らしくあれたらと思う先「はい、ランちゃん、あーん」
「あーん……、んむぅ……」
目の前に優しく差し出された茶色い塊を口に含むと、溶け出していた甘い味がゆっくりと口の中に広がっていく。多分この甘さは、チョコレートそのもののだけではない気がする。
確かめるようにして味わいながら目線を真正面へ向けると、差し出されたままの親指と人差し指が映り込んだ。摘んでいたものを抜き取ったためか、指と指の間には隙間ができており、各々の指の腹には僅かに茶色いクリームがついているように見える。
口元へ運ぶまでの間に溶けたのだろうか。自然と惹かれる。手にしてた本を閉じ、膝の上に置く。空いた両の手を、伸ばした。
目の前にある大きな手、その握られている残り三本の指と手の甲を、自身の左手で上から包み込む。右手はその反対側から重ねるようにして、そうして彼の右手を固定する。
それからまずはぴんと伸ばされたままの人差し指に口を寄せた。
唇が指に触れたことが分かると、舌を出してそれを舐め取る。
これも甘い。そして僅かに熱い。
指は動かないままだ。だからきっと許されていると、続けて親指にも舌を向け同じように舐め取っていった。
甘くて熱くて、溶けそうだと思う。
指から茶色い色が消えたところで唇を離すと、右頬に温かい感触があった。
――触れられている。そう認識したところで大きな手が己の輪郭をゆっくりなぞっていく。
顎に手が掛けられた。
優しく、でも有無を言わさないように持ち上げられると、目が合った。
翠が見える。
そしてその奥で、ちりちりと、燃えている。
「……ランちゃん」
少し低い、でも甘響き。
響いて、身体に染み込むそれは、甘美と呼ぶものだろうか。
呼ばれた名に応えようと口を開く。
けれども、音にならない。
気付けば、チョコレート以上の甘さが、口の中に広がっていた。
「こんなこと、どこで覚えたんだよー!」
「え、……いや、別に参考にしたものなんてないぞ?」
「えっ、天性? いや天然? ……もーっ!」
その言葉と同時に、ランスロットは上半身を勢いよくヴェインに抱き締められた。少し痛いぐらいだったが、苦しいという程ではないので指摘するのをあっさりと止める。そのまま心地良い温もりに身を任せると、安堵した。
こうやって密着することにも随分と慣れたものだと思う。いや、慣れたというよりも安心感を覚えたために触れ合いを求めてしまうというのが、より正確かもしれない。付き合って初めての休日ではあんなに戸惑って照れていたというのに、変われば変わるものだ。
今ではこうやってソファでぴったりと寄り添って座り、他愛のない話をしたり、菓子を食べさせ合ったりすることは、普通になりつつある。今日も本を読んでいるから手を汚さないようにと、おやつのチョコレートを口に運んでもらった。
ミニトマトを食べさせ合った時はそれだけで落ち着かなかったにも関わらず、今では望んで食べさせてもらっている。ランスロットが食べさせることもある。ヴェインはそれらを嫌がらない、それどころか喜んでいるように見えるので、二人らしい恋人の形になっているのかもしれない。それに気付くとランスロットは嬉しくなった。
顔を見たくなって、少しだけ上半身を後ろに引いてみる。それの動きに気付いたらしいヴェインが、抱き締めている両腕を緩めた。上半身の密着がなくなり、顔を向き合えるぐらいの隙間ができる。ただお互いにソファ座ったまま、上半身だけ向かい合っている状態なのでこれ以上の姿勢の無理がきかない。その証拠に膝の上にあった本が、二人の脚の間に落ちてきている。
「なあ、ヴェイン。さっきのはもうやらない方が良いか?」
瞳を見つめながらランスロットがそう問うと、ヴェインが瞬いた。そして一呼吸おくと、見つめ返される。
「ランちゃんとしたくないことなんてない、って言っただろ」
「うん、じゃあ、良いってことか」
「……良いけど、ランちゃん。煽ったり誘ったりする気がない時はやめた方がいいぜ?」
「大丈夫だよ、ヴェイン」
答えながらランスロットは、頬へと触れるだけの口付けを落とした。ヴェインがびくりと反応する。
けれどもその翠の目にはまだ、燻っているものが見える。
ヴェインは優しい。そしてしっかり段階を踏んで二人らしい恋人としてのあり方へと進めてくれたように、ランスロットを大事にしてくれる。
同時にランスロットもヴェインが大事だ。だから、望まれていることには、心から望んでくれていることには、恋人としてどこまでも応えたかった。
「俺も、ヴェインとしたくないことなんてないんだからな」
膝から本が滑り落ちていった。後で拾わないとと思うが、覚えていられないかもしれない。きっと思い出すのは、早くて数時間後だろう。
きっとこれから、二人して甘さに夢中になるから。