ワンライ『サプライズ』(2023/06/21) 司が動かすシャーペンの芯が紙を擦る音が、類の部屋中に響いていた。
普段のテストを一夜漬けで挑む彼だが、英語に関してはテストのためではなく自分の為に身に付けたいようで、こうしてたまに予習の手伝いをしている。
そろそろ受験勉強へ向けて持続的な勉強も必要になってくるのではと思いながらも、彼もそれを理解していると信じて今は深く突っ込まないようにしていた。
英語を日本語のような話せるようになるべき言語と認識している人は少なく、学校で勉強する分野としか認識していない人の方が圧倒的だ。
そんな環境で英語力を高めていくには、英語を身近なものにしていく努力を自ら行っていかなくてはならない。
そんな彼が現在力を入れているのは、授業を受ける前に行う英語の教科書の翻訳作業だった。
教科書の英文を事前に訳す作業は英語の読解力を高め、意味を理解した上で読み上げることで英語に慣れていく。
ここまで全て自分で思考し行動に移す決断を行うことの出来る彼の向上心は本当に素晴らしいと思うし、そんな彼を傍で支える事が出来るのはとても光栄な事だった。
「ふぅー……」
「……うん、大丈夫だよ。お疲れ様」
音が止みシャーペンが机に倒れると共に、司は体を伸ばしていた。
質問されたらすぐ答えられるように正面から覗いていたので、大きな誤りがないのも確認済みである。
体を伸ばし終わった彼がコップの中のお茶を一気に飲み干したので、ピッチャーの中身をコップに注いだ。
「自分のものは自分で注ぐから大丈夫たと言っているだろう?」
「僕が注ぎたいと思ったから注いでいるんだよ」
「……そうか」
予想通り足りていなかったらしい司はコップへ手を伸ばし口を付けた。
その様子を見ながらピッチャーを机に置き、正面から隣へと移動する。
腰を下ろすと直ぐに顔が近づき、少し冷たい感触が唇に広がった。
軽く触れる程度で離れていく感触に寂しさを覚えていると、彼はピッチャーの中身をもうひとつの空のコップに注いでいた。
「自分で注ぐから大丈夫だよ……?」
「オレが注ぎたいと思ったから注いでいるんだ」
「……そう、かい」
小さなやり取りを交わしただけだと言うのに、胸が温かくなる。
口元が緩んでいるのを自覚してしまい、見られないように誤魔化しながら空ではなくなったコップへと手を伸ばした。
礼を述べコップに口を付け、少し温くなり始めていたお茶を飲み干した。
「今日も時間を作ってくれて助かった。ありがとう」
「司くんの為だからね。それに、人に教えることは自分の為にもなるから、気にしないでくれ」
勉強道具を片付け始めた司に感謝を述べられる。
嬉しそうな表情で手を動かす姿につられて頬も緩んでしまうのを誤魔化すように、机からベッドへと移動する。
彼はよく破顔している類の顔を見ると嬉しそうにしてくれる。
とはいえ意図的か無自覚か、もっと見たいなどと言い恥ずかしい思いをする羽目になるのでどうしても隠してしまう。
バレてしまわないよう様子を伺っていると、片付けを終えた彼と視線が交わった。
「……っん」
真っ直ぐ此方へと近付いてきた司と、どちらからともなく吸い寄せられるように唇を重ねる。
さっきのような口付けでは物足りなくて彼の体に抱きつくと、応えるように後頭部に手が回され粘膜が唇を割って侵入してきた。
粘膜同士が擦れ合う感覚に体の力が抜けていき、ベッドへと横たわらされる。
「はぁ……つかさ、く……っ」
「っ、類……!」
一度体制変更のために開いた距離が再び縮まる。
二人の熱を混ぜ合わせるこの行為が、類は結構気に入っていた。
――ピンポーン
突然鳴り響いた来客を知らせる合図に、思考が呼び戻される。
今家には自分達しかいない為、相手をしなくてはならない。
袖で口元を拭い、司に断りを入れると部屋を飛び出した。
「……どうやら住所を間違えられたみたいだったよ」
状況を伝えながら自室へと戻ると、ベッドに座り項垂れている司の姿が目に写った。
宅配等の来客がある場合は親から事前に伝えられる事になっているが、今日は特に言伝がなかった。
その為来客がないと完全に油断してしまっていた訳だが。
隣に腰を下ろすが、その体は微動だにしなかった。
「……司くん?」
顔を覗くように体を傾けると、上気したままの顔が逸らされる。
突然の事だったとはいえ、気を切り替えきれていないのは彼にしては珍しい。
本人の意思とは関係ない突然の出来事に、普段以上に苦戦しているのだろうか。
ドクン、と彼の興奮が移ったかのように暴れそうになる鼓動を誤魔化し、彼へと手を伸ばす。
そのまま両肩に手を付き体重を掛ければ簡単にその体は倒れてしまった。
「……今日はね。来客の予定は無いんだ」
彼を見下ろす体制のまま、視線を合わせ事実を述べる。
もう邪魔は来ないのだと、明確に伝えるために。
「だからね」
彼の胸元へと手を伸ばすと、その暴れんばかりの鼓動が伝わってくる。
視線は此方をしっかりと捉えており、もう逸らされる様子は無い。
「インターホン、一時的に鳴らなくしてしまったよ」
視線の先で、彼の瞳が強烈な光を放ったような気がした。