「やっと着いたね」
朝日が昇った頃、俺たちは大きな町に辿り着いた。朝一だとは思えないくらい活気に溢れ、人がごった返している。どこを見渡しても人、人、人……。屋敷にいた時に見ることは無かった大勢の人に圧倒された。そして色とりどりの屋台に美味しそうな匂い…。この場に立っているだけで五感が刺激されて胸の高鳴りが止まらない。
「すごい……すごいね、町って!!人も建物もいっぱいだよ!
あれは何?これは…?ねえマシュー、早く中が見たいよ!」
「ふふ…アルってばはしゃぎすぎだよ。まずは何か食べようか、お金は持ってきたから何でも食べられるよ」
チャリ…と金貨が入っている袋が音を鳴らす。こっそり何枚か持ってきたようで、暫くは暮らしに困らない程あると言っていた。
串焼き屋台の店主に銀貨を渡して串焼きと銅貨を手に取る。さっきより枚数が増えた?どういう原理なんだろう?
「はい、熱いから気をつけてね」
受け取った串焼きからは熱々の湯気と香ばしい香りが漂っていた。屋敷で食べていた冷えて噛み跡が付いている物とは全く違った。
「……っ!」
噛むと肉汁が口いっぱいに広がる。熱さに舌を火傷しそうになったがそれよりも噛みごたえのある肉を噛めば噛むほど旨みが出てきて飲み込むのが惜しくなる。
「……美味しい!
こんな美味しい物初めて食べたよ!マシューも食べてみて!」
「そうだね、とっても美味しいね」
頬張って食べる姿を微笑みながら見つめるマシュー。彼は何度か町に来たことあるから初めてではないんだと気づく。一人ではしゃぐ姿を見られて俺は少し恥ずかしくなった。
「そんな見つめないでくれよ…恥ずかしいじゃないか」
「どうして?僕はアルと一緒にいられてすごく楽しいのに。ほら、もっと色んなもの見に行こう!」
「…うんっ!」
それから町の様々なものを見て回った。食べ物の屋台、広場で歌う人々、道端で寝転ぶ猫……。中でも印象に残ったのが俺たちと同じ歳くらいの子どもたちだった。綺麗な服を着て友だちと遊んでいた。
もしも彼らが自分たちだったら…
なんて意味の無い想像をした。
腕に残る枷の跡を見て感傷的になる。
「この痕、いつか消えるかな…」
「消えるよ、絶対にね。」
あーんとぶどうの粒を口に近づける。含むとぶどうの酸味と甘みが心細くなった気持ちを優しく溶かす。綻んだ俺の顔を見てマシューはいたずらっぽく笑った。
「消えるまでうんと長く生きればいいだろう?」
生きる…ーーー
なんて幸せな響きなんだろう。その言葉がとても贅沢で価値あるものだと思っていたのにこんなに簡単に言ってしまえるなんて…
過酷な労働
冷えて硬い飯
体も精神も壊す行為…
その全てから
自由になったんだ、俺たちは。
その事実に今気づいた。
涙腺が緩んで涙が出溢れそうになる。
誤魔化すように見上げる。でもマシューにはお見通しのようで前を向き俺の手を引いて歩き始める。
「これから一緒に見つけよう。生きるって、幸せって何かを」
「…ありがとう」
俺を見つけてくれて、連れ出してくれて…
.
昼頃、町の雰囲気が変わった。
町というか住民が俺たちの姿をジロジロと見ている。疑うような、確かめるような、そんな視線。
それを敏感に感じ、足早で歩く。
その先である人物を見つけ咄嗟に身を隠した。
衛兵だ。
屋敷にいた衛兵。昨日の酒が抜け切ってないようで頭を抱えながら住民に話しかけていた。
何を話しているんだろうと耳をすませるとひらりと目の前に紙が舞い降りた。
それを見て血の気が引いた。
マシューの似顔絵だった。
マシューを探している。そのために一番近い町に目星をつけ探しに来たんだ。
隣のマシューを横目で見ると顔が青ざめ震えている。
途端に恐ろしくなり震えた。町の住民の視線が一斉に向いた気がし、足がすくむ。
がーーー
「マシュー、こっちへ!」
震える足を無理やり動かしマシューの手を引いて全速力で走る。バクバクと心臓が鳴った。それでも構わず一心不乱に走った。
「ハァ…ハァ…ここまで来ればひとまず安心だね」
人が居ない暗い路地に逃げ込んだ。日が刺さないこの場所は隠れるにはうってつけだ。
マシューが膝を抱えて座り込んでいた。頭が見えなくなるのではないかというくらい縮こまっていた。
「…油断してた。気にも止められないと思ったのに…
はは、どうやらあの人は僕に相当執着しているみたいだね…
なんで、なんで……」
せっかく自由になれたのに…と呟いた。マシューになんと声をかけたらいいのか分からずじっと縮込む頭を見つめる。
怒りが込み上げてきた。
少年が殺された日のように何も出来ない自分に苛立ちを覚え拳を握り唇を噛み締める。
マシューは自分のことより他人を優先すると知っていた。きっと自分を置いて逃げろと言ってくるだろう。
だけど俺は今までの俺じゃない。
俺はマシューを置いて市場の方に向かった。
.
ガヤガヤと活気が溢れる市場から離れた路地裏に体を縮こませた少年が1人。膝を抱え、小さな頭を窮屈そうに押し込んでいた。
「このまま消えてしまえたらいいのに…」と小さな声で呟く。
チラリと顔を上げるともう1人の少年ー、アルの姿は無かった。
僕を置いて去ってしまったのだろうか。
それでいい。それでいいんだ。とほっと胸を撫で下ろした。
僕と一緒にいればきっとアルまで巻き込んでしまう。
せめてアルだけでも無事に…
「う…っ」
涙が零れそうになり膝をぎゅっと抓る。もう泣かないと決めたのに。アルと決めたのに…っ
でもそのアルはもう居ない。
一気に訪れる恐怖と絶望、孤独感に呑まれそうになる。寒くないのに体が震え、頭の中がかき混ぜられるような感覚に襲われる。
フワッ…
突然、マシューの視界が真っ暗になった。
いや、真っ白だ。真っ白な布が頭に掛けられたのだ。
「な、なに!?」
顔を上げると優しく微笑むアルが立っていた。
「顔を隠すマントと、靴、あと綺麗な布で出来た服買ってきたぞ!これならパッと見ただけじゃお尋ね者だとバレないと思うよ!」
お金は勝手に使っちゃったけどね、と申し訳なさそうに頬を掻いた。
「どうして…どうして戻ったの?」
「ん?」
「僕といれば危険が増えることなんて分かってただろう?」
「うん…まあね」
「じゃあどうして…!」
「それでもマシューといたいんだ。
生きるって、幸せって考えた時真っ先にマシューの顔が浮かんだんだ。君がいないと。君じゃないとダメなんだ。
…まだ知らない世界を君と見たいんだ。マシュー、俺と一緒に行こう!」
今度は俺を信じて…!
強く言い放った言葉には、瞳には決意と希望が満ちていた。
ああ…その青い澄んだ瞳。初めて君を見つけた時と同じだね 。
あの時届かなかった輝きに、ようやく手が届いた…
「…君を信じなかったことなんて一度もないよ。」
「マシュー……!」
ギュッと抱きしめ合う。マシューに抱きついたアルの心臓はドクドクとうるさいくらい高鳴っていた。
ありがとう。
僕もその期待に答えられるよう、最後まで一緒に進もう。
いつの間にか震えは止まっていた。
.
街の広場までやってきた。周りには行商人や馬車に乗る人、それを見送る人…
ここに来たのは馬車でこの街から離れようとしていたからである。
ここまで来るのにマシューは頭まで隠れるマントを被り、俺は従者のように付き添いながら歩いた。
堂々と歩いていれば誰にも不審がられないと気づいたのである。
「ここから一番近い街までいくらだい?」
「一人銀貨一枚だから銀貨二枚だよ。乗せてもいいが、後ろの子はなんで顔を隠してるんだ?」
ジロジロと怪しむようにマシューを見る。御者の視線に気づき冷や汗が垂れる。が、悟られないように続けた。
「宗教上の理由で顔を無闇に晒せないんだ。この方はお忍びでこの街にいらしていてね…
だからなるべく円滑に進めたいんだけど…」
そっと金貨を銀貨に乗せ御者に渡す。それに眉を上げ喜びそれ以上追求されることなく馬車に乗ることが出来た。
乗り込むと小さな声でマシューが話しだす。
「交渉上手だね。どこでそんな技を…?」
「見よう見まねだよ。ご主…あの人が屋敷に来た行商人に同じことをしていたんだ。大人は金貨が好きなんだろう?」
「ふふっよく見てるね」
俺も驚いていた。平然と嘘をつけたことを。この街をどんな手を使っても出たいという明確な意志を持っていなければ出来なかっただろう。
そんな話をしているうちに馬車が動き出した。中には大勢の人がぎゅうぎゅうに押し込まれていて俺たちは体を小さく丸めて目立たないように座った。
城門を出てガタガタと不安定な道を進む。どうやら街の外は岩場が広がっているらしい。
「アルはこれからどうしたい?」
「うーん、ここからうんと離れた街に行ってから住む所や働き口を探したいね…」
「そうじゃなくて、夢の話。アルは何をしたいの?」
「夢…」
考えたこともなかった。自由になりたい、辛い生活から解放されたいということばかり思っていたから夢の話なんて空の向こうのことだ。
でも、強いて言うなら…
「国を作りたい。誰も苦しまなくて済む、皆が元気で明るくいられる国の主になりたいな」
「わあ、大きく出たね。アルならきっと出来るさ。それなら僕は、皆がのんびり過ごせる国がいいな。甘いもの食べてふわふわな動物と毎日遊ぶのさ」
「マシューらしくていいね。そうしたら隣同士に作ろうよ。マシューが困ったらすぐ助けに行くぞ」
「頼もしいね。でもアルは強引なところがあるから他の国と揉めそうだよ…」
「む…君には言われたくないぞ」
ガタンッ
「「!?」」
突然の揺れに目を大きく見開き驚いてしまう。馬車内も混乱しているようでザワザワと人の声で溢れていた。どうやら何者かに馬車を止められたようだ。一体誰が…と思っていると一人の男が馬車に入ってきた。
「…ッ!」
「屋敷の…衛兵ッ」
あちらからはまだ見えないようだが確かに広場で見かけた衛兵だ。あちらも馬鹿では無いらしい、出発する馬車を片っ端から止めて中を点検しているのだという。
心臓の音が止まらない。まだ距離があるが見つかるのも時間の問題だろう。
「マシュー、長椅子の下に潜って身を隠すんだ」
「でもすぐ見つかっちゃうよ…っ」
「平気だよ。俺に案がある」
.
「この馬車に手配書の子どもは乗っているか」
「それならこの子じゃないか?なんでも危険物を持ち込んでると聞くぞ。早く捕まえてくれ」
危険物という言葉を聞き乗客はざわつき始める。それは至極当たり前のことだ。こんな狭い馬車で正体の分からない得体の知れない危険な物を持ち込んでいると聞けば誰だって狼狽える。
そんな不安を一気に煽る。
「うわっ何するんだ!?皆逃げろ!爆発するぞ!!」
その悲鳴を皮切りに乗客は一斉に外へなだれ込む。衛兵は目的地にたどり着くことさえできずそのまま外へ押し出される。俺たちもそれに合わせて外へ駆け出す。
「アル、一体どういうこと?」
「こんな狭い場所で見つからずに逃げるなんて不可能さ。なら、全員で逃げればいい」
マシューの手を引き近くの岩場へ隠れる。
馬車の周りはまだ混乱していて衛兵が対応に追われている。
「今のうちにここから遠くへ…」
「遠くへ。どうするんだ?」
聞きなれない低い声に振り向くと先程とは別の衛兵が俺たちを見下ろしていた。複数で探していたらしい。油断した…もっと周りが見えていれば、と後悔してももう遅い。
俺たちはその衛兵から目を逸らせなかった。逸らしたらもう逃げられなくなる。
ぐるぐると頭の中で考え気分が悪くなる。冷や汗が止まらず身体中の水分が抜けて凍えてしまいそうだった。
どうする?次はどんな手を?他に何人きているんだ?ここから逃げる足は?失敗したら俺たちは………
「アル」
ぎゅっ
マシューの柔らかい手が俺の両手を包む。マシューの手も俺と同じくらい冷たくて震えていた。でも、表情はいつもの優しいもので、いつもの調子で続けた。
「僕はここまでだ」
「へ…?」
俺の手に何かを握らせて衛兵の目の前に立ち塞がった。俺の震えた身体を隠すように大きく胸を張って。
「旦那様が探しているのは僕だけだろう?アルは関係ない」
「しかし、逃げた奴隷は全て捕まえなければ…」
「アルに指1本でも触れたら、僕は舌を噛んで自決する。僕を五体満足で連れ戻したい旦那様はどう思うだろうね」
「…ッ」
「衛兵を全員下がらせて。……はやくっ!!死んだ僕を旦那様と対面させたいのかい!?」
マシューの威圧に圧倒されて衛兵たちは撤退しだした。ガチャリとマシューにはめられた手枷の音を聞いて正気に戻る。
「マシュー!!」
俺の声に反応して振り返る。
「絶対、夢叶えてね」
どんどんマシューが遠ざかっていく。追いかけたいのに足がすくんで動けない…行かないでと叫びたいのに上手く呼吸が出来ない。
マシューの後ろ姿が無くなるまでマシューが握らせたものに気が付かなかった。そっと開くと、首飾りだった。見覚えがある。屋敷であいつにつけられていたものだ。資金になると思って取っておいたんだ…
「こんな…ッ、もの!!」
勢いよく振りかぶり地面に叩きつけようとするが寸前で止めた。ここで壊してもマシューの気持ちを踏みにじるようなものだ。マシューを苦しめてきた金の首飾り…どんな思いで持ってきて俺に託したのだろう。
ポタッ
頬を冷たい雫が濡らす。そのままポタポタと溢れてきてあっという間に地面を濡らす。ざぁぁぁという音が辺りに拡がった。どうやら雨が降ってきたようだ…なら丁度いい。
「……ッ……………ッ、うぅ……ッ」
雨の音に隠して俺は泣いた。もう泣かないと決めたのに。でも約束した友はもう居ない。なら、雨の中だけでも泣かせて欲しい…
そうしたら、また立ち上がれるから。
.
辺りが真っ暗になり先程の雨が嘘のように雲が引きいつもの星空が俺を照らしていた。びしょ濡れた身体を振って水気を払い額に着いた髪を手ぐしで後ろにかけあげる。
そして、一歩一歩進み出す。元きた道を。
「待っててマシュー…」
ぬかるんだ地面を蹴り走り出す。早く、早く…身体が引きちぎれても構わない。マシューにもう一度会えるなら…俺はどんな手を使って君を助けるよ。