私は嘘つきなのです。
吸血鬼退治人である私ロナルドは、一般の人と比べると職業柄ポーカーフェイスを保たなければいけない場面も多いこともあって、本音を隠すのが得手だと自負しております。退治で疲れた早朝でもファンの方に握手をお願いされたら嫌な顔一つ見せずににこやかに、どれだけ面白おかしくヘンテコなお性癖吸血鬼でも悪いことをしていたら毅然とお話し合い。退治人たるもの自分の外見や言動がもたらす効果について十分に把握してコントロール下におく、いわゆるセルフプロデュースが大事なのだと師匠から教わりました。
同時に職業作家としての一面を併せ持つ私は、口もよくまわります。思っていることも、思ってもいないようなことも。過剰すぎる笑顔の裏に、煙に巻くことは私の18番。
とはいえ、嘘は悪いことですから、所構わず出鱈目を言って回って誰かを困らせたり、ましてや騙しているなんてことは勿論ありません。困った吸血鬼さん達を退治して街の皆様のお役に立てることが嬉しいというのは本当の気持ちだし子供の頃からの夢。私の経験を綴った物語で誰かが楽しい時間を過ごしてくださるのも光栄なこと。強がりと誇張はあれ、そこに嘘偽りはありません。
そして、私人としての私がドラルクおじ様を心から愛しているのも、本当のことなのです。
本当のことなのですけれども、私は嘘つきなのです。この世で唯一無二のおじ様に、30年もの間、嘘をついているのです。
最初の嘘は、いつかの大晦日。
おじさまにちょっぴりエッチな女性用ランジェリーを、それも自分色の真っ赤なそれをプレゼントし、着ていただきたかった私はこう言いました。
「赤いランジェリーを着けて新年を迎えると、その年は幸せになるそうですわ。健康運にも繋がるとか。おじさまはご病気とは無縁かもしれませんが、どうかお身体をお労いになって」
苦しい言い訳です。
赤い下着が良いとしても、それがスケスケで紐のようなエッチな下着である必要はないでしょう。おじさまは歴とした成人男性。女性用の下着を着たおじさまが見たいだけの自分の下心を、ジンクスに紛れ込ませるなんて、なんて卑怯なのでしょうか。せめて女性用ではなく男性用の赤いボクサーパンツから探りを入れて徐々に足していくべきだったかもしれない。ポーカーフェイスを保ったまま、私は内心冷や汗をかいておりました。幻滅されたらどうしようとドキドキしながら。
けれどその時、おじ様は数秒の間不思議なものを見る目でしげしげと眺め、頼りない薄い赤い生地を摘んで首を傾げ、こうおっしったのです。
「私の健康を思って選んでくれたんだね。嬉しいよ。ありがとう」
なんて素直でお優しいおじ様なのでしょう。
私は調子に乗りました。それはもうノリまくりました。姫始めといえばお着物が日本の伝統ですわと自ら用意して着付けた帯を解き襦袢を乱れさせ、ヴァレンタインデーは裸エプロンでチョコレートをアーンするのが今のトレンドですわと口移しをねだり。春夏秋冬、あらゆるイベントごとにかこつけて、そうでなくてもおじさまを着飾りました。堪能いたしました。だって、おじ様ったらどんなに無理やりなこじつけだろうと私の言うことを全く疑うことなく、どんな服装でもしてくださるんですもの。
モノクロだったおじ様のワードローブが私の手でお花屋さんの店先のように色鮮やかに姿を変えていく喜び。おそらく私と出会わなければ数百年同じデザインの服をお召しになっていたであろう彼が、私という一人の人間のために『常』から外れてくださること。こんなご馳走を前にして我慢なんてできます? カモネギ、据え膳。アダムとイブの林檎。原初の誘惑。我慢できないわ。できるはずない。
少なくとも私は、できなかったのです。
唯一おじ様がしてくださらなかった格好といえばナース服くらいでしょうか。
熱が上がってしまった私が恋人の看病といえばこれですよ、とピンクのミニナース衣装をお渡した時には、無言でお布団の中に押し込められてしまいましたわね。この時ばかりは普段なら空気を読んでニコニコしてスルーのジョンさんにも嗜められてしまいましたっけ。けれども、全快祝いとして着てくださいましたから、してくださらなかったというのも違うわね。
おじ様と私の運命的な肩バンから30年後。
今年の大晦日も、おじ様は何も疑うことなく私が選んだ赤い服をお召しくださいました。チャイナカラーの赤いランジェリーは、前面は太ももまで隠されているけれど側面がスリットどころじゃなく、隠す気はあるのかとばかりに大きく開いているデザインです。その大きく開いた脇を赤い紐が交互にクロスしていて、ぷっくりと膨れた乳首さんが見えそうで見えません。とてつもなくセクシーですわね。目にも鮮やかな赤色はおじ様の白い肌をより白く際立たせて。思った通り、よくお似合いだわ。
裾の中央から腹部に向かって二匹の白い蛇がよりそっている刺繍は、私がひと針ひと針刺しました。左目で赤いアンティークビーズが輝いている蛇ちゃんはおじ様で、青いオーロラビーズが瞳の少し大きい蛇ちゃんは私ですの。白蛇は縁起が良い意匠ですからね。巳年を迎える今日にぴったり。
ちなみに青い瞳の私の蛇ちゃんは、実はおじ様蛇ちゃんと絡み合いながらも裾の中央からカリ首をまっすぐ伸ばして、おじ様のおへその上で舌をぺろりと出しているのですけれど。その場所と形と長さは完全に奥まで入らせていただいている時の……ね。少し直接的すぎて下品だったかしら?
「今年もありがとう。良い意匠だね。健康になれそうだ」
ちょっぴり邪な思いが入ってしまっていることを知ってか知らずか、刺繍の白蛇二匹を優しく撫でながら、おじ様は私に微笑みかけてくださいました。よかった。今年もおじ様は私の下心にお気づきでないみたい。
30年で伸びた髪の毛がまさに白蛇のように肩口から垂れているのを取って、私は恭しくキスを贈ります。
「新年もおじ様に幸運が訪れますように」
「ありがとう。君が私の幸運を願ってくれることこそが、私にとっての幸せだよ」
「まあ、相変わらず無欲なおじ様ね。もっと我儘をおっしゃってくださっても良いのに」
「我儘ならたくさんあるよ。まず、君の幸運を毎日願っている。仕事がうまくいって、健康で、成功して、充実した日々を送って……それから、たまには私に会いに来てくれたら……」
「叶うなら毎日でも会いたいわ」
「すまない、ここまで来るのは大変だろう。最後のは忘れてくれ。言い始めるとキリがないね。そうだな、まずはなによりも健康……だね」
「では、健康のためにも愛しいおじ様を抱きしめてもよろしくて?」
「もちろん」
人間の健康のためには適度な運動とスキンシップが欠かせないというお話をさせていただいてから、ハグは私たち二人にとって当然の習慣になりました。そうしてハグをしたら当然いちゃいちゃしてしまうのも自然なことなのだと教え込みました。
変温動物のように少し冷たいおじ様の肌を、私の体温で温めて。蛇のように長い舌が悪戯に誘う口元へ口付けを。小さなお口の中の小さくて鋭い牙に挨拶をしたら、私を傷つけまいとするおじ様は精一杯お口を大きく開いて、私のする全てを受け入れてくださる。流し込む唾液を躊躇なく飲んで、舌が麻痺するまで啜り上げるのも許してしまわれて。そうして、おじ様同様に30年で長くなった私の髪を、愛おしそうに抱きしめ掻き回してくださるの。艶やかでまっすぐなおじ様のお髪と対照的にくるくるうねって捻れている私の髪は、30年を経て色も少しだけはおじ様と同じ白に近づいてきました。
おじ様の手によって私の髪がふわりと落ちて顔の周りを覆い視界が遮られると、お互いに見えるのは相手だけ。うっとりとした表情のおじ様を至近距離で堪能できる至福の時間。
もっと気持ちよくなって乱れてと強く抱きしめ返すと、重なり合うのは互いの昂り。
おじ様のお衣装と共布で作ったカンフーパンツから、股間で首を持ち上げる蛇ちゃんを取り出し。刺繍の蛇ちゃんの下に潜り込ませたら……二匹の蛇はいつまでも睦合います。
おじ様、おじ様、愛おしいドラルクさん。私の幸運。
もう30年共に過ごせば、あなたの我儘を聞けるかしら?
何を恐れてらっしゃるのか、知っているけれど、私は貴方の毒牙にかかる覚悟なんて、もうとっくにできていてよ。
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お嬢さんは面倒見がいい。
それは誰にでも発揮される性質ではないことを知っている。彼は私限定で世話焼きだ。
彼と知り合ってから、私は自分でマニキュアを塗ることがなくなった。彼の役目になったからだ。最初のころは申し訳なく思って固辞していたのだけれど、「私がやりたいのです。好きでさせていただいていることですからご迷惑でなければ私にさせてくださいまし」と、そこまで言われてNOを言える程、私は我が強くない。せめてものお返しとしてお嬢さんにマニキュアを塗り返したり、共に伸ばしている髪の手入れを申し出たりするが。それも結局され返してどちらがよりお世話をしているかといえばやっぱりお嬢さんに軍配が上がるだろう。
お嬢さんはお世話だけでなく私を着飾らせることも好きだ。
200年以上前、師匠の元にいた時。恥をかかない程度にと服飾文化を一通り教えられ上質な物をたくさん目にしたけれど、特段興味のない私は結局最低限の知識としてしか身につけられなかった。起きている時にはスーツを就寝時にはナイティを、ただそういうものだと思ってなにも考えずに着ていた。実際それで何も問題はなかったし、成長の止まった吸血鬼が新しい衣類を仕立てることは少ない。十数年に一度テーラーから連絡があるが、いつも通りで、以外に答えたことはなかった。きっと100年前に測った型紙を今も使ってくれているはずだ。
一方、今を生きる昼の子の発想は柔軟で自由で。洋装と和装を組み合わせたり、カジュアルな物や女性物を取り入れたり。思いもよらなかったコーディネートやアイテムを提案してくれる。自分では、おそらく一生かかっても袖を通さなかっただろう華やかな品々。ガリガリなのに縦に長いこんな私の体格に合った逸品をよく探してくるものだといつも感心している。聞けば市販品もあるけれど手作りの品も多いという。既に作られてあるもの、パターンの決まっているものを購入して着るだけでなく、着たい物を探し、なければ作るという彼は私とはまるで違う生き物のようだ。人間と吸血鬼という以上に、生き方の何もかもが違うのだとつくづく思ったものだ。
私は彼のおかげで初めて服装が心身に及ぼす効果を体感した。色やモチーフ、お揃いの品。似合わなくて恥ずかしいのに着て見せる、二人だけの特別感。小さな布切れ一枚で、気持ちが左右される魔法のような時間を知った。
一つ不思議だなぁと思うのは、普段は風水や占いや、そういったオカルトの類をいっさい気にしていなさそうなお嬢さんが何故か私の着る服に関しては「今日の星占いで赤がラッキーカラーでしたの」等と言ってくることだ。それなら自分の服に取り入れればと思うのだが、どうもあくまでも「私に」着せたいみたいで。
不思議だなぁと思う。
まさか私に着せたいだけの口実?
いやいや、まさか。着て欲しいだけなら素直に言ってくれれば良いのだ。私は彼の言うことならなんでも聞くのだから。
わざわざ口実など考える必要がない。
不思議だ。
不思議と言えばもう一つ。
成長の終えた吸血鬼は何百年であろうと外観が変わらないことは自分でも実証済みであるのに、今度テーラーから連絡が来た際には100年ぶりに採寸をお願いしないといけないかもしれない。
なぜならどうもこのところ、腰、いや正確には尻周りが、窮屈になった気がするから……。
お嬢さん。ロナルド君。私の可愛い幸運。
私の命は君のものだけれど。君の命を私にほしいなんて、そんな我儘許される?
何もできないなら何もするなと閉じ込められた真綿の楽園。君と出会って、私は私になった。
もしも許されるならば、一緒に林檎を齧りましょう。