ワンライ『サイン』(2023/04/19) それは、本当に微かな違和感。
稽古をしている時はいつも通りに見えるというのに、休憩中にふと視界に入った彼は何かが違うように見えた。
司は役作りの為なら限界まで挑もうとする…それが、無茶だと止めてしまいたくなるような事だとしても。
彼の良い所で有るその挑戦的な姿勢は、一歩間違えれば二度と体を使えなくてしまうかもしれない危険性を孕んだ行動でもある。
それを失念する程愚かな人間ではないと理解しているが、念には念を入れて置いた方が良いのかもしれない。
「司くん、この後少し時間を貰ってもいいかい」
「ん?ああ、構わないぞ」
女性陣には少し残る旨を伝えると、鳳家の送迎車に乗って二人は去っていった。
その様子を見届け更衣室に戻ると、扉を閉める。
部屋の中央にある長椅子に座ると、司もその隣に腰を下ろした。
「らしくないね。司くん」
距離が近くなったことで、違和感の正体に気が付く。
何食わぬ顔で座っていたその顔に手を伸ばし頬に手を添え、親指で目元を伸ばすと初めてその表情が僅かに引き攣った。
「僕に出来ることであれば、手伝わせて欲しいな…?」
上目遣いで下から見上げるように懇願すると、微かに呻き声が聞こえた。
無言で視線を投げ続けていると、隠し事の出来ない性格をしている司はやがて口を開いた。
「…実は、最近…夢を見るんだ」
「夢?」
「ああ。類が、出てくる夢…だ」
重々しい表情で語り出すのでどんな悪い夢を見たのだろうかと思えば、自分が出てくる夢らしい。
しかも、見る…ということは、何度も見ているということだろうか。
そして何より、その顔色は暗くなるどころか赤く色付き始めているような。
「オレが至らないばかりに隈を作ってしまい、類に心配させてしまったようだな…やはり、話しておこうと思う」
「…その、ひとまず…何か無理をしているようでないのなら別に――」
「オレが初めてこの夢を見たのは、一昨日の夜だ」
「え、いや…べ、別に大丈夫――」
薮を続いてしまったのでは…と気が付いた頃には、司は真剣な表情でこちらに視線を投げかけており逃げるに逃げられない状況となってしまった。
仕方が無いので大人しく向き合うと、司は咳払いをした。
「…その、オレ達が……き、きす、を…する夢を見るのだ」
「へ?」
「確かに、類と…きす、をしたいと思ったことはあるが、夢の中で勝手に類ときすする、と、いうのは…申し訳が、無くて…だな…」
言葉が出ない、とはこの事をいうのだろうか。
司は夢に見てしまうほどにキスをしたいと思っていて、それを言い出すことを憚っていたら何度も夢に出るから多少の睡眠不足に陥ってしまっていた、という事なのだろうか。
それこそ、一昨日といえば…あまりにも手を出してこない司に、こちらから手を繋ぎに行った事で鼓膜を失いかねない返事が返ってきたのでは無かったか。
手を繋ぐだけであそこまでの悲鳴をあげるほどの彼が、夢に見るほどキスをしたいと思うのだろうか…違う。
彼が、手を出してこなかったのは――
思い至り、顔に熱が集まるのを感じ口元に手を当て視線を逸らそうとすると、咄嗟に反対の手が掴まれ悲鳴をあげそうになるのを堪えた。
頬に手が添えられこちらに視線を投げかけられる。
先程声を掛けた時からは想像もつかない方向に事が進んでいて、脳がパンクしてしまいそうになる。
「………類。キス、したい」
「……………っ」
「…手を、退けてくれないか」
力ずくで手を剥がすことだって出来るだろうに、きちんと此方の意志を確認してくれるところが本当に司らしい。
正直恥ずかしさのあまり今すぐここから逃げ出してしまいたいと思ってしまっているが、決して嫌だとは思っていないはずだ。
自分を納得させ、手を退けてそのまま腕を伸ばすと体が近づいてくる。
瞳を閉じて少しすると、唇に温かい感触が伝わった…かと思えば、その熱は直ぐに離れていく。
離れていったはずなのに、いつまでも残り続けているように感じる熱が鼓動を早くした。
「……満足、したかい」
「…した、といえば嘘になるが…おかげで今日はぐっすり眠れそうだ」
「………なら、よかった」
余韻に浸っていると、館内の定期放送が響いた。
名残惜しいが、そろそろ警備の巡回が来てしまう…鞄を手に取り立ち上がる。
「類!」
更衣室を出る前に呼び止められ振り返ると、手が差し出されたので己の手を重ねる。
前回は突然手を伸ばし驚かせてしまったから、落ち着いて手を繋ぐのは初めてかもしれない。
「類に心配は掛けさせたくないからな…これからは隠さずにきちんと行動に示そうと思う」
「程々に頼むよ…」
悩みを解決する手助けをしようとしたら、こんなに恥ずかしい思いをすることになるなんて予想出来なかった。
それでも晴れ晴れとした表情をしている恋人の姿を見ていたら、なんだかどうでもよくなってきてしまう。
気持ちを切り替えると、手を繋いだ僕達は警備員に捕まってしまわないように出口まで一緒に駆け出した。