Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    itaru_kb135

    @itaru_kb135

    たまに小説を書いてます。ホプマサ、ペパハル。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 7

    itaru_kb135

    ☆quiet follow

    ペパハルです。
    親を亡くしたペパーの悲しみに寄り添うハルトの話。支部に上げていたものの再掲です。

    #ペパハル
    pepahar

    ミッドナイトブルー その日はペパーと夜にレストランへ行く約束をしていた。
     ペパーと付き合い始めてから、彼の料理研究とデートを兼ねて、パルデアの各地にあるレストランを訪れることが僕たちの中での決まりごとになっていた。
     そういうときは普段着ている制服ではなく、互いに私服を選んで出かけた。服って凄い。衣の中の人間は同じなのに、着ているものが変わるだけでこんなにも印象が変わる。私服のペパーを見る度に、その新鮮さに当てられて僕の心臓は面白いくらいに跳ねた。
     その日は少し肌寒かったので、ペパーはダークブラウンのワイシャツに薄手の黒いコートを羽織っていた。あまりの大人っぽさに思わずじっと見惚れてしまう。僕は水色のシャツに白いパーカーを着ていて、彼と比較するとどうにも子供っぽい。もっと違う服を着てくればよかったな、と反省する。
     僕は彼に「かっこいいね」と素直に感想を口にすると、
    「そ、そうか? ……ありがとな」
     と言いながら、恥ずかしそうに目を逸らす彼が可愛らしかった。
    「ハルトも、その、すげー可愛い……。可愛すぎて変なやつを誘き寄せないか心配になるぜ」
    「……あはは! それはないない」
    「えー、もっと警戒しろよなぁ」
     彼のストレートな言葉をかわしながら少しだけ早足でレストランを目指す。褒めてもらえることは嬉しいが、彼から浴びせられる言葉の数々がどうにもくすぐったくて、気持ちが落ち着かなかったのだ。
     レストランに着くと、予約済みだったのですぐに席に通された。東方の料理を専門にしているレストランとのことで、全体的に赤色の装飾が目立つ。席につくとテーブルの上に立てかけられていたメニューを手に取り、どの料理にするか二人で話し合った。
    「ハルトはどれ食いたい?」
    「このユーシャンロース……? っていうのが気になってるけど、大皿みたいだから一人じゃ食べきれない気がする」
    「じゃあ二人でシェアしようぜ。オレもなるべくいろんなもの食いたいし」
    「いいの? ありがとう!」
     僕たちは店員さんを呼んでよくわからない長い名前の料理をいくつか注文した後、他愛もない話をしながら時間を潰した。特別なことなんて何もない、ただアカデミーやポケモンの話を彼とのんびり交わすだけなのだが、僕はこの時間がとても好きだった。話の着地点がなくふらふらすることも多かったが、それでも許される二人の間の気兼ねなさが心地よかった。こうして彼と目を合わせて言葉を紡いでいるだけで、心がじんわりとあったかくなる。
    「あ、そうだ。今度、僕と一緒にブティックに行かない?」
     それまで最近捕まえたポケモンの話をしていたのに、僕は思い立ったことを唐突にペパーに投げかけてみた。彼は僕の言葉に目を丸くしていたが、すぐに話の内容を理解して頷いてくれた。
    「ああ。いいけど、何か欲しいものでもあるのか?」
    「……ペパーに僕の服を選んでほしくて。ダメかな?」
     ペパーに服を選んでもらえたら、こんな僕でももう少し大人っぽい雰囲気になれるのではないかと思っただけなのだが、ペパーの顔が見る見るうちに赤くなっていく。なんだかピカチュウのほっぺみたいだなあとぼんやり眺めていたら、ペパーはコップを手にとって水を一口、二口と流し込んだ。
    「はあ……。オマエさあ、オレ以外のやつにもいつもそんな感じなのか?」
    「え?」
    「いや……その、なんでもない。わかった、今度一緒に行こうな!」
     了承してもらえたことは嬉しいが、オレ以外のやつにも……とはどういう意味だろう。彼の意図を汲み取れずに首を傾げていると、注文した料理がワゴンに乗せられて運ばれてきた。淋しかったテーブルの上が一気に色鮮やかになる。温かい湯気に包まれた料理たちが油でツヤツヤと輝いていてとても美味しそうだった。
    「よし、料理も来たことだし食おうぜ!」
    「うん! いただきます」
     僕とペパーは目の前の料理を次々と食べていった。いくつかある料理の中でも、僕は一番始めに食べたものが特に気に入った。料理名は忘れてしまったが、ピリッとした辛味のあるタレが絡まった肉に、歯応えのある野菜のほのかな甘みが重なってとても美味しかった。
     一方、ペパーは料理を口に運びながらも、持っていた小さな手帳に料理の情報を色々と書き記していて忙しなかった。付き合い始めた当初はレストランに来ても普通に食事を取るだけだったのだが、レストランの料理を研究したいという彼の要望を汲んで、現在のデートの形に落ち着いた。
     勿論、マナーに厳しい場所ではこんな風に手帳を取り出しながら食事をすることはできないので、そういうときはレストランを出てから思い出した内容を書き留めるようにしていた。
    「悪いなハルト、もうすぐで書き終わるから」
    「ううん。大丈夫だよ」
     彼の大きな手が今にも折れそうな細いペンを握り、小さな文字をスラスラと書き記していく。お年寄りなら老眼鏡が必要なサイズだろう。
     そういう、彼の繊細さが滲み出ている手元を見るのも好きだった。彼は大胆そうな見た目をしているが、生活全般において細かい作業がかなり得意なように思う。
     そういえば以前、彼に手帳の中身を見せてもらったことがある。中には料理の盛り付け方や使われている調味料などについて丁寧に記されていた。時間をかけずに書き留めたものであるにも関わらず、必要な情報が綺麗にまとめられているところを見ると、やはり彼は地頭がいいというか、あの博士の子供なのだな、と思った。
     そんなことを口に出したら彼の不満を買うので、絶対に口に出さないけれど。
    「よし、書き終えたぜ!」
     ペパーが洋服のポケットに手帳を戻していると、隣のテーブルに別のお客さんが通されてきた。大人の男女と小さな男の子の三人組……どうやら家族連れのようだった。
    「お母さん、ぼくチャーハンがいい!」
    「いいわよ。ジュースはいらないの?」
    「ジュースもいる!」
    「はいはい。じゃあそれも注文しましょうね」
     微笑ましい会話を続ける家族連れの姿を、ペパーは手を止めて黙って見つめていた。
     そんな彼の横顔を見た瞬間、僕は思わず息をすることを忘れてしまった。彼がまるで何かを押し殺すような、切なさを滲ませるような、そんな表情をしていたから。
     彼のこの表情を見るのは、実は初めてではなかった。今までも何度か見たことがあったが、その度に彼になんて声を掛ければいいのかわからなくなった。
     僕は彼があの表情を見せる理由をなんとなく理解していた。彼は幼い頃から母親と離れて過ごす時間が大半を占めていた人で、しかもその母親はもうこの世にはいない人だったから。
     それでも、僕は家族を失ったことがないから、彼の悲しみを自分事のように捉えて理解できているとまでは言えなかった。世間一般的に考えて、きっと悲しいんだろうな、寂しいんだろうなと想像はするが、その範疇を超えることはない。
     だからこそ、なんて声をかけるべきなのかわからなかった。どれだけ頭を捻って当たり障りのない言葉を組み立てたところで、彼の心には何も届かないように思えたから。
     僕はテーブルの上に置かれた彼の手に、そっと自分の手を重ねた。それに気がついた彼がハッとこちらを向いて、困ったように笑う。まるでこちらに謝っているかのような眼差しに、僕は胸が苦しくなった。

     食事を終えた僕たちは会計を済ませるとレストランを後にした。そらとぶタクシーを使って寮に帰ることにしていたので、タクシーと落ち合う場所まで二人並んで歩いた。
     夜の街は人工の光で美しく彩られ、人々の笑い声が風に乗って聞こえてくる。賑やかで華やかな空気の中で、僕たちの間には沈黙が流れていた。きっと、知らない人が今の僕たちを見たら「喧嘩でもしたのだろうか」と思うことだろう。だが、別に喧嘩をしたわけではない。あの家族連れからもたらされた余韻をお互いに断ち切ることができず、振り切るように前へ歩くことしかできなかっただけだ。
     僕は隣を歩くペパーに視線を移した。ちょうど、灯りのない真っ暗な路地裏の前を彼が横切るところだった。彼の黒いコートが路地裏の果てしない闇に溶けていきそうで、僕は急に恐怖を覚えた。咄嗟に手を伸ばして、彼の手を掴む。
    「ハルト?」
     驚いている彼の手をそのまま引いて、僕はとにかく明るい場所を目指した。今の彼を夜の闇にできるだけ近づけたくなかった。闇が彼のことを攫っていくのではないかと本気で思った。理性ではそんなことは起きるはずないと理解していても、こうして手を握っていないと怖くてたまらなかった。それくらい、今の彼はなんだかとても弱々しくて、すぐにでも消えてしまいそうだったから。
     その後、無事にタクシーに乗って寮に辿り着くまでの間、僕はずっとペパーの手を握り続けていた。ペパーも手を振りほどくようなことはせず、ずっとそのままでいてくれた。普段ならこうして手を繋いでいる間は穏やかな気持ちでいられるのに、今はただ不安ばかりが心の中を占めていた。

     レストランから帰った後はペパーの部屋にそのまま泊まる約束になっていた。
     彼の部屋に着くと荷物を置き、上着をハンガーにかけて二人並んでベッドに腰掛ける。黄色を基調とした明るい部屋の中を見ていると、少しずつ緊張が解けていくのがわかった。ここまできて、やっと夜の闇から逃げ切ることができた気がした。
    「……ごめんなハルト。気を遣わせちまったな」
    「ううん。僕こそごめん。帰るの急かすような形になっちゃって」
     その会話を皮切りに、僕たちはだんだんいつもの雰囲気に戻っていった。ペパーの相棒、マフィティフもボールから出てきて、三人でああだこうだ言いながらじゃれあっていると、穏やかな空気が部屋の中に流れ始める。
     僕はなるべく静けさとは対極のところにいたかった。意味もなく話を振っては、部屋に常に何かしらの音がある状態を保ちたかった。そうしていないと、またあの闇が部屋の中にまで入り込んできてしまうような感覚があった。
     ペパーが明るい部屋の中でマフィティフと一緒に笑っているのを見ると、僕は心から安心した。そのままずっと、暗闇がない暖かな場所で、辛いことも何もかも断ち切って笑っていてほしかった。
    「お客様、痒いところはございませんかー?」
    「あはは、美容師ちゃんかよ!」
     交代でシャワーを浴びた後は、ドライヤーでお互いの髪を順番に乾かした。自分に全てを委ねて、気持ちよさそうに目を閉じながら髪を乾かされているペパーを見ていると喜びと同時に更なる安堵がこみ上げてくる。彼が僕の前で安らぎの表情を見せてくれることが嬉しかった。先程の辛い表情を知っているから尚更だ。
     その後も荷物の片付けなり歯磨きなりをしていたら、いつの間にか日付が変わろうとしていた。明日は休日なので朝もゆっくり起きることができるが、流石にそろそろ寝なければまずい。
    「うわ、もうこんな時間かよ。早く寝ようぜ」
    「うん」
     あの夜の闇を思い出すと部屋の灯りを消したくはなかったが、明るいまま寝るわけにもいかないので照明のスイッチをオフにした。明るい世界から急に暗くなったことで、網膜に残された像がじんわりと浮かび上がる。
     僕たちは一人用のベッドに潜り込むと、マフィティフにも「こっちにおいで」と声をかけたが、マフィティフは首を横に振り、自らボールの中に戻っていってしまった。どうしたんだろうと思ったが、少し遅れて僕とペパーを二人きりにしてくれたのだと気づく。
    「……なんだか、ハルトにもマフィティフにも気を遣ってもらってばっかりだな」
    「ふふ、マフィティフは優しいからね」
     ペパーとの会話が途切れると、部屋の中にシンとした静寂が訪れた。そしてその静けさが、夜の闇の到来を警告してくる。カーテンの隙間から漏れる白い月明かりだけが闇を払い、僕とペパーを優しく包み込んでいた。
     僕は無意識のうちに布団の中で手を這わせ、彼の手を探していた。それに気がついた彼が僕の手を上からぎゅっと包み込むように握りしめてくれる。
     手から伝わるぬくもりにほっとしながらペパーの方へ顔を向けると、彼の美しいミントグリーンの瞳と視線が合った。
    「大丈夫。オレはちゃんとここにいるから」
    「ペパー……」
     不安な気持ちを抱いているのは僕よりも彼だろうに、彼はいつだって優しかった。こちらに優しさを与えすぎて壊れてしまうのではないかと心配になるほど優しさに満ちた人だった。
     僕は布団の中で体勢を変えて、彼の胸に自分の耳を押し当てた。規則的に鳴る彼の心音が僕の不安を少しずつ和らげていく。大丈夫、大丈夫。彼は闇の中に消えてなどいない。
    「おやすみ、ハルト」
     ペパーは僕の頭を抱えるようにしながら、僕の髪にそっとキスを落とした。まるで親が子供に与えるようなおやすみのキスに、僕は切なくてたまらなくなる。
     こんなにも優しい彼には優しさだけが降り積もる未来があってほしいのに、未だに冷たい影が彼に落ちてしまうことが心苦しくて仕方なかった。
    「……おやすみ、ペパー」
     僕は彼の優しいぬくもりに包まれたまま、いつの間にか意識を手放していた。

     普段は夜中に目が覚めることなどないのだが、その日は珍しく目が覚めた。なんだか身体が寒いな、とぼんやりとした頭で辺りを見渡すと、ペパーがベッドから上半身を起こして部屋の一点を見つめていた。彼のぬくもりが離れた上に掛け布団まで剥ぐ形になってしまったから寒さで目が覚めたんだな、と状況を把握する。
     部屋の中には真夜中の青い闇が広がっていた。眠りに落ちる前よりもずっと深くて静かな闇だった。僕たちの呼吸音以外何も聞こえない、まるで海の底のような静寂が満ちている。そんな中で、月明かりに模られた彼の輪郭だけがぼうっと浮かんでいるように見えた。
    「……眠れないの?」
     ペパーにそっと声をかけると、彼がゆっくりとこちらに振り向いた。彼の透明感のある瞳からはポロポロと涙が零れていて、僕の意識は一気に覚醒する。彼の涙を見たのはこれで二度目だった。一度目はマフィティフが回復したときの喜びの涙だったが、今回はそのときとは明らかに様子が異なっていた。
     怖い夢でも見てしまったのだろうか。僕もベッドから上半身を起こすと、彼の背中に腕を回してそっと抱きしめた。取り乱すわけでも、嗚咽をあげるわけでもなく、静かに涙を流し続ける彼に僕はどうしたらいいかわからなかった。しばらく何も言わずに彼のことを抱きしめていると、彼がぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
    「……ハルト。オレは酷い人間なんだ。母ちゃんが死んだこと、ちゃんと受け入れなきゃいけないのに、未だに全然できてないんだ。そのこと考えてたら眠れなくて」
     そこから始まった彼の長い長い吐露は、あまりに寂しく、悲しいものだった。
     ペパーは母親の死をそもそも受け入れることができていないのだと言う。彼女の死に目に会えたわけではないし、遺体を受け取ってお葬式をあげることすらできていなかった。そういう遺された者の気持ちの整理をつけるための儀式をせずに、母親が亡くなっていたという事実だけを伝えられても実感が無いのだと彼は語る。しかも、その事実を伝えてきたのがどう見ても母親にしか見えないAIだったのだから尚更だろう。
     もしもペパーの母親がいつも家に帰ってきて、ペパーと同じ時間を過ごすような人だったなら、彼女の遺体が帰ってこなかったとしても、喪失感というものは少しずつ顔を現したのかもしれない。普段そこに在るものが失われるからこそ、胸に穴が空いたような感覚を覚え、人は寂しさの中に堕ちていく。
     けれど、ペパーはそういう手順を踏めなかった。母親がいないことが当たり前だったから、今も昔も母親という存在は死とは関係なく、どこか遠い世界にぼんやりと浮いたままだった。
    「それにオレは、母ちゃんとの思い出を辿れるほど思い出がないんだ」
     大切な人を失ったとき、人は深い悲しみに何度も涙を流しながらも、故人との思い出を振り返っては、ああ、あの人と過ごせて幸せだったなと少しずつ悲しみから立ち直っていく。けれど、ペパーにはそういう思い出すら残されていなかった。思い出が全くないわけではなかったが、幸せだけで構成されている思い出があまりにも少なかった。母親がコライドンを連れて帰ってきたときの記憶ですら、コライドンへの嫉妬が先行してしまい、そのときの母親の顔をはっきりと思い出せない。
     それが何よりも苦しいのだ、とペパーは言う。
    「母ちゃんに問題がなかったとは言えない。でも、でもさ。オレは母ちゃんのたったひとりの息子なのに。今までありがとうって、心から母ちゃんを送り出せないんだ。こんなんじゃダメだよな、オレ、親不孝者だよな……」
     弱々しく語る彼に「そんなことない」とはっきり言ってあげられたならどんなによかっただろう。彼の悲しみがあまりにも深すぎて、またしても僕は何も言うことができなかった。ただ、彼の濡れた頬を指で拭い、髪を優しく梳き、闇の中に一人きりにしないように静かに寄り添うことしかできなかった。今はどんな言葉よりも、人のぬくもりが一番彼の心に届く気がしたから。
     僕は彼を抱きしめたまま、この部屋の中に満ちている海の底のような青い闇は、彼の心そのものなのかもしれないと思った。彼は長い間、たった一人でこの海底の水圧に耐え、陽の光が届かない冷たさを振り払うようにして生きてきたのかもしれない、と。
     僕には彼を海面まで引っ張り上げるような力はないし、そんな魔法のような手段はきっとこの世に存在しないだろう。長い長い時間をかけて、彼の心がこの海底から浅瀬の方へゆっくりと移動していくことを、ひたすら待つしかないのだ。
     それならばせめて、浅瀬へ辿り着くまでの間、波に揉まれて彼が壊れてしまわないように、僕は彼に寄り添っていたかった。柔らかな羽毛で包み込むように、彼の心が少しでも悲しみから守られるように。たった一粒の涙の重さでも僕が肩代わりできるのならば、僕は何度だってこの深い青を潜って君に会いに来よう。
     だからどうか、幸せな未来を諦めないでほしい。これ以上、自分自身を責めないでほしい。
     僕は涙を流し続けるペパーの額にそっとキスを落とす。
     今はいくらだって泣いていいよ。たくさん泣いて、お腹が空くくらい泣いて、そしたら美味しいご飯をお腹いっぱい食べてさ。また一緒に一日一日を生きていこう。そのために僕はここにいるのだから。
     どこまでも深い青の世界、感情の波に揺られながら、僕たちはずっと抱き合っていた。

     朝の十時過ぎにようやく目が覚めた僕たちは、いつもよりゆったりとしたスピードで身支度をして、二人並んでキッチンに立った。これから朝食を作っていくが、この時間になると朝食というより昼食と言ったほうが正しいかもしれない。
     僕が野菜を水で洗って、彼がそれを受け取って手際よく包丁で切っていく。彼一人で作ったほうが早いような気もするが、一緒に作りたいという僕の我儘を彼は笑顔で快諾してくれた。
     彼も僕も、すっかりいつも通りに戻っていた。あの青い闇も部屋の中から完全に消え、暖かな陽の光がカーテンで美しく揺らめいている。外からは生徒たちの活気に満ちた声が聞こえてきて賑やかだ。
    「今日はブティック行ってみるか」
    「え? いいの?」
    「おう。昨日行きたがってただろ」
    「嬉しい! ありがとうペパー」
     あの真夜中の青を知った今、こうして彼と何気ないことで笑い合える時間がどんなに尊いものかを実感する。
     心からの笑顔で同じ時間を過ごせるということは決して当たり前のことではない。
     服を変えて見た目の印象を変えるように、僕たちは皆、大なり小なり抱えている悲しみを表情や仕草という衣で隠して生きている。親、友達、先生、すれ違うだけの人。皆そうやって悲しみを乗り越えながら世界の時間はひたすら前へ前へと進んでいく。
     ペパーもきっと同じように、あの悲しみを少しずつ乗り越えていくだろう。痛みは完全に消えることはないけれど、鋭かった痛みは時間と共にその形を変えていき、それをそっと胸に抱えながらこの先の長い人生を生きていく。

     そんな果てしない道のりの中で、ほんの少しでも彼にぬくもりを伝えることができたなら。
     彼に心からの安寧が訪れることを、僕は切に祈っていた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤😭😭🙏💞🐰🙏💒💒💒🍌
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works