煙水晶は価値を語らない「師匠のおぉッ! ぶわあぁ~かッ!!」
大音声に洞窟が揺れる。
「何なんだ。帰って来るなり、んな大声出しやがって」
耳に指を突っ込んだマトリフが、パプニカ王国の昼餐会から帰宅したばかりのポップを出迎える。
その眉間の皺はバルジの大渦の底よりも深かった。煩い、を寸分違わずに表情に落とし込んだらこういう顔になるだろう。
「だって、こんなん……こんなん……」
ポップが、ブルブルと震えながらマトリフに右手を差し出す。
昼の礼装だから、とモーニングコートで着飾ったポップの、普段であればグローブに包まれている指は今、素のままの姿を晒していた。
その人差し指に嵌められているのは銀色に輝く大ぶりの指輪。
艶めく銀色の光は、生命力を象徴する蛇を象って中央の大きな丸い石に優美に絡みついていた。
据えられた石は、指の太さとほぼ同じだけのサイズを持つ煙水晶。ポップの瞳の色合いと似た深いブラウンが、しっとりと落ち着いた透明感のある光を湛えている。
「ぁんだよ。気に入らなかったか?」
「ちっげーよ! 気に入ってる! オレから初めておねだりして、アンタからもらった指輪なんだから、めっちゃくちゃ気に入ってるに決まってんじゃん!」
そこまで気に入ってもらったのであれば渡した甲斐もある。
だが、気に入ったと口にする割には明らかに何かに憤っているポップの剣幕に説明がつかない。これは一体どういうことなのだろう。
マトリフは軽く首を傾げた。
そう。この指輪は「オレ……オレ、あんたのしるしが欲しいんだ」だなんて可愛い殺し文句を口にしたポップに、マトリフが満を持して渡したものだった。
何しろ、普段はモノにあまり執着を見せない愛弟子兼恋人からの初めてのおねだりだ。ここで奮発しなければ、男が廃るというものだろう。
アバンのしるしの素材である輝聖石の希少さとまではいかないものの、色の濃い大きな天然の煙水晶はそれなりに希少価値のあるものだ。それに、地金には地上においてオリハルコンの次くらいには入手し難い貴金属を使っている。
「気に入ってんだろ? んじゃあ、問題ねぇだろうが」
「そーいう問題じゃねぇんだよ!」
この切って捨てるような返答には思わずマトリフもムッとして、ついつい声も凄むように尖る。
「あぁ? お前がオレの『しるし』が欲しい、って言うからよ、手持ちの中からお前に似合う一番上等なヤツ選んでやったんじゃねぇか」
「上等過ぎんだよ! さっき姫さんから『それ、国宝級のお値段よ』って言われたんだぞ!? もう、こんな高いの、怖くって付けらんねぇよぉッ!!」
涙目で訴えるポップに、なるほどそういうことか、とマトリフは漸く合点する。
意匠自体は凝っているものの、マトリフの洞窟のあちこちに無造作に転がっている中では、比較的地味な色合いの指輪だ。まさか、そこまでの値打ち物だったとは、庶民の出であるポップには想像もできなかったに違いない。余計なことを、と愛弟子とは対照的に宝飾品に造詣の深い、生まれついての王族に向かって舌打ちしたい気分だった。
二対の美しい煙水晶が、マトリフの眼前で濡れてゆらりと揺れる。相変わらず、ポップは自分自身を低く見積もる悪い癖が抜けていないらしい。
大方、指輪を分不相応に高価すぎるとでも感じているのだろう。たかが指輪に気後れするような可愛げがあることはポップの美点でもあるが、世界最高峰の呪文使いであるこの大魔道士の唯一無二の存在であるというしるしを、果たして誰に対して憚ることがあるというのやら。
こんな石コロなどお前自身の価値には到底及ばないのにバカなヤツめ、とマトリフは内心で笑い、そして、それを虚心坦懐に伝えるため、先程から緩みっぱなしの口を開いたのだった。