腕の中「……おい、ヴェイン。起きろ」
ランちゃんの声が間近で聞こえる。
世界でいちばん聞いている声だ。
だって、ランちゃんは俺の幼馴染みだから。聞いた話によると、生まれた時から傍にいるらしい。
俺が生まれた時、ランちゃんは二歳で、おばさんに連れられて生まれて間もない赤子を見に来たんだって。
もちろん、それはランちゃんの記憶では無い。流石の神童も、二歳の頃の記憶は無いって言ってた。
でも「俺の最初の記憶は、ヴェインが掴まり立ちした瞬間だな」なんて言っていたから、二、三歳の頃の記憶だよな。さすがランちゃん!
ランちゃんの最初の記憶が俺っていうのは、なんだか特別な感じがして、好きなエピソードだ。
「おい、ヴェインって」
ランちゃんが名前を呼んでくれる声は、いつもとても優しい。
それは、きっと生まれた時から傍にいて、俺を弟のように思っているからだと思う。掴まり立ちをした瞬間を目撃してるなんて、ホントに兄弟みたいだぜ!
優しくて、甘やかな声。
俺を甘やかすような。
ランちゃんに名前を呼ばれると、「ヴェイン」という名前がなんだか特別になったみたいに感じる。まあ、俺の両親とばあちゃんが三日悩んで決めてくれた名前だから、特別な名前だけどさ!
「……困ったな。ヴェイン」
何を困ってるんだろう。
というか、ランちゃんの声が耳元で聞こえる気がする。
――いや、何でランちゃんの声がするんだ?
夢か?
「んん〜……」
「おっ、起きたか? ヴェイン」
「スー……」
「おいおい、いい寝息だな」
少し呆れたような楽しげな声がして、俺の意識が急浮上した。
ランちゃんの声が耳元で聞こえるなんておかしい。だって、ここは俺の寝室のハズ!
意識が覚醒していく中、昨夜の記憶を手繰り寄せた。
副団長になって書類仕事も増えた俺は、昨夜も執務室に篭って山積みの書類を片付けていた。ランちゃんなら、これくらい軽く片付けただろうけど、俺は倍の時間が掛かってしまう。
本当にランちゃんは凄いよな。
書類仕事を終えたのは、日付が変わった頃。執務室を整えてから私室へ向かったら、扉の前にランちゃんが居たんだ。
「ランちゃん! こんな時間にどうしたんだ?」
駆け寄ると、ランちゃんは手にした袋を見せながら、「今夜は遅くまでご苦労様。リラックス出来るお茶を貰ったから、これを飲んでゆっくり休んでくれ」と言った。
俺の仕事量を把握して、わざわざ部屋を訪ねてくれるなんて優しすぎねえか いつも俺に「無理するなよ」って言って、気にかけてくれる。
ランちゃん、俺を信頼してある程度の仕事量を任せてくれるけど、それと心配する気持ちは別なんだってさ。
折角だから、ランちゃんを誘って「安眠出来る」というお茶を一緒に飲んだんだ。
翌日はふたりとも午後からのシフトだったし、ちょっとくらい夜更ししても問題ない!
騎士団の近況とか、城下町の様子とかを話して、それから次の休暇の予定を話して……そこまでははっきり覚えてるんだけどな。
その後の記憶が無い。
俺、寝落ちしたのか。
それで、今、背中がフカフカってことは、ベッドに寝てるよな。ランちゃんが運んでくれたのか――重い、俺を
「……ランちゃん?」
意識が覚醒したと思ったけれど、口から出たのは力の抜けた声だった。我ながら、寝惚けてるぜ!
「ああ、目が覚めたか?」
「すげー……、よく、寝た……」
「ふふっ、まだ眠そうだなあ」
なんとか瞼を開けると、目の前にランちゃんの首筋が見える。
首筋?
あれ、ランちゃん、もしかして俺と一緒に寝たのか。俺を運んだ後――。
「どういう状況」
ベッドが大きく揺れるほどの勢いで飛び起きると、ランちゃんは目を丸くして俺を見上げている。
カーテンの隙間から差し込む光に照らされた瞳が薄闇の中、キラリと光った。
やっぱり、ランちゃんが俺のベッドの上にいる。俺の隣で寝ていたんだ。
「なんで……」
「……いや、お前が俺を離さなくて……」
「ごめんなさい!」
勢いよくその場で土下座した。
ランちゃんだって疲れていて、自分のベッドでゆっくり眠りたかっただろうに。
もしかしたら寝れてないかもしれないよな
「ごめん、俺を殴って起こしてくれればよかったのに!」
「そんなことするわけないだろう」
ランちゃんが起き上がる気配がして、俺の肩へ手を掛けると強引に身体を起こされた。土下座なんてする必要は無いってことだ。
「でも、迷惑だっただろ」
「今更、なんで迷惑なんだ? 昔からお前は俺にしがみついて寝てただろ。懐かしかったな」
クスリと優しい笑い声が聞こえて、思わずランちゃんを見つめると、本当に少しも迷惑だと思っていない顔をしていた。
子供の頃、両親を亡くして寂しがった俺を慰める為に、ランちゃんはよく一緒に眠ってくれた。ランちゃんの身体にしがみついて、背中を撫でてもらって、ランちゃんの存在を感じながら眠ると安心できたから。
でも、今は子供の頃とは違う。
ランちゃんの傍で安心だけを感じていた頃とは。
「寧ろ、お前の体温が心地よくて、俺もよく眠れたよ」
そう言って、腕を伸ばし、身体を解している。警戒心なんて少しもないリラックスした様子だ。
「ランちゃん……」
本当だろうか。少しも迷惑に思わなかった?
嫌悪感はなかったのか?
俺の視線を感じたのか、ランちゃんは腕を下ろして、俺を見つめ返した。
後ろの髪が寝癖で跳ねている。
「俺もヴェインの傍が、昔からいちばん安心出来るからさ」
照れた顔で微笑むランちゃんに愛しさが募ってしまって駄目だった。
油断しちまったな。
寝落ちして、ランちゃんにしがみついて――無意識に、ランちゃんにヘンなことしてないだろうか。
大好きなランちゃんに。
警戒心を抱かれてないなら大丈夫なのか?
今まで通り、気持ちを誤魔化して、隠して、傍にいられるのか。
「……そういえばお前、寝言を言ってたぞ」
聞かなくてもそれがどんな寝言だったのか、ランちゃんの口調から分かってしまって、俺は再びシーツへ突っ伏す。
頭上から、ランちゃんの優しい笑い声が聞こえて、指先が俺の刈り上げを撫でていった。