タイトル未定2昨日の晴天が嘘だったような土砂降りだ。キリンは頬杖つき、うんざりしていた。
「これじゃ、外に食べに行くのは無理だな。ハック、部室で食うから、コンビニで何か買ってきてくれ」
「自分で行ってくださいっす」
「俺様、プリン」
「自分で行ってくださいっす」
ハックは今日も今日とて、後輩使いの荒い先輩にこき使われていた。ハックはこうなることを予期してちゃんと通学途中で昼飯を購入していたというのに。どうして後先考えない無計画な先輩の尻拭いをしなければならないのか。胸中は不満でいっぱいだが、「先輩命令な。腹減ったままだと調査もクソもねぇし、今日は解散かなぁ~」という横暴な先輩に根負けすることになった。日本の年功序列は悪弊だと思う。ハックはブチブチ言いながら傘を取った。
「エロ本も忘れず買ってこいよ」
ハックは後先考える計画的な男なので、傘を振り下ろして先輩の脳天をカチ割りたい衝動に耐えた。
足元をふんだんに濡らしてコンビニにたどり着く。弁当コーナーで適当に見繕っている最中、ハックはようやく、昨日のことを思い出した。サブローはやけに張り切って、今日のこの時間も弁当を持ってくると言っていた。
「……いやいや、この雨っすよ。これでいたら馬鹿でしょ」
脳内に沸いたサブローを追い出す。しかし、あれが馬鹿であることは、YBTならびにヤルミナ、全員がよく知っているのだ。仕方なくハックは理工学部棟へ足を向けた。これでいなかったら、出会い頭にサブローをぶん殴ってしまうかもしれない。いや、いたらいたで引くが。いて欲しいのか、いて欲しくないのか。
いて欲しいわけではないが、いなかったら、何だか自分が惨めだと思った。
けれど、ハックの心配は杞憂に終わった。前身から水を滴らせ、ガタガタ震えて待つお馬鹿さんがいたからだ。傍らに置かれた弁当箱が哀愁を誘う。サブローがいたことに喜べばいいのか呆れればいいのか。ハックはわざとバチャバチャと足音をたてて近付いた。スーパー前で飼い主を待っていたワンコのごとく、サブローがホットしていた。
「ハック!遅いじゃないか!さては天空の道が閉ざされていたのか!?」
「なんでいるんすか?」
「えっ!?約束したよな?」
サブローは涙目になった。こいつはすぐに泣く。
「したっすけど、雨っすよ。別に来なくてよかったのに」
サブローの涙がみるみる盛り上がる。今のはハックも心なかったかと反省した。
「……ハックに弁当を届ける使命がある。雨ごときに阻まれはしない」
「なにも泣くことないでしょ」
「これは雨だ!」
濡れ鼠のくせにカッコつけている。ブルブル震え、くしゃみを連発するので、サブローに傘を半分貸してやった。
「傘はどうしたんすか」
「翼を失墜し、さ迷える子羊に貸し与えた。僕は寛大だからな」
「ここ大学っすよ。傘なんて、購買にいくらでも売ってるじゃないっすか」
サブローはぱっくりと口を開けた。やはりこいつはノータリンだ。基本的に人を疑うことを知らないのだろう。恐らく、傘は借りパクされ、サブローの手元に戻ってくることはないと思われる。呆れるハックに、いっそ無垢な笑みが向けられた。
「それもそうだ。やはり、お前は賢いな、ハック」
「肺炎になって死にたいんすか。俺が来なかったら、一体どうするつもりだったんすか」
「ああ、約束だからな。お前の姿が見えるまで、しばし、ここで羽休めするつもりだった」
「約束っていっても、限度ってもんがあるでしょ」
「でもお前は来たじゃないか」
ハックは言葉につまった。ぶっちゃけ直前まで忘れていたのだが、それでもハックはちゃんと思い出し、ちゃんとやって来た。それは事実だったからだ。
サブローはブルブル震えながら弁当の包みを開いた。外側は池に落としたかのごとく塗れているが、中は無事らしい。
「ふふふ、今日は黄金の衣をまといしチキンにしてみたぞ!」
「唐揚げっすね。サブロー君が揚げたんすか」
「レクイエムだ。昨日の夕方から暗黒の聖水に漬け込み、しっかり二度揚げした自信作だ」
「暗黒なのか聖なる水なのか、どっちかにしてくださいっす」
弁当だけハックに渡すとか、屋内に避難するとか、そういう当たり前の発想がサブローにはないらしい。早く食って感想を言うよう、視線だけでせがんでくる。ハックはサブローの隣におずおずと腰を下ろした。濡れたベンチがズボンをピッタリ尻に張り付かせ、不愉快である。
湿気にも負けず、唐揚げはサクサクを保っていた。ニンニクとショウガがしっかりアクセントになっている。きんぴらごぼうにインゲンの胡麻和え、栄養バランスも考慮されていて、至れり尽くせりだ。
「あー、美味しいっす。衣が思ったよりべちゃべちゃしてないっすね」
そわそわ様子を伺っていたサブローが満面の笑みを浮かべた。勢いよく振られる尻尾が見える。
「そうだろうとも!充分冷ましてから入れたからな」
「朝から揚げ物してお弁当作って……サブロー君、何時に起きたんすか」
「レクイエムだ。5時だ。ママ……母さんに起こしてもらった」
「サブロー君のお昼ご飯は?」
「レクイエムだ。ないぞ。ハックの分を作っていたら、遅刻しそうになったから 」
このノータリンめ。ハックは腕に提げたビニール袋から、のり弁としょうが焼き弁当を取り出した。部室にレンジかあるため冷たいままだが、無いよりマシだろう。
「はい、好きな方食べていいっすよ」
「いいのか?」
「どうせキリンさんとタブーさんのご飯っすから」
「本当にそれいいのか?そもそも、タブーにしょうが焼き食わせるつもりだったのか?」
「文句があるなら食べなくていいっすよ」
ハックが凄みをきかせると、サブローは慌ててしょうが焼き弁当を取った。一つの傘に無理やり二人で並んで入る。反対側の肩がお互いに濡れている。たまらなく寒い。
「どうだ、ハック。うまいか」
「なかなかイケるっす」
「そうか。ふふ、へへ……ハックがくれた弁当も旨いぞ。僕はマ……母さんの手料理ばかりで、コンビニ弁当なんてあまり食べないから、なんだか新鮮だ」
「貰ってばかりも悪いんで、明日は俺も弁当作ってくるっすよ」
モグモグ鶏肉を咀嚼しながら言うと、サブローは目をパチパチさせた。長い睫毛から、真珠のような水の珠が滴る。
「あ、明日も一緒に、食べてくれるのか?」
「嫌なら……」
「い、嫌じゃない!嫌なわけがない!……あ、でもハックの弁当はちょっと……」
「やっぱなんか嫌そうっすね」
「嫌というか、生きて帰れるかというか」
しどろもどろのサブローに、ちょっと拗ねてみせる。すると泡を食って弁明を始めるのだから、どうしようもなくお人好しだ。
どうして明日の約束なんかしてしまったんだろう。朝の5時に起きるなんてまっぴらなのに。ハックは自分の言動が理解できなかった。多分、サブローが待っててくれたことが嬉しかったとか、プルプル震える姿が雨の日の捨て犬を連想させて憐れだったとか、そういうことを認めたくなかったんだろう。
一方その頃。ヤルミナティー部室では。待ちぼうけを食らわされた先輩二匹が、雨の音に耳を済ませ、ぐったりと机に臥せっていた。
「腹減った……」
「ギャパパ……あいつ、何してやがるんだ」
「ちょっと探しに行けよ」
「なんで俺様が。キリンが行けよ」
「何のためにハックをパシされたと思ってんだ。こんな雨の中、出歩けるか。豚の嗅覚で探してこい」
「俺様だって嫌だ!テメー部長だろうが!」
「部長だよ!部長命令だ!探しに行け、タブー!」
「ふざけんな!普段はちっとも部長らしくないどころか役立たずなくせに!」
「あ!お前、行ったな!ライン越えたぞ今!」
仲良く喧嘩していたが、本人たちの背中とお腹まで喧嘩を始めたので、やがて勢いを失い、どちらともなく沈黙した。どうしてハックが戻ってこないのか、さっぱり分からなかった。
もっとも、二人が後先考える計画的な先輩だったとしても、さすがにこれは予見できなかっただろう。つまりハックが悪い。傘で殴られても文句は言えない。