萎れた花にキスの雨のし、と後ろから肩に重みがかかる。直後に腹へ回ってきた腕により、とある人物が肩に顔を埋め抱きついてきたことを理解した。
「・・・んだよ」
「・・・さみぃ」
なんとなく察しつつ声をかけると、予想通りの回答が予想以上に小さな声で返ってきた。
なんてことないいつもの昼休み。この後の小テストがどうの自販機の新しいドリンクがどうの騒ぎ立つクラスの中、ただ一人様子のおかしい桜の姿にオレは眉を寄せた。
「・・・え!?桜さん大丈夫ですか!?」
「だいじょーぶだ」
「桜くん顔赤いよ?熱あるんじゃない?」
「あかくない。ねつない」
違和感に気がついた連中の問いかけに対し桜のなんとも雑な誤魔化しに呆れて溜息を零す。
熱い額を押し付けてきて何言ってやがるんだコイツは。
「お待たせ〜自販機混んでて・・・って何事?」
「あ、桐生さん!」
「桐生くんどう思う?この桜くん」
からりと教室の扉の音が鳴り、ジュースを買いに出かけていた桐生がこの異様な光景に目を見開いて真っ直ぐこちらに向かってくる。オレの肩に埋もれる桜の顔を下から覗き込んできた。
「顔真っ赤!汗もすごいし、熱あるんじゃない?」
「ねぇって」
「いや明らかに風邪だろ馬鹿。引っ付いてねぇで保健室行け」
再び雑にも程がある誤魔化しをする桜を引っペがし、眉を下げて言う。行動と言っていることが合わない生意気さに顔を顰めて額に無理矢理手を当てようと試みるが、相当嫌なのか、腕で顔を覆って拒んできた。
「おい。もう諦めろ」
「やだ。さみぃ。あっためろ」
「あっためてやるからまず腕どかしやがれ」
頑固な桜の腕を両手で引き剥がすと真っ赤に熟れた林檎のような顔が現れ、その色っぽさについ喉を鳴らす。涙目で一層綺麗に輝く桜のオッドアイとカチッと目が合い、我に返った勢いで自分の額と桜の額を合わせて温度を確かめた。
「めちゃくちゃ熱あんじゃねぇか」
「・・・・・・ない」
「諦めろ。おい桐生、お前ブランケット持ってたよな、貸せ」
「はいはーい」
察知していたかのように桐生は既に自前のブランケットを持っていて、約束通り桜の体にそれを巻き付けて温めてやる。ガタガタと震える肩をそっと抱き寄せ、毛布からそっと差し出された手を握ってやると安心したように瞼を閉じた。
「なんだー?桜体調不良か?」
「飴ちゃんいるか?」
「水買ってくる?」
級長の弱っている様子にだんだんとクラスメイトが心配の眼差しで声をかけてくる。これ以上は酷だと判断し、蘇枋に視線をやった。
「・・・オレが保健室連れてく」
「・・・うん、その方がいいね。差し入れとかは後で渡しに行くよ」
「よろしくお願いします、杉下さん」
「ブランケット返すのはいつでもいいからね〜」
「行くぞ」と桜に声をかけるも、大分弱っているのか前髪の奥から桜の瞳が覗くこともなく、ゆらりと上体が傾いたのを危なげなく受け止める。脱力しきっている熱い体は今にも崩れ落ちてしまいそうだった。
「・・・運んでやるから、ちょっと我慢しろ」
「え・・・ぅわ」
桜の膝下に腕を潜り込ませてふわっと持ち上げる。まわりの目など気にする余裕もなく、抵抗せずこわばった小さな右手が縋るようにオレのシャツを引いた。
桜は、心身に負担がかかると発熱しやすい体質だ。
本人もよく分かっていないらしいが、季節の変わり目で不調を起こすというより無意識に溜まった疲労が急な発熱として現れることの方が多いそうだ。
この町に来る前の桜のことは知らないが、きっと幼少期からずっと一人でこの体質と戦ってきたのだろう。愛されたり甘やかされたりすることがなかった環境の名残りなのか、初めの頃は不調を隠したり強がったりしてそんな桜にどうも腹が立って仕方がなかった。それが最近になってようやく緩みが出てきたように感じる。この意地っ張りで不器用で本当にどうしようもない級長を数ヶ月かけてふんだんに甘やかしてきた多聞衆一年生の賜物だ。
「・・・・・・・・・しんどい」
誰にも聞こえないように、オレだけに伝えたいかのように、耳元でぽそりと零れた言葉に息を飲んだ。平静を装って、知ってる、とだけ返し、負担がかからない程度に急ぎ足で保健室に向かった。体調不良時の桜は普段からは想像もつかないくらい甘えたでそれはそれで可愛いのだが、恋人であり喧嘩相手であるコイツの弱っている姿を見るとやはりこちらも調子が狂うのだ。
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「うぅ・・・」
怪我の絶えない風鈴生の世話で校内一忙しい養護教諭は、予想通りこの時間も不在にしていた。
保健室の真っ白なベッドへ桜を座らせ、すぐに熱を測る。思っていたよりも高い数字に舌打ちをすると、桜の潤んだ瞳が不安げに揺れた。「吐き気は?頭痛は?」と極力静かに問いかけ、「へーきだ」と答える桜にそっと白い毛布をかけて頭を撫でる。そのまま下へ滑らせ首筋に手を当ててやると、「つめてぇ」と浅い呼吸音に混じってそう言った。
「いつから?」
「・・・」
「まさかお前、朝からそうだったわけじゃねぇだろうな」
「・・・ぁ、朝、は・・・なんとも、なかった」
「じゃあ学校来てからか?昼飯は?」
「・・・あんま、食ってねぇ」
「ちょっと食ったんなら薬飲め。冷えピタは自分で貼れよ」
「ん・・・」
返事にしては弱々しく曖昧な声を漏らして、桜は手渡された冷えピタをピリピリと破いて大人しく額に貼り付ける。その間にバタバタと風邪薬と水を用意して、辛そうに揺れる体をオレへと預けさせて背中を摩ってやった。こちらを向いた潤んだ瞳は既に溶けかけており、頬につぅ、と涙が一筋伝った。
「・・・まぁ、いつもよりは早く頼れたんじゃねぇの」
「・・・わり」
「次は意地張らねぇですぐに言え」
「・・・ん」
まだ熱の残る背中を今度はベッドに預けさせ、高熱で真っ赤に染まった頬に少しだけ触れる。涙の跡はあっという間に蒸発していて、苦しそうな呼吸だけが室内に響いていた。ふと見ると毛布から手が出ていて、握れと言わんばかりに動かすもんだから仕方なく願いを聞いてやった。
「・・・はなれるな」
「分かってっから、早く治せ」
「・・・うん」
桜の瞳がゆっくりと閉じていき、やがて落ち着いた寝息を立てながら眠りに入っていった。その愛おしさに堪らずキスを落とす。握り締めた手はそのままで、髪へ、額へ、鼻へ、頬へ、そして唇へ。雨が降り、花を癒すように、そっと口付けた。
しばらくして保健室の扉がガタガタ音を鳴らすから何事かと思い間髪入れずに開けてみれば、差し入れを大量に持ってきたクラスの連中が雪崩のように倒れ込んで足元がぐらついた。
「ぎゃっ!杉下!」
「いてーなー!急に開けんなよー!」
「わっわっ!すみません杉下さん!入るタイミングを伺ってて・・・っ!」
「あープリンが崩れた!」
「ワシの買ったプロテインバーが粉々に!」
「今寝たとこなのにうるっせえんだよおめぇらッ!!!」
「うん、杉下くんが一番うるさいね」
保健室に似つかわしくない騒音に起きてしまったのではないかと恐る恐るベッドを覗くと、すやすやと眠る桜の姿がありほっとする。級長にやたら甘い連中の、愛されている日常の音が、遠慮なしに響き渡る。夢の中でその響きが伝わっているのか、少し穏やかに笑っているように見えた。
終。