彼にキスをした日(魈ver)「お前……我の面に触れたな」
儺面を眺めていた魈はそう言った。
問いかけるというよりは、確認するような口振りだった。
昨夜魈が仮眠を取る間、彼の面を預かっていたことを言っているのだろう。
だが空はあの時、確かに魈に「預かる」と声を掛けた筈だ。
「昨夜眠ってる時に少し預かってたよ。そうじゃなくて?」
魈は面を検めるとその額に鼻先を寄せて確認するように目を閉じると、再び空を見た。
「額にお前の元素が残っている」
「……っ、」
ぴくりと空の肩が跳ねた。
そこは、空が口付けたところだ。
安らかな眠りを祈る以外に他意はなかった筈が、なぜだか後ろめたいような気がする。
改めて自身の行為を顧みることに気後れして、些かずれた返答をした。
「誰の元素か分かるの?」
空の元素視覚では元素の質は解っても誰のものかまではわからない。わからない、はずだ。
「お前の元素は温かで優しい。我のものとは似ても似つかぬ程に」
「そ、そうだったんだ……」
言われてみると魈が元素を操る時の気配は独特のものがある気はするが、それが物質に残っているような気はしない。
「我らは仙であるが故に元素に敏感だ。元素は……端的に言えば意志に宿る。お前が我の面に元素を使っていないのであれば、元素が宿る物や元素が宿りやすい器官で我の面に触れたということになる」
魈は空に躙り寄ると今は淡い金色に染まる耳飾りに触れた。
「つまり、神の目……或いは」
滑るように魈の指は空の唇に触れ、びくりと空の肩が震えた。
「唇だ」
見つめる眼差しに耐えきれず、空は目を伏せて手元を見た。
「へ、変な意味は……他意はなかったんだけど」
「我らも口付ける意味は知っている。情愛を示すべき相手に施すもの。違うか」
魈の冷たい指は空の唇に触れたまま、その膨らみを辿るように唇の端へと滑る。
魈の顔が近い。
息遣いさえ感じるほどに。
互いに少しだけ首を伸ばせば関係がすっかり変わってしまいそうな空気にどうしていいかわからず、空は逃げを打った。
自分の行く末もわからないのに、魈をそんな自分の人生に付き合わせるのは忍びない。そう、言い聞かせた。
「俺はそういう積りじゃないよ……俺はただ、魈がよく眠れたらって……ええと、ほら。母親が子どもにするでしょ」
それと同じだよ、と何事も無かったように笑うと魈は何処か呆れたように微笑んだ。
「都合のいい」
魈の指が唇から離れ、空は安堵に息をついた。
だが、魈の手は空の肩を掴み、その場に押し倒した。
「ッ、魈……?」
「お前がそうだ、と言うなら我も返してやろう」
藻掻く空の手を掴み、魈は空の身体に乗り上げる。見上げた魈は見たことのない表情をしていて、空は呆然と見つめた。
真剣な表情であるのに、何処か熱っぽく、何故か見ているだけで胸が高鳴った。
魈は戸惑う空に構わず、空の胸に顔を埋めた。
「……っ」
強く押し付けられている訳ではなく、触感は少しもなかったのに、魈に口付けられている事は解った。
魈は、空の胸を飾る石に口付けていた。
何故か胸の石を通じて魈の思いが流れ込んでくるような気がして、空は己の口を覆う。
狂おしく、昂ぶる熱に似た思い。
「親鳥が雛に施すように」
顔を上げた魈に真っ赤に染まった顔を見られ、空は悔しそうに顔を歪めた。
「それはぜったい……ちがうでしょ」