12/9:停電 前触れもなく、唐突に部屋が暗くなる。机に置いたマグカップを倒さないように立ち上がると、ジークフリートは窓越しに外を覗いた。どうやら暗闇の対象となっているのはこの建物だけではないらしい。
慣れ始めた視界で電源に刺されたままの予備のバッテリーを確認し、覚束ない操作でスマホを使って状況を調べると積雪による停電だということがわかった。
幸い、復旧までの寒ささえ凌げれば特に困ることは何もなかったが、ふと、下の階に住む学生のことが頭をよぎる。
職場から近いという理由だけで決めたアパートは、家賃が比較的安価で学生の利用者も多かった。その学生、ランスロットとは始めはすぐ隣のパン屋で何度か顔を合わせていただけの関係だっが、いつの間にか、同じアパートに住んでること、彼が母校の大学に通っていること、自分の持っている資格習得を目指していることなど、お互いを知る内にいつの間にか部屋を行き来する関係にまでなっていた。
彼は歳の割にはかなりしっかりした青年だが、意外なことに部屋の掃除が苦手という面がある。
部屋の現状を知るジークフリートは、床の上が悲惨なことになっているあの部屋で闇の中をまともに歩けるのだろうかと懸念した。様子を見に行くべきかと考えあぐねていると、外からバタバタと廊下を歩く足音が近づいてくる。
そういえば、彼の特徴がもうひとつあった。それはやたらと自分のことを気にかけてくることだ。連絡先は交換してあるが、相手の電池の残量を気にした場合、彼はこちらの方法を取るかもしれないという何気なく考えていた予感は現実になったらしい。隣人の声は聞こえてこないのに、外部の音だけは拾いやすいアパートの性質に利便性を見出したのはこれが初めてだった。
ランスロットが音の鳴らないインターフォンを前にしばし動揺する姿を浮かべつつ、ジークフリートは玄関の扉を開ける。部屋着の上に防寒着を羽織り、乾電池式のランプーーあの部屋の一体どこに置いてあったのかーーを持った青年は驚いた顔で立っていた。
「まさか、本当に来るとはな」
ジークフリートの呟きの意味をはかる間もなく、ランスロットは言葉を溢した。
「あ、すみません、その……居ても立っても居られず……」
ジークフリートの無事を確認したら自室に戻るつもりだったらしい彼を引き留め室内に招く。
最初は随分と焦っていたが、寝るには早過ぎるだろうと説明すると、無理やり納得させたような、嬉しさを必死で隠しているような表情を見せてくれた。
停電は思いの外早く復旧したが、ランスロットが自室に帰ったのは次の日になってからだった。