秘密のお茶会沈んでいた意識が、不意に浮上する。
それがあまりにも自然だったので、てっきり朝の日差しが私を迎えてくれるものだと思っていた。でも、どうやら違うらしい。見ると、窓の外も部屋もまだ真っ暗で、夜の静寂があたりを支配している。
二時。頭の横の目覚まし時計は黙って、しかしはっきりと私に伝えた。
それに促されて、ようやくふわふわとしていた頭が働き出し、事態を整理していく。
どうやら私は朝に起きるはずが、夜のど真ん中で起きてしまったみたいだ。
期待外れの結果にため息をひとつこぼして、布団を被り直す。今度はどうか朝日が出迎えてくれますように、と願いを込めて目も閉じる。
……眠れない。なんで、と思う前に、私のお腹が間抜けな音と共にその答えを知らせた。
「…………お腹空いた……」
よりによってこんな時間に。そういえば今日は晩御飯ちょっと早かったっけ。そんなことを考える間にも、私のお腹は早く食べ物を寄越せと騒がしい。
かくなる上は何か入れてやるしかないか。
そういえば、収穫祭で黒妖精の三人と買ったお菓子がまだキッチンに残っていたはずだ。昨日確認したとき、賞味期限間近で驚いたのでよく覚えている。よし、それを食べよう。
そう決心して、上体をベットから起こす。その瞬間、頭の中からさっきとは別の思考が頭をもたげてくる。
ちょっと待って。今は午前二時。深夜ど真ん中だ。そんな時間にお菓子を食べるなんて健康と美容に悪い。ダメだ。我慢しよう。
そんなこんなで、二つの思考、天使と悪魔の陣営が頭の中で勢力争いを始めてしまった。身体の司令官たる私は布団を手に握ったまま、まるで悪夢にうなされているかのようにうんうんと唸る。
戦況はしばらく拮抗していたが_______やがて腹の虫が悪魔に加勢し始めたので、結局私は悪魔の囁きを受け入れることにしたのだった。
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寝室を出て、一階へ続く階段を注意深く降りていく。足音がたたないよう気をつけているつもりなのだけど、あまりにも周りが静かなせいで、やけに自分の衣擦れの音だとか、呼吸の音だとかが耳に響く。本当に静かに振る舞えているのだろうか。不安に駆られる。だって、深夜1人でお菓子を貪りに行くなんて、出来れば誰にも見られないでほしいじゃないか。
そう思っていたところだった。
「何してるんですかぁ?」
「」
うそ、うそ、うそ。あんなに気を付けたのに、まさか一瞬でバレるなんて。この声は、チリアだ。黒妖精のみんなは夜寝てないのかな。それともやっぱりうるさかったのかな。なんで。予想外の声にそんな思いがぐるぐると渦巻く。恐る恐る壊れたロボットのような挙動で後ろを振り向くと、心底楽しそうな笑みを浮かべた彼が、階段の数段上から私を見下ろしていた。
「ふふ。マスター、悪いことしようとしてますね?」
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「…………で、寝てたんだけど、その、ちょっとお腹すいたなぁと思って、それで……」
「ふんふん、それでぇ?」
「収穫祭で買ったお菓子が、まだ残ってたなって思い出して……あ、ほら、賞味期限もそろそろ近いし!…………だから……」
「食べちゃおうって思ったんですねぇ」
「う、」
その通りです、と答える声は思ったよりか細くなった。
今しがた供述したのは紛れもない事実なのだが、改めて他人に発見され、こうして指摘されると、やはり罪悪感や羞恥心に苛まれていたたまれない。だからあのように人目を忍んで行ったつもりなのだけど。
俯きがちになっていた視線をどうにか上げてチリアの方を見やると、彼は脚を組み、両肘をついて、じっとこちらを見つめていた。それがどうにも落ち着かなくて目を横に逸らせば、丁寧に彼の隣の椅子に座らされていたぬいぐるみの、無機質なボタンの目が私を捉える。月明かりに照らされた2人は、さながら尋問官のように私の目に映った。
そう、私は今キッチンにあるテーブルで彼に事情聴取をされているのだ。
目のやり場に困った私は、仕方なくもう一度チリアと相対する。
「あの、えっと……チリア?」
「……」
すると、今度は彼が俯いて、しかもプルプルと震えている。どうしたのだろう。
……まさか、笑われてる?
「ちょっ、笑わな」
「…………です」
「え?」
「……しょうもないですぅぅぅ」
「ええ」
「マスター、そんなくっだらない事であんなに悩んでたんですかぁ」
「見てたの……」
確かに、あの天使と悪魔の争いは激闘だった。激闘だったからこそ、しょうもない、くだらないと一蹴されたことには少しモヤッとしてしまう。
「ていうか、くだらなくないよ! 私にとっては大問題で」
「くだらないですよ! もう、せっかく悪の気配がしたのに……」
「え、悪の気配?」
「真夜中、悩んだ末に部屋を飛び出していくマスターを見たら、ついに夜の街に悪いことしに行くんだなって思うじゃないですか!」
「いや、そう思うのはチリアだけで____」
「夜遊びとか、泥棒とか!」
「そんなことしないよ」
いくらなんでも、期待されている悪のスケールが大きすぎる。これでは私がしていることがちっぽけに見えても無理はない。私にとっては全然ちっぽけじゃないけど。
「もう、せっかくついていったのに損しましたぁ」
「これでも自分では罪悪感あるんだけど……」
「……そうなんですかぁ?」
一拍置いて、チリアが首を傾げる。
チリアは私が悩んでいたところを見ていたにも関わらず、私がどれだけ罪の意識に苛まれながら、どれだけの苦渋の決断でこの行動に至ったか分かってないようだ。
私は、深夜にホイホイお菓子を食べるような軽率な行動はしない。
それを分かってもらいたくて、つい熱くなってしまう。
「そうだよ! だって、こんな真夜中にお菓子なんて健康にも美容にも悪いんだよ でも私お腹空いてるからめちゃくちゃ悩んで悩んで」
「まぁボクは食事とかしないのでよく分かんないんですけどぉ」
「ふふふ、感じてるんですねぇ、罪悪感。これはマスターにとっての"悪"なんですねぇ……?」
そう呟いたチリアの雰囲気が、変わる。階段で見せたあの心底楽しそうな笑みが、彼に戻ってきていた。何か嫌な予感がする。
「あ、あの、チリア?」
「じゃあ……」
チリアがテーブルの向かいから身を乗り出して、私に顔を近づける。近い。あと見れば見るほど顔が可愛い。思わず少しの間見惚れていると、彼の口が一層の弧を描いた。
「食べちゃいましょ、お・菓・子♪」
「うっ、やめて……!」
せっかく罪の意識のおかげでやめようとしてたのに!
チリアの言葉を聞いて、待ってましたとばかりにまたお腹が騒ぎ出す。
「お腹空いたんですよね? 今ボクにもマスターのお腹の音聞こえましたもん」
「え 恥ずかしい……」
「ふふ、じゃあ食べちゃいましょうよ」
「いや、でも、」
「お菓子、きっと美味しいですよぉ?」
「うう……」
可愛さ全開の声で紡がれる、凶悪な悪魔の囁き。私はチリアの恐ろしさを、今初めて、この身をもって体験したかもしれない。
「ねーえ。食べちゃいましょ?」
いきなり耳元から囁き声が聞こえて、びくりと身体が跳ねる。反射的に声の方へ振り向くと、ペリドット色の瞳がすぐそこにあった。
いつの間に席を立ったの。そんな疑問が湧いたけど、その瞳の綺麗さと、彼の可憐な顔立ちを目前にすると何も言えなくなってしまう。
「マスター、聞いてますぅ?」
「え、えーと、」
彼の悪魔の囁きと、鳴り止まない腹の虫と。
ふたつの声に唆され続ける私に、ふと、救世主のようにある名案が浮かんだ。
「じゃあ、一緒に食べない?」
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さっきまで月の青い光線にだけ照らされていたキッチンは、暖かなランプの光で橙に染まっている。
「まだですかマスター、早くしないとボク帰っちゃいますよぉ?」
「待って待って! 確かこの辺に……」
大きな音を立てないよう細心の注意を払っているので、少し時間がかかるのは許して欲しい。