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    inaeta108

    @inaeta108 イオ の物置です

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    たりないふたり3

    #キラ白
    cyraWhite

    流石に疲れた。
    キラーTは深く深く息を吐いた。

    気付かぬうちに勢力を拡大していたがん細胞を発見、殲滅までをやり遂げたのだ。無理もない。
    傷の手当て、部下の激励、上官への口頭報告。帰還後の一通りの任務を完了させたキラーTは今日のことを振り返っていた。早急に報告書をまとめなければならない。

    まずは一日の始まりからだ。
    近頃はウイルスもすっかり鳴りを潜めている。だから毎日は訓練と訓練と訓練で埋め尽くされていた。長期にわたるインフルエンザの襲来に苦しめられていたあの時とは大違いだ。そう。へなちょこナイーブが好中球に世話になったあの時。あいつも今では筋骨隆々、期待のエフェクターT細胞として訓練に励んでいる。だから、少しばかり礼でも言おうかと思っていたのだ。
    巡回終わりにリンパ管の近くで偶然その姿を見つけたから声をかけた。感染細胞を被害を広げる事なく駆除する、いつも通りの素早く確実な動き。部下をわざわざ先に帰還させたのは、付き合わせて訓練の機会を逃すのはよくないと思ったからだ。久々にゆっくり話したかったからとかそんなんじゃない。断じて。
    だが、NK細胞の乱入と、そこから始まる騒動のおかげでゆっくり話すなんてことは叶わなかった。薄暗い居住施設の中、やりたい放題増殖したがん細胞たちと必死に戦った。
    そんなやばい状況にも関わらず好中球ときたら!自らもがん細胞組織に拘束されている中でキラーTに絡みつく細胞たちへの攻撃を優先し、更には一般細胞の心配までする始末だ。
    そんなんじゃお前がやられるだろこのホノボノ野郎!余計な心配かけてんじゃねーよ!!

    ーーいや、違うだろ!
    キラーTはペンを放り投げるのを寸でのところで思いとどまった。
    班員たちがちらちらとこちらを伺っている。トレーニングルームの一角で報告書を作り始めたのは失敗だったかも知れない。
    一旦落ち着こう。ぬるくなった珈琲に口をつける。無愛想な甘さが口の中にじわりと広がった。

    「ただ生まれてきただけなのに!」
    悲痛に慟哭するがん細胞は活性化したNK細胞に貫かれ倒れ込んだ。
    トドメを託された好中球は暫しの後、仕事を完了させたようだった。
    だから好中球の姿を探していたのだ。
    さっさとこちらに合流すればいいのに、いつまでも来ないから。
    遠くに見つけた好中球は見慣れない表情をしていた。やけに暗く沈んだ目。フラつく足元。
    本来適性ではないがん細胞との戦闘に疲労したのか、それとも負傷でもしているのか。思わず一歩踏み出した時だった。
    バランスを崩した好中球を赤血球が支え、そのまま何事かを話し出す。こちらの視線に気づいたのか赤血球は怯えた顔をして好中球にもう一歩近寄った。好中球が何事かを囁くと、赤血球は眉根を下げる。笑い合うふたりの姿は随分と親しげに見えた。
    キラーTは湧き上がる感情を必死に噛み殺し、無言で踵を返した。かける筈だった礼も労いも強さを讃える言葉も、全ては宙に消えていった。だってそれはまるでーー

    キラーTは勢いよく机に突っ伏した。
    これ以上はだめだ。

    馬鹿だとか脳筋だとか粗暴だとか高圧的だとか。そんな評価は日常茶飯事だ。
    事実、そこまで間違っていないと思っているし、間違ってなくていいと考えている。
    だって俺たちは身体を守る免疫細胞最強にして最後の砦、キラーT細胞だ。怖くてなんぼだ。
    体鍛えて敵を倒して、そうやって死ぬまで生きる。馬鹿で一途で単純でなければなし得ないこともあるのだ。
    それなのに気づいてしまった。
    掌中からぼきりと鈍い音がする。どうやらペンが折れたようだ。
    顔が熱い。脈が早い。喉が渇いて呼吸を忘れる。
    これはひょっとして、好きってやつじゃないのか。


    一度意識してしまうと、それまで気が付かなかったものが勝手にぽこぽこ湧き上がる。
    世界の為に、他の細胞の為に、体を賭すその姿。視界の端に収めるたびに立ち昇る、苛立ちと焦燥と。
    心がざわつき、いてもたってもいられなくなるような。
    煮える臓の奥底か焼ける脳髄の末端か。どこからかすら分からずにそれでも溢れ出る感情に溺れそうだ。
    キラーTは太い眉を顰めた。
    「言えるわけねえだろそんなこと…」
    そもそも、最強にして最後の砦たるキラーT細胞と、個で生き闘って死ぬ好中球。同じ免疫系とはいえ、生き方が、在り方が違う。免疫非免疫問わず仲良く分かり合えればなんて甘っちょろい事を言う奴とは考えもまるで違う。
    同じ体(せかい)で戦っていても、本来ならお互い気に留めることもない存在。そんなふたりが上手くいくわけないのだ。ましてや情けない姿を見られて、そして身勝手に強くあたってきたキラーTが今更何を言い出すのだという話である。好感度マイナスもいいところだ。
    ひどく臆病なキラーTが顔を出す。
    到底実るもんじゃない。諦めたほうが身のためだ。なに、そう難しい事じゃない。ただ今まで通りにしていれば良いだけだ。好かれる訳もない、煩い知人として。
    その結論はこれ迄のそう長くもない生の中ではひどく珍しくーーおそらくは初めてのことだった。
    カラン。軽い音を立ててペンの残骸が床に転がった。


    がん細胞は重要な敵だ。よく覚えておかなくてはならない。思い出しておかなければならない。今日のこと全てを。
    それなのにキラーTの記憶機能はすっかり言うことを聞かなくなっていた。
    思考が渦を巻く。報告書の作成は大いに難航した。


    ーーーーーーーーーー


    会いたい。けれども会いたくない。

    複雑かつ繊細なキラーT細胞咽頭班班長の胸中など知るよしもなく、相変わらず好中球は気まぐれに姿を現した。それは例えば戦場であるとかモニターの中だとか、訓練中の休憩コーナーの話である。
    激戦だった咽頭地区は連日の陽気のせいか落ち着きを取り戻している。
    嵐のようだったキラーTの心中も、同じ様にすっかり落ち着きを取り戻しているーーはずだった。仕事に没頭してさえいればいつの日か気持ちは薄れる、そう思ったのに全くそんな日が訪れない。だからどうしたのかというとどうもしなかった。どうにもできなかったという方が正しい。

    見かけによらず気の回る副班長に核心を突かれたのもそんな時だ。

    「ハァ!?なんでッ」
    想定外の指摘に裏返った大声が全てを肯定していた。
    慌てて周囲を見回すが、班員一同は地獄の1,000本スプリント中である。聞くものは誰もいなかった。
    「なんでって、そりゃ…そんな顔して見てりゃねぇ」
    副班長はがっしりとした顎を態とらしく撫でる。キラーTは緊張から未だ抜け出せない眉間を強く押し込んだ。視線の先、遠く壁の向こうではリンパ管に侵入しかけた雑菌を単身倒した好中球が息をついていた。その制服は赤に染まり、激闘の跡を伝えている。
    「で? 班長様の戦略や如何に?」
    653、654。副班長はカウントをしながら器用に会話を進めた。
    「言うつもりはねえよ」
    飲み込むような返事に副班長はサングラスの奥の目を細める。キラーTの眉間がまた、じくりと痛んだ。

    諦めずに努力し続けることはできたが、諦める努力とはどうすればいいのか。未だに見当もつかなかった。


    ーーーーーーーーーー


    有り体に言うなら、そう、心配していたのだ。


    ヘルパーT司令に呼びつけられたのは午前の訓練が半ばを過ぎた頃だった。珍しいタイミングでの招集に首を捻りながら司令室のドアを叩いたキラーTを、制御性T細胞の沈着な顔が出迎える。案内された机上にはいつもの市松模様のクッキーが鎮座していた。机の前に立つその所有者は紅茶を片手に紙の束を掲げてみせる。
    「がん細胞の報告書なんだけどさ」
    「…しっかり仕上げて即日提出済みのはずですけどね」
    「あ、君のじゃなくて。好中球くんの」
    「ッ、」
    「どうしたの変な顔して」
    「……何でもねーよ。あいつの報告書がどうした?」
    「ちょっと気になることがあったからさ、キミも読んでおいてよ」
    報告書をキラーTの手に押し付けると、司令は首をすくめて重厚な椅子に腰掛けた。


    それは、好中球といまわの際のがん細胞とのやりとりだった。
    恨み言と、お前を殺しに蘇るとの言葉。そして案の定、敵とーー仲間であったはずの細胞と言葉を交わす好中球。

    キラーTは絶句した。あの時の、深く沈んだ瞳が蘇る。
    一時の感情に任せて見過ごしてはいけないものを見逃したのかも知れない。後悔と焦燥が鍛えられた体躯を包んだ。
    「ーーだからさ、君も見かけたら声かけてみてよ。滅多なことはないと思うけど」
    黒縁の眼鏡がきらりと光った。


    兵は拙速を尊ぶ。キラーTもその例に漏れることはなかった。司令室を出て3分後には訓練場に戻っていた。新記録だ。眼前では部下たちが死にそうな顔で訓練をこなしている。
    「集合!!」
    大音量が響いた。
    「予定変更だ。午前の巡回に俺も同行する。今から出発だ。当番の者は準備しろ。副班長は残りの班員の指導に当たってくれ」
    『イエッサー!!』

    班員は訝しげだったり納得したりといった表情を各々顔に貼り付けていたが、キラーTは意に介さなかった。そんな余裕はなかった。先頭に立ち、歩みを進める。
    ルートの半分を過ぎても好中球の白い姿が視界をよぎることはなかった。巡回で会える保証はどこにもない。というかむしろ会えることの方が少ないのだ。やはりパトロール時にいつもの休憩コーナーで捕まえる方が確実か。いや、あれだって数日おきにしか遭遇しない。
    焦って飛び出してきたのは失策だったか、そう思った時だった。末端のリンパ管から程近く、通路を見下ろせる人気のないエリアに白い背を見つけた。だから咄嗟に声を掛けたのだ。何をどう話すか、そんなことは何も考えられていなかった。

    それがどうだ。
    声を掛けてみれば白い口唇から溢れるのは苛々する言葉ばかりだった。そんなだからがん細胞につけこまれるんだ。キラーTの眉間に深い皺が刻まれる。
    ーー免疫細胞以外と交流したところで、奴らと俺たちには厳然たる違いがあるのだ。仲良くなった一般細胞は次の日ウイルスに感染するかもしれない。赤血球と茶を飲んだところで、アイツらにとって俺たちは所詮凶暴な殺し屋だ。
    それなのに“自分を変えようと努力している“ “すごい奴だな“ “いつの日かアイツらと仲良く“そう言ってふにゃりと笑った笑顔がいつかの屋上で見たものと同じだったから。そんなこといいながら俺と語り合ったことも無しにして。
    言いたかった台詞も掛けたかった言葉も、全てがぐるぐると渦巻いた。あのいつもの苛立ちと焦燥、それを何倍にも煮詰めたものが腑を焼き、溢れ出たそれは最悪の形でキラーTを動かした。


    「馬鹿野郎!!」
    呆然と頰を抑える好中球を後に残してキラーTは踵を返した。石造の街並みに軍靴の音が孤独に響いた。


    そんなつもりはなかった。
    そう言葉を重ねたところで言い訳にしかならないだろうが。自分が後先を考えない行動を取りがちなのは良く知っていた。
    「うらやましくなんてない」
    それは、好中球に向けた言葉か、それとも。

    暇そうに、或いは楽しそうに歩く細胞たちと何度もぶつかりそうになったがキラーTは立ち止まらなかった。商店の看板、工事中の案内、すべてから逃れるように、ただ歩いた。足をどれだけ動かしても心は晴れなかった。
    わかっていたことなのだ。
    キラーTと交流することは仕事上有利に働く。顔も知らない奴よりは、言葉を交わしたことがある奴の方が連携も上手くいく。情報だって得られる。仕事熱心ゆえの付き合いだ。さらに言うなら好中球は周囲にいるやつ誰でも気に掛け、手を差し伸べる性分なのだ。だからこそ自分にだって躊躇なく声をかける。
    例えばあの赤血球の方だって満更じゃないだろう。日頃忌避されがちな好中球に対して気安いどころではない態度だ。それに引き換え自分はどうだ。厚意を無碍にし、怒り、挙げ句の果てには手まで出す。

    何処をどう歩いてきたのかは分からないがさしたる問題はない。どんな小道だって頭に入っている。足を止めた時、キラーTは血管の大通りの端に立っていた。見上げればリンパの壁の向こうに馴染みの官舎が聳えている。そして、屋上も。

    キラーTは屋上を睨んだ。
    ーー距離を置こう。
    あの黒い瞳が軽蔑に、嫌悪の色に染まるのが怖かった。そんなもの見たくなかった。全てをなかったことにしよう、忘れてしまおう。

    目を瞑る。
    昔と一緒だ。弱くて、皆について行くのがやっとで、だがその事実を認めたくなくて必死で特訓に励んだ。効率など考えず、ただ闇雲に時間をかけて。
    そうして拳を奮っている間だけは、脱落の恐怖から目を逸らすことができた。実らない、いつまで続くかもわからない特訓。
    あの時はクソメガネの助言もあって、なんとか実らせることがーー選別を突破し、ナイーブT細胞になることができた。そしてキラーT細胞にもなれた。だが今度は。

    相変わらず、心は微塵も晴れなかった。


    ーーーーーーーーーー


    「な…何やってんだオメーら!?」
    それは至極当然の疑問だった。

    班員たちは何とも奇妙な表情でやってきた。にやにやしているようなそわそわしているような、それでいて深刻な顔つきだった。訓練の成果を存分に発揮した、見事に揃った足並みと素早い動きであっという間にキラーTの逞しい腕を両側からがっしりと掴む。
    部下と見覚えのある一般細胞が揃いも揃ってバドミントンに興じるという、窓越しに見えた衝撃の光景に動揺していたキラーTが、罵声の甲斐なく運ばれていくのは時間の問題だった。古参の班員達は、上官がなんだかんだ甘いことを良く知っているのだ。

    渋々引きずられてグラウンドに到着したキラーTの右手にラケットが握らされた。そのまま囃し立てられ、一般細胞の待つ即席のコートへと押し出される。と、視界に飛び込んできたのはこちらも何やらゴツい班員達に纏わりつかれる白い制服だ。
    人違いであれとの祈りが天に通じることはなく、キラーTの視線の先には班員に囲まれ、がっちりと腕を掴まれ肩を組まれる好中球の姿があった。意気揚々と話しかけるエフェクターに何ごとかを返すと、気まぐれにふいとこちらを見遣る。ラケットを握るキラーTの姿に驚いたのか黒い目を少しばかりみはると唇を綻ばせ小さく手を振った。

    ――くそ、なんでお前はッ…!
    キラーTはギリ、と口唇を噛み締めた。それがあまりにも“いつもどおり“の姿だったからだ。
    あいつにとって、急に殴られたことなど何でもないことなのだろうか。殴った俺のことなんて、やはり意識するに足りない相手なのか。そうかもしれない。そうでなければ誘われたからと言ってそんな風にひょいひょいついてきたりしないだろう。
    班員の誘いを冷たく無視するような奴ではないとは分かっていても、その思いはキラーTの頭から離れなかった。

    好中球は、こちらの反応など意にも解さぬ様子で左側に立つ副班長と何事かを話している。
    言うつもりはない、自分は確かにそうはっきりと告げたはずだ。見た目によらず気がまわるーーまわしすぎるきらいのある部下が何を考え、行動したのかはわからないが。
    ずしりと重くなった腑を誤魔化すようにキラーTはラケットを力任せに振り抜いた。シャトルは遥か彼方へと姿を消す。文句なしの大暴投。
    するり。視界の端で好中球の指が緩やかに立てられた。


    キラーTの集中は乱れる一方だ。
    ギャラリーはどんどん増えてゆく。
    笑顔のマクロファージは、いつの間にか優雅に寛いでいるヘルパーT司令に紅茶を振舞いながら何事かを語り合っている。
    と、そこにまた見慣れた顔が現れた。よく迷子になる例の赤血球だ。きょとんとした表情で辺りを見回している。そこに声をかけたのは案の定好中球だった。
    「どうした。また迷子か?」
    「白血球さん!」
    またしても剛腕がコントロールを失う。
    シャトルはみしりと地面にめり込んだ。

    いつの間にか班員たちは固唾を飲んでこちらの様子を伺っている。
    全てが忌々しかった。
    副班長をぎろりと睨む。
    このあと、緊急ミーティングだ。
    視線一つで伝わる。長年の連携の成果だ。
    副班長は観念したように曖昧な笑みを浮かべ、両手を軽く上げてみせる。班員達はその横にずらりと列を成した。皆が皆、覚悟を背負った良い顔つきをしている。素晴らしいチームワークだ。通常時なら褒め言葉の一つもかけただろうがそんな気には到底なれなかった。


    ーーーーーーーーーー


    「ーーさっきのあれは一体何だ」

    ダブルス戦までを不本意ながらもきっちり終了させ、更にぐねぐねと何事かを宣うヘルパーT司令を制御性T細胞に引き渡しーー細々とした仕事を終わらせたキラーTは声を絞り出した。
    なお、嫌な予感が頭から離れないので場所はキラーT細胞専用のミーティングルームを使用している。眼前に整列した班員たちの姿勢は極限まで正されている。只事ではない気合いに狭い密室は蜃気楼が漂う勢いだ。

    「班長、俺たち…!」
    「好中球さんを…!!」
    「出過ぎた真似とは思ったんですが」
    「どうしても見てられなくて!!」
    「うるせええええ!! いっぺんに喋んな!!」
    堰を切ったように口々に主張する部下達を見てキラーTは深く息を吐いた。ビンゴ。最悪中の最悪だ。
    「副班長が何言ったかは知らねえが! 俺は別にあいつと…その、付き合いたいとかそんなことは考えてねえからな。そもそもは終わったどころか始まってもいない話だ」
    宣言ついでにぎろりと睨む。勿論、重要機密をうっかり漏らしたのであろう副班長をだ。殺気に満ちたその視線は威力抜群に辺りを飲み込み班員共は黙り込む。はずだった。

    「違います、班長!」
    「誤解です!!」
    「副班長が仰ったわけじゃないです!」
    「俺たちが、各々気づいただけなんです!!」

    声はまたしても同時多発的に上がった。それぞれがそれぞれ、厳しい訓練で鍛え上げた肺活量の限りを尽くした声だった。窓ガラスがビリビリと揺れる。到底、室内に適した音量ではない。だが、キラーTの耳は聞き逃さなかった。班長たるもの、周囲の状況には常にアンテナを張り詰めておく必要があるのだ。それが裏目に出た。
    各々。おのおの。ひとりひとり、の意。

    「はぁああああああ!? おかしいだろ。なんで! どっからそうなったんだよ!!」
    「だってわざわざ巡回中に絡みに行くのあの好中球にだけですし」
    「し、知ってる奴に会ったら挨拶くらいするだろ!」
    「モニターでもガン見してます!」
    「あいつが映りすぎなんだよ!」
    「わざわざ血管側の休憩コーナーまでお茶のみに行ってます!」
    「うるせえ! ゆっくり話す機会なんてそれ位しかねぇんだよ!」
    「やっぱり会いたいからなんですね!!」
    完全なる失言だったが、班員たちは至極当然といった顔をしている。キラーTは動揺のあまりその場に膝をついた。ついでに深く息を吐き出す。しかし班員たちの勢いは止まらなかった。
    「諦めるってことですか? どうして?」
    「……だから諦めるも何もどうこうなりたいとか思ってねえし」

    キラーTは勢いをつけるために両腕を広げた。ちょうど洋画の登場人物の様なポーズだ。様になっている。
    「第一! おかしいだろ考えてもみろ。
    俺と好中球が人気のカフェでランチだとか?
    おてて繋いでクレープ半分こだとか?
    リンパ管の前で待ち合わせ!今日はどこでデートしよっか〜♡だとか!?
    どう考えても寒いだけだろうが!?
    俺たちは免疫細胞で殺し屋で他種族でゴツい男型同士なんだぞ!!」

    『全然アリです班長!』
    声は美しく揃い、咽頭班の団結力の高さを見せつけていた。どうやら揃いも揃って目が曇りきっているらしい。そんなとこまで団結してんじゃねえ。キラーTは心の中で頭を抱えた。
    『俺たち応援します!!』
    あまりにも力強く真摯で、今までにないくらい善意のみで構成された声だった。だからキラーTは少しばかり気圧されてしまった。実は彼には、勢いだとか真剣な眼差しだとかに意外と弱いところがある。
    「……まあ、言いたいことはわかった。けど、お前らだって今日も見てただろうが。俺のことなんざ眼中にねぇし、あの鈍臭い赤血球とか、NKとか、他の仲良い細胞だって多いんだよあいつは。俺なんぞとわざわざどうこうなることはないだろ普通に考えて」
    一言ひとこと、噛み締めながら口にすると情けなさにじわりと眉間が痛んだ。そんなことわざわざ思い返すまでもなく知っているのだ。


    「別に全く見込みなしってわけじゃないと思いますけどねえ」
    色んな想いがこもった言葉だった。班員一同は一斉に深くうなずいた。
    「ーー見た目だって悪くないし、強いし、意外と真面目だし。ちょっと口うるさいですけどね」
    副班長は少しばかり戯けて言葉を継いだ。長年の付き合いだ。会話には緩急が必要だと心得ている。キラーTの眉間の痛みは少しばかり和らいだ。

    「んなわけねえだろこの大馬鹿野郎共。身内の欲目だ。見る目なさすぎだわそんな奴」
    何しろ交わした会話といえば挨拶か出会い頭の説教、叱責、注意に悪態。そりゃあちょっとは共闘した事もあるが、あくまで仕事だ。それだけだ。

    「ーーまあ、あまり結論とか色んなことを急がなくても良いんじゃないですか?あんた諦め悪いんだから、思い切るのだってどうせ時間が要るでしょ」
    冗談めかした声だった。だが、サングラスの奥の瞳は、柔らかくも鋭くキラーTを見据えていた。班員たちも互いに頷き合っている。キラーTは、先ほどから続く大声にも関わらず破損を免れた頑丈な窓ガラスを見つめた。要するに視線を逸らしている。
    「ーーもう、この話は終わりだ。訓練に戻るぞ馬鹿野郎共」

    午後の訓練は一向に身が入らないものとなった。


    ーーーーーーーーーー


    だが、忘れよう、その存在を記憶から抹消しようと思えば思うほど、好中球はキラーTの生活のそこここに現れた。戦闘の様子を映し出すモニターの中に、リンパの壁の向こうに。時に勇壮に刃を振るい、傷つき、時に非免疫細胞と仲良さげに笑い合って。

    ーー諦めることすらまるでできない。

    キラーTはモニターを見つめた。
    画面の中では間抜けな顔のムンプスウイルス感染細胞がB細胞の派手な抗体にやられて吹っ飛んでいる。続く劣勢にやきもきしたが、どうやら出番はなさそうだ。背後に並ぶ班員たちに気づかれないよう静かに息を吐き出す。
    また眉間がじくりと痛んだ。
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    MAIKINGたりないふたり2「あの好中球」と久々に再開したのはつい先だっての戦場だった。広い体内、そして数多い好中球である。巡回中にしろ戦場にしろ出会うことはなかった。モニター越しには何度か一方的な対面を果たしていたから、生きていることは知っていた。相変わらず右側だけ長い前髪と、無駄のない鋭い動きはモニター越しにも目を引いた。そのうち偶然会うこともあるだろう。そうしたらお互いの無事の再会を祝えばいい。キラーTは密かにそう思っていた。
    それなのに、ウイルスや雑菌をあらかた片付けた戦場で遭遇したあいつは。瞬きほどの間こちらを見て、首をひとつ傾げて、仕留めたのであろう雑菌を無造作に引きずって仲間のもとに歩いていった。それだけだった。
    めでたく活性化を果たしてエフェクターT細胞に、そして鍛錬を積んでキラーT細胞咽頭班班長に上り詰めた今でも、初めての戦場のことを思い出すと頭が熱くなる。禍々しい感染細胞、絶望と恐怖。そしてあいつのこと。一時は屋上にすら足を向けられず、特訓場所も変えざるを得なかったほどだ。
    その焼けつくような記憶が身体中を駆け巡った。悔しいのか、悲しいのか、苛立っているのか。どれも正しく思えたし、どれも違うよ 6646