未定深夜二時。皆が寝静まって、真夜中の静寂が辺りを支配する中。私は寝室を出て、一階へ続く階段を注意深く降りていく。足音がたたないよう気をつけているつもりなのだけど、あまりにも周りが静かなせいで、やけに自分の衣擦れの音だとか、呼吸の音だとかが耳に響く。本当に静かに振る舞えているのだろうか。不安に駆られる。だって私が今からする行動は、絶対に、誰にも、見られちゃいけないから……
「何してるんですかぁ?」
「」
うそ、うそ、うそ。あんなに気を付けたのに、まさか一瞬でバレるなんて。だって、真夜中なのに。みんな寝てると思ったのに。やっぱりうるさかったのかな。そんな思いがぐるぐると頭の中を渦巻く中、私は恐る恐る声の方向へ顔を向ける。壊れたロボットのような挙動で後ろを振り返ると、心底楽しそうな笑みを浮かべたチリアが、階段の数段上から私を見下ろしていた。
「ふふ。マスター、悪いことしようとしてますね?」
「…………で、寝てたんだけど、その、ちょっとお腹すいたなぁと思って、それで……」
「ふんふん、それでぇ?」
「収穫祭で買ったお菓子が、まだ残ってたなって思い出して……あ、ほら、賞味期限もそろそろ近いし!…………だから……」
「食べちゃおうって思ったんですねぇ」
「う、」
その通りです、と答える声は思ったよりか細くなって、ダイニングテーブルにかけられたレースのクロスに吸い込まれて消えた。この真夜中に、お菓子を貪ろうと部屋を出た。紛れもない事実なのだが、改めて他人に発見され、こうして指摘されると罪悪感や羞恥心に苛まれていたたまれない。俯きがちになっていた視線をどうにか上げてチリアの方を見やると、彼は脚を組み、両肘をついてこちらをじっと見つめていた。それがどうにも落ち着かなくて目を横に逸らせば、丁寧に彼の隣の椅子に座らされていたぬいぐるみの、無機質なボタンの目が私を捉える。月明かりに照らされた2人は、さながら尋問官のように私の目に映った。目のやり場に困った私は仕方なくもう一度チリアと相対する。
「あの、えっと……チリア?」
「……」
今度は彼が俯いて、しかもプルプルと震えている。どうしたのだろう。
……まさか、笑われてる?
「ちょっ、笑わな」
「…………です」
「え?」
「……しょうもないですぅぅぅ」
「ええ」
「マスター、そんなくっだらない事であんなに悩んでたんですかぁ」
「見てたの……」
確かに、この行動に至るまでには大変な迷いがあった。ベットの上で数十分、空腹の中で、自分の中の天使と悪魔が闘っていた。激闘の結果勝利したのは悪魔の方で、今私はこうしてここにいる訳なのだが。何しろ激闘だったので、しょうもない、くだらないと一蹴されたことには少しモヤッとしてしまう。
「ていうか、くだらなくないよ!」
「くだらないですよ! もう、せっかく悪の気配がしたのに……!」
「悪の気配?」
「真夜中、悩んだ末に部屋を飛び出していくマスターを見たら、ついに悪いことしに行くんだなって思うじゃないですか!」
「いや、そう思うのはチリアだけで……」
「夜遊びとか、泥棒とか!」
「そんなことしないよ」
いくらなんでも、期待されている悪のスケールが大きすぎる。これでは私がしていることがちっぽけに見えても無理はない。私にとっては全然ちっぽけじゃないけど。
「もう、せっかくついていったのに損しましたぁ」
「これでも自分では罪悪感あるんだけど……」
「……そうなんですかぁ?」
一拍置いて、チリアが首を傾げる。
「そうだよ! だって、こんな真夜中にお菓子なんて」
「まぁボクは食事とかしないのでよく分かんないんですけどぉ」
その言葉を聞いて、ハッとする。そうだ、チリアは妖精だから食事を必要としない。だったら、私がなぜ悩んでいるかなんて、私が罪悪感を感じていることなんて、言わなければ分からなかったかもしれない。だったら隠し通すことも、誤魔化すことも簡単だったのかもしれない。……言わなければ。
「ふふふ、感じてるんですねぇ、罪悪感。これはマスターにとっての"悪"なんですねぇ……?」
チリアの空気が一変する。階段で見せたあの心底楽しそうな笑みが、彼に戻ってきていた。何か嫌な予感がする。
「あ、あの、チリア?」
「じゃあ……」
チリアがテーブルの向かいから身を乗り出して、私の目と鼻の先に顔を近づける。近い。あと見れば見るほど顔が可愛い。思わず少しの間見惚れていると、彼の口が一層の弧を描いた。
「食べちゃいましょ、お・菓・子♪」