お魚のビスケット教会を出たころには、もう月があんなにも高いところに昇っていて私は思わずため息を吐いた。
沢山の懺悔を聞くのは、あまり精神的にも良くないことは理解しているつもりだ。でも、それが自らの務めなのだからと奮い立たせてきたが人間だれしも限界が訪れる。今がその時だった。
教会を訪れた子羊たちを余すことなく導くことは我々にしかできないことだと神父様はおっしゃった。けれど、両手にあふれるほどいる信者一人一人に平等に教えを説くことが不可能である事は、神父以外の人間はだれしも思っていた。
それでも、誰一人として声を上げないのは、彼が怖いからではなく救いたい気持ちがあるからだ。そうして自分がボロボロになって十字架を握りしめて泣きじゃくる羽目になるのだが。
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