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    ・えっちじゃない!!(重要)
    ・読まなくてもいい気がするけど、読むと世界観がわかる
    ・ジャミカリ女体化、不妊ぽい表現等なんでも良い方向け

    稲妻と祝言(3)稲妻と祝言

     俺の【胤】解任が決まったのは、四年次に上がる直前の夏だった。

     カリム懐妊の吉報が聞けない原因を、アジームの幹部たちは俺に由来するものだと判断した。
     俺もカリムも、ずっと定期的な検査を受けさせられていて、双方に問題はないと診断を貰っていた。それでも健康な男女が子を成せないのは、相性の問題だと三年目にして方向転換が起きたのだ。

     子を成せない咎を一心に負うはめになった俺は、インターン先を土壇場で変更することとなった。もともとは「儀式」に支障のないよう、アジーム家の家業を学ぶ手筈になっていたのだ。しかし一気にお荷物と化した俺は、急遽アジーム関連企業の輝石の国支社に出向することとなった。

     かつては苦しいとか、早く解放されたいとか、そんな気持ちが確かにあったはずなのに、いざその時が来ると悔しさで心がぐちゃぐちゃになった。

     俺がカリムに唯一渡せた、カリムの心のよすがとなれたかもしれない俺の子供を、俺はあいつに残せなかった。カリムに何もしてやれなかった敗北感とお払い箱になった惨めさを押し殺しながら、俺は淡々と出国の準備を進めていた。


     出国は絹の街のほど近くにある、近代的なビル群の連なる新都市で行われることとなった。
     タックスヘイブンで企業誘致を進めた国際都市は、伝統的な暮らしを重んじる絹の街とは対照的な景観で、並みたつ高層ビルの一つが俺のインターン先のアジームのエネルギー関連企業だ。最上階に移動用の鏡を所有し、そこから全世界の支社に繋がっている。

     その日はよく晴れていて、乾いた砂粒がビルの高層階まで時おり舞い込んできた。

     カリムは珍しく俺を見送りたいと周囲に声高に主張して、これまた珍しいことにそのわがままに許可が下りた。
     ここで別れたら、もうこれまでのような距離で接することは二度とないだろう。この悲恋にきれいに幕を降ろすために、この見送りは必要な儀式なのだと皆、思っていたようだった。

     そんな別れの日でも相変わらずカリムは快活ににこにこ笑っていて、周囲にもよく気を配って、俺はあぁ、やっぱりこの女はよく分からないヤツだなと、すこしうんざりする気持ちすら抱いていた。
     完全にいつも通りのカリムだった。

     カリムは出国の前に、俺と「記念写真を撮りたい」と言い出した。

     このビルの屋上階はマジカメ映えスポットとして有名だ。近代的なビル群の向こうに、太陽に灼けた砂丘が広がっている。
     折りしも時刻は夕刻で、傾いた太陽が最期の光で空と街をグラデーションに染め抜いていた。そんな黄昏を目にして、この景色とともにツーショットを撮りたいとカリムは言い出したのだ。


     そんなカリムに誰もが油断していた。俺すら予測していなかった。
     俺たちはずっと大人に逆らうことなく従順に従ってきたし、そんな度胸があるだなんて誰も思いすらしなかったのだ。



     シャッターを押してもらうため、カリムは護衛にスマホを手渡した。思えば、この日の護衛の人数もいつもより少なめだった。

     護衛がスマホを構えいい位置を探す、その僅かな隙をついて、不意にカリムの体躯が俺にどす、と重くぶつかってきた。
     危ない、高層から落ちる。
     体幹を揺する想定外の衝撃に、慌ててカリムの身体を抱き込み体勢を立て直そうとする。

     カリムはなおも俺に抱き着きながら、ビルの外にぐいぐい引っ張り込むように重心を傾ける。もつれ込みながらついに、俺たちは中空に投げ出された。


     きりもみしながら落下する。

     体躯にかかる重力加速度、内臓が浮遊する不快感。髪の毛がばさばさと跳ねて視界を遮る恐怖。

     耳の後ろでどくどくと血の流れる音。心臓が痛いほど委縮する。

     判断力が戻る前に、咄嗟に風魔法を展開した。
     重力と逆向きに、ありったけの風を。

     マジフトをしているときの感覚を必死に呼び起こす。魔法石がないから、途端に全身を重い痺れが駆け巡る。それでも止められない。

     地面まで時間がない。


     カリムだけでも。


     腕の中のカリムを視認しようとしたとき、急に視界を赤黒い何かが遮った。
     重力に逆らう力で、俺たちの身体がぶわぁと何かに引っ張られる。

     カリムを抱き込み、バランスを取る。飛翔する浮遊感で脳が揺さぶられた。

    「絨毯!」

     俺たちの体躯は魔法の絨毯に包まれていた。落下する俺たちをキャッチしてくれたのだ。

     絨毯にしがみつきながら四方を確認する。助かった。ビルの屋上からアジームの魔法護衛が箒で飛び立つのが見える。


     ふと、腕の中のカリムがもぞ、と動いた。


     着ている白いワンピースがぱたぱたとはためき、長い髪が夕闇を泳ぐ。

     紅い瞳は魔法護衛を睨みつけている。カリムが唇で何かを小さく唱えると、いきなり護衛と俺たちとの間は怒涛のような滝でドッと遮断された。
     すごい水量だ。水煙で視界が遮られる。

     カリムは何を?水のユニーク魔法だとは知っていたが、この水を、カリムが?

    「カリム!?」

     水音に搔き消され、自分の声すら聞こえない。意に介さないカリムは、胸元から手早く手鏡を取り出した。俺の方すら振り向かない。
     一心不乱にその鏡を手にすると、急くようにカリムはそれを叩き割った。


     ばき、と表面にひびが入る。と同時に、鏡から黄緑の強い閃光があたりを照らした。強い魔力が込められている。空間が捻じ曲げられ、閃光の中にいる俺たちが吞まれてゆく。

     何かの魔法具。恐らく空間移動をするもの。

     どこかに繋がる、どこに?

     カリムを護る腕に力を込める。衝撃に備えて息を詰める。
     カリムに怪我をさせない。俺が護らなくてはならない。




     網膜を焼くような閃光が瞼の裏でふ、と弱まると、急激に体躯が投げ出され全身を強かに打ち付けた。カリムを抱きながら地面を転がる。

     衝撃の一拍のちに周囲を見渡すと、急な移動で俺たちを落としてしまった絨毯がおろおろと困惑していた。


     ここはどこだろう。上体を起こし、年季を感じる石畳の上で状況を確認する。
     どこかの古城の中庭のような場所だ。石を詰み固めた城壁は古めかしく、蔦を這わせている。

    「う…。」

     カリムの呻き声にすぐさま振り向き、息を吞んだ。

    「カリム!」
     ほっそりした腕が裂け、鮮血が一筋流れている。傷ひとつなく育てられたカリムの身体に、大きな裂傷。
     想像だにしない光景に動揺する。
     急いで止血を、ほかの怪我はないだろうか。制服のポケットからハンカチを探りながら、焦燥で回る目をこらしてカリムの身体を目視で確認していたその時。



    「おぉ~、やっと来たな」



     背後から突然ヌッと人影が現れた。

     唐突な気配にドッと心臓が跳ねる。咄嗟にカリムを庇いつつ警戒の姿勢を取った次の瞬間、俺はその人物が見知った者であることに気が付いた。

    「!…リリア先輩…?」
    「久しぶりじゃな、ジャミル。わしらの卒業式以来か?」

     ラズベリー色の瞳を三日月型に細め、きわめて快活にリリア・ヴァンルージュは笑った。
     リリア先輩は、俺の通っていたナイトレイブン・カレッジの一つ上の先輩だ。所属寮こそ異なるものの、副寮長を務めあげた人物で、スカラビアで寮長を務めていた俺とも在学中はなにかと連携をとる機会も多かった。

    「ありゃ~、カリム。ざっくり怪我したのう~。手当てをしてやるから、ふたりとも来るが良い」

     痛々しい表情でカリムの怪我を確認したリリア先輩は、肩で俺たちについてくるよう促した。ハンカチで傷口を抑えながら、慌ててその後についてゆく。

     木製の扉から城内に誘われる。薄暗い廊下は古めかしくも重厚感があり、この建物の歴史と威厳を否応に感じさせられた。

    「ここはマレウスの居城なんじゃ。あとで呼ぶから、マレウスとも会うがよい。二人が茨の国に来てくれたことをきっと喜ぶぞ~」
    「…あの、なんで俺たちは茨の国に?カリムとは面識が?」
    「鏡を使ったじゃろ?あれはわしが渡したものだ。茨の国に転送されるよう呪印を施してあった」

     燭台がゆらゆらと照らす扉に手をかけ、リリア先輩は一度俺たちを振り返る。

    「…お主らのことはよく知っておるぞ。お主ら自身よりも、きっと」

     に、と笑いかけると扉を開け、俺たちを応接間に招き入れる。

     使い込まれてはいるが清潔に保たれたベルベット貼りのソファやテーブル。マホガニーの家具は艶やかな飴色をしている。促されて座ると、リリア先輩はサイドボードから薬箱を取り出し、俺たちの前に置いてくれた。
     ソファの横では絨毯が安心したのか、丸まって動くのをやめた。

    「あの鏡はいつ…」
    「二年前のアリアーブ・ナーリヤで貰ったんだ」

     俺に包帯を巻かれながらカリムがぽつりと答えた。

    「うちの天幕に、マレウスとリリアが来たんだ。ジャミルも呼ぼうと思ったんだけど、ちょうどいない時で。いろいろ話し込んだ後、ピンチのときに使うがよい、って言われて渡されたんだ」

     答えながら、カリムも自らの身に起こっている事について戸惑っている様子だった。

    「リリア。再会がこんな、突然押し掛けるような形になってしまってすまない。あの鏡を使うとこうなるとは思ってもみなくて…」
    「構わんぞ。見たところ、何者かから逃げていたんじゃろ?茨の国は二人を歓待いたす!どうかゆるりと過ごすがよい」

     快活に笑い、リリア先輩は答えた。

    「訳アリならいつまででもいてくれて構わない。可愛い後輩たちのためじゃ、わしらにできることがあるなら頼ってくれ!…ただ、わしらからも、お主らに『お願い』がある、」

     いつになく真剣な様子で、リリア先輩が俺たちに向き直る。応接間の壮麗な調度品と相まって、自然と背筋が伸びた。
     お願いとはなんだろう。俺はともかく、アジームの嫡子として育てられたカリムは魔法の専門教育を受けた経験もなく、家事などの一般的な雑務もまともにこなせない。


     その時、不意に扉が開いた。

     かつてのディアソムニア寮長マレウス・ドラコニアは入室するなり、俺とカリムの顔を交互に見遣り、口元だけで優美に微笑んだ。

    「ほう、やっと来たのか」
    「マレウス先輩。突然押し掛けてしまい、申し訳ございません」
    「構わない。君たちがここに来たということは、僕たちが予測していたように事態が動いたというだけのことだ」

     マレウス先輩は優雅に椅子に腰かけると、立ち上がった俺たちにも直るように勧めた。久しぶりに見る美丈夫は相変わらずの迫力で、内心冷や汗をかかずにはいられない。

    「もっと早くに来ても良かったくらいだが…、“また”君たちは、縺れてしまったのだな」

     そうぼやきながら、マレウス先輩は俺とカリムの頭上のあたりを交互にじろじろ眺める。そうして不意にその手をカリムの旋毛のあたりに伸ばした。

    「失礼」

     髪を摘まむような仕草を保ったまま、その手指を俺の頭上まで引き流す。不思議な所作だった。ほんとうに君たちは捻転しやすい、不機嫌そうに小さく呟いたその言葉の意味を、ひそかに動揺していた俺はいまいち理解できなかった。

    「それで、結婚の話は聞いたのか?」
    「結婚…?」

     落とされた言葉に思わず唖然とする。結婚、何の話だ?

    「なんだリリア、まだ話していなかったのか」
    「話そうと思っていたところにお主が来たんじゃ」

     くすくす笑いながらリリア先輩が応じた。どきりと心臓が跳ねる。それでは、先程のリリア先輩の言っていた、『お願い』とは。


    「アジーム、バイパー。僕たちは、君たち二人に結婚してもらいたいと思っている」


     カリムと俺の眼を順に見据え、マレウス先輩はしっかりとした口調で告げた。いきなりの、予想もしていなかった要望に頭が上手く働かない。

    「えっ…、結婚?待ってください、マレウス先輩。俺たちはただ、母国に連絡させてほしいだけで…」

     そうだ、電話でも貸してほしい。できれば一晩の宿や帰国のための最小限のあれこれを貸して頂けるのなら、必ず心から礼を尽くしたお返しをする。そんなささやかな温情をお願いしたいだけなのに、二人から提示された条件があまりにも突飛で、重すぎて取り乱す。

     目を白黒させる俺を眇めてマレウス先輩が問いかけた。

    「熱砂に帰りたいのか?」
    「私は帰らない。」

     横からきっぱりとした口調でカリムが割り込む。

    「私は二度と帰らないつもりだった。ジャミルが帰りたいのなら、そうさせてあげてほしい。ジャミルは私に巻き込まれただけなんだ」

     マレウス先輩に懇願するカリムの横顔をただ見つめる。脳が膨大な情報を急速に処理しきれずにいた。

     帰らない?確かに水魔法を打った時点で、戻ってもカリムは無事ではいられないだろう。そもそも、なぜこんなことを?帰らないならどうするつもりだった?なぜ結婚してほしいと言われているのだろう。どこまでが人為的なのだ。


    「アジームだけ置いて帰国するなんて、バイパーにできるはずがないだろう」

     すこし嘲るような口調でマレウス先輩が言い切る。

    「結婚は?アジームは結婚が嫌ではないのだな?」

     その問いにカリムは思わず言葉を詰まらせた。ぎくりとした表情で、頬を赤く染めて。

     いけない。カリムにとってマレウス先輩の提案は渡りに船、勿怪の幸いだ。
     あまりにカリムに都合のいい提案すぎて、俺以外の全員がグルになってる可能性すら感じる。沸々とした怒りが静かに湧いてきた。

     アジームの幹部も、マレウス先輩たちも身勝手すぎる。俺もカリムも、誰かに指図を受ける謂れはない。


    「先輩。そもそも、なぜ俺たちの結婚を望むんですか?カリムはアジーム家の嫡子ですし、俺もこんな口出しを受けるのははっきり言って不快です。この荒唐無稽な提案の訳をお聞かせ願えますか」

    「ふむ…」

     苛立ちのこもった俺の問いに、マレウス先輩は静謐な眼差しで暫し考えを巡らせ、徐に口を開いた。



    「君たちに子供を産んでほしいと思っている。できるだけ、沢山」



    「は…?」
     俺たちの来歴を知らないのだろうか。渡される言葉にひとり小さく傷つく。

    「どう伝えていいのか…。ここ数年以内に、僕たちはヒトの子を拾う。銀髪の、恐らく女児を」


     言葉を探りながら、マレウス先輩は淡々と続けた。

    「僕たちにとってとても重要な人物だ。壮健に育つよう、出来れば≪本来の環境≫に近い状態で育てたいと、僕たちは思っている」


     マレウス先輩はカリムの顔を見るとふ、と小さく笑みを浮かべ、その次に俺の顔に優しげな遠い目を向けた。

    「アジームとバイパーの子供には、彼女の友達になってほしい。君たちの子供なら魂の統脈から見ても最適格だ」
    「ちょっと待ってください、」

     突飛な未来の話に眉をしかめる。

    「俺が母国でカリムの【胤】を務めていたことを御存知ですか。三年間、俺たちは子作りをして成果を出せませんでした。俺たちではとても、マレウス先輩のご要望に応えられないかと思います」

    「【胤】か。そんなもので子を授かれるわけがないだろう。君たちの絆はもっと深く、長く、絡まり合っていてとても一筋縄ではいかない」

     まっすぐに俺に向き合うと、マレウス先輩はきっぱりと言い切った。

    「あんなもの、魂の冒涜だ」
    「随分と非科学的ですね」

     何も知らないくせに、言いたい放題な態度が癪に障る。

    「マレウス先輩の提案も俺たちへの冒涜ですよ」

     噛みつく俺をマレウス先輩は鼻で笑い、憐れみのこもった口調で告げた。

    「人間とは本当に不憫なものだな。真っ直ぐに観れば分かるようなことでも、なんだかんだと屁理屈を付けて縺れさせてしまう。君たちの場合、あるべきモノをあるべき場所に戻すだけで、自ずと結果は付いてくる。我々妖精にはあるべき姿が見えているが、バイパーだって見えずとも、本当は気付いているのだろう?」

     いわれのない侮蔑に眉を顰める。
     在学中もつかみどころがない人だったが、今回ははっきりと害悪だ。急に押し掛けた俺がそう思うべきではないのかもしれないが、もっと建設的な対話はできないのか。暴言を出しかねない心情に、思わず俺は押し黙った。

     そんな俺を見たマレウス先輩は、さらに言葉を重ねる。


    「バイパーは結婚に乗り気でないと見える。一時間だけ、時間をやろう。断っておくが、熟慮のための時間ではないぞ。一時間で、肚を括るがいい」


     そう告げると立ち上がり、俺たちを見下ろした。

    「…本当は何が大事か、気付いているのだろう?どうか、取り違えるような愚かな判断は慎んでくれ」

     そのまま背を向け、扉の閉まる無機質な音が部屋に響いた。
     あんまりな態度にはらわたが煮えくり返る。どうしてこんなことを言われているんだろう。ふつふつと怒りに思考を囚われていると、


    「わしはお主らの事を、心から可愛い後輩だと思っておるよ」


     残ったリリア先輩の静謐な声がぽつりと届いた。

    「しかし、これから拾う子供はわしらにとっていっとう特別なんじゃ。こんな風に、二年前から迎え入れるための準備をするくらいに、な」

     リリア先輩は赤紫の瞳をまっすぐ向けて、淡々と告げた。

    「このわしらの提案が双方に幸せをもたらすものであってほしいと思っている。吞んでくれるのなら、茨の国に住むための居城や俸禄を約束しよう。ジャミルならとてもよく理解してくれると思うが…、わしらがここまで手を掛けて事に及んでいる以上、すんなり断れるとは思わない方がいい」

     そうして扉を開き、部屋を出る前に静かに伝えた。



    「いい回答を期待しているぞ」




    ***

     脅された。ナイトレイブン・カレッジの卒業生なんて当てにするべきではなかったのだ。
     よく分からないうちに突き落とされて、混乱のままにこの国に転送されて、謂れのない脅しを受けている俺のことを誰か慮ってほしい。少なくとも、ナイトレイブン・カレッジの人間が頼りにならないことだけは自明の理だ。二人の消えた扉を恨めしくねめつける。



    「…ジャミル。巻き込んでしまって、ごめん」

     カリムのか細い声が、静まりかえった部屋に響いた。

    「赤ちゃんができないこと、ジャミルだけのせいにされたのが絶対に許せなかったんだ。みんなに必死に訴えたのに、誰も私の話を聞いてくれなかった。」

    「そんなことで、こんな大掛かりなことを…?」

     それだけの理由でアジームに牙を向けたのか。アジームから足抜けなんて世界中を敵に回すのにも等しいというのに、あまりにも無謀だ。

    「ジャミルを【胤】に選んだのは私だ。ジャミルが世界で活躍したいって、ナイトレイブン・カレッジで学びたいってちゃんと知ってたのに、私のわがままでジャミルのことを三年間縛ってた」

     足の上でぎゅう、と握りこんだ手がかすかに震えている。うつむく顔からぽた、と涙がこぼれた。

    「ジャミルが失脚したのは私のせいだ。私が、ジャミルの未来を閉ざした」


     そんなことを考えていたのか。意外ときちんと考えていたんだな、とどこか冷静に関心すら起こる。

     【胤】に決まってから、いや、その少し前から俺たちはこういう風に言葉を交わすことすらなかったなと改めて思い至った。
     馬鹿みたいだ。
     子供を作るような行いはずっとさせられてきたくせに、カリムがどんな考えをする人間に成長したのか、ずっと知らずに生きてきた。なんてアンバランスなんだろう。


    「べつにカリムのせいだなんて思ってないさ。【胤】で付いていた色眼鏡のない、もとのジャミル・バイパーに戻っただけだろう。カリムの気にするようなことじゃない」

     そう言いながら、不妊の烙印を押された俺は熱砂の国内で貰い手がいないだろうな、と今さらに気が付いた。
     国外なら結婚できるかもしれない。けれども、俺はそうまでして結婚をしないだろう。

     なぜか。


     その思考が形を結ぶ前に、カリムが涙まじりに言葉を続けた。

    「鏡が茨の国に繋がることも、結婚のことも、本当に知らなかったんだ。…ジャミルの先輩なら無体は働かないだろうって、勝手に思ってた。本当にごめんなさい。全部、私のせいだ」

     下唇を噛んで言葉をいったん切ると、紅い瞳がつよい光で俺をまっすぐ射る。

    「マレウスには私からもきちんと断るよ。そのうえで、ジャミルだけでも国外にだしてもらえないか談判してみる。ジャミルには好きなことを自由にやって生きてほしいんだ。家族に宛てて、これが私の企てだって分かるよう、手紙も残してきてる。絨毯も使ったから信憑性はあると思う。帰国したとしても、ジャミルもバイパー家も、きっと咎は受けない」

    「…俺が帰国したとして、そのあとお前はどうするつもりだったんだ」

     ぶっきらぼうな声音で響いた問いに、ふつふつと遅れて怒りがわいている自分に気付く。
     さっきから俺のことばかり話すけれど、カリムにとっては亡命と大差ない。こんな着の身着のままで、向こう見ずな計画で、この女は一人で生きていけると思っていたのだろうか。

     俺の問いにカリムはポカンと呆けた顔をしていた。

    「どう…。どうするつもりもなかったけど…」

     一拍おいて、精気の宿る眼がはっきりと俺を見据えた。

    「でも、ジャミルを踏みつけたまま、自分だけのうのうと生きていくことはとても出来なかったんだ。そんな人生、とてもじゃないけど耐えられない。私がアジームであることでみんなの幸せを守れるのなら、どんな苦痛だって甘んじて受け入れられると思っていたよ。けど、私がジャミルの足枷になることだけは、どうしても許せなかったんだ」


     濡れた瞳が愛おしいものを見る柔らかさで俺を捉える。ずっと俺を映し続けてきた、紅い鏡面。
     優しい、悲しい眉根はきゅう、と下がり、なにかを諦めてカリムはふわりと微笑んだ。



    「それが、私のジャミルへの愛し方だったよ」



     思わず瞑目して、下を向く。

     そう、知っている。


     俺を【胤】に選んだのだって、俺の経歴に箔を付けてくれようとしたんだろう事とか。この馬鹿げた行いが純粋に俺だけのために行われたのだろうこととか。


     カリムは熱砂の国もアジーム家も愛していた。己の宿命も俺たちが結ばれないことも、淡々と受け止めていた。

     受け止めたうえで、結実しない俺たちが、より良いものであるよう、カリムはいつも心を尽くしてくれていた。



     その祈りの優しさだけが、あの国で俺を慰撫するものだった。



    「カリム」


     自由を得たとして、あの国にもこの国にも、俺のやりたいことなんてない。俺は何をしたかったのだろう?何が俺を満たしてくれるのだろう?


    「結婚しようか」


     たぶんこういう大人になりたいとか、こんな仕事がしたいとか、そういう青写真はいつだって持っていた。
     自分がなり得るものだけ描いた、本当の気持ちを押し殺したやつを。


    「マレウス先輩の要望を飲もう。一人で茨の国に住むなんてできないだろう?」


     今晩を過ごすためにしょうがなかったとか、カリムを置いてでも帰国したいものが何もないだとか、妖精王に脅されてしょうがなかったとか、結婚するための理由はいくらでもあって。

     そのどれを思い浮かべても、川を流れる落ち葉のような、頼りない自分たちのことを想起せずにはいられない。
     【胤】になったこと、ここで婚姻すること、そのすべてが誰かの作為そのもので、翻弄される心もとない気持ちをずっと俺は何とかしたいと思ってきた。

     結婚したからといって、その気持ちが解消されるわけではない。

     それでも、離ればなれにならずにここまで辿り着いたことは、間違えようもなく僥倖だった。


     俺を生かし続けてくれたあの優しさを、すべて俺のものにすることができる。それは俺の人生にあり得なかった幸せだった。

     大きな瞳を思いっきり見開いたカリムが、泣きながら破顔して俺の胸に飛び込んでくる。
     それを確かに抱きとめながら、俺は口慣れない幸せの味を確かにかみしめていた。



    ***

    「ようやっと決断してくれたか!いい判断じゃ~!」

     一時間後、謁見の間に通された俺たちが条件を呑む旨を伝えると、リリア先輩は満面の笑顔で喜んだ。

    「二人とも、おめでとう。僕からも最大限の祝福をさずけよう」
     先ほどはすこし無理強いさせてしまったからな、と続けるマレウス先輩も剣呑さはすっかりそがれて、嬉しそうな雰囲気だ。

    「さっそく祝言じゃ!!」

     そう言いだすリリア先輩に最初は冗談かと思った。が、話していくうちにどうやらこの妖精たちはそれが当たり前だと思っていることに気付いてしまい、ひどく狼狽した。

     時刻はとっくに夜。着の身着のままで訪れた俺たちに当然何の準備も心構えもない。しかし二人から、結婚していない男女が同じ屋敷で一晩を過ごすことを認めないと、思いがけず厳しい口ぶりできっぱり言い切られてしまい、そのまま俺たちのこの場での挙式が決まってしまった。


    「この魔法、使ってみたかったんじゃ~♪」

     やたらウッキウキなリリア先輩は得意げにマジカルペンを取り出すと、古の変身魔法を詠唱する。高く掲げられたペン先からきらきらとした光が俺たちに向かって伸び、やがて俺たちはそれぞれの婚礼衣装に着替えていた。


     黒い燕尾服に白のベスト、白のタイを着込んだ身体を思わず見下ろす。誂えたようにぴったりと身体を包み込んでいる。深紅の花を束ねたブートニアだけが、やけに鮮やかで面映ゆい。

     そうして、カリムを見遣った瞬間、俺はその清廉さに思わず息を吞んだ。


     首元まで覆った白のレースはカリムの高潔さそのもので、普段は印象的な胸部から腰にかけてのラインは、かえって妖精のような作り物めいた美を植え付けた。
     たっぷりと布を使って優雅に広がるスカートや頭から垂れるトレーンには絹糸でアラベスクが縫い込まれており、カリムの容貌をより一層絢爛なものに引き立てている。


     この世に二つとない、尊い、カリムという人間そのものを、これから俺が貰う。

     その壮大さ、重大さに、何も言葉が出てこない。自然と頭が下がるような心地さえ覚えた。

    「似合うかな?」

     はにかむように笑う口元から、石榴みたいな白い歯がのぞく。

    「…きれいだよ、すごく」

     今までカリムから貰ってきたものを、これからは返していけるのかもしれない。そうさせてほしい。カリムを見ていると、そういう希望が湧いてくる。


    「指輪はこれを使ってほしい。僕からの贈り物だ」

     光沢のあるリングピローをマレウス先輩が差し出してきた。その上には、きらめく金の指輪が一対、鎮座している。

    「魔力によって意匠を変えられる呪具になっている。夫婦の安寧を願うまじないをかけた。石は後日、発掘場所を教えよう。なんなら、僕も同行する」

     楽しそうに説明をくれるマレウス先輩から、一つずつ互いの指輪を受け取る。そうして俺たちは向かい合って立つよう言い渡された。



     薄暗くがらんとした大広間。
     並ぶ窓には古びた繊細なガラスがずらりと嵌め込まれている。外では鮮緑の稲妻が鳴り響き、天井を大きく占めるシャンデリアに、閃光が時おり反射して、室内をまばらに照らした。


    「この挙式は君たちの神の様式とは異なるかもしれない。しかし、この国の国主たる僕の名に於いて、君たちを夫婦たらしめんとこの挙式を執り行う。父と子に次ぐ、妖精王への宣誓とその祝福だ。効果は期待してくれて構わない」



     妖しく笑った妖精王は俺の瞳をまっすぐに覗きこんだ。

    「ジャミル・バイパー。カリム・アジームを妻に迎えることを誓うか」
    「誓います」

    「カリム・アジーム。ジャミル・バイパーを夫とすることを誓うか」
    「誓います」

     そうして、妖精王は優雅に手のひらで俺たちの持つ指輪を示すと、命じた。


    「それでは、指輪の交換と、誓いのキスを」
    「!…キス…、」


     ここで、先輩たちの見ている前で、キスを。
     考えれば分かることなのに、言われて初めてそのことに思い至って、思わず固まってしまう。

     俺たちはキスをすることを許されてこなかったし、それがとても特別な行為だという感覚を持っている。
     カリムの唇に触れることは、俺の人生の中で決してあってはならない事だった。

     それをここで、しろと。

     どぎまぎしながらカリムをちらりと見遣ると、カリムもまた驚いて動揺している様子だった。

    「なんだ、口づけに躊躇っているのか」

     マレウス先輩は尻込みする俺たちのようすに目をぱちくりさせ、ふ、と愛でるような口元で微笑んだ。

    「夫婦が愛を伝え合うことはひとつも悪いことではない。君たちが変わるために、あの国で積めなかったものをこれからここで沢山積むがいい。」

     そう、変わりたい。もう誰にも遠慮しない、なりたかった俺たちに。
     それは、きっと俺の願いを後押ししてくれる言葉だった。


     武者震いする指でカリムの指に金環を通す。カリムも俺の指に指輪を嵌め込んだ。

     そうして、垂れたベールをゆっくりと持ち上げると、カリムのその容貌がはっきりとした輪郭をもって露わになった。

     何も隔たれることなく交じり合う目線。

     す、とカリムの瞼が下り、長く重い睫が羽ばたくように頬に影を落とした。

     待ちわびるような、不安の滲むような唇。ツン、とすこし上向きの、形のよいやわらかそうな唇。俺が触れてもいい、唇。


     誓いをもってそこに唇を寄せる。


     カリムの幸福のために全霊を懸ける誓いを。

     官能的なやわらかさで互いの唇が触れ合う。脳内が痺れる。その感触に、喉元を甘く清涼な感情が流れていくような錯覚を覚えた。

     幸福が心臓からせり上がってきた。

     唇を離し、カリムと目を見合わせる。


     その時の光景を俺は、生涯忘れることはないだろう。


     幸福に泣いてしまいそうな貌をした、照れるような頽れるようなふにゃりとしたカリムが、緑の稲妻に照らされて俺を見つめる、その表情を。
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