Who is the criminalヤルミナの部費が気が付いたときには、底をついていた。AVとエロ本をたんまり買い込んでくれたキリンを半殺しにしても、部費は返ってこない。キリンを半殺しにした後でそう気付いた二人は、キリンに来月までに使い込んだ金額をそっくりそのまま稼いでくるよう命じた。
その結果。3人は朝の9時から某企画に出向くはめになった。
「やっぱ頼るべきは同じ制作会社の仲間だな!」
「なんで俺らまで。キリンさんの尻拭いしなきゃいけないんすか」
「こういうのは一蓮托生、一致団結、連帯責任だろ」
日本の古き悪しき文化である。夜型のハックは朝から叩き起こされ、非常に機嫌が悪い。けれども某企画のオフィスに入ろうとする影を見つけ、みるみる顔を輝かせた。
「パンダさんっおはようございますっす!」
「あれ?なんで……あー、そういやバイトが来るって言ってたっけ。君らだったのか」
「よぉパンダ。今頃出社か?」
「これでも定時ちょうどだよ。昼前出勤じゃないだけ、褒めて欲しいもんだね」
威張って言えることではないが、パンダは胸を張った。キリンとタブーは「何言ってんだコイツ」と呆れたが、パンダ全肯定のハックだけは「偉いっすねパンダさん!」とおだて上げていた。
「まさか、俺がバイトに来るから定時出社を?」
「自惚れてんじゃねーよ。昨日ペンギンに仕事全部押し付けて帰ったからね。あの量から言って、徹夜の泊まり込みは確定だろうし、今日ぐらいは手伝ってあげようかなって」
「テメーにしては随分殊勝じゃねぇか」
「騙されんなタブー」
相変わらず、某企画はクソ体制らしい。キリンは少しだけ不安になった。今までも、某企画で何度かバイトしてきたが、ろくな結果に終わった試しがない。いやしかし、ハックとタブーも連れてきたのだ。ヤルミナティーが揃っていれば、完全無欠だ。生粋の楽天家であるキリンはそう、自分に言い聞かせた。ちなみに随一のトラブルメーカーが自分である自責はこれっぽっちもなかった。
もっとも、キリンの予感は悪い意味で的中したらしい。オフィスに足を踏み入れた途端、何やらキナ臭いものがあった。死相を浮かべて仕事をしている連中が、やけにバタバタと慌ただしいのだ。空気がピンと張りつめている。自然とパンダに三人の視線が集中するが、パンダも事態を飲み込めないらしく、あざとく首を傾げていた。
「あっシャチ君!何があったの?」
「パンダさん!やっと来た!大人しくお縄につけクソパンダァ!!」
「どういうこと!?」
通りすがったシャチにフレンドリーに尋ねる。シャチは歯を剥き出しに威嚇した。全身からガチの殺意を漲らせている。パンダは咄嗟にタブーとハックの後ろに隠れた。
「しらばっくれてんじゃねぇ!!てめぇしかこんなことしねぇだろ!!」
「ホントに何!?僕じゃないよ、何のことかサッパリ分かんないけど!!」
「二人とも、そこどいてください!!」
オロオロするタブーとハックに、シャチが威圧する。けれども彼の円らな瞳は、大粒の涙を浮かべていた。キリンが慌てて仲裁に入る。
「落ち着けって。俺ら、今来たばっかりで全然状況が把握できてねーんだよ。何があったんだ?」
「ぺ、ペンパイが……ペンパイが殺されてるんですよ!!」
ガツン、と全員に頭を殴られたような衝撃が走った。この世界には主人公補正というものがある。ペンギンはテイペン世界の主人公だ。もちろん、死なないわけではないけれど、物語の初っぱなから、姿を見せる前に死亡するとは。ある意味、世界の理が破られたも同然だった。
シャチに導かれるがまま、オフィス3階に向かった。パソコンとデスクが並ぶ部屋を通り抜け、奥の小部屋に向かう。そこは給湯室になっていて、扉が全開になっていた。簡易コンロや流し、ケトル、色とりどりのカップが並んだ食器棚が見える。部屋の奥には窓があり、澄んだ冷たい風が吹き込んでいた。だが、何よりも目を引くのは、床に大の字で横たわる黒と白の物体であろう。
頭を入り口、足を窓に向けた状態で、ペンギンの死体があった。見開かれた瞳孔に硬直した体、鼻をつく腐臭、明らかにペンキや血糊ではない、赤い液体。某企画によるタチの悪いドッキリではなさそうだ。
「第一発見者は誰っすか?」
「あ、僕です」
冴えない風貌の若い男が歩み出た。
「5時に出勤して、コーヒーでも飲んで仕事を始めようと思って給湯室に入ったら、見付けました。すぐに部屋を出て、ずっと封鎖してました。下手に物を触って、犯人扱いされたくないですからね」
「つまり、中のものには一切触れてないと」
「はい」
「ギャパパ。俺様たちが中に入ってもいいのか」
「いいんじゃないですか。上司に連絡して出ないですし。警察も……被害者がペンギンでしょ?110番すべきかどうかも分からなくて、してません」
死体を見慣れたヤルミナメンバーは無感動にペンギンに歩み寄った。タブーが関節の具合や死斑、肉の固さを調べる。
「ギャパパ……死後7時間ってとこだな」
「となると、だいたい朝の2時くらいに殺されたってわけか。この、胸の丸いのは何だ?」
「銃痕だ。羽毛に焦げあとはねぇし、火薬の臭いもしねぇ。離れたところから一撃、地面と平行になるようにブチ込まれたな。厚い脂肪のせいで、体内に弾が留まっちまったんだろ」
こういう時のタブーは頼りになる。検死官のように冷静に検分を進めていく。キリンは顎を撫で、「ふむ」と唸った。
「その、肝心の武器はどこだ?そこら辺に落ちてんのか?」
「さあな。犯人が持ち去ったか、捨てたんだろ」
「あのー、もう終わりました?」
シャチがおずおずと近付いてきた。ペンギンの死体を見て、また涙目になる。
「ああ、可哀想なペンパイ……昨夜だって、たった一人で仕事してたのに」
「一人だったんすか?」
「パンダさんと上司さんは定時でさっさと帰りましたし」
シャチに睨まれ、パンダは口笛を吹き、目を反らした。
「僕もペンパイに、今日はもう帰れって言われて……僕があの時、残ってさえいれば!ペンパイの側にいれば!」
「シャチ……」
「ペンパイ、ペンパイは死んじゃいましたが、もう一人にはしませんから。僕がこれからはずっと側にいます!」
言い終えるが早いか、シャチはぐわっと口を開け、ペンギンの死体を丸飲みした。あまりの展開に、ヤルミナもパンダも反応できず、死体が咀嚼され嚥下させるのを呆然と見るしかなかった。
「えっ!何してるんすか!?」
「腐る前にと思って……」
「もう既に腐りかけてましたけど、死体からでも色々、犯人の目星はついたかもしれないんすよ!?弾を摘出できたら、使用された銃の種類が分かりましたし、死んだ時間をもっと正確に割り出せたかもしれないのに!?」
「で、でも、終わりました?ってさっき聞きましたよ?」
無くなってしまったものは仕方ない。ハックは気を取り直した。
「まあいいっす。犯人は午前2時に給湯室に押し入ってペンギンさんを殺害した。となると、最後までこのオフィスに残っていた人が怪しいっす。タイムカードを見れば一発で分かるでしょう」
「あ、ムリムリ。うち定時になったら全員、一旦タイムカード押すことになってるから」
ハックの完璧な推理はブラック企業の闇を前に、もろくも崩れ去った。ペンギンのタイムカードも、しっかり定時に切られているのだろう。ペンギンのものらしきデスクに残された、山積みの書類と大量のエナドリに涙が出そうになる。コンビニで買い占めたらしきエナドリは、半分近く開封されていた。もしもこの場に銃が落ちていたら、まず間違いなく、ペンギンの自殺を疑っただろう。
「ただ、午前2時となると、さすがにペンパイ以外の人は全員、退勤したと思いますよ。僕が帰ったのが終電前の11時半頃でしたし……」
「じゃあシャチ君が一番怪しいね。もしかして、証拠隠滅のために死体を食べたんじゃないの?」
「適当なこと言ってんじゃねぇぞクソパンダァ!!」
「ひいっ!」
パンダがサッとハックの背中に隠れた。盾にするのはやめてほしかったが、悪い気もしなかった。
「じゃあ防犯カメラをチェックしましょうっす。給湯室にはあるっすか?」
「ないよ。そもそも僕らのデスクの後ろで、上司がずっと監視してるからね」
「デスクから一分離れただけで呼び出されますからね。給湯室なんておちおち利用できないですよ」
「某企画って自衛隊かなんかなのか?一分なんて、オ◯ニーしかできねぇじゃねえか!」
キリンの発言は全員が黙殺した。
「ギャパパ、入り口にもねーのか」
「あるにはあるけど、上司が来ないと見れないんじゃない?」
「それなら問題ないっす」
ハックが見せ場とばかりにパソコンを叩き出す。どこに問題がないのか、ハック以外には分からなかった。勝手に某企画の社員一覧までハッキングし、出入りする人間を1人1人、照合していく。
「うーん。シャチさんの言うとおり、最後にオフィスを出たのはシャチさんっぽいっすね。ペンギンさん以外に残っている人もいないっぽいですし。とはいっても、扉周辺しか映ってないんで、ぐるっと回って窓とか非常口から侵入した可能性もあるっすね」
「それはないと思いますよ」
シャチが残念そうに言った。
「こないだ全社員に通知されたんですけど、某企画に一流の防犯装置を取り入れたそうです。夜間に侵入するものがいたら、速攻で警報が鳴って通報されます」
「社員なら社員証を使って入り口から入れるからいいんだけどね」
もう一度、今度は解像度を上げてカメラをチェックするも、やはり2時前後に不審な影は映っていなかった。警報が鳴った様子もない。
「あ、そうそう、僕、そういえば2時前後にペンギンに電話したんだった」
パンダがポンと手を打ち、さらりと重要なことを言った。キリンが眉間にシワを寄せる。
「それは確かなのか、パンダ?」
「うん、オフィスに充電器忘れた気がして。無いか確認してもらったんだ。ま、結局僕んちのゴミに埋もれてただけだったけど!」
クスクス笑っているのはパンダだけだった。ペンギンの死骸の傍らに落ちていたスマホを取る。楽々とロックを解除して確認すると、確かに、AM2時05分に、パンダから着信があった。
キリンがパンダに向き直る。
「その時、不穏な物音とかは聞かなかったのか?」
「全然。タイピングの音しか聞こえなかったよ」
「そもそもなんであいつ、給湯室になんかいたんだ?こっそり隠れてオ◯ってたのか?」
キリンが腕組みした。エロにしか興味のない彼だが、さすがに知人が殺されているとなると、多少は協力的になるらしい。
「後半はともかくとして、そこは俺も疑問に思ってたっす」
「コーヒーでも飲んでたんでしょ。ペンギンは煙草吸わないし、それ以外にここの使い道なんてないよ」
「たしかに、乾燥機にはカップがいくつか残されてるっすね」
昨日は昼過ぎに来客がありましたからね、とシャチが補足する。
「カップはそれぞれ、持ち主が決まってるっすか?」
「いいえ。来客用以外は、各自適当に使ってます。よく使用する人やこだわりがある人はマイカップを持ってますけど、ペンパイには無かったはずです。あったら僕が何としてでもお揃いを調達してたはずなんで」
「的確な自己分析ありがとうございますっす」
ハックはキリンに目配せした。ヤルミナリーダーも、名探偵の素質はないのか、困惑を隠せない。
「何はともあれ、午前2時にオフィスに侵入した何者かが、給湯室でコーヒーを飲んでいたペンギンを窓際に追い詰め、射殺したってことか」
「ギャパパ……誰なんだよ、そりゃ」
「知るかよ」
キリンが匙を投げた。タブーもまた、難しかったのか、目を回している。頼りにならない先輩たちだ。シャチがイラついたように、
「でもどうやってですか?さっきも言ったように、うちには防犯装置があるんですよ。社員が入り口を使う以外に、中には入ることはできません」
と語気を荒げる。しかし、冷静な声がイライラが溜まりつつある空気に冷水をかけた。
「できるぞ」
「上司!」
悪党こと上司が、いつの間にか最後に立っていた。定時を大幅に過ぎての出勤については、もう誰も何も言わない。
「防犯装置なんて取り付けるわけないだろ。窓を割ろうが入り口を強行突破しようが、警報は鳴らないし通報もされん」
「え?でも先日……」
「うちは軍需産業も扱っているだろ。行政が付けろと煩くてな。だがうちにそんな金はない!電気代の無駄だ!だから付けたことにして、お前ら平にはそう通達した」
「一切悪びれずに言い切るのがすごいっすねぇ……」
パンダに唾棄されようがシャチに罵倒されようがキリンにドン引きされようがハックに軽蔑されようが意に介せずな上司だったが、さすがにタブーが手錠を片手に襲ってきたときは泡を食った。
「うわぁっ!何をするんだ!」
咄嗟にハックの後ろに隠れる。何故どいつもこいつもハックを盾にするのか。最年少だからか。
「ギャパパ!じゃあ会社に侵入してペンギンをぶっ殺せたのはてめぇじゃねえか!」
「やめろ!俺だけじゃない、会社の重役は全員知っているぞ!うちは下層部には情報はシャットアウトするが、上層部の連携はマメだからな!」
「癒着の間違いでしょ」
シャチが心底悲しげな顔をした。どうしてこんな会社で身を粉にして働いているのか、空しさと直面してしまったのだろう。
「だいたい、この俺がそんな深夜に会社になんか来るわけないだろ!せっかく定時で帰ったのに!」
「それはそう」
「どうせこの手の事件の犯人は大概パンダだろ!どうしてあいつじゃなくて俺なんだ!」
「上司もパンダもどっちもどっちだろ」
キリンが珍しく正論を言った。
「でも俺的には、シャチさんも怪しいんすよね」
「どうしてですかハック君」
「死体を食べちゃったからっす。やっぱり、死体が無いのは痛手っすよ」
「それは僕も思った」
パンダがここぞとばかりに便乗する。
「というか、ペンギンを殺す動機なんてシャチ君にしかないでしょ。どうせペンギンを食べたかっただけでしょ」
「そんなわけないでしょう!僕が、ペンパイを殺すなんてあり得ないですよ!だって死んだら鮮度が落ちますから!」
この場にペンギンの亡霊がいたら、涙に暮れていただろう。キリンは呆れたように「なんでこいつら一緒に働いてんだ……」とため息をついた。それは多分、ヤルミナが一緒のサークルに所属しているのと同じ理由である。
「ギャパパ!めんどくせぇから全員ぶっバラすぞ!」
タブーがチェーンソーを振り回した。ただでさえ地獄みたいな現場が更に地獄絵図と化す。ハックは血だまりを飛び越え、こっそり窓際に避難した。巻き込まれるのはごめんだ。
ふと、窓のサッシに手を置くと、指先に奇妙な感覚が触れた。ペンギンの血液だった。窓から身を乗り出す。窓枠から壁を伝い、地面まで、赤い布が垂れたように、血液の路が延びていた。部屋の床に広がったのを合わせても、かなりの出血量だ。心臓に繋がる血管を撃ち抜いたのだろう。
空は青く、見晴らしがいい。周辺に背の高い建物はないようだ。何故、窓が開いていたのだろう。ペンギンが景色を見るために開けたのか?まさか、事件当時は真夜中だったのだから。
「シャチさん、ここの窓って、昨日退勤した時には閉まってたっすか?」
「え?どうでしょう……ちゃんと確認した訳じゃないけれど、多分、閉まってたと思います。定時間際に急に、上司さんにお茶くみを命令されたんで。その時、開いてたら気付いたと思います」
上司が「そんなこと言ったか?」と惚ける。シャチに低い声で「言ったろうが」と脅され、青ざめていた。
「定時と言えば5時くらいっすよね。その後、ここに出入りした人はいるっすか?」
「さぁ……?パンダさん、どうですか?」
「いないんじゃない。来客は昼だったし、定時ギリギリなんて、みんなコーヒーなんか飲む暇があったら、さっさと仕事を終わらせて帰りたいだろうし」
「つまり、窓は犯人が開けたのか。給湯室で全裸にでもなったのか?」
キリンが首を捻る。窓を全開にして全裸になって気持ちよくなるのはキリンだけである。
「シャチさん、昨日使ったときと、乾燥機にかけられたカップの数に違いはあるっすか?」
「すみません、さすがにそこまでは覚えてないです」
「シャチ君がそんな賢いわけないじゃん!ハック君じゃあるまいし!」
「食われてぇのかパンダ」
パンダも青ざめ、上司と手を取り合った。ハックは唇に指をあて、しばらく考え込んでいた。やがて、ひょいと顔を上げ、タブーに
「さっきの手錠、貸してもらっていいっすか?」
と言った。手錠を受けとると、ハックは優雅な足取りで血だまりを飛び越え、軽やかに近付き、『彼』の両手に手錠をかけた。絶句する周囲を他所に、ハックはにこりと笑ってこう言った。
「あなたがペンギンさん殺しの犯人っすね」