モブサイ(夢の怪談) このところ、肩こりが酷い。
それに良くないことも続いている。階段から落ちて足を捻挫する(捻挫で済んだのが奇跡といっていい)、目の前に花瓶が降ってくる、謎の高熱が出て2、3日寝込む、など。ありきたりなものばかりだが、どれも「あれ?これ、結構マジで命狙われてる?」と言いたくなるような出来事だ。
霊とか相談所に入るなり、エクボが浮遊したまま、動きを止めて俺の後ろを眺めていたので、間違いない。
「その反応をするってことは、まだ取り憑かれてるってことだな。ったく、しつこいな、こいつ」
俺がそう言うと、エクボは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、
「……こりゃあまた、大層なモンが憑いちまったな。いくら俺様でも、ソイツを食うのはちと骨が折れるぞ」
と言ってきた。
ヤバいもんに憑かれてるのはわかったが、経緯が分からない。まあ、今時ネット掲示板を見ればクソ理不尽な怪談、都市伝説なんてゴロゴロ転がってるしな……急に目をつけられたとしてもおかしくない、かもしれない。
と、思ったが、エクボはこう返してきた。
「こりゃそんな理由のつかねえモンじゃねーぞ。シンプルに悪霊の類いだ。お前さんに相当強い恨みがあるみてーだが……」
「俺が何したっていうんだよ」
「知るか。どうせ、生前お前の詐欺まがいの商法に騙されたことのある客とかなんじゃねえか?」
そう言われると強く出られないが、かといって俺より胡散臭いエクボなんかにこんなことを言われるのは心外だ。
エクボは俺の周り(正確には取り憑いてる悪霊に、だと思うが)をじろじろと眺め、ふうんと唸ってから、
「他には?何か妙な現象、他にも起きてないか?」
と尋ねてきた。
「………変な夢、毎晩見てるな」
「夢?」
「いつも、場所は違うんだよな。自宅だったり、街中だったりするんだが……いつも後ろから、音が聞こえてくるんだよ」
「足音?」
「そう。多分、革靴かハイヒールの足音……だと思うんだよな、夢だからかあんまり覚えてないんだが。コン、コン、って音がして、それでしばらくすると、後ろに誰か立ってる」
「後ろに?なんで分かる」
「息遣いが首に当たるんだよ……で、俺に何か声をかけようとして、その『誰か』が息継ぎをしてきたところで、目が覚める。
起きた後も首に息の生温かい感触が残ってて、気持ち悪いんだよな」
「ほお…………」
エクボは興味深そうにしながら、霊を観察する。
「どうだ?俺に取り憑いてる奴」
「それがだな。原型をとどめてなくて、よくわかんねーんだよ。女ってことだけはギリギリわかる」
「なんだそれ…」
「だがまあ、仕方ねえな。全部取りきれはしないかもしれんが、ちょっくら食ってみてやるよ」
エクボがそう言って近づいてきた。俺のすぐそばまでやってきて、大きく口を開けたその時、
「ちょっと!」
バンッ、と事務所の扉が開く音と同時に、暗田トメが大騒ぎをしながら部屋に入ってきた。思わず、肩が跳ねて、心臓が縮み上がった。
「おぉぉぉ……ビックリした………お、驚かせんなよ………」
「それどころじゃないんです!!今、ここからちょっと歩いたところで、人が倒れてて………」
「人?」
トメはこくりと頷いた。あまりにも切羽詰まった様子、というか何なら泣きそうな顔すらしてきたので、思わずエクボと顔を見合わせる。
「た、助けを呼ぼうとしたんですけど、周りに人気がないし、救急車も、何故か、全然繋がらなくて………」
「そりゃまずいな」
「俺様が行く。憑依しちまえば歩いて移動ができるはずだ。場所、どこだ?」
ほっと安心したような顔をして、トメが「ついてきて」と言った。
俺はこの後すぐ除霊依頼が控えているので、なるべくここを離れたくはない。しかし、相談所を出る直前、エクボは振り返って霊幻に言った。
「おい、霊幻……この後の除霊依頼、キャンセルできねえか?なーんか嫌な予感がするぜ……」
「嫌な予感?」
「おかしいと思わねえか?ここ最近、シゲオも芹沢も、予定続きでろくに顔だしてねえんだろう。で、今度は俺様ときた
……………お前さんを独りにしようとしてるんじゃねえか?」
「…………まさか」
と、言ってみたものの、内心嫌な予感はしていた。かといって、貴重な客を逃すのもはばかられる。
まあ、詳しい依頼内容も聞いてないし、ちょっと様子見だな。ヤバそうならその時考えよう。
そう楽観的に考えていた。
***
「すいません……霊幻新隆さんで、いらっしゃいますか」
相談所にやってきたのは、年若い、20代の女性。結構美人だ。不安そうな表情が顔に貼り付いていて、少し不健康にも見える。
「はい」
と、いつもの営業スマイルで答えると、途端に女性の顔は安堵で輝き出した。いそいそと事務所の中に入ってくる。
エクボが余計なことを言ってきたせいで思わず足元を見てしまったが、履いていたのは厚底のサンダル。どうやらハイヒールは履いていないようだった。当然革靴でもない。
「ご要件は?」
そう訊ねると、女性はそわそわと落ち着かない様子になりながら、
「あの、家に、来ていただきたくて」
「家?」
イマイチ要領を得ない言い方だ。聞き返すと、女性は途端に前のめりになって捲し立てるように言った。
「あの……っ、あなたに、見に来ていただきたくて!!」
随分な剣幕に思わずつんのめる。まあ、何にせよ、家で妙な現象が起きている、ということなんだろう。必要な情報がだいぶ不足しているが、この様子じゃこれ以上聞いても無駄なようだ。ここまで幽霊に取り乱す客もまあ、逆に珍しい。
「………では、案内していただけますか?」
とりあえず簡潔にそう聞くと、手をぎゅ、と握られた。
「ありがとうございます……!!ずっと……ずっと、この時を待ってました………!!」
おお、そんなにか。凄まじい喜びようだ。身支度を整えている間、終始嬉しそうに笑っていた。
***
「こっちです、こっち」
女性客に連れられて街中を歩く間、嫌な汗が止まらなかった。
この道、俺が相談所から自宅に帰るまでのルートと、全く一緒なんだが……
まさか…………まさかか?いや、まさかな…………
女性は、デートにでも来たかのようなはしゃぎようだった。それがまた、不安を煽る。
でもな、この人、パッと見普通の人間なんだよな………身綺麗にしてる感じとか。感情の起伏が激しいとはいえ、一応今のところ会話も成立してる。
そして、10分ほど歩いた後、一軒の建物の前に立つと、指さして、「ここ」、と女性が言い出した。
指さしていた建物は、俺の家ではなかった。
なーんだ、偶然か。驚かせんなよ。
そこそこ大きなマンションだった。俺も帰り道で使っているから、この建物は知っている。見覚えがある。
「わかりました、入りましょう」
途端にビビるのをやめて、その中に踏み入れようとした時、
「師匠」
後ろから、声をかけられた。振り返ると、案の定モブが立っている。学ランではなく、私服だ。
「おー、モブか!これから、どっか出かけるのか?」
「はい。友達とカラオケに……すいません、最近予定続きで続きで、全然バイトに顔出せなくて」
頭を下げられる。「別に構わん」と伝えると、モブは顔を上げてから、
「師匠……なんか凄いの憑いてますけど、大丈夫ですか?」
と、霊幻の少し横を見ながら訊ねられた。
「お、やっぱりそうか。エクボにも、原型わからないけど一応女の霊がついてるって言われてな」
「…………ほんとだ。一瞬女の人になった」
「一瞬」、女の人になるって何だよ………
「よかったら、除霊しますね」
モブがそう言って手を翳した時、
「影山!」
何人かの声がしたかと思うと、男子中学生達がわらわらモブに群がってきた。
「お前こんなとこで何してんだよ、来るの遅すぎて迎えに来ちまったぞ」
えっ、と小さい声でモブが言う。ほら、行こうぜ、と催促されて、困惑したように俺の方を見る。
「行ってこい」
俺が笑顔でそう返すと、わかりました、と言って、モブが友人たちと共に消えていった。
くっそ〜〜〜〜〜〜〜!!!
カッコつけないで「今すぐ除霊してくれ」って言えばよかった……何やってんだ俺、折角のチャンスを!!
エクボに続き、モブまでもか、どうやら、本格的に俺を独りにしたいらしい。
「霊幻さん、」
横から女性客の声が聞こえて、はっとした。
「早く、早くお願いします」
妙に急かしてくる。慌てて後ろをついていき、そのままエレベーターに乗った。