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    月下麗人


    お花の妖精サンダルフォンと妖精の王ル様なルシサン。

    ルシフェルという名の精霊がいる。
    高位の精霊である彼は、花や草に宿る小さな精霊たちーー妖精とも呼ばれる儚い存在を、守護し育むものだった。
    光を司る彼は、それらあらゆる妖精たちから「光の王」と敬われ讃えられていた。朝露に映える陽の光のように煌めく髪と、果てなく澄んだ蒼い瞳。すらりとした長身の美しい青年の姿をしている。
    王には、ただひとりの想い人がいた。やわらかく渦を巻く茶色い髪に、甘く熟れた木の実のように艶やかな赤い瞳、白くなめらかな肌。いまだ幼さを濃く残した肢体がしなやかに瑞々しい、花の妖精。光の王ルシフェルがいつでも丁寧に大切に音にするその少年の名前は、サンダルフォンと言った。

    天辺が見えないほど高く大きく伸びた、この世界で最も長命な樹を住処にして、ふたりはいつも傍にあって日々を過ごしている。
    柔らかに萌える草を褥にして夜を過ごした王は、腕の中に横たわる少年のこめかみに唇を落として名前を呼んだ。ふわふわの癖毛に覆われた少年の頭が胸元に擦り寄ってこようとするのを、優しく窘める。
    「ほら、サンダルフォン。そろそろ起きて支度をしなければ。ガブリエルたちが来てしまうよ」
    渋々といった具合に身体を起こした少年の、今度は額に口付ける。赤い大きな瞳が擽ったそうに細められた。
    「おはよう、私の愛しい花の君」
    蒼い瞳をやわらかく蕩かして告げる。
    それこそ愛らしい花が咲き零れるような顔で笑ったサンダルフォンが、細い腕を伸ばしてルシフェルを引き寄せ、その頬に唇を押し当てた。ふわりと柔らかく小さなそれに、ルシフェルは顔をずらして自らの唇を合わせる。小さく可愛らしい音を立てて軽く吸ってから、ほっそりとした少年の身体を腕に抱えて立ち上がった。
    「今のうちに水を浴びに行こうか」
    「ーー、」
    サンダルフォンは唇だけでルシフェルの名前を呼ぶ。ルシフェルは小さく頷くことでそれに答えた。
    開花期にない花の妖精たちは、言葉を発することができない。音を紡げないのだ。開花への準備を整えるため、できるだけ力の浪費を抑えるために、肉体も子供の姿のまま成長をしない。一年の大半を固く蕾んだ身体の内側にたくさんの力を溜めて過ごし、盛りである開花期に精一杯の大きく美しい花を咲き誇らせる。そうして花が開いている間だけは、肉体も本来の姿を取り戻して相応の年齢へと成長する。思うまま言葉を語り、歌を紡ぎ、大切なひとに愛を囁きーー花が枯れれば、また小さな子供の姿に。
    そうした日々を繰り返して生きている彼らが咲かせる花で、この世界は常に鮮やかに優しい色彩で満ち満ちている。
    変わらぬ姿で変わらぬ日々を永遠に繰り返す、高位の精霊であるルシフェルとは違う。儚く未熟な存在ゆえの忙しなく不安定な生だ。けれどそれが、ルシフェルにはどこか眩くも見えていた。
    「このままでも構わないだろう? 私がこうしたいのだ、付き合ってくれるね」
    おそらくサンダルフォンは自分で歩くから、と言っているのだ。幼さの残る姿をしていても、実際には彼はもう小さな子供ではない。本当に幼かった昔のように、ルシフェルが抱いて運んでやる必要はどこにもなかった。わかっていてあえてサンダルフォンが訴える気恥ずかしさを無視すると、ルシフェルは言っている。
    仕方なさそうに眉を歪めて、サンダルフォンは苦笑した。それから慣れた仕草でルシフェルの背中に腕を回す。おまけのように肩に凭れてきた頭に満足気に微笑んでから、ルシフェルはサンダルフォンの背と膝裏を掬うように回した腕を一度揺すり上げ、その身体をしっかりと抱え直した。ルシフェルの肩にも届かない背丈しかない身体は軽く、長く逞しい腕の中にすっぽりと収まってしまう。
    ゆるりと渦を巻くサンダルフォンの前髪に絡んだ草の葉を唇で食んで除いてやると、茶色いそれからふわりと甘い香りが漂ってルシフェルの鼻を擽った。
    「…香りが強くなってきているね」
    そろそろサンダルフォンの開花期に差し掛かる。この分だともしかしたら今夜にも、彼は花を開くのかもしれない。
    蒼い瞳を細めて見下ろす王の腕の中で、少年は薄く微笑んだ。



    ふたりの住処に程近い場所に、小さな湖がある。そこには水の精霊が棲んでいて、今朝はその気配が一段と濃かった。
    明確な形を成すほどの力はないそれらは、サンダルフォンのことがいたくお気に入りで、純白のローブを腰紐で結わえたまま滑るように水の中に入っていく彼に、いつも我先にと群がってくる。風もないのに水面が揺れて漣立つのも、魚がいるでもないのに音を立てて湖水が跳ねるのも、それらがサンダルフォンの肌や髪をいたずらに濡らすのも、すべて彼女たちの戯れだ。
    髪から滴る雫を少しばかり煩わしそうにして、けれどサンダルフォンはそれらを追い払おうとはしない。小さな唇を山なりに歪めながらもそれなりに楽しんでもいるのだろうと、ルシフェルは思っている。けれど。
    ぽたぽたと絶え間なく雫を落とすほど濡らされて、色味を濃くしている茶色い髪を見て、ルシフェルは小さく苦笑した。サンダルフォンの後を追うように、自らもまた衣のまま湖内に足を進める。
    ルシフェルの纏うそれも真白いものだが、腰から下の裾にかけてが、まるで明けの空のような淡く複雑な色彩を滲ませていた。裾を引くほどに長いそれが、ルシフェルが歩を進めるたびに水中で優雅に翻る。
    水音で気付いたサンダルフォンが振り返って苦笑を浮かべた。執拗に戯れつかれて、やはり少しばかり手を焼いていたらしい。
    なだらかに丸い頬に跳ねている水を、ルシフェルは手を伸ばして軽く拭ってやった。ルシフェルには腰ほどの深さしかない湖だが、サンダルフォンは胸元まで浸かっている。長く豊かな衣の裾が水中で膨らんで、まるで彼自身が円錐状に開く白い花の花芯にでもなったようだった。
    「今日は随分と彼女たちの機嫌が良いようだね。ガブリエルが来るのが分かるのだろうな」
    ルシフェルが光を司る高位精霊であるのと同じように、ガブリエルは水を司る高位の精霊だった。彼女の気配が近付いていることで、湖の精霊たちは喜びはしゃいでいるのだろう。
    濡れて張り付いている前髪を掻き上げてやって、そのまま形良く丸い後頭部を手のひらに抱いて口付ける。唇を濡らしている水を吸い上げてやるためのそれを、必要なくなってからもルシフェルは幾度も繰り返した。小鳥が熟れた果実を啄むのに似た熱心さで唇の表面を何度も軽く吸うと、サンダルフォンは途中から音にはならない声を上げて笑い出してしまった。背伸びをした身体が首筋に縋ろうとするのを、背を屈めて受け入れる。サンダルフォンから重ねられる唇はひどく甘くて、花に舞う蝶を誘う蜜のようにルシフェルを惹きつけてやまない。
    気持ちの高揚が影響したのか、サンダルフォンの身体から漂う芳香がぐっと深みを帯びた。うっとりと瞳を眇めたルシフェルは、そのやわらかな頬を両手でそっと捧げ持つようにして捕まえる。最後に一度だけ強く唇を合わせてから、サンダルフォンの手を取った。
    「そろそろ戻ろうか。すまないが、サンダルフォンを離してもらえるだろうか」
    後半は、サンダルフォンに纏わりついている姿なき精霊たちへの言葉だった。小さく儚いそれらが、引き留めるように腕や足に戯れているのが、ルシフェルには視覚によらず視えている。
    王の穏やかな要求に応えて、それらはすんなりと手を退いた。サンダルフォンがふうと小さく安堵の息を吐く。と、ふいに水面から噴き上がった水が、ゆらゆらと揺れながらひとつの塊になって立ち上がった。音もなく蠢いていたそれはやがてサンダルフォンの目の前で、波打つ長髪の美しい女性の姿を成した。
    水の精霊はみな麗しい乙女の姿をしている。個々では形を成すことのできない彼女たちも、より集まることでほんの一時それが可能になる。そうして形を取った水の乙女は甘やかな微笑みを浮かべて、美しい王の首筋にほっそりとした両腕を巻き付けた。そのままあろうことか、その唇に顔を寄せようとする。
    「ーーっ!」
    動いたのはサンダルフォンだった。大きく足を踏み出すと、しっかりと逞しい腕を両腕に抱えるようにしてルシフェルを引き寄せようとする。が、小さな身体では長身の彼を揺らがせることもできず、結果的に自分がその腕に引かれて、広い胸板にぶつかるようにして抱き込まれることになってしまった。ばしゃん、と派手な水音と飛沫が上がる。
    ルシフェルを見上げたサンダルフォンが慌てて身体を離す。申し訳なさそうに唇を開いては閉じるのに、ルシフェルは頬を綻ばせた。
    「大丈夫かい?」
    妬いてくれたのだろうかと小さく笑いながら問うルシフェルに、サンダルフォンはむうと眉根を寄せる。
    女性の姿を取っていた精霊たちは再び湖水に還って、その透明な水面に幾重にも漣を立たせていた。姿なき少女たちのさざめく笑声が聞こえてきそうな光景だった。
    精霊というのは一帯に悪戯好きなもので、彼女たちもその例に漏れない。ほんの悪戯心から、お気に入りの少年と大好きな王の睦まじい様子を真似てみた、というところなのだろう。悪意がないことは確かなのだが。
    微かに赤くなっている頬と固く引き結ばれたままのサンダルフォンの唇を見るに、どうやら少しばかり機嫌を損ねてしまったようだと、ルシフェルは小さく首を傾けて苦笑った。



    太陽が中天を過ぎた頃、ふたりのもとを訪れたガブリエルは、ひとりの少女を連れていた。けぶるような金色の髪に、青い大きな瞳。唇は桜の花弁のような淡く優しい色をしている。
    ガブリエルが特に目を掛けている少女で、彼女もまたサンダルフォンと同じ花の妖精のひとりだった。彼女が同伴すること自体はいつものことなのだが。
    「お久しぶりでございます。ルシフェル様、サンダルフォン様」
    そう言って微笑む少女を前に、サンダルフォンは大きく目を開いて瞬いた。ルシフェルは淡い笑みで答える。
    「ああ、君も開花期を迎えたのだな、エウロペ。おめでとう」
    「ありがとうございます、ルシフェル様」
    「うふふ。どう、綺麗に咲いたでしょう。びっくりした?」
    長い髪を揺らしてガブリエルがサンダルフォンの顔を覗き込む。悪戯の成果を確かめるように笑うその顔に、サンダルフォンの脳裏に湖の乙女たちの姿が過ぎった。なるほどやはり眷属だなと、妙に納得してしまう。
    その隣に立っているエウロペに改めて目を向けると、彼女はにこりと笑って愛らしく小首を傾げた。サンダルフォンよりもいくらか年下だったはずの彼女は、今はサンダルフォンよりも年上の可憐な乙女の姿に変わっている。生まれて初めての開花を遂げた彼女は、容姿に見合った透き通るような声で語った。
    「ようやく花を咲かせることが叶いました。こうしてご挨拶できて、私とても嬉しいです。お連れいただきありがとうございます、ガブリエル様」
    エウロペは睡蓮に宿る妖精だった。水面に寄り添うようにして咲く花そのままに、エウロペは彼女の肩を抱いているガブリエルに自然な仕草で身体を預けて微笑んでいる。
    ふっと目を細めて、サンダルフォンは唇を綻ばせた。幸福に輝かんばかりのエウロペの姿は、とても美しかった。ルシフェルの腕がさりげなくサンダルフォンの肩を抱いて引き寄せる。見上げれば、蒼い瞳がやわらかく笑んでいて。そこに籠められている彼の想いを、サンダルフォンは過たず知っていた。
    「ガブリエル。近くに湖があるのだが、そちらに顔を出してやってくれないだろうか。精霊たちが君を待ち侘びていた。案内をしよう」
    わかりました、と答えるガブリエルとルシフェルが並んで歩く少し後ろを、エウロペはついて歩く。その隣に並んで歩を進めながら、サンダルフォンはエウロペのお喋りの相手をしていた。種類は違えど同じ花の妖精同士だ、言葉は音にできなくても考えていることは僅かな手振りや仕草で伝わる。
    エウロペはおとなしく淑やかではあるが、他者との交流は好む性質だった。少女らしくあちこち気儘に飛んでいく話題に時折ほのかに苦笑しつつ付き合っていると、ふいにエウロペが小さく鼻を鳴らした。
    ふわりと吹き抜けた風に舞った匂いに、金色の睫毛に飾られた大きな瞳が細められる。
    「まあ、なんて優しい香りでしょう。これはサンダルフォン様の…? 開花の前に香る性質をお持ちなのですね」
    サンダルフォンは小さく頷いた。朝よりも匂いが強くなっている。エウロペの言う通り、開花が近い徴しだった。
    「お伺いしたことがありませんでしたけれど、サンダルフォン様はどんなお花なのでしょう? きっと光のお方とお似合いの、それは美しく凛々しいお姿におなりなのでしょうね。私も一度お目に掛かってみたく」
    「エウロペ」
    ふいに前を歩いていたガブリエルが振り返って、何とも言えない表情でエウロペの言葉を制する。はい、と不思議そうに首を傾げた少女に答えたのは、ルシフェルだった。
    「サンダルフォンの花は月下美人だ。夏の夜に咲く」
    「夜に…月見草や茉莉花と同じなのですね。ああ、睡蓮にも夜にだけ咲くものがーー」
    ふと、何かに気が付いたようにエウロペの言葉が途切れた。はっと息を飲み、青い瞳が戸惑った様子でガブリエルを見る。ガブリエルは微かに眉尻を下げて、無言で小さく頷いた。
    「では、おふたりは…?」
    開花を迎えて、成長した身体と言葉を得る歓びを知ったからこそなのだろう。悲壮な色さえ滲むエウロペの声に、サンダルフォンは小さく苦笑した。気にしなくていいーーそう伝えることさえできない身は、こんな時に酷くもどかしい。
    月下美人。
    夜に開くその花は年に一度、一晩のうちにほんの短い間だけ白く美しい花を咲かせる。甘く優しい濃厚な香りで夜を染め、そうして朝がくる前には萎れてしまうーーたった数時間の開花。
    そんな儚い盛りをただひとりのひとの傍らで迎えるためだけに、サンダルフォンは日々を生きている。
    「申し訳ありません。知らぬこととは言え、私は何と心ないことを……」
    「君が謝る必要などないよ。エウロペ」
    「ルシフェル様…」
    「そんな顔をする必要もだ」
    エウロペを見下ろすルシフェルは穏やかに微笑んでいた。明るい空の色を映した眼差しは、すぐ傍に佇む少年を見つめて愛おしげに細められる。
    「君の優しさに心からの感謝を。だが、案ずることなど何もないのだ。私たちはこうして片時も離れることなく傍にいて、心のまま自由に愛し合えている」
    ならばそれは幸福でしかないだろう。サンダルフォンはそう思っている。きっとルシフェルも。
    たとえルシフェルがサンダルフォンの花開くその瞬間を目にすることはーー彼だけは、決してないのだとしても。
    「悲しいことなど何もないのだから」



    光が意識を伏せるから夜になるのか、あるいは光が失せて夜がくるから眠るのか。
    いずれにせよルシフェルは、彼の司る光が失われる夜の間は、決して目覚めることのない眠りにつく。それがこの世界の理であるがゆえに。

    空が宵の気配に染まり、徐々に失われていく陽の光にとって代わるようにして夜の闇が迫ると、ルシフェルはサンダルフォンをその胸に抱いて柔らかな草の褥に身を横たえた。いよいよ濃く深くなった少年の香りに耽溺の表情を浮かべながら、愛しているよ、といつもの夜と同じ言葉を、変わらぬ微笑みと口付けとともに残して、彼は眠りの淵に落ちていった。
    背中に回された両腕は、少年の華奢なそれをしっかりと包み込んでなお余っていた。きつく抱き竦めると壊してしまいそうだと、ルシフェルはいつもサンダルフォンが楽に抜け出せるくらいの隙間を残して目を閉じる。いつでもほどける固さにしか結ばれない腕から身を起こすのは、だからとても簡単なことだった。
    夜半。広く温かな胸から抜け出して、夜の闇の中でサンダルフォンは自らの身体を見下ろした。しなやかに長く伸びた手足、厚みを増した身体、丸みが落ちてやや直線的になった頬。絶え間なく射す光を存分に浴びて、尽きることのない愛を注がれて、育まれた蕾は花開き、これぞ盛りと咲き誇っていた。
    濃厚な芳香は自分でもはっきりとわかるほどで、きっと周囲一帯の闇を甘く染めているだろう。ルシフェルが何より好む香りだ。
    サンダルフォンは横たわるルシフェルのすぐ隣に腰を下ろして、その寝顔を見下ろした。サンダルフォンの大好きな明るい空の色の瞳は、今は長い睫毛に縁取られた目蓋に隠れてしまっている。うっすらと開かれた唇は少しの緊張も孕んではおらず、無防備でさえあるその貌は、夜の暗い闇の中でもやはりとても美しかった。
    すっきりと引き締まった頬に手を伸ばす。手のひらに包み込むと、それは少しだけ冷えていた。体温を移すようにそっと摩る。いつも触れているそれより小さく感じて、成長したことで縮んでいる体格の差を実感する。
    今なら、長身の彼の鼻先の辺りまでは届くだろうか。ならば腕を伸べて屈んでもらわなくても、いつでも好きな時に口付けができる。存外筋肉質で広いその背中を、腕に包み込んでしまうこともできるかもしれない。
    そんな愚にもつかないことを思いながら、サンダルフォンは眠り続けるルシフェルの身体にそっと覆い被さった。逞しくもしなやかな身体を強く腕に抱く。
    「ルシフェルさま」
    どれだけきつく抱き締めても、どれほど繰り返し呼びかけても、決して彼の眠りを妨げることはないと解っているから、安心して触れることができた。
    「…ルシフェル様」
    今この瞬間にサンダルフォンの真実すべてをかけて紡ぐ音も眼差しも何もかもが、すべてルシフェルだけに捧げられていた。一年に一度ほんの数刻だけ叶う、目も眩むほどの幸福な時間だ。
    「愛しています。お慕いしています。貴方だけを」
    繰り返し囁きながら、ルシフェルの閉じた目蓋に、鼻梁に、頬に、唇に、サンダルフォンは自らの唇で触れる。耳の裏側から首筋を辿り、浮き出た鎖骨に口付けて。白く温かな肌を幾度も強く吸って、最後に、ルシフェル自身にも簡単に見ることのできる手首の裏側に、サンダルフォンは口付けた。小さな花弁のような痕をいくつも残す。くっきりと鮮やかな色彩が刻まれるまで、ゆるく噛みつきさえした。
    そうでもしなければ、今サンダルフォンが感じているこの幸福はルシフェルに何ひとつ伝えられないまま、朝には何も残さず消えてしまうから。
    「…ルシフェル様」
    精一杯に咲かせた花がやがて萎れて枯れてしまうまで、美しい響きをしたその名前をサンダルフォンは繰り返し紡いでいた。

    甘く優しく鼻を擽る匂いで、ルシフェルは目を覚ました。朝の透明な空気を吸い込むと、好ましいそれが胸をいっぱいに満たす。肌に沁みるほど強く漂っていたのだろうサンダルフォンだけが持つ香りが、まだ周囲に薄く残っていた。
    早朝の白くやわらかな光が、ルシフェルの腕の中で眠っているサンダルフォンの目蓋を撫でている。ふわりと軽く閉じられているそれを撫でようと伸ばした手を見て、ルシフェルは動きを止めた。
    手首の裏側に咲いている鮮やかな花に、空色の瞳を甘く細める。
    「…今年も無事に咲いたんだね」
    交わせなかった言葉の代わりに口付けの痕が残るそこに、愛おしげに唇を重ねる。
    「君は、さぞや美しく艶やかに開くのだろうな。サンダルフォン」
    たとえその姿をこの目で見ることも、己の名を呼ぶ声を聞くこともできなくても。サンダルフォンはルシフェルのためだけに咲き続けてくれる。誰の目にも、すべてを捧げる唯一のひとにさえ愛でられることのない。愛しい花だった。
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    aoi_sssnote

    MAIKING「形而上 楽園」11話目。

    全年齢ですが、今回ちょっと注意書き多いです。

    ⚠️とんでもない捏造と妄想のオンパレードです
    ⚠️ちょっと痛い思いをして血が流れる描写があります。流血苦手な方はご注意を
    ⚠️最後はふたりとも生きてハッピーエンドです
    ⚠️とんでもない捏造と妄想のオンパレードです(大事なことなので二回言いました)

    もう本当にやりたい放題。
    心のまま自由に何処までも羽ばたいてほしい。
    そう願って、その手を放したはずだったのに。

    生きてほしいという私の言葉に応え、サンダルフォンは無垢な笑顔だけを残して飛び立ってくれた。
    天司長の役割と、私の未練と。彼のしなやかな背に、私が託した羽はさぞや重かったに違いない。
    それを背負ったまま、サンダルフォンは長い長い刻を身も心も擦り切れるまで一途に生きた。ついにはこの広い空の下、ひとりきりになるまで。
    私が遺した言葉が、零した想いが、彼にどれほどの孤独を齎したことか。

    再び意識を手放した身体を抱いて、私は目を閉じた。
    いくら強く引き寄せても、しなやかな手足を摩っても、厚く重ねた羽で覆ってみても。サンダルフォンの肌は冷えていくばかりだった。流れ出るエーテルも止まらない。自らの意志で滅びを選択した彼を引き留める術は、私にはもうなかった。
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