ワンライ『距離感』(2023/05/31)「あっ」
「あっ」
類が持ってきた演出案ノートを元に、次の演目で使用できそうな演出を考えていた時。
ページをめくろうとした彼の指と、それに気づかず一つの案を指差そうとした自分の指が、ほんの少しだけ触れ合って。
それまで順調に進んでいた会話がパッタリと途切れ、存外恥ずかしがり屋らしい彼は「御手洗に行ってくるよ」と逃げるように屋上から姿を消した。
肩が触れ合ったり、髪が絡み合ったり……指が、触れ合ったり。
こんな事、これまで何度もあったはずだと言うのに。
触れ合い等気にならないほどにショーについての話を続けることが出来ていたはずの関係は、互いの想いを通わせた事によりズレが生じてしまった。
最初は互いに恥ずかしい程顔を赤くして視線を逸らしあったりしていたが、そんな日々を過ごすうちにそれ以上に触れ合いたい気持ちが上回り、思い切って手を握ってみた時もあった。
そんな恋人の行動に対して彼は見たこともない程に顔を、手を、赤くし逃げるようにその場を去っていってしまった。
その時の後ろ姿は脳裏に焼き付いてしまっていて。
キィ、と扉の開く音と共に類が屋上へ戻ってくるので、立ち上がり足を向ける。
「大丈夫か、類」
「……すまないね。もう、大丈夫だよ」
珍しく捲られていない袖口で口元を隠しながら、視線を合わせられることなく返答が返ってくる。
頬はまだ少し赤みかがっており、まだ完全には持ち直していないようだ。
「このままでは、ショーに影響を及ぼすかもしれない」
「……う、ん」
「放課後、オレの家に来ないか」
類の事だ、ショーの最中に体が触れ合ったからといって先程のように硬直してしまう事は無いと信じている。
それでも日常に支障がないほどには慣れておかないと、もしもがあるかもしれない。
長い長い沈黙の後、彼はゆっくりと頷いた。
―――
家の鍵を開け、中へと入る。
たまたまとはいえ今日は両親の帰りが遅く、妹も最近は練習が大変なようで帰りが遅い日々が続いている。
暗くなった後に帰ってくる妹を不安に思わない事は無いが、それは彼女らも重々承知していて対策しているようなので信じて任せている。
「オレの部屋に行っていてくれ、茶の用意をする」
「僕も手伝うよ」
「気持ちは嬉しいが、オレだけで大丈夫だ。もてなさせてくれ」
作業中にまたどこかが触れ合う事で、類に怪我をさせてしまうかもしれない……彼には申し訳ないが、今の状態ならば一人で待っていてもらうしかないだろう。
冷蔵庫の中からお茶の入った冷水筒を取り出し、中身をコップへ注ぐ。
目に入った茶菓子をおぼんに載せると、自室へと足を向けた。
「待たせたな」
「う、うん、ありがとう」
自室へ辿り着くと、そこにはベッドに腰掛け縮こまっている恋人の姿があった。
苦笑しおぼんを机の上に載せると、その隣へ腰を下ろす。
ベッドの上に置かれている手に触れるべく手を伸ばすと、まるで反射的な反応のように体が奥へと飛び退く。
「るーい」
「……っ」
少しずつ距離を詰めると、手を胸の前で抱き締めてしまった類も詰まった距離を戻すように後ずさって行く。
壁は周りに無いとはいえ、ベッドの端まで辿り着いてしまった彼は遂に後ずさる事を止めた。
ゆっくりと手を伸ばし、きつく抱き締められている手を救出する。
その手は汗で濡れており、酷く赤い顔からは想像がつかないほどに冷たく震えていた。
「怖いか」
顔を俯かせたまま一言も発することなく浅い呼吸を繰り返す姿に不安が溢れる。
それでも返されたのは、頭を小さく横に振る動作だった。
彼が振り払おうと思えば容易に出来るほどの力加減で手を握っているから、きっと極度に緊張してしまっているだけなのだろう。
手の震えが収まるまで、両手で包み熱を伝え続けた。
「……すまない」
ようやく震えが収まったので元の位置に戻り改めてベッドに腰掛けると、細々とした声が発せられる。
俯いたままのその頬に手を伸ばし、視線を合わせる。
「司くんのことを意識すると、その……様々な感覚に支配されるんだ」
「様々な、感覚……?」
「呼吸が苦しくなって、手の震えが止まらなくなって……それ以上に、鼓動が身体中に響くんだ。雑音が何も聞こえなくなって、司くんの事しか考えられなくなる」
手首が掴まれ、そのまま胸元へと宛てがわれる。
服の上からでもはっきりとわかるほどに、その鼓動が伝わってきた。
「……オレは、類が恥ずかしいのなら無理に触れ合う必要は無いのだし他の方法を探そうかと思っていたのだが……どうやら、真逆だったようだな」
後頭部へ手を伸ばし胸元へ抱き寄せる。
押し退けようと伸ばされた手に己の指を絡め動きを封じると、抵抗の力が弱まった。
力強く握られていた手から徐々に力が抜けていき、やがて離れていったかと思うとそのまま腕が背に回される。
恥ずかしさを誤魔化すためか、胸元に擦り付けられる頭を撫でると小さい唸り声が聞こえてきた。
「類は恥ずかしいのかもしれないが、悩みは一人で抱えずに打ち明けて欲しい。オレが出来ることなら、なんだって協力するからな」
「……うん。ありがとう、司くん」
羞恥が収まったのか、胸元に埋まっていた顔が姿を現す。
漸く彼の方から投げ掛けてくれた視線に応えると、その檸檬色の瞳は笑みに細められ輝きを増した。