。
ともかく、正式にパートナーになると相手にカラーを贈るのが一般的なのだ。
じゃあなんでコラさんはおれにカラーをくれないのか?そんなこと考えたことがなかった。あんなに甘やかしてくれるのに。
コラさんがおれにカラーを贈らない理由を考えてみる。
おれがSwitchだから遠慮しているとか。
確かにあり得そうだ。
コラさんはおれのDom性も尊重してくれている。だからDomとしてプレイしたい時があれば遠慮なく言ってくれと言われるし、毎回Subでのプレイでいいか確認もされる。(おれの答えは毎回YESだが、コラさんのルーティンみたいになっている)
それに、コラさんは「おれが他に誰か相手を見つけるまででいい」なんてことをよくいう。「こんなおじさん相手も嫌だろ?」とも。
嫌だなんて思ったことは一度もないと毎回伝えるが、うまく伝わっているかは分からない。それもカラーをくれない理由だろうか。
ああだこうだと考えている途中、奥から小走りでやってきた看護師に「トラファルガー先生、こっちお願いします」と、呼ばれて、そこから思考が仕事に切り替わって、自分のことなんて考えている時間はなかった。
あのときもっとしっかり考えておくべきだったと思ったのは、それから少ししてのことだ。
学会に呼ばれて一週間ほど遠方へ向かうことになった。たった一週間だ。今までだったら一週間くらいプレイしなくたって、何の問題もなかった。ただ、赴く直前にコラさんと話したことがずっと心に引っかかっていた。
最後に会った時、一週間は会えないことを伝えると、「調子が悪くなるようなら誰かとプレイしろよ」と、言われたのだ。
それを言われた時、ひどく傷ついた自分がいた。
本当なら、傷つく必要はない。
だっておれたちは恋人じゃない。
だけどパートナーだ。
だからDomのコラさんが、Subのおれの支配を手放した感じがしたのだ。
前々からそんなことは言われていたが、この時初めて激しいショックを感じた。
あとから考えればコラさんはSwitchのおれを気遣って言ったことで、決して他のDomとのプレイを推奨してきたわけではない。
「どうしてそんなこと言うんだ」と、言ってやればよかった。傷付いたとひと言言えば、コラさんだってなにか言ってくれたはずだ。けれどおれは自分がショックを受けているという事実に驚いて、咄嗟に言葉が出なかった。
そうしてようやく自覚した。
おれはコラさんが好きなんだ、と。
カラーをくれないことにモヤモヤするのも、コラさんの言葉に傷ついたのも、コラさんのことが好きだからだと思うと腑に落ちた。
けれど気づいてしまった感情の制御はうまくいかなかった。コラさんのことを考えると胸が締め付けられるようだった。色々な不安だったり恋しさだったり、その感情についていけない自分がいた。この歳になるまでまともに恋愛をしてこなかったツケだろうか。
ただ、ありがたいことに学会の忙しさはおれの思考をだいぶ落ち着かせてくれた。けれど少しでも気を抜いて彼のことを思い出してしまうと心が乱れた。
おれはコラさんのことが好きだが、コラさんはおれと同じ好きではないだろう。そう思うだけで悲しい。おれの支配を手放すような事を言ったことも、ずっと頭の中を回っている。
おれが告白したらどうなるだろう。パートナーだけでなく恋人にもなりたいと言ったら。迷惑がられるだろうか。引かれるだろうか。距離を置かれるくらいなら今のままのほうがいいのかもしれない。
考えれば考えるだけモヤモヤとする。この苦しさはダイナミクスのせいかもしれないが、経験値がないのでなんの区別もつかなかった。
胸にしこりを抱えたまま、学会の最終日を迎え、あとは泊まって、明日の朝に帰宅するだけになった。
時間が空いてしまって、またコラさんを思い出してはモヤモヤを抱えていると、突然、コラさんから連絡があった。
体調は悪くないか気遣う短いメッセージだった。
メッセージを見た瞬間思ったのは、
調子が悪くなったら誰かとプレイしろと言ったくせに、体調を聞いてくるのはどうしてか、ということだった。
おれがだれかとプレイしたと言えばコラさんはどう思うだろう。いや、多分どうも思わない。「そっか、ならよかった」
と、にっこりした絵文字をつけて返信が返ってくるのが目に見えた。
メッセージをそのまま無視してしまってもよかったが、もやもやした気持ちのままでいるのも癪で、つい、短くそっけない言葉で
『よくない』
とだけ返信してしまった。
コラさんはどう思うだろう、と、そればかり考えてしまう。
そうしているうちに、電話がかかってきた。コラさんからだった。出るかどうかしばらく迷って画面を眺めていたけれど、コール音が切れる気配がなかったので諦めて電話を取った。
「ロー?ごめんな、いま電話いいか?」
「……寝るとこだったから」
わざと良いとも悪いともとれる答え方をしたが、コラさんは「ごめん、心配で」と、早口で謝ってきた。
「体調悪いのか?」
「……わかんねぇ」
ムカムカしたりイライラしたような感じはあったが、それがダイナミクスに起因しているのか、それともただ、自分がモヤモヤしているからなのかがわからなかった。
「プレイするか?電話越しだけど……」
コラさんの提案におれはまたモヤモヤした。モヤモヤというか、ムカムカというか。電話でプレイできると思うならなんでおれにあんなことを言ったんだ、と、憤りに近い感情が生まれた。その憤りをぶつけてしまいかけて、奥歯を噛んだ。黙っていると、コラさんが耳元でおれの名を呼んでいる。それに返事をしようと
「コラさんはさ……」
と、話しかけたが、続きが出てこなかった。おれのことどう思ってる?なんて、漠然とした質問をしたところで、おれの望む答えが返ってこないとわかっているからだ。
おれたちパートナーなんだよな?なんて、分かりきったことは聞きたくなかった。
「……悪ぃ……なんでもねぇ……」
「ロー?」
「もう寝るから」
これ以上話していたくなかった。自分の感情を抑えられない。このままコラさんと話していたら、余計なことを口にしてしまいそうだ。
耳から電話を外したとき、コラさんの慌てたような声が聞こえたが、おれはそのまま電話を切って、ベッドに倒れ込んだ。
疲れた足取りで家に帰る。
明日からまた病院勤務が始まるので、それまでに身体を休めておきたいが、考える事が多くて休まる気がしなかった。
深いため息をつきながら家の前まで来たとき、おれの足はぎくりと止まった。オートロックのエントランスの前にコラさんが立っていたのだ。
「ロー!」
眩い笑顔で手を振って、駆け寄ってきた。大型犬が主人を出迎える時みたいな光景に、思わずキュンときた。けれどその感情はすぐに陰鬱とした気持ちに塗り替えられてしまった。
この一週間、欲求を発散できていなかった上に、考え続けていたことで心身ともに疲弊していた部分もある。どうにも感情がぶれてしまう。
「なにしてんだこんなとこで」
最初に出た言葉がそれだった。おれの感情に気づかないまま能天気な顔をしているのが余計に腹が立った。
「ローが心配でよぉ」
言い訳のような言葉がひどく癪に触った。
「あんたに心配されなくてもおれはッ……」
視線が合う。瞬間、思わずglareを放ってしまっていた。コラさんはおれよりSubのランクが高いのでおれのglareに怯んだりはしなかったが、とても驚いていた。そりゃそうだ。おれだってこんなことでglareを放つ気はなかった。
内心で舌打ちしながら、おれはコラさんの表情の変化を見ていた。コラさんは一瞬目を瞑っておれから視線を外すと、静かに目を開いた。視線があった瞬間、急に息ができなくなった。
glareだ。
コラさんのglareがおれに刺さった。
今までも他人からglareをぶつけられることはあったがそれとは比にならないくらいの圧だった。聞いていたランクより高いランクなんじゃないかと思う程のglareに、気づけばおれは地面にへたり込んでいた。
恐怖、というよりも畏怖、のような。空腹で凶暴なライオンの目の前に餌として差し出されたみたいな。
逃げ出したいのに、腰が抜けていて、動くこともできない。
コラさんが一言も言葉を発しないことが余計に怖かった。