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    g_arowana2

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    g_arowana2

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    ろペン。
    年に一、二回、かわいいものを書きたい発作が起きます。

     暖炉前の小さな親分の目は、お堅い雑誌に釘付けだ。シャチたちが風呂上がったらそろそろ寝ようぜ、と呼びにきたペンギンは声をかけあぐねて、傍らに座って顔の上がるのを待つことにする。
     待つのは苦ではない。ペンギンは、ページを手繰るローを見ているのが好きだった。
    「……悪い、待たせたな」
    「いーよ、急いでねぇもん。何読んでたの?」
     よほど興味を引く内容だっただろうか。ローは興奮の熱の残った様子で雑誌を指し示した。
    「心筋……心臓の筋肉の細胞が、条件次第で増殖してんじゃないかって話が載ってな。年に1%も入れ替わらないってのが定説だったんで、驚いた」
    「? ちょっとは入れ替わってんなら、それ増えてる……んじゃねぇの?」
    「間違っちゃいねぇが、そこまでちんたらしてんのは再生した内に入らねぇ。皮膚なら一月で丸ごと入れ替わってるぞ。……傷が治るってのは、ようはまっさらな細胞との代替わりなんだ。だから心臓ってやつは、それ自体は『治らない』」
     滑らかな喋りに聞き入ってると、ローはふとバツの悪そうな顔をして、まだまだ続いてくれそうだった話を止めてしまった。
    「……面白いかこの話?」
    「うん」
     
     実際、細胞なんていう小難しい代物が間違いなく自分の体の名前なのだと実感するのには、知っている場所が知らない場所になるような、ワクワクする心持ちがある。
     ローの指さす紙面をそろりと覗き込んでみたものの、目に飛び込んだいかめしい文面は、正直どう読めばいいのか取っ掛かりすら分からない。
    「どうした?」
    「あーいや、ローさんの話だけ聞いてっと面白そうでさ……」
     ペンギンの答えは尻つぼみになる。柄じゃねぇよな、と笑い飛ばしてしまおうとした所で、ローがボソリと口を開いた。
    「興味あんなら教えんぞ」
    「……へ?」
    「解剖学でも生理学でも、でなきゃ薬でも。おれの方は気分転換がてらの復習だ」
     
     驚きに目を見開いたペンギンの前で、ローの方は至って大真面目だ。言われたことを呑み込むのに、ペンギンは数回瞬いた。
    「ぇ、ぁ、いいって。医者目指してるわけでもないのに悪ぃよ。つーか無理あるだろ、おれがお医者さんって」
    「んなの分かんねぇし、医者にならないなら学んじゃいけねぇって決まりもないだろ」
    「や、お医者の勉強真面目にやってるひとの時間、『面白そうだから』で取るとかさ」
    「別にこれだって、医者やんのに今日明日役に立ちゃしねぇよ」
     なんでもなさそうにローは言い放った。
    「臨床で使えんのが何時になるか分からない研究だ。『やっぱり見当違いでした』も珍しくない。『役に立つ』ってなら、そうだな。他にやることはいくらでもある」
     そんな風に考えたことは一度もなかった。虚をつかれたペンギンは、どう遠慮するかと悩んでいたのをうっかり頭からすっ飛ばす。思わずきょとんと聞き返してしまった。
    「……そういうもん?」
    「そういうもん。面白いから読んでるだけだ」
     
     部屋には、パチパチと薪のはぜる音だけがしばらく響いていた。薪組みがカラリと崩れて炎が揺らぎ、それでもまだペンギンは考え続けていた。
     「そういうもん」はあるところにはあって、でも違う世界のものな気がしていた。できない理由はいくらでも思いついたのだが、ペンギンの前にいるのは、尻込みする己に言い訳なんて一つも認めない親分で。
     ペンギンは、彼のそういうところが大好きだった。
    「……おれ、ほんと読み書き計算くらいしか知らないよ?」
    「問題ねぇ」
    「つうかそれも怪しいかも。綴りとか」
    「そんくらいおれに聞け」
     降伏はとっくに決まっていて後は何を言っても同じだったのだが、ぐるぐるする頭の端っこから、ようやくペンギンは一番大事な確認事項を引っ張り出した。
    「……シャチとベポも誘っていい?」
     おずおずと切り出された問いに、ローは、この話が始まって初めて「何いってんだお前」と言いたげな呆れ顔をみせた。
    「当たり前だ」
     
       ◇
     
     結局、ペンギンはやっぱり医者にはならなかったが、世界一の外科医の助手にはなった。
     陸の大きな病院でいう看護師の立ち位置かもしれないが、それに加えて調剤も行い、場合によっては器機も執るので、助手以外になんと名乗ればいいのか当人も分からない。
     オペオペの能力は必要な術具を瞬時に引き寄せられるし、それどころか複数の患部を同時に施術することすら可能な万能ぶりだが、同時に常に残体力との睨み合いを強いてくる。「手を二本追加した方が面倒がない」という局面は案外あって、ペンギン自身「まぁ、いないよりはいた方が便利なんではなかろうか」くらいには思っている。
     果断で鉄火な気質のローだが、ものを教えるとなるとこれが今も昔も驚くほど忍耐強い。曰く、「何が分からないのかキッチリ説明できんなら、そりゃもう大体分かってんだよ。おれが教えることねぇだろうが」とのこと。非合理だの不条理だの、「バカみたいなこと」を大いに嫌うローを知るハートの面々には納得できる話だったが、余所の人間が見たら恐らく目をむくだろう。 
     
     ――うつらうつらしながら、なんだか昔のことなんて思い出していた。
     たゆたう意識が輪郭を持ち始め、ペンギンはゆるりと目を開ける。ことんと首を倒すと、瞼の向こうでぼんやり温かかった光の正体は、ベッドサイドに座ったローの手元を照らす読書灯だった。めくられたページの紙擦れが、密やかに耳に届く。
     どんなに背丈がにょきにょき伸びて、体がしなやかに厚みを増し、その膚に物騒な入れ墨を誇っても。ローが分厚い本に眼差しを伏せている様は、今でもペンギンに、スワローの暖炉前を思い出させる。
    「……寝ねぇの? ローさん」
    「もう寝るよ」
     
     ローの答えは少しだけ、子どもの頃のような柔らかさを帯びていた。ペンギンは腫れた喉でくふくふ笑う。
    「……半分くらい寝てたわ。なんかさ、ローさんって昔っからセンセイしてたよなぁ」
    「なんだそりゃ」
    「勉強のせんせで、武術の師匠で、お医者さん。スワローがでっけぇ島でおれらに学校が身近だったら、ローさんのあだ名『センセイ』だったんじゃねぇ?」
    「ねぇだろ。会ったときなんてお前らより頭半分小さかったぞ、おれは」
    「えー、ローさんは昔っからローさんじゃん」
     横たわったまま目を回しているような心地で、ペンギンは思いつくまま喋り続ける。
    「ガキんときのあだ名がうっかり、とかよく聞くけど、海賊船の船長が『センセイ』は締まらねぇよなぁ。……いや一周回ってカッコいいんか? 仕事人?」
    「熱で見事にハイになってんじゃねぇか……」
     けたけた笑うペンギンにため息をついて、ローは読みさしの本を膝に置いた。
     
     ペンギンにとってはなんと、意地で氷海に潜り続けて患った十年前の肺炎以来の病床だ。その辺り、海に出て数年経った頃、ローは首を傾げていたものだ。
    「ウィルスはともかく、細菌は基本低温で死ぬって教えたろ。スワローには媒介生物も少ねぇ。……考えてみればお前ら、あって当たり前の免疫獲得してねぇ可能性あったのか」
    「そういや時々、新しい島降りるとダルかったかも?」
    「大概頑丈だなお前らも……」
     この度、ペンギンが引き当てたのは十年目のジャックポットだ。大抵の人間は子供の頃にかかった自覚もなく済ませている風邪の類。
     体力で踏み倒し続けてきたものに今更とっ捕まるくらいの無理をした、という言い方もある。

     熱のこもった髪をかき分けていった指にペンギンは目を細めた。冷たくて、気持ちがいい。
    「……あんた意外と、昔っから距離近ぇし」
    「お前とシャチにだけは言われたくねぇな……」
    「おれらはおれらで、あんたの手はお医者さんの手ーって刷り込み入ってんだよな。基本、安心しちまうんだわ。体が勝手に」
    「なんの話だよ」
     うわ言じみた言葉に辛抱強く付き合うローに、ペンギンはへらりと笑いかけた。
    「あんたがお医者さんしてっと、『それはそれこれはこれだったなぁ』とか思うわけよ。エロいときはエロいもんな? あんたの手」
     バサバサと派手な音を立てて本が床におちた。

    「…………バカ言ってっと襲うぞバカ」
    「ガキの頃より語彙なくなってやんのー」
     渋い顔を作って見せるローに、ペンギンは喉を震わせる。呆れ顔を拝むだけのつもりが思わぬ見ものだ。さすがにそろそろ喉が痛んで顔をしかめる羽目になったが、これは自業自得というものだろう。
     はぁ、というため息とともに、ローは本を拾いに屈み込んだ。ランプの作る影が形を変える。

     ところで、ペンギンは真っ暗な部屋を少し苦手にしている。単純に、閉め切られた空間にはろくな思い出がないからだ。
     トラウマというほど大層なものではなく、実際、普段は思い出しもしない。弱っているときに暗闇を眺めていると、なんとなく重苦しい胸に「ああそういや」と思い出す。その程度の話である。
     こちとら燃料が貴重な極寒島出身の潜水艦乗り。「その程度」のために、わざわざ明かりをつけて寝たりする無駄は、据わりが悪くて逆に落ち着かない。だから、強いて言うなら、そう。たまたま横で誰かが本でも読んでいるならありがたい。誰にも伝える必要のない話だが。
     この人相手なら、寝物語に一度くらい口を滑らしたことはあったかもしれない。
    「……寝ねぇの? ローさん」
    「もう寝るよ」

     膝の上に戻された本が再び開かれ、指がもう一度髪をすきあげていく。
     やりとりは、潮の満ち引きに似ている。下ろした瞼の向こうに、橙色がぼんやりと温い。
     もう、が何時のことなのか、今日は聞かないことにして、ペンギンはうとうとと微睡みの縁に落ちていった。
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