茜色が広がる夕暮れ時。穏やかな表情を見せている空の下で、一つの亡骸が地に伏せた。的確に急所を撃ち抜かれたショックと共に生命活動を停止したそれは恐怖の表情を浮かべたままであったため、せめてもの情けにその瞼を下ろしてやる。
辺りに追っ手が居ないことを確認し通信を開始する。任務の完了を伝えると帰還命令が下った。後処理は他の担当に任せられるらしい。この場に残る理由が無くなったので走早にその場を立ち去った。
報告を終え拠点を後にする頃には短針が頂から傾いており、仕事からの解放に気が抜けたのか重々しい疲労がのしかかる。重い体を引き摺るように歩みを進めていると、気が付いたら自宅とは違う建物に辿り着いていた。やってしまったと気付いた時には既に遅く、扉が大きな音を立て開かれる。
「こんな時間にどうした、ルイ! ……待て、逃げるな! 疲れているんだろう、少し休んでいけ」
「……別に、大丈夫だよ」
「駄目だ。そんな状態のお前を一人に出来るわけがないだろう」
そんな状態とはどういう事なのかよく分からなかったが、彼が離してくれる気配がなかったので大人しく従い建物へと入る。
突然の来訪者であるルイを招き入れたのは、密かに交際を続けているツカサが持つ探偵事務所だった。奥の部屋へと入っていった様子を見届けながら、来客用のソファに座る。最近満足に休息を取れていない事がバレてしまったのだろうか。彼が自分を気にかけてくれているのは有難いが、栄養の為と野菜を強要されるのだけは勘弁して欲しい。
「君は自分の事務所を持てたばかりで忙しいはずだと言うのに、すまないね」
「気にするな。オレも少々根を詰め過ぎていて、少し気分転換をしようかと考えていたところだ」
「なら、やっぱり僕なんかの相手を――」
「――ルイ。なんか、は止めろと言ったはずだぞ」
「…………すまない」
大人しく反省すると、近付いてきた彼に頭を撫でられる。その手に持っていたポットからほんのり漂う香りに、沈みかけていた思考が引き留められた。
対面に座ったツカサは、カップにハーブティーを注いでいく。ポットから解き放たれより強く伝わってきた香りに、帰ってきた、と漸く実感が湧いてきた。
ハーブティーを注ぎ終えたツカサが自分のものに口をつけたのを見て、同じように飲み始める。まるで身体中を温めてくれるかのような感覚に包まれていると、彼が口を開いた。
「今日の任務は、難しいものだったのか?」
「ん? いや、特にこれといった難点の無い任務だったよ」
「……そう、なのか」
彼にしては珍しく歯切れの悪い様子に、首を傾げる。そんなに疲れを顔を出してしまっていただろうかと不安に思っていると、突然立ち上がった彼が此方へと近付いてくる。目的も分からずその様子を目で追っていると、額に温かい感触が伝わった。
「……なっ、ぇ……?」
「ハハッ、すまん。だが、元に戻ったな」
「も、とに……?」
「瞳が、仕事をしている時の……それと同じままだったからな。どうにかして目を覚ましてやらねばと、思ったんだ」
そんな状態、そう言っていた彼の姿を思い出す。あの暗闇の中、状態を全て見切っていたというのだろうか。切り替えられていたと思い込んでいたという事実を認識すると、突然言葉が脳裏に響き渡った。
『俺は何も知らない!! ただやらされているだけだ!!』
『女房と、娘が居るんだ……だから、だからどうか命だけでも……!!』
地に墜ちて行ったはずの亡骸が此方へと手を伸ばす。此方を見上げてくるその表情は恐怖により醜く歪んでいて――
「ルイ、大丈夫だ」
体が、温かい感覚に包まれる。いつの間にか隣に座っていたツカサに抱かれていたと気付くのに、時間をかけてしまった。まるで子供をあやす様に背を叩き出すので抜け出そうとするが、存外しっかりと抱き締められていたようで叶わなかった。
「難しい、ものだったか」
「……また、騙されていた一般人だったよ。妻子が居るようだった」
「……法外な報酬だったはずだ。手を伸ばした方にも……非はあるだろう」
胸元から顔を上げると悔しさに歪んだ表情を浮かべ歯を食いしばっているツカサの姿が目に映った。
彼は、過去に妹が巻き込まれたらしく裏社会の事に少なからず精通しており、罪の無い一般人が裏社会に巻き込まれてしまう現状を変えたいと思っているようだった。
そんな裏世界でのひょんな事で知り合った時、既に国のエージェントとして働いていたルイはツカサを誘った。その際彼は「国の手が回りきらない所にいる人々を助けたい」と言ったのだった。
その後様々な場所で経験を積み、漸く自分の事務所を持つことが出来る程にまで成長したが、まだまだ歴の浅い探偵にはそんな大掛かりな仕事が来ることも無く関わる機会も無い。そんな彼は「身近な人々を守れなくては意味が無いからな!」と持ち前の明るさで近所の人々とコミュニケーションを取り、コツコツと信頼を築きあげているようだった。
「だいぶ、落ち着いたよ。ありがとう。突然、すまなかったね」
「気にするな! ……と、言いたいのだが、少し手伝ってもらってもいいだろうか。飼い犬の捜索依頼が来ているのだが、足取りが全く掴めなくてな……」
「……フフッ、勿論だよ。可能な範囲で情報を教えてくれるかな」
了承すると、懐から手帳が取り出される。ペンが挟まっており開かれたページには、沢山の文字が書き込まれていた。どんな事にも一生懸命に取り組む姿に、彼が彼らしさを持ち続けたまま生きていくことの出来るように世界を守り続けたいと、改めて思った。
でも、まずは。目の前で真剣に犬の生態について語り始めた恋人を止める事が大切だと、そう強く思った。