これは誰の話? 「天峰くん」が私達の恋バナに参加することは極めて稀だった。生徒会はいつも忙しいのでそんな話題になる事自体おかしいのだが、最近アイドルになった彼にとって危ない話題だってことくらい、流石に高校生の私達でも分かる。A組の××は○○の事が好きだとか、C組のあの人を誰と誰が気になってるとか、私達が話している時も彼は黙々と手を動かしているか、資料に目を通しているか。そして休憩の時間が終わると──大抵五分か十分だ──「先輩、そろそろ始めましょう」真っ白なコードを耳から外して私達に声を掛ける。
おしゃべり好きな「先輩たち」は生徒会長だから恋しないんじゃないかとよく噂していた。自分たちの手本にならないから、天峰くんは真面目だから、進学校らしい校則をちゃんと守ろうとしてるのかもしれない。でも、同じく書記として生徒会に入った自分だけは知っている。クラスメイトで隣の席になったこともある私は「天峰」がスマホ片手に難しい顔をしてる事も知ってる。クラスに唐突にできた空席を誰もが遠巻きに見ていた。「天峰」の周りには、触れちゃいけない話題がごろごろ転がっている。でも、それでもみんな彼が好きだった。
前に一度だけそういう話題になったことがある。先輩達が校外学習に出かけた日、二人で生徒会室の掃除でもしようという話になった。とはいっても普段から整頓された部屋は特に汚れたところもなく、せいぜい要らなくなったプリントを捨てる程度の地味な作業だ。「天峰くんって好きな人っているの?」合間に聞いた私はほんの雑談のつもりだった。「いるよ」返ってきた答に、しまうはずだった画鋲ケースが手から離れた。
「うわっ、ごめん」
「何やってるんだよ。もう……」
がしゃん、と酷い音を立てて床に散らばった画鋲が白熱灯に晒されて金色にぎらつく。彼は口を尖らせながらも屈んで拾うのを手伝ってくれた。
「それで………いるの?」
「……、まあ。そんなにおかしいこと?」
「いやいや!そんなことは、ないと思うけど」
元通り収まったケースに蓋をして必死に言葉を探した。えっと、どうしよう。でも……だって彼は生徒会長で。いや、それは理由にならない。頭で分かっていても、好奇心は逆らえず、恐る恐る尋ねる。
「ど、……どんな人?」
平静を装った顔の下でバクバクと心臓が脈打つ。部屋には二人しかいないのに思わず声を潜める自分に、彼は何を思ったのか事もなげに答えた。
「普通の人だけど」
「フツウ?えっと、普通って」
ますます混乱した。つまり、それは、一般人ということ?聞きたいことは山ほどあった。同級生か、年上か、年下…は線が薄いかもしれないけど、それもでやっぱり天峰くんは。でもいざ口に出そうとすると、心臓が早鐘を打ったように暴れ出して、立ち竦む。自分が何に怯えてるのかも知らずに。
「年上」
「としうえ」
馬鹿みたいに反駁した頭がいよいよ危険信号を発し始める。といっても、片想いかもしれないけど。目は少し泳いでいたけど、口調は確かだ。
「好きかわからないってこと?」
「気になるというか、俺の勘違いかもしれないってだけ」
「両想い?」
「そんなものじゃないけど」
「そっか、そうだよね」
相づちを打ちながらまだ怯えている自分は、今、何かとんでもない話をしているんじゃないか、自分から聞いたくせに漠然とした不安に襲われる。実際は天峰くんが誰かに恋しているだけなのに、それが誰のものでもないような、誰のものでもあるような気がして、私は誰かの視線を感じる。気付けば唇が震えていた。
「でもさ、それって…大丈夫、なの?」
「何が?」
彼の顔がこちらを向いた。夕日に燃える部屋でただ一人、彼だけが浮き立っている。辺りに満ちるセピア色を切り開き、青い切っ先が私の心臓に突き刺さる。でもそれはすぐに丸く押し広げられ、角が取られた。
「俺が生徒会長だから……何?」
たった今気がついたように、真っ直ぐだった声音が初めて揺れた。
そこに滲む困惑が、私の心臓をぐしゃりと握り潰した。