魂を集め終えたその後「もうココに来るのは止めましょうか?」
試すような目で見降ろされ、ビクリとセトは肩を揺らす。
「‥‥それは、だめだ」
半神となってしまった今、食べ物が無いとかなりつらい。ホルスが来なければ眠る事もままならない。
「では」
下半身を触ろうとするホルスの腕を制した。
「だ、だめだ。気分じゃない」
何度も彼に抱かれているとはいえ、女のように扱われるのは嫌だった。己は男なのだ。
ハァとホルスはため息を吐く。
太陽海―――灼熱のマグマがグラグラと波を作る。今まで静かだったのはラーが眠っていたからだ。眠りから目覚め、
セトが船を漕ぐのを長く休んでいるのに気づくと、客人がいようとこうして太陽の海を荒らし、邪魔をしてくる。
「時間ですね」
ここでは永遠に夜は来ない。時間の流れがわからないが、こうして太陽の海が荒れ始めたという事は、人間界の夜が終わったという事だ。
「ん…じゃあな」
***
あの隼が来なくなって三日が経過していた。
重力で体中が軋み、もう立っていられない。今すぐ休息が必要だった。天空の神のホルスが来れば、この馬鹿みたいな重力がマシになる。その上食べ物にありつけるのだ。
(アイツの腕の中で、休みたい―――)
「まだ、来ないのか?」
そう考え、ハッとする。今、ホルスに抱きしめられて休む事を願ってしまった。おぞましい事だと思い直す。
「何考えてんだ俺は…ネフティフの腕ならともかく、よりにもよってなんでアイツに抱きしめられて寝なきゃならねーんだ」
答えはわかっていた。しかし、認めたくはなかったのだ。
彼に心を許しかけている自分がいる事など。
「ハア…!」
ガクリと膝をつく。ある程度の重力は加減してくれているはずだが、休まず漕ぎ続けるとなると話は違う。
ラーは約束してくれた。誰か客人が来た時だけ、少しなら休んでもいいと。逆に誰も来なければ休んではならない。
ばしゃりとマグマが船を襲う。休むと嫌がらせとばかりに波が船を襲うのだ。
左の足にマグマがばしゃりとかかってしまった。
「あっつ!」
肌に触れたマグマのせいでヤケドをする事など日常茶飯事だ。しかし明らかにサボっているとみなされた時、今のように思いっきりラーは休むなと注意してくる。
「痛ッテェ…!」
ガクガクとまだ立てる方の足で膝をつき、なんとか櫂で船を動かそうとする。じんじんと左足の痛みに耐えながら、船を漕いだ。
突然、海がシンと静まり帰る。空を見上げると、そこには翼を広げたホルスがいた。客人がいる間のみ、ラーは太陽の海を静かにさせてくれるのだ。
「遅ぇーぞ」
「ちょっと忙しかったもので」
「嘘つけ」
バサリと船に降り立ったホルスがセトのヤケドに気づく。
「叔父様、足が」
「うるせー。お前のせいだ。お前が早く来ないから悪い」
「今すぐ母さんを連れてきます」
神が皆治癒の力を持っているわけではない。
イシスを呼びに行こうと再度畳んだ羽を広げる。
「呼ばなくていい。ちょっとお前、そこ座れ」
「え?」
胸を押され、ホルスは尻もちをつくように座る。
ドスンとセトがあぐらの上に座ってきた。
「こんなヤケド、寝てりゃ治る」
ホルスを背にし、眠ろうとしている。
「どういった心境の変化で?」
自分から胸に飛び込んでくるのは大変珍しい。
「黙ってろ。休みたい」
「わかりました。ではお酒はあとで飲みましょうか」
「酒?酒があるのか?」
くるりとホルスの方に体を変える。彼の手元のカゴを見ると、ブドウやイチジクなどの果物と瓶があった。迷わず瓶に手を出すと、手首をがっしりとつかまれる。
「なんだよ。俺のために持ってきた酒だろ?」
「ご褒美がほしいです」
ムムとセトは眉を寄せる。
「…じゃあ果物だけでいい」
「先にこっち」
ホルスの精悍な顔がセトの唇に近づいてくる。
「果物もだめなのかよ」
「キスをしてくれたら全部上げます」
「くそ‥‥」
おず、とホルスの両肩に手を置く。何年経っても彼はホルスにキスをするのが苦手だった。待ちきれず、ホルスは片手で持っていたカゴを置き、セトの腰を引き寄せる。
「っ…ホル…、ん」
唇が重なっただけで終わるわけがない。セトの甘美な唇を思う存分味わう。
「ホルス、ブドウ食いたい」
「…わかりました」
まだまだキスをしていたかったが、不憫な彼に休息を与える事を優先する事にした。なんといっても、彼は何百年も前に半神に落とされ、この灼熱の炎の中でヤケドに耐えながら延々と船を漕ぎ続けているのだ。
次々にブドウを口に含んでいく。腹が満たされ満足したセトは眠る前にホルスに言った。
「…その、お前が来ないとコッチは眠る事さえ許されねーんだ。食いもんも無ーし」
少し振り返り、背中にいるホルスをチラと見て続ける。
「だから、今回みたいに時間が空くと…」
「毎日来てほしいという事ですか?」
「マァ、そういう事だ」
本当に忙しかったら仕方ねーけどよ、とつけたした。
一番低い場所で人間と長く時間を過ごしたセトはある程度『遠慮』というものを習得したらしい。命令ではなく、ポツポツとお願いするように喋る。
ホルス以外、この太陽に来る神はいない。
来ようと思えば来る事が出来るはずなのにも関わらずだ。
「奥さんと息子さんにお願いしておきましょうか?」
「いい。ネフティフとアヌビスとはもう…あまり関わらない」
「なぜ?」
「あいつはオシリスが一番好きなんだ。好きでもない男の世話なんて、させられるかよ」
「アヌビスは別にいいのでは?」
「俺がアヌビスと関わると、アヌビスが嫌がらせ受けんだよ、あのクソオシリスに」
「大人げない神がいたものですね」
「まったくだ!」
酒をあおり、ぶつぶつとオシリスへの文句をたれ始めた。セトが酔いつぶれるまで、ホルスは適当にウンウンと頷き、彼の愚痴に付き合ってやる。
半分が人間だからか、酔いつぶれるのは早かった。
「足が痛ぇーぞこのやろー」
「だから母さん…イシスを呼んでくるとさっきから言ってるじゃないですか」
「離れんな。俺を抱きしめてろばか」
あぐらになって座るホルスに座ったセトは舌っ足らずな口調で何かを喋り続けていた。もはや聞き取れないほどだが、先ほどの言葉だけはハッキリとホルスの耳に届いた。
ホルスは目元を柔らかくし、背中から彼を抱きしめる力を強めた。
「ハイ。わかりました」
Fin.