噂話は周りに気をつけて「ねぇ。好きな相手の子供を産めるなら、誰の遺伝子が欲しい?」
「えー?それって結婚はしなくていいってこと?」
「遺伝子だけ考えればいいってことよね?」
待ち合わせに入った初めてのカフェでコーヒーを嗜んでいたら、隣の女性達が下世話な話を始めてしまった。一気に居心地が悪くなり、嫌気がさす。ここは静かでリーズナブル、客も少なめで時間を潰すのに丁度いいカフェだと思っていたのに客層が最悪だ。
「やっぱり顔は大事よね」
「ならあの人は?建築士の」
「カーヴェさん?」
「そうそう!」
「あの人は建築の才能は素晴らしいけど…出来れば仕事のできる頭のいい人がいいわ」
「じゃあ教令院の学者達とかどうかしら」
「あの人は?アルハイゼン!」
「あんた…!本気であんな頭の硬そうな人がいいの?」
何をするでもなく、本を読みながらしていたら聞きなれた名前ばかりが登場して、アルハイゼンはコーヒーを吹き出しそうになった。当の本人がここにいる。この女たちは本気で気付いていないのだろうか、世も末だ。
「顔はいいじゃない、顔は」
「顔はねぇ?でも人の心分からなさそうだし」
「そうそう。私前にティナリさんから聞いたのよ、理性的すぎるって」
「そういえば。レンジャー長って丁度いいんじゃないかしら」
「たしかに丁度良いかも…」
「身長は低いけど可愛いし。あの耳と尻尾も素敵」
「私は獣人の子を産みたいとは思わないけどねぇ」
「あらそう?」
会話の軸が自分からティナリに変わったので、アルハイゼンは分かりやすく顔を顰めた。丁度良いとは何様だと思うし、そもそも待ち合わせの相手はティナリなのだ。しかも今日は2人で璃月へ向かう船に乗る日。楽しい旅路の前に、彼にこの会話を聞かせたくはない。
カランカラン、と軽やかなドアベルが鳴る。最悪のタイミングだ。少し息を切らして、大きな耳をぴょこぴょこ動かしながら店内へ入ってきた愛しい少年は、きょろきょろと辺りを見回して、アルハイゼンを見つけると小さく微笑んだ。
「ごめん、お待たせっ!」
ティナリは軽く謝りながら嬉しそうにこちらへやってきた。小声で謝りながら向かいの席に腰掛ける。
後ろの女性達がその姿を目にとめて、「ひゃあ!」と情けない声を上げた。
「ごめんね、ちょっと村でトラブルがあってさ」
「いや、構わない。どうする、船の出発まではもう少し時間があるが…もう出るか?」
「ううん、せっかくだしアイスコーヒーを1杯だけもらうよ。マスター、すみません」
オリジナルブレンドのコーヒーを注文してから、ティナリは漸く肩掛けカバンを下ろして隣の空いている席に置いた。ぱたぱたと手で顔を仰ぎ、目を細める。上気した頬は少し赤い。おそらくここまで走って来たのだろう。
「それにしても素敵なカフェだね、静かで雰囲気も良い」
「そうだな」
おそらくリピートは無いが。
後ろの学の無さそうな女性達が、さすがにまずいと気付いたのかこそこそと焦りながら小声で何か相談しているのが聞こえた。
「アルハイゼンってこういう場所を見つけるのが得意だよね。この間教えてくれた居酒屋もすごく素敵だった」
「それは良かった」
「普段こっちの方にはあまり来ないから有難いよ」
たわいない会話をしている間にすぐに届いたアイスコーヒーをストローでちゅうと吸って、ティナリは「おいしい」と屈託のない笑顔を見せた。火照った体には冷たい飲み物が心地良いのだろうか。力の抜けた耳がくてんと垂れている。
普段人の上に立つ真面目なレンジャー長は、アルハイゼンの前ではいつも無邪気で可愛い。
こんな綺麗な恋人を好き勝手批評した女性達に、アルハイゼンは静かに怒っていた。出来るならば今すぐにここを発ちたかった。
「ティナリ。飲んだなら行くぞ」
「えっ!あぁ、うん」
しばらくしてアイスコーヒーを飲み終え、ふぅと息をついたティナリの手を引いて、強引にレジへ向かう。最後にちらりと女性達を一瞥すると、3人は可哀想に完全に萎縮してしまい、背筋を伸ばして黙って座っていた。アルハイゼンの怒りを感じとったか、最悪な雰囲気が流れている。
悪いが、残念ながらアルハイゼンとティナリの遺伝子を継いだ子供が生まれる未来はなかった。
2人は恋人同士で、このまま行けばおそらく人生のパートナーになる。男同士では子は成せない。でもそれでも構わないと、互いを選んでいる。
半分払うと申し出たティナリを片手ひとつで断り、さっさと会計を済ませる。アルハイゼンがレジ前でもたつくのが嫌いなことを知っているので、ティナリはされるがまま奢られていた。
「ねぇアルハイゼン…そういえば、君の後ろに座っていた女性、村に来たことがある人かもしれない。見たことがあるんだ」
「あまり見るな。行くぞ」
「う、うん…」
完璧な恋人を迎えるためのこの綺麗なカフェで、『子供の父親にするならティナリが丁度いい』などと上から目線で結論付けた女どもめ。今更気付いても遅い。例え面識があろうと挨拶だってさせてやりたくはない。こんなに愛しくて存在を、誰が見知らぬ他人などに渡すか。アルハイゼンは静かな怒りを胸に、掴んだティナリの手をぎゅうと握りしめカフェを出た。
「アルハイゼン、なにか怒ってる?」
「別に。後ろの女性の会話が気に障っただけだ」
「へぇ。君がそんなことを気にするなんて珍しいな。どんな会話だったの?」
「お前は知らなくていい」
「そう」
ティナリはあいつらの会話を1つも聞いていないし、他人からの評価ごときでは何も減らないはずだが、きっと何かが減る。
「何でもいいけど、せっかく今から旅行なんだから不機嫌はそこまでにしてよ」
「あぁ」
握り締めていた手を緩めると、待ってましたと言わんばかりに細い指がするりと動いて恋人繋ぎになった。
「…楽しみだね、アルハイゼン」
「そうだな。船に乗ったらガイドブックを読むぞ。観光地は効率的に回るに限る」
楽しい旅行の始まりだ。カフェのことはいつまでも気にしていても時間の無駄なので、忘れることにした。