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    hiko_kougyoku

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    hiko_kougyoku

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    若やまささ+雨緒紀、乃武綱……他
    「希望という名の罪」①
    ※続・雨緒紀の物語
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブ有。

    希望という名の罪①  1

     子犬が子犬の後を付いて回っているようだ、と誰かが言っていた。なるほどと雨緒紀は思う。言い得て妙とはよく言ったものだ。
    「長次郎先輩!」
     弾んだ声が白く希釈される秋の空に響き渡ると、外出先から戻って来た長次郎はぴたりと足を止め、体ごと後ろへ振り向く。その顔は元柳斎を呼ぶ時に見せる、溌剌さを前面に出した子どもの顔ではない。引き締めた表情の下には自分の不甲斐なさをあらわにするわけにはいかないという、成熟した大人を演じる若者のような緊張をひた隠しにしており、その凛然とした面持ちは普段の長次郎を知っている人間からするといささか不釣り合いに見え、雨緒紀は声を出して笑いそうになってしまった。
     だが、先輩としての長次郎しか知らない新人隊士には、その演技は真実として目に映っているらしい。
    「どうした、作兵衛」
     声を掛けられると、少年と呼ぶにはトウが立ち、青年というにはどこかあどけない顔に満面の笑みを浮かべた隊士は長次郎のもとへと駆け寄り、どこか興奮した口ぶりで「どちらへ行かれるのですか?」と質問をした。
    「今から部屋に戻って、元柳斎殿からの書類の確認をしようと思う」
    「私も行ってもよろしいでしょうか?」
    「いいが、ずっと文字を読まなければならないからあまり面白いものではないぞ? それよりも作兵衛は、他の隊士と体を動かしたほうが良いのでは……」
    「いつか私は、長次郎先輩のような死神になりたいのです。どのような仕事をしているか、早いうちから見ておきたいと思いまして」
     愚直な言葉が緩く吹く風に乗って耳に届くと、雨緒紀の内奥に春の息吹を思わせる、青臭く初々しい感情が沸き上がった。一言で言えば、若さ。誰もが大人への階梯をのぼる時に感じるであろう無限の意欲は、明日の光もきっとまばゆいと無条件に信じ、前へ前へと進むことを恐れない。
     そんな命の滾りで輝く目が、長次郎の下に付いたのがおよそ半月前。そろそろ隊士の育成も経験するのが良いだろうという元柳斎の判断からだそうだ。そうだ、という伝聞形式なのは、雨緒紀が煙鉄から聞いた話だからだ。一番隊の隊士のことであるからか、隊首会議も通さない、いわば元柳斎の独断に近い決定に意見するものは誰もいなかったし、訝しむ者すらいなかった。
     いや、もしかしたら、自分にはあえて言わなかったのかもしれない。今更ながら、雨緒紀はふとそんな風に思う。事前に長次郎を作兵衛の教育係にするなどと言われた場合、反対することは火を見るよりも明らかだからだ。
     なるほど、食えない爺だ。雨緒紀は腹の底で吐き捨てると、その隊士の姿を改めて見やる。名前は、うずら……渦楽作兵衛。一つ一つの単語を噛み締めるように舌の上で転がすと、無意識のうちに鋭くなってしまった目を戻し、柔和な笑みを張り付け、二人のもとへと悠然と近寄った。
    「良い後輩ができたな、長次郎」
    「王途川殿!」
     自分を見た長次郎の目が硝子玉のようなきらめきを放つ。片や、一瞬で全身に緊張が走った作兵衛は他の新人隊士が自分に対してそうするようにぴんと背筋を伸ばし、こわばった顔でこちらを見上げている。その頼りない様子はまさに生まれたての子犬。
     すっかり委縮した子犬に「勉強熱心で何よりだ」と声を掛ければ、作兵衛は固くした声を震わせ、しかし明瞭に答えた。
    「一日も早く長次郎先輩のような死神になって、もっと働きたいのです」
    「やる気のある隊士が入ってくれて私も嬉しい。ぜひ精進してくれ」
    「はいっ!」
     雨緒紀は自分を見つめる怯えたような目を覗き込む。まだ世の芥を知らず、汚れというものを知らない清冽な瞳。純乎たる精神をそのまま表したような澄んだ目と対峙すると、雨緒紀は過去の自分の甘さを掘り下げられたような気がして、むずむずと気味の悪い苛立ちが胸を占めてゆく。
     あの時の私は、まだ未熟だった。だからこそ、今ここにこいつが存在しているのだ。甘さに押されて正常な判断ができず、振るうべき刃を振るわなかった結果が、目の前で自分を見つめている……。
    「あの、王途川殿?」
     長次郎の声が耳に入ってきて、我に返る。心配そうな顔に咄嗟にすまない、とだけ返すと、作り慣れた愛想笑いを張り付け、口を開く。
    「ところで渦楽、確かお前は北流魂街七十五区の出身だったな」
    「……私などの出身を、覚えていてくださったのですか」
     作兵衛が大袈裟というほど大きく目を見開く。
    「それはそうだろう。隊は違えど、共に戦う人間のことを把握するのは隊長として当然だ」
     雨緒紀のその言葉は作兵衛にとってはこれ以上にない称賛だったようで、感極まったようにふるりと瞳が揺れたのが見えた。「ありがとうございます」と絞り出された声が、ひどく幼く響く。
    「七十五区は私も行ったことがある。盗みや暴力ばかりであまり治安が良くなかった場所だった……お前もさぞ大変な思いをしただろう」
     「確かに良い生活とは言えませんでした」作兵衛は当時を顧みたのか、雨緒紀を見る目をほんの少し細める。
    「……しかし、嘆いているばかりというわけにもいきませんでした。父が生活のために必死になっているのを見ていると、この身に降りかかる不幸を糧に生きるしか道はなく……先の見えない毎日を、そうやってがむしゃらに生きているうちに山本総隊長のことを知り、霊術院のことを知り、今ようやくここに立っている、と言った感じです」
    「立派に成長し、お前の父上もさぞ喜んだだろう」
     わざと踏み込んだ質問をすると、作兵衛の顔が曇り、ゆっくりと目が伏せられてゆく。不審に思った長次郎が「作兵衛、どうした?」と顔を覗き込んだ。
    「いえ、すみません……実は、父はもうずいぶん前に殺されまして……」
    「殺された……?」
     長次郎が息を呑む音が、場の空気を悲痛なものへと塗り替える。長次郎が自分を見る目に憐憫が込められたことを察すると、作兵衛は取り繕うように首を横に振り、
    「まあ、あまり良い環境ではありませんでしたから。ですが、幸い自分には能力がありました。生きるために自分にできることは何かを考えたら、この道しかなかったのです」
    「渦楽、お前は血のにじむような努力をしたのだな」
     雨緒紀は細い肩に手を置くと、まっすぐに作兵衛の目を見つめながら続ける。
    「その力、ぜひ尸魂界のために使ってくれ」
     ありふれた𠮟咤激励を紡ぐと、作兵衛は裡から競り上がる滾りを言葉に乗せ「はい」と明瞭な返事を響かせた。
     重くなった空気に、「おーい」という気楽な声が飛んできたのは、その時だった。三人が見れば、今しがた長次郎がくぐってきた門の方からは乃武綱が、右手を振って歩いてくるところだった。
    「渦楽作兵衛、こんなところにいたのか。探したぜ」
     近付くなりにやりと怪しく笑い、作兵衛を見やる乃武綱。長次郎が訝しげな声を出す。
    「作兵衛が、何か……」
    「こいつが七番隊の隊舎を見学したいって言ってたから、今から案内しようと思ってな」
    「作兵衛、本当か?」
     長次郎が尋ねると、作兵衛は小さく頷いて見せた。
    「普段あまり他の隊舎に行く機会がないものですから、見てみたくて……先日、執行隊長にお願いをしたのです」
    「でも何故よりによって七番隊なんだ。例えば王途川殿の十番隊や尾花殿の五番隊のように、もっと良い見学先があるじゃないか」
    「おい、そりゃあどういう意味だ」
     「確かに、執行の隊である理由は気になるな」追い打ちを掛けるように雨緒紀が尋ねれば、作兵衛は目を泳がせ、黙り込んでしまった。いかにも何かを隠しているという態度に、それまで浮かべていた笑みを消した乃武綱は背中を丸め、視線を合わせると「答えられねえ理由があるのか?」と詰問する。
    「そ、それは……」
    「なんだよ、言えねえのか?」
     隊長格の凄みに短い悲鳴を上げた作兵衛は、観念したとばかりに眉を下げると、しどろもどろになりながら、小さく答える。
    「実は私、長次郎先輩だけではなく、執行隊長のようにもなりたくて……」
     瞬間、場の空気が凍った。あまりの衝撃に雨緒紀は自分の眉間に深い皺が寄るのを自覚した。長次郎を見る。長次郎はぽかんと口を開け、信じられないものを見る目で作兵衛を眺めている。
     一方で乃武綱の方は、典型的な悪人面にこの上ない笑みを浮かべると、心情を告げてしまった気恥ずかしさに目を伏せる作兵衛の背中を強く叩いた。
    「そうだったのか! いやあ、長次郎。お前の後輩はなかなか見る目があるな!」
     そんな上機嫌な声に、割り込んでくる声があった。作兵衛の告白に一瞬のうちに顔色を変えた長次郎のものだ。
    「見損なったぞ作兵衛! お前は元柳斎殿に、泥水を啜って血反吐を吐いてでもお仕えすると言っていたではないか!」
     必死の形相でまくしたてる長次郎に、いえ、そこまで言ってません! と返す作兵衛。さながら子犬のじゃれあいを想起させる騒がしさに苦笑した雨緒紀は、「渦楽、お前は本当に執行が良いと思っているのか?」と冷静な声を投げかけた。すかさず「どういう意味だよ!」と飛んできた乃武綱の声。それを無視し、雨緒紀の言葉の真意が分からず戸惑う作兵衛に向かって口を開く。
    「一番隊は長次郎を筆頭に山本に心酔している人間が多い。だからお前のような人間は珍しいのだ。お前だって山本に焦がれて一番隊を希望したのだろう?」
     語りかけたその時、作兵衛の目の奥にどろりとしたものが蠢いたのを見逃さなかった。雨緒紀自身の奥底にすっかり根付いた冷徹さを押し固める要因ともなった、負の感情。自分の全てを憎悪という感情に明け渡し、破滅へとひた走る人間が見せる劇的な目は、今まで生きてきた中で何度も向けられたことのあるものだった。人間生きていれば誰もが傾きかけない感情は、しかし陥ってしまったが最後、思考を含めた一切をそちらへ引き込みかねない、底なしの沼……。
     やはりこいつは良くない。一瞬で脳内に差し込まれた警鐘に肋骨の内側が熱を持つ。子犬と呼ぶにはたちが悪く、仲間とみなすには危険因子を持ちすぎている。そう確信すると、あと一言、作兵衛の真意を探るための言葉を放とうと口を開く。
     だが言葉を発するまさにその瞬間、すっかり気を良くした乃武綱の声が差し込まれた。
    「まあまあ、いいじゃねえか。憧れっていうのは一人じゃなきゃいけねえわけじゃないぜ」
     余計なことを。内心で舌打ちをした雨緒紀は乃武綱を睨む。しかしそんな煩わしさを知る由もない乃武綱は、どこ吹く風で作兵衛の肩を抱くと、「そうと決まれば行くぞ、作兵衛。お前はもう今日の職務は終わったんだろ? 知りたいことたっぷり教えてやる」と促し、雨緒紀に背を向けようとした。
     そんな乃武綱と作兵衛に「お待ちください!」と追いすがる声。自分を慕う後輩の言葉に、先ほどからぶすっ面を浮かべていた長次郎のものだ。
    「私も行きます」
    「なんでだよ。お前、俺に憧れてねえんだろ?」
    「それはそうですが、でも、作兵衛が何か変なことを吹き込まれないか心配で……」
    「そんなことしねえよ。じゃ、俺らは行くぜ」
     言うと、乃武綱はそれきり長次郎には目もくれず、作兵衛を連れてその場を去ってしまった。置いて行かれた長次郎は、その背中にまるで親から引き離された子どものような切ない視線を向けると、不満げな顔のまま走り出し、二人の後を追いかける。
     長次郎が向かった方角から風が吹き、雨緒紀の顔をやわらかく撫でる。風力はさほどのものではないが、一日、また一日と季節が進むのを感じさせるように熱が失われてゆく風を受けると、布越しでもはっきりと知覚できる冷たさが、わずかに体を震わせる。カラカラと枯れ葉が地を転がる音に混じる、長次郎が遠ざかる足音。それが秋の空気に溶けるように消えゆくと、雨緒紀は人知れず息を吐いた。
     乃武綱は長次郎をからかっている。一見冷たいように見えた態度からそんな魂胆が透けて見え、雨緒紀は子どもか、と漏らしそうになってしまった。ああやって長次郎がむきになって噛みついてきたり、執行殿と名前を呼ばれて追いかけられるのを腹の底では楽しんでいる。
     そして対する長次郎も、乃武綱に構われたくて仕方がないのだ。忠誠を誓った元柳斎でも、長次郎本人がどこか近寄りがたいと感じている卯ノ花でも、年が近く考え方も似通っている知霧でもない、気安くて何でも話すことができる乃武綱に。薄々と感じていたことだが、いざ目の当たりにすると呆れのような、じれったいような感覚に炙られる心地となってしまった。
     長次郎はもう子どもではない。身体的には勿論のこと、精神的にも。まだまだ成熟しきったとは言えないもののやはりある程度の冷静さは欲しいと常日頃から感じている雨緒紀にとって、乃武綱と居る時の表情は落ち着きのない子どもにしか見えない。長次郎が今後元柳斎とともに歩んでいくならば、その右腕としての心得は与えておきたいところ……。
     もしかしたら、今後の作兵衛の行いにより、長次郎は変わることができるかもしれない。
     考えた雨緒紀は未だにそよぐ風を掴むようにぎゅっと拳を握り締めると踵を返し、頭の片隅で留まったままの疑念を払拭するためにある場所へ向かう。
     目指すは一番隊舎――元柳斎の部屋。


    「長次郎は渦楽作兵衛を随分と可愛がっているな」
     入るなり部屋の主に向かってそう投げかければ、机に向かっていた元柳斎はゆっくりと頭を上げ、雨緒紀を見る。作兵衛について問われるのを予見していたのか、見上げる目の奥についに来たか、と人が腹を括る時に見せる強い光を宿したのを見て取ると、雨緒紀はそれに応えるように口元を緩め、手近な座布団に腰を下ろす。
     普段ならばこの場には長次郎がいるため、作兵衛に関して話すことなどできない。長次郎が乃武綱に懐いていることをこの時ばかりは幸いと思った雨緒紀は、「山本、話がある」とあらたまった様子で切り出した。
    「……渦楽のことか」
    「分かっているようで何より。お前、あいつを一番隊に入れたのは故意か?」
    「そうだと言ったらどうするつもりじゃ」
    「どうもしない。ただ、意図が知りたいだけだ。渦楽に関しては私も知る権利があるだろう?」
     一息に言い切ると、元柳斎は目を閉じ、肺の空気を出し切るような長い溜息を吐いた。
    「霊術院でも問題行動はなかった。成績もいたって普通。入隊させぬ理由がない。置いておくなら儂の目の届く場所にと思ったまで」
     淡々と聞こえてくる、誰が聞いても納得するであろう当たり障りのない言葉を、雨緒紀は欺瞞と感じ取った。一瞬で心臓に火が点いた錯覚に陥った雨緒紀は、今にもあふれ出しそうな非難の数々をすんでのところで飲み下し、冷静さを装いながら「それが火種になると分かっていてもか」と切り返した。
    「あやつにはもう、その気があるとは思えぬ」
    「……本気で言っているのか?」
     自分の顔が歪むのを感じながらも、雨緒紀はなおも元柳斎に食って掛かる。
    「本気じゃ。今まで顔を合わせる機会は何度もあったが、あやつは何もしてこなかった。それが答えだろう」
    「私は、渦楽が長次郎の下に付いてからずっとあいつを見てきた。渦楽がお前を見る目にもな。驚かされたよ……どれだけ深い憎悪と憤懣を煮詰めてもあんな目にはならない。あのどす黒く、鋭利な感情に気付いていないとは言わせないぞ、山本。今後どうなるかなど容易に想像できるはずだ。それを……」
    「霊術院を出たものならば、儂に刃を向けて無事でいられるはずもないと分かっているじゃろう」
    「そういう問題ではない。邪な考えを持った人間は早々に消さねば、他の隊士にも伝播するおそれがある」
     ここまで言えばわかるだろうという思いからの言葉だったが、何も答えることなく口を閉ざしてしまった元柳斎の煮え切らない態度に、沸き上がっていた淡い期待は塵芥となって臓腑の底へと沈んでゆく。
     何を考えているのだ、こいつは。問えば問うほど思考の中に吹きすさぶ苛立ちに、雨緒紀は奥歯を噛み締めた。元柳斎を見つめる目が無意識のうちに睨みつけると言うほど鋭くなり、温度を失っていくのを自覚したが、もうそれらを抑え込むことはしなかった。
    「やはりあの時に殺しておけば良かったのだ。禍根にならぬよう、一緒に……」
     低く吐き捨てると、元柳斎がわずかに目を見開いた。黒々とした髭に隠された唇が、雨緒紀、と自分の名前を呼ぶのが聞こえたが、競り上がる冷たい感情の前には何の効果ももたらさなかった。言わずにはいられない。そんな焦燥に駆り立てられ、雨緒紀はまくしたてるように口を動かす。
    「大方、お前は渦楽が変わるなどと思っているのだろう。だから長次郎を教育係にした。山本が長次郎と出会って変わったように、渦楽も良い方向に変わると信じて……。だが憎しみはそう簡単には消えない。それが生きるよすがになっているならば、なおさら厄介だぞ」
     元柳斎の肩越しに、部屋の隅に滞留する薄闇が見える。真上から太陽の光が照り付ける真夏とは違い、だんだんと高度を落として日差しがやわらぐ秋の気候。太陽が南から西へと空を這い、もうすぐ夕方になろうとしている時間特有の侘しい空気感の中で目にしたその闇は、長い間自分の裡に棲みついている冷徹さと似ていると思った。虚を斬っている時も、他の隊長たちと笑っている時も、自分に対する不満を耳にした時も常にまとわりついている、言うなれば要とも言える心持ち。こうであらねばならないと自分に言い聞かせ、自身を作りあげる要素の一つとなっているもの。
     薄闇を見て波立っていた感情が穏やかさを取り戻していくのを知覚すると、やはり自分はこうあるべきだったのだ、と囁く声がした。これでいい。例え人の輪から外れて再び孤独になろうとも、これがあれば自分は生きていける。誰かに寄り添う必要も、弱さを曝け出して惨めな思いをすることもなく、ただ淡々と毎日を生きていける……。
     一人で安堵していた時だった。目を伏せた元柳斎が「それでも儂は、あやつを護廷十三隊に置き続ける」と呟く声を聞いたのは。頭のどこかで予想していた言葉ではあったが、雨緒紀にとっては衝撃だった。こいつとは分かり合えない。広がりゆく失意の中で思考を閉ざすと、壁際で蠢く闇がにたりと笑い、四肢の先を絡めとる感覚に襲われた。皮膚から染み込み、血管を伝い、脳髄へと到達した冷たさが強固となった心を優しく抱きしめるのを感じると、雨緒紀の中にはもう迷いはなくなっていた。それまでの感情の一切を顔から消し、「甘い、甘すぎるぞ山本」と静かな口調で元柳斎に語り掛ける。
    「どうせお前は何かあった時は自分が何とかするなどと思っているのだろう。一人で生きてきたお前らしい考えだ。しかし山本、お前はこの護廷十三隊の総隊長だ。その立場の重さが分からないわけではあるまい。結果が悪い方へ転がるというのは、それがそのままこの瀞霊廷の崩壊に繋がりかねん。そして何より……お前が信を置く人間が、どうなるか分かっているのだろう。
     私はな、お前たちが今後、この尸魂界の中心になると考えている。後進を育成し、全ての死神の模範となり、私たちがいなくなった後も二人でこの世界を守っていってくれると……だがな、だからと言ってここまでぬるくなれとは思っていない。他人を許すばかりで、慣れ合い、平和の中で剥くべき牙を忘れるような人間には……」
    「お主は、それほどまでに甘さというものを恐れるか」
     差し込まれた問いに、雨緒紀の唇が凍り付く。恐れる? この私が……。即座に馬鹿馬鹿しいと切り捨てようとしたが、喉まで上がってきた言葉はそこで止まり、再び胃の中へと落ちてゆく。思考が乱れる。ただじっと、こちらの反応を待つ元柳斎を見やった雨緒紀は「恐れなどしていない」と、子どもの強がりのような返ししかできなかった。
    「私は……許せないだけだ」
     それだけ言うとすくと腰を上げ、部屋の障子戸に手を掛ける。去り際、最後にもう一度元柳斎の方を振り向いた雨緒紀は、一言こう告げる。
    「お前の判断が吉と出るか凶と出るか、見ていようか」
     口元に不敵な笑みを刻むと、雨緒紀は元柳斎の答えを待たずに部屋を出て、廊下を歩きだす。

      *

     自分の生活空間を説明するのは案外難しい。そんなことを考えながら乃武綱は口を動かしている。
    「一番隊は隊首会議だ何だで集まる機会が多い場所だ。けど七番隊はそうじゃねえから執務室も俺のいる隊首室も普通だ。これは他の隊も同じ」
     すれ違う隊士たちの会釈に軽く手を挙げて返した乃武綱は、隣を歩く作兵衛に視線を向ける。真剣な面持ちでこちらの話に耳を傾け、時折帳面に走り書きをする姿は熱心さを全身で表していると言えるが、その勤勉さに逆にやりづらさを感じてしまっていた。
     一番隊の連中はどうしてこう生真面目なんだ。胸の裡でぼやきながら、いかにも頑固爺といった顔貌の総隊長を思い浮かべる。元柳斎がいるだけでその場に緊張が走り、鍛錬の時などは皆死地に赴くかのごとき形相で挑む。それだけ元柳斎の存在が大きいということだが、それにしてももう少しゆるくても良いのではないか……?
     あいつの頭が固いのが悪いんだ、きっと。そんな雑な結論で考えをまとめた乃武綱は、こちらを見上げて次を、と促す瞳を見た。作兵衛の期待に満ちた目に頷きを返し、今度は自分の頭上を指さした。
    「他と違うところと言えば、一つは天井が高いこと。これは単純に俺がでかいからそれに合わせているというだけの話だ。有嬪のところも同じ。そして何より――隊士がいる部屋のほとんどが庭に面しているということ」
     乃武綱は手近な部屋の障子戸を開けると、ずかずかと横切り、縁側の方へと通り抜ける。その遠慮のなさにぎょっとした作兵衛は、無人の部屋を見回すと小さく頭を下げてから、おそるおそるといった様子で乃武綱の後を続く。
    「それは何故でしょうか」
     ようやく追いついた作兵衛が、言葉を発する。乃武綱は眼前に広がる七番隊舎の庭を示し、
    「侵入者が入ってきたり何か異常があったときにすぐに察知して外に出られるようにするためだ。これは俺の部屋も例外ではない。当然、そうじゃない部屋もあるが……そういう内側の部屋は倉庫代わりに使うようにはしてる」
     そこまで言って振り向くと、自分たちの背後にぴったりと張り付いていた人物に向かって声を投げた。
    「……で、何で長次郎は付いて来てるんだよ」
     呼ばれた長次郎は唇を尖らせながら「別にいいじゃないですか」とぶっきらぼうに言う。わざとらしいとも言えるあからさまな不機嫌顔に自然と口角が上がった乃武綱は、腰を曲げて長次郎と視線を合わせると意地の悪い声で尋ねる。
    「ははーん、もしかしてお前、作兵衛が俺に取られると思ってるんだろ?」
     人よりも白い長次郎の顔が、さっと色づくのが見て取れた。
    「な……! そんなこと……」
    「そうだよな。お前にとってはじめてできた大事な大事な後輩だもんな。魅力的で仕事もできるカッコイイ俺に憧れてるなんて言ってたらそりゃあ不安になるよな」
    「違いますって!」
     それほどまでに狼狽したのか、細眉を吊り上げた長次郎は普段なら乃武綱の軽口に憎まれ口の一つでも返すはずが、今はただただかぶりを振るばかりだった。全く、これじゃあ駄々っ子と変わらねえ。自分の顔が喜色に笑むのを実感しながら、乃武綱は「ほんとか? 照れることはねえぜ」と、白い毛が揺れる頭を撫でてやる。長次郎はその手をぱしりと払いのけると、今度は眼光鋭く自分の後輩を見やり、まくしたてるように言葉を放った。
    「というか作兵衛も! 執行殿に憧れているって正気か? 元柳斎殿の方がずっといいだろう!」
    「あの、長次郎先輩……」
    「執行殿に遠慮することはない! はっきりと言え!」
     ただでさえ大きな声が熱を帯び、興奮で血走った目を向けられた作兵衛はその勢いに困惑を浮かべると、どうすればいいか分からないといった様子でこちらを見る。不安げなまなざしを振り切れない乃武綱は、助け舟を出してやろうと、長次郎と作兵衛の間にやんわりと割って入った。
    「ほらほら、後輩を困らせるなよ、長次郎先輩」
    「ですが……」
    「安心しろ、俺は別に作兵衛を取って食ったりはしねえ。だからそんなにおっかねえ顔すんな。多分、作兵衛はいろんなことに興味があるんだよ。その証拠に、さっきもお前の仕事を見たいって言ってただろ? この前も書庫に出入りしているのを見たし。探求心も深く、好奇心も旺盛、そうして向上心もある。その芽をつぶすような真似はしちゃいけねえ。わかるな?」
     先ほどまでの高揚はいずこか、目線を下げた長次郎は表情を曇らせたまま口をつぐんでいる。こちらの言っていることは理解しているが、それでも納得いかない部分がある、という顔つきだ。何かを言いたいらしいということを悟った乃武綱は、長次郎が口を開くのを黙って待つ。
     やがて、ぼそりと「それは分かっていますけど」という声が、乃武綱の耳に届いてくる。
    「けど、何だ?」
    「……作兵衛が七番隊に行きたいなんて言ったら、嫌です」
     その様子は、自分に懐いていると思っていた後輩が離れてしまうかもしれないという不安で気落ちしているように見える。長次郎から零れ落ちた本音が思った以上に響いた乃武綱は、その純粋な気持ちに、からかおうとしていた気持ちが引っ込んだ。なるほど、長次郎はそれだけ作兵衛を大事にしているんだな……口には出さないが、乃武綱はそんな感想を抱いた。今まで周囲の大人の後をついて歩き、何かを教わる立場にいた長次郎がはじめて持った後輩。その存在はきっと、自分が思っている以上に大きいものなのかもしれない、と。
     元柳斎の手の届かない部分を補う、と口癖のように言っていた長次郎は、今まで一人でどうにかしようと奔走していたように見える。例えばひと月での卍解修得だったり、一人での任務の達成であったり、あるいは自分の未熟さを埋めようと躍起になったり。
     けれども一人の力で何かをするには限界があるということに、長次郎自身が気付きはじめたのかもしれない。人は完全無欠にはなれない。だからこそ人は人の中で生きる。自分とは全く違う意識の個体とぶつかり、泣いて、笑って、怒って、胸の裡をさらけ出して……そうして目に見えない、心というものを通わせて前へ進む。
     周りと手を取り合わなければ、元柳斎の望む世界は作れない。人は一人では生きれないという、一見綺麗ごとに見える考えの肝要さに、気づいたのか……?
     ……そう思った乃武綱だったが、長次郎の言葉を聞いて考えを改める。
    「作兵衛が七番隊に行ったら、元柳斎殿がよりによって執行殿に劣ると思われてしまったようで屈辱的だ……!」
     目の前で弾けた言葉に、乃武綱は頬の筋肉が引きつるのを感じた。こいつ、ただ山本に盲目的なだけだ。そして俺のことを何だと思ってやがる……!
     乃武綱が長次郎の頭を軽く小突くと、いたっ、と下から幼い声が返ってくる。
    「痛いじゃないですか!」
    「痛くしたんだよ」
    「執行殿、そういう大人気ないところ、良くないと思います!」
    「お前はもっと大人になれ」
     「大丈夫ですよ、長次郎先輩」二人のやりとりに笑みを浮かべた作兵衛の、人の心に流れ込んでくるような滑らかな声が差し込まれる。
    「私は一番隊から離れるつもりはありません」
    「作兵衛……!」
    「私は、山本総隊長殿のお傍にいたいのです。だから……」
    「よく言った! それでこそ一番隊の死神だ!」
     喜びのあまり一気に表情を変えた長次郎に、今度は乃武綱が笑う番だった。
    「よくできた後輩だな。どう育ったらこんな真人間が生まれるんだ?」
    「作兵衛は執行殿みたいに木の股から生まれたわけではないですから」
     懲りずに生意気な口を叩いた長次郎に、今度は強めの拳骨を落とす乃武綱。「作兵衛、お前の生まれは?」と続ければ、作兵衛ははっきりと「北流魂街七十五区です」と返してきた。
     聞いたことのある地区だった。確か……、
    「あそこは昔、物凄い悪い盗賊がいたらしいな。変な異名が付いた……なんて名だったか?」
    「……さあ、悪い人など、たくさんいましたから」
     いつも乃武綱や長次郎に向ける笑みを人のいい笑みと形容するなら、その時に作兵衛が浮かべた表情は自らを悪と落とすような自虐的な笑みだった。けれどもそれを見せたのはほんの一瞬のことで、乃武綱がまばたきをした後には作兵衛はもとの顔に戻り、長次郎に目を向けていた。なんだ、今の感じは……。慄然とした乃武綱は顔の筋肉を引きつらせながら目の前の二人を見比べる。
     年齢的には長次郎が上だろうが、改めて見てみると作兵衛の方が精神的に成熟しているようにも思えた。地獄を見てきた目、と言うべきか。瞳の奥に時折見せる鈍い輝きを思い出すと、乃武綱の頭に何かが引っかかる感覚がした。そうして漠然とした違和感の正体を探ろうと思考をまさぐっていると、作兵衛の声が聞こえる。
    「執行隊長?」
     心配そうな声に意識を戻すと、訝しんだ作兵衛がこちらを覗き込んでいた。ああ、すまんと未だ思考の渦に取り残された心地のまま返せば、作兵衛は首をかしげながらもそれ以上何かを追及してくることはなかった。代わりに庭の向こうを指さし「あの建物は何ですか?」と質問してくる。
     作兵衛の示した先――庭の遥か向こう、漆喰の塀の手前には木造の建造物が立っている。小屋というには規模が大きく、どちらかと言えば平屋に近い造りのそれは一番隊舎にはないもので、長次郎もはじめて目にしたのかまじまじと見つめていた。「あれは倉庫だ」答えれば、長次郎が呟くように倉庫? とおうむ返しにする。
    「倉庫ということは何かがしまってあるということでしょうか」
    「そうだ。でも大したもんじゃねえ。護廷十三隊が使う薪とか火鉢とか、あとは修繕に使う道具や火薬類だ」
     答えれば、長次郎が「よく燃えそうなものばかりですね」と漏らすのが聞こえた。
    「怖いこと言うなよ。火の気には十分注意してるけど正直おっかねえんだから」
    「でも執行隊長、何故七番隊にあるのでしょうか」
    「一番隊の近くに置くと十三番隊から遠くなるし、十三番隊の方に置くと一番隊が不便だろう? だから真ん中に当たる七番隊の敷地内に置いてあるんだ。お前らも薪とか必要になったら持って行っていいぞ」
     どこに惹かれたのか、作兵衛は乃武綱の話を聞きながら前方にじっと目を据えている。宝物が隠されているわけでもない鄙びた倉庫にも関わらず真剣な瞳を向けているのを見ると途端に不穏な気配を感じ、生唾を飲んだ乃武綱だったが、まさか、そんな、という月並みな文句でそれを打ち消した。
    「七番隊は大体こんなところだ。他に見てえもんは?」
     努めて明るい声を出せば、作兵衛は乃武綱を見上げる。
    「いえ、勉強になりました。執行隊長、ありがとうございました!」
     そこには肌を撫で上げるような不穏さはもう見えなかった。作兵衛がにこりと浮かべた笑みが本心ではなくこちらを欺くための皮相なものに受け止められてしまったが、乃武綱は軽く首を振ってそれを払拭する。
    「じゃあそろそろ飯の時間だし、食いに行くか!」
     ひときわ大きな声で言いながら、作兵衛の背中をばしりと叩いて廊下を歩き出す。
     「待ってください! 私も行きます!」後頭部にぶつけられた子犬のような長次郎の喚き声が、胸中に滞留するおどろおどろしさを漂白してくれるような気がし、乃武綱はほっと息を吐いた。

       《続く》
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    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」④
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。
    世のため人のため飯のため④  4

     逆骨の霊圧を辿ろうと意識を集中させるも、それらしき気配を捕まえることは叶わなかった。そういう時に考えられるのは、何らかの理由で相手が戦闘不能になった場合――そこには死亡も含まれる――だが、老齢とはいえ、隊長格である逆骨が一般人相手に敗北するなどまずあり得ない。となると、残るは本人が意識的に霊圧を抑えている可能性か……。何故わざわざ自分を見つけにくくするようなことを、と懐疑半分、不満半分のぼやきを内心で吐きながら、長次郎は屋敷をあてもなく進む。
     なるべく使用人の目に触れないよう、人が少なそうな箇所を選んで探索するも、いかんせん数が多いのか、何度か使用人たちと鉢合わせるはめになってしまった。そのたびに長次郎は心臓を縮ませながらも人の良い笑みを浮かべ、「清顕殿を探しております」とその場しのぎの口上でやり過ごしているうちに元いた部屋から離れてゆき、広大な庭が目の前に現れた。どうやら表である門の方ではなく、敷地の裏手へと出たようだ。
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