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「は? じゃあんた勝手に人の部屋に入った上に、雅之のヘッドホンを…⁉︎」
「イヤーマフです。ぼくはそれが仕事なので。大体、本来なら罰金じゃ済まな」
水脈が最後まで言わないうちに、ヒメジさんのビンタが飛んだ。
ちょうど交代したところの海猫先生に連絡しておいて、急ぎラーメンをかっこんだ俺たちは、この期に及んで遊びたいとゴネる水脈を引きずりだして、消防署で部屋を借りて集まった。よその魔法使いの都合がつかなかったので、みんなで集まるにはこうするしかない。
で、海猫先生が水脈冊幌支部からの紹介状と履歴書を読んでいる間、仕事上がりのヒメジさんに説明した結果こうなった。
「まず謝るのが先じゃない?」
「あなたこそ。ビンタに躊躇いないとこみると、後ろ暗いとは思ってるんでしょ?」
「いやヒメジさんは普段から手の方が早いんだ。あんまり煽んないでくれ」
「敬介は黙ってて!」
俺の背中で、かりんが縮こまってる。やれやれ。
懲役刑ができない水脈には、社会的制裁(ぶっちゃけリンチ)を加えてもいい暗黙のルールがあることは、俺も知ってはいる。しかし、ここは消防署で、かりんもいる。例えやるとしても、ここでやることではない。
こういう時、たいていは海猫先生が一喝してくれるんだが、今は履歴書を読むことに集中してて無言だ。
いや。無言どころか、ピクリとも動かない。
「……?」
水脈の履歴書は、わりかし荒唐無稽だ。ある日、天から光がさしてモザイクになった、なんてのを俺も見たことがある。身元を誤魔化してるのか、そいつにとってはそれが真実なのかは知らないが、初めて見るとビックリはする。にしても。
少しだけサングラスをずらして覗いた。
そして、海猫先生が動かない理由、鏑矢メジロさんがどうなったかの経緯、これから何が起きるかの予想、すべてが繋がって、震えた。
「かりん、ちょっと」
外に出ようか…と連れ出す前に、海猫先生が口を開いてしまった。
「きみは…朝日川中央病院事件の、犯人グループのひとりなのか」
かりんを外に出す暇は、全くなかった。
ヒメジさんは、今度は全力のグーで水脈を殴った。
「あんたが…あんたが、雅之を…⁈」
「さぁどうでしょう、あそこじゃ敵も味方も見分けがつかな」
俺が魔法で止める前に、水脈は殴る蹴る肘膝を一通りもらって、壁に叩きつけられた。
「何すんのさ敬介! あんただってこいつのしたこと、わかるでしょ!」
「わかるわかんねぇは後だ、ガキにリンチの手本を見せるつもりかよ!」
もういいだけ見せてしまったが、とにかくヒメジさんは静まった。魔法を解く。
背中でかりんが震えている。ごめんな。
朝日川中央病院事件。
モザイク専門の入院病棟がある北海道唯一の病院だったが、5年前、違法石婚者集団に襲われて多数の死者が出た、痛ましい事件だ。結晶をもがれた入院患者や襲撃者たちの身体は判別も難しく、現場は地獄だったと噂に聞いている。
モザイクにとっては恐怖の事件だ。
…その犯人の1人、だと? こいつが?
俺だって混乱していた。
混乱して、かりんを外に出すタイミングを逃した。
失敗だった。
うがいのような音がした。血の溢れた口で笑ったのかもしれない。
水脈は、顔の半分をハンカチで押さえながら、言った。
「地獄の底から抜け出せるって聞いてましたが、実際は2丁目から1丁目に引っ越しただけでしたね。人間やろうと思えば、生きてる人間から目や耳をくり抜けますが、ぼくは地獄から逃げたいだけだったんですよねぇ。それで水脈に洗いざらいブチまけてめでたく減刑を勝ち取ったら、こうして被害者宅にサンドバッグとして派遣される地獄に転入です。ひひひ」
ヒメジさんは、殺しそうな目で水脈を見た。
「ぼくはメジロの名を賜りました。鳥であり魚。コウモリみたいですね。ピッタリです。ふひひ」
また、止めるのに間に合わなかった。海猫先生まで立ち上がって拳を握りしめたからだ。勘弁してくれ、俺一人じゃ二人も止められない。
「おい水脈! あんたもわざと怒らせるような……⁈」
シャツの背中が引っ張られて反り返った。
かりんの様子が、おかしい。
「ごめんなさい」
「あ?」
「ごめんなさい、いうことききます。いうこと」
シャツから手が離れた。かりんは水脈と同じように、床に小さくうずくまった。
「かりん?」
集まってくるみんな(驚いたことに水脈も来た)を手で制して、かりんに呼びかけた。返事はない。
この前と同じだ。
幾旬島での朝、起きたらかりんがこうなってた。
本人も何が何だかわからないようだったが…あの時、俺は前日のダメージで顔がボコボコだった。
そして今、目の前で人がボコボコにされてる現場を見た。悪い予想しかできない。
「いうことききます。なくのやめます。だからおねがいします、やめてください、やめて」
「なにを、やめてほしいんだ?」
出せる限りの優しい声で聞いた。前回はこれで顔を上げて戻ったが、今回は違った。
顔を上げてはくれたが、目の焦点は合わないまま、涙がボロボロこぼれ続けている。
「ま、まま…ままを、まま」
「うん」
「ままを、たたくの…やぁ…や」
声と涙を振り絞った後、かりんは気を失った。