彼にキスをした日(空ver) 背中越しにひゅうひゅうと引き攣ったような呼吸が聞こえる。
掠れた息は時折苦しげな呻き声と共に吐き出され、じわりと業のような闇が視界の隅に滲む。
「大丈夫? 魈……」
どうにかしてやりたいと思ってもできることは彼の手を握り、痛みをやり過ごす時間を共にする程度。
魈はその決して大きくはない己の身の内に淀んだ怨みつらみを封じるようにただただ耐えていた。
少しでも痛みを分かち合えやしないかと魈の手を握ってみても彼はその爪を食い込ませることすらしない。
ただ、魈は空の熱を確かめるように幾度となく握り直していた。
優しい鬼神のような人。
いずれ我を見失う日までそう在る積りなのだろう。
空は手を握ったまま振り返るとその顔に指を伸ばす。
「面、預かるよ。息が少しは楽になるかも」
儺面に触れる直前で魈はぴくりと震えたが、結局項垂れたまま空の手に委ねた。
鬼のような面が剥がれ、はらりと汗に濡れた髪が下りる。
魈は目を閉じ、息を吐いた。
「静かだ」
「うん。魈も少しは眠れるかな」
背中越しに魈が息で笑ったような気配がした。
「我に休息は必要無い」
「そうだとしても、たまにはいいでしょ」
空は魈の声に濁りがなくなっているのに気付いて微笑んだ。
「よかったら歌を歌うよ」
「子守唄か」
愚弄するな、とばかりに呟く声はどこかとろりとした甘さを孕む。
空は吐息とともに首を振ると歌の一節を口遊んだ。
「鎮魂歌だよ」
囁く空の背に重みが重なり、魈が深く背を預けた。
「そうか。それは……眠れるかもしれぬな」
魈は緩やかに腕を組んだまま深く息をつく。
空の途切れ途切れの旋律は聞いたこともなく、手放しに絶賛するようなものでもなかったが、不思議と耳に心地よい。
もしかすると、魈の中に積もり積もっていたものたちにとって心地よいのかもしれない。
悼むものを何一つ残されなかった彼らにとっては。
暫く記憶が曖昧な歌詞を辿るように歌っていた空は、いつしか魈の吐息が寝息に変わっていたことに気付く。
それでも、彼の眠りは酷く浅いのだろう。
きっとかすかな物音一つで起きてしまう。
空は歌を切り上げると預かっていた儺面を掲げた。
――安らかな夢が訪れるように
魈の儺面の額に唇を寄せ、空は祈るように口付けた。