ワンライ『実感』(2023/04/12) ピピピ。
目覚ましにセットしたアラームの音に起こされ、ソファから体を起こし体を伸ばすと欠伸が漏れる。
ガレージのシャッターを開くと、外には清々しいほどの青空が広がっていた。
何となく、その至って普通な青空に気持ちが引き上げられ行動を起こす。
制服に着替え母屋に顔を出すと、母は笑いながら朝食を作り出した。
いつもは時間ギリギリまでのんびりしているので、この時間に類が顔を出すのは希少なのだ。
取りに来るように言われ、二人分の目玉焼きをテーブルまで運ぶ。
「いただきます」
手を合わせて挨拶すると、早速中央へと箸を運ぶ。
少し力を入れただけで溢れ出すトロトロの黄身は美味しさを際立てるが、何より見ていて楽しい。
幼少の頃より食べ慣れた筈のその味は、いつもより美味しいように感じた。
「いってきます」
もはや通い慣れた通学路だが、時間帯がいつもより早いせいか景色が少し変わって見える。
忙しなく動く人々の動きを眺めていると、後ろから声が掛かった。
「…類?」
「おや。おはよう、司くん」
「あ、ああ…おはよう。今日は、早いんだな」
「うん。気まぐれってやつかな」
立ち止まると司が早足で近付いてくる。
右に立とうか左に立とうか悩んでいる様子だったので左にズレると、一瞬左に足を進めたあと慌てて右に足を進めて二人で横並びになった。
挙動不審な様子に、珍しいものを見れたと嬉しくなる。
それでも話を始めてしまえば自然とショーの話題になり、会話に夢中になる。
早起きもたまには良いのかもしれないと、ふと思った。
チョークが黒板を叩く音を聞きながら、百人一首の和歌集を解説する教師の声を聞く。
いつもこの時間は湧き続ける演出案を書き留める作業に没頭するのだが、何となく目の前に広がっている光景が気になってしまったのだ。
明けぬれば、から始まるこの一文に込められた思いを熱く語る様子がなんだか面白くて、その時間はチャイムがなるまで視線は前を向き続けていた。
昼休憩、司と昼食を摂るために屋上へ向かう。
今日はコンビニだったのか、ビニール袋を持った司がフェンスのそばに座っていた。
購買で購入したハムサンドの袋を剥がすと司の前に差し出す。
「司くん、このハムサンドと――」
「交換しないぞ」
「そんな…君は僕が悶え苦しむ姿が見たいのかい…?」
「嫌だったら野菜の無いものを早く買えば良いだろう…全く」
手を伸ばしてくれたのでハムサンドを渡すと、中からレタスが引き抜かれるとそのまま返された。
確かに目の前からレタスは消え去ったが、レタスが挟まれていたという事実が消えることは無い。
「…それくらいは頑張って食べるんだ」
「ええ…」
「…頑張れるだろう?」
駄々をこねる子供に困っている親のような顔で言われてしまい、渋々レタス抜きハムサンドを口に含む。
レタスの残り香に口内が支配されるのが嫌で、急いで胃の中に押し込み水で流し込む。
胃の中にレタスの残滓があると考えただけで気分が悪くなりそうだった。
「………っ」
「偉いぞ、類。ほら」
「…ん?」
沈んだ気分でフェンスに寄りかかっていると、食べ終えたらしい司に何かを手渡された。
包み紙に包まれたそれは、スーパーでよく見る至って普通の飴だった。
「それを舐めて少しでも気分を和らげたらいい」
「司くんが交換してくれればこんな気分にならずに済んだのだけれど…」
「それはそれ、これはこれ、だ」
複数の飴を持ち歩いているのか、司は似たような模様の包み紙から飴を取り出すと口に含んだ。
同じように包み紙から飴を取りだし口に含む…どうやらラムネ味のようだ。
口の中に広がる風味は、レタスの存在を掻き消す手伝いをしてくれる。
噛まないようにコロコロと舌で飴を転がし、舌から溶けきるその時までその感触を楽しんだ。
「……あ」
帰りのHRが終わった放課後。
今日は特に予定もないので、真っ直ぐ家に帰って機械のメンテナンスでもしようかと思案していた時、引き出しから日誌が出てきた。
そう、今日は日誌当番だったのだ。
栞の紐が挟まれているページを開く…昨日の日付が書かれている。
そして次のページを開く…勿論何も記入されていなかった。
溜息を吐きながら席に座り、筆記用具を取り出すと日誌の記入を始める。
何も無くてよかった…今日フェニックスステージのメンテナンスが行われていなかったら、いつも通り行われていただろう稽古に遅れてしまうところだった。
「…類は、居るか?」
「ん?」
己を呼ぶ声がして、日誌から目を離し声の聞こえた方向へ視線を移す。
殆どのクラスメートが部活やら帰宅やらで姿を消していた教室だったので、視線が交差するのに時間はかからなかった。
帰る前なのだろう、鞄を持った司が教室へ入ってくる。
前の席のクラスメートが司に座るよう促してくれたので、司は感謝を述べこちらを向いて着席した。
「日誌か?」
「うん。今日当番だったのをすっかり失念してしまっていてね」
「…なるほどな」
状況を伝えると、司は鞄から台本を取りだし黙読し始める。
別に共に帰る約束はしていないはずだから、待っている必要は無いはずなのだけれど。
帰れというのも違う気がしたので、日誌へと意識を戻した。
「お待たせ、司くん。帰ろうか」
「ああ」
誰もいなくなった教室を出て、誰もいなくなった昇降口を出る。
部活中の生徒達の声を遠くに聞きながら、校門を通り抜けた。
「…類は、この後…その、用事とかは…あるか?」
「ううん。無いよ」
「なら、少し寄り道を…しても、良いだろうか」
「構わないよ」
目的地を特に告げないまま歩き出した司の後に着いていく。
辿り着いたのは、真っ直ぐ帰宅するには少し遠回りした道にある公園だった。
辺りに人が集まらない木陰にある、二人掛けのベンチに腰掛ける。
この景色は…昨日見たばかりだ。
「…類、昨日の事…忘れていない……よな………?」
「……え?」
「…いや、その……いつも通り、なのだな…と」
「………ああ、すまない。その…実感が、湧かなくて」
――昨日。
フェニックスステージでの稽古も終わり、二人で帰り道を歩いていた時の事。
何となく空腹感があり、コンビニで食べ物を買って寄り道をしようということになったのだ。
ホットフードが入ったビニール袋を提げながら、少し遠回りになる道にある公園のベンチに腰かける。
稽古の反省や今後の予定についてを二人で話しながら食べるアメリカンドッグは、不思議といつもより美味しく感じた。
話も一段落し、そろそろ帰路に着く頃合だろうか…そう思っていた時の事だった。
『好きだ』
ポロリと、独り言のように聞こえたその言葉は、どこか現実味のない響きだった。
『…司、くん……?』
『はっ!…あ、いや…すまない、なんでも……くっ』
慌てて誤魔化そうとした司は、拳を握り頭をブンブンと振るとこちらに向き直った。
両手が両手に包まれ、視線が交差し琥珀色の瞳に囚われそうになる。
『本当は、オレの頭の中にある数々のシチュエーションの中からベストなものを選び行動しようと思ったのだが…』
『…つかさ、くん』
『好きだ、類。オレの、恋人になって欲しい』
息が詰まる。
真っ直ぐとこちらを見つめ反応を伺う姿に、思わず目を逸らす。
何と返したら良いのかが、分からなかった。
『…類は、何を恐れている?』
『………っ』
『お前の事だ。オレの事が嫌いなら、スッパリと振ってくれるだろう?そうしないということは、首を縦に振りたくない理由が他にあるという事だ!』
明るい声で笑顔を返す司に、胸が苦しくなった。
いつもの自信満々な笑顔をしているように見えて、その口は引き攣っているし手も若干震えている。
彼はちゃんと、考えた上で行動に起こしてくれているのだ。
『きみは、皆のスターだ』
『類にそう言って貰えるのは嬉しいな』
『だから、ぼくが…独り占めにしてはいけないんだよ』
『む?何故そうなる。皆のスターで有るのだから、類のスターでもあるだろう』
『僕は!…きみ、を…独り占めしたくなるのが、嫌なんだ…!』
『ふむ…ならば、類に独り占めにされてもなお皆を照らすだけのスターに、オレが成れば問題ないだろう?』
『…そん、な…こと……』
彼の事を邪魔してはいけないと、自分は彼にとって障害にしかならないと…ずっと、好意を隠してきた。
嫌われたくなくて、離れて欲しくなくて…ずっと、言えなかった不安を…彼は受け止めようとする。
神代類という重荷を背負う事になるというのに、まるでそんな事は重荷でもなんでもないと…そう、誤解したくなるような力強さで。
『ほかにはあるか?』
『………ううん』
『ならば、類。この手を…取ってくれないだろうか』
両手を包んでいた両手が離れていく。
そして立ち上がり差し伸ばされた手を取るために、自分も立ち上がった。
『……僕も、好きだよ。司くん』
――忘れる訳などないのだが、一生叶わない恋だと諦めていたのでどうにもあの出来事が夢のように思えてしまって。
彼を恋人だ、となかなか思えないでいた。
「…実感、か。……本当は、もう少し日が経ってからでいいだろうとは思ったのだが」
司がひとりごちると、ベンチに置いていた手に上から手が重ねられた。
触れ合った体温に、思わず手を引こうとしたが手を掴まれてしまい叶わなくなる。
手を触れ合わせるなど握手等で数え切れないほどしているはずなのに、気が動転してどうしてたら良いのか分からなくなってしまう。
対応が分からず固まっていると、手がゆっくりと動き出し…指が絡み合った。
これは、俗に言う…恋人――
「ひっ!?」
「…驚き過ぎだ」
「…は、は、はなして………!」
「お前が実感が無いとか言うからだ。オレ達はこういう事をする仲になったのだからな?」
「…わ、わかっ、た……わかった、から……!!」
必死に懇願すると手が解放され、思わず胸元で掴まれた手を覆うように両手を重ねる。
まるでこの一日分の衝撃が一気に押し寄せたような勢いで襲いかかり、心臓が煩いくらい鼓動していた。
鼓動を抑えるべく深呼吸していると、体が温かい感触に包まれる。
落ち着く、におい――
「うっ、……は、はなして…」
「もう二度と実感が無いなんて言われたくないからな」
「…も、う……十分、だから…!!」
頭がクラクラしてきてしまった…自分がいかに愚かだったかを思い知る。
もう二度とあんな事言わないから離して欲しい…このままでは心臓が破裂してしまいそうだ。
「類のこんな姿が見れるとはな」
「…忘れてくれ」
「すまないが、その願いは聞けないなあ」
抵抗しても、解放してくれるつもりは無いようで更に強く抱きしめられる。
仕方が無いので、嬉しそうな笑顔を浮かべる恋人に免じて大人しくその腕に包まれることにした。