ワンライ『春の嵐』(2023/03/22)『明日は全国的に春の嵐となるでしょう』
司と約束したデート前日の夜、テレビから聞こえてきた声は良くない知らせを発していた。
春の嵐…メイストームデーとなるであろう明日は、不要不急の外出は控えるべきだろう…怪我をしてしまう可能性が高い場に私情で体を晒す訳にはいかない。
折角久しぶりに諸々の休みが重なり時間が出来たというのに…沈み始めている気持ちに気付かないふりをする様に、ガレージへと戻る。
早いうちに連絡を取らないといけないと分かっているはずなのに、約束を無かったことにしたくない我儘な感情がコールボタンを押す気力を減らし続けていた。
いっその事知らなかった振りでもしてしまおうか…そう考えてしまった己に自己嫌悪を抱き端末をソファへと投げ出すと、端末が振動を始めた。
震える指先で応答ボタンに触れる。
「突然すまないな。テレビで明日メイストームが来るとニュースをしているのを見てしまってな」
「…ああ、僕も見たよ。今連絡を取ろうとしていたところさ」
いっその事メイストームとは何か…とぼけてしまいたくなった気持ちを抑え、精一杯の嘘を吐き出す。
司を心配させてしまう声色になっていないか、それだけが心配だった。
「それで考えていたのだが…これからお前の元へ行ってもいいだろうか」
「これから…?」
「明日メイストームが来てしまうのなら、まだ来ていない今のうちにお前に会ってしまえばいい。訪問するには遅い時間だが…お前のガレージへ直行すれば親御さんにも迷惑はかからないだろう」
今、類のガレージでこれからの時間を過ごすお誘いをされたという事だろうか。
司の部屋や類のガレージで二人きりの時間を過ごしたことは何度もあったため、外出以外の択は全く思い浮かばなかった。
確かに、今司の家へ行くとご家族に迷惑を掛けてしまうだろうから類のガレージは適任だった。
「司くんがそれで良いのなら、僕は賛成だよ」
「ああ!ではこれから準備するから待っていてくれ!」
明るく響く声に沈んだ気持ちが一瞬で晴らされ、活力を得た体で母屋の方へと足を向ける。
親に事情を話すと承諾して貰えたので、ガレージへと戻りながら司へと連絡する。
『こちらも許可が貰えた。これから向かう』
素早く返信された文字を読み、『気をつけてね』と返す。
じっとしている事が出来ずに何となく床にちらばっているものを端へと寄せていると、ノック音が聞こえた。
「お邪魔するぞ、類」
「司くん、いらっしゃい」
扉を開き、強くなり始めている風と共に司を迎え入れる。
扉を閉めると、既に荷物を置きソファへ座っていた司の隣に座る。
「急な申し出に応じてくれた類のご両親には感謝してもしきれないな」
「それだけ司くんが信頼されているということさ。『天馬さんが大丈夫なら問題ない』と両親も言っていたよ」
「今はまだ秘密の関係だが…いつかきちんと挨拶を出来るようこれからも精進せねば!」
将来も共に居る事が当たり前のような発言にむず痒さを感じていると、ガタガタと風が壁を揺らす音が響く。
ガレージは強固なので心配は無いはずなのだが、その音は不安な気持ちを生み出す。
扉へ視線を向かわせながら案じていると、手が温かさに包まれる。
「何が起きてもこの手は離さないからな。大丈夫、だ」
「…君の言葉は、本当に強くて温かいね」
指を絡められながら静かに言葉を伝えられる。
どんなに些細なことでも馬鹿にすることなく真摯に応えてくれる優しさは、時に受け取るのが怖くなってしまう程で。
司は自分の意思で自分との事を真剣に考えてくれているのは分かっている…はずだというのに。
己が彼を鎖で繋ぎ止めてしまっているのではないかという不安を感じない事は無かった。
彼にはもっとお似合いの相手が居るのではないか、彼をもっと幸せにしてくれる相手が居るのではないか…最悪の事態をいつも考える。
「…類、今何を考えている」
「…別に……何も考えていないよ」
「……ならば、オレの目を見てもう一度言ってくれ」
悪い癖が出てしまい黒い思考に囚われかけていた所を引き上げられ、誤魔化しを許さない眼力に屈し口を開く。
「司くんは、優しすぎる」
「ん?」
「君は、僕が欲しいものをいつもくれる。僕が自分でもわかっていない程に、欲しいものを」
「…嫌なのか」
「嫌、では…ないけれど………ただ、怖いんだ。君が僕から離れていってしまったら、僕はもう独りでは生きていけな――」
体に衝撃が届き、溢れ出した不安が途切れる。
司に抱き締められていると気が付くのに時間を要してしまった。
「今、手を離さないと言ったばかりだろう」
「あれは、僕が風の音に気を取られてしまったからではないのかい」
「お前な…」
ため息が聞こえ、会話が噛み合っていない様子に焦りが生じる。
どうしたら良いか分からないままこちらからも腕を背に回し抱き着くと、シャンプーの香りが鼻腔を擽った。
彼はあの短時間で身を清め準備をし、類の元まで駆け付けてくれたというのに。
「…僕は、また君に失礼な事を言ってしまったんだね……すまない、司くん」
「分かってくれたならいいんだ。それに、何度でも伝えるし逃がしてなどやらんからな」
「…うん、ありがとう」
非礼を詫びると、彼はそのまま後ろに倒れた。完全に脱力しているのか、抱擁も優しいものへと変わっていた。
共に倒れた反動で頭が胸元に近づくと、規則正しいリズム音が脳に響く。
風が壁を揺らす音に負けない力強さで脈動する鼓動に聴き入るように、瞳を閉じた。
彼は逃がしてくれないと言った。
人によっては、枷に感じてしまう言葉なのかもしれない。
彼はそれでも、自分にはそれくらい強い言葉が必要だと判断し与えてくれた。
彼は人付き合いが下手な自分の事を良く見て手を差し伸べてくれる。
そんな彼へ、返せるものは。
「…司くん、君にやって欲しい演出があるのだけれど」
「なに!?」
「フフッ…嬉しい反応をしてくれるね」
上体を起こしてまで反応する様子に笑みが溢れてしまう。
期待に応えるべく立ち上がる頃には、激しさを増したはずの風の音は気にならなくなっていた。