犯罪ですよ立香さん「ごめん、キミのことはやっぱり友達としか見えなくて、折角告白してくれたのに、本当にごめんね!」
両手を合わせて夕焼け色の頭を下げてきたのは同じクラスの藤丸立香だった。
学校のプール裏の庭。先週ここでオレは彼女に告白をした。そして連休明けの今日、こうして振られていた。
「いいよ、仕方ない。でも藤丸、もしかして好きな人いるの?」
藤丸は明るくて気さくで、お人よしで、誰からも愛される人柄である。だから男女どころか先輩後輩、教師問わずに人気があった。
「……うん、いるよ、ずっとずっと前から」
そう言ってはにかむ顔はいつもの溌剌とした彼女の笑顔とは違う、知らない女の子の表情だった。
オレはその相手が心底羨ましいと思った。
※※※
それから一か月後の事である。
失恋の痛みにもようやく立ち直りつつある、ある日の放課後だった。図書室から帰る途中、社会科準備室の隣を通った時である。
聞き慣れた少女の声が聞こえた。
「一ちゃんせんせっ」
少しだけ開いた社会科準備室のドアの向こうから、藤丸立香の笑みを含んだような声がしたのである。
「こら……っ藤丸さん……って!」
「んふふふっ、これは一ちゃん先生の大臀筋をマッサージして腰痛解消してあげてるだけですからー? だからセクハラじゃありませーん」
藤丸の言葉に驚き、オレは思わず社会科準備室の中を覗き込む。するとそこには歴史教諭の斎藤一に抱きついて彼の尻を揉む藤丸の姿があった。
当然ながら学校の制服であるセーラー服姿で、まるで植物の蔓が絡みつくように藤丸は斎藤の大柄な体に抱きついている。そしてその女子らしい小さなその手は斎藤の男の尻を卑猥な仕草で円を描くように撫で回していた。
「しかしこれは触り心地の良い、やらしいお尻ですねぇ? 女を惑わす悪いお尻なのでおしおきが必要ですよねぇ? ぺちんぺちんぺちーん」
そう言いながら藤丸は尻を軽く叩く。斎藤はどうにかして藤丸の絡みつくような拘束を振り解こうと必死だ。彼の眼鏡越しの瞳には焦りが浮かんでいた。
「弾力がすごーい、あははっ、いかにもヒップって感じ。ぱいんぱいんしてる」
しかし藤丸はそんな斎藤に構わず、何が楽しいのか男の尻の感触を堪能して遊んでいる。
斎藤の様子は先からおかしい。いかに藤丸がしがみついていても細身の女子だ。歴史教諭にしては謎なほど鍛え抜かれた大柄な斎藤の体格ならば簡単に振り解けるはずだろう。なのに彼はどうやら体に力が入らないようだ。それに熱が出ているかのように斎藤の顔は赤く息が荒い。
「はーい、次はこっちの大胸筋のチェックでーす? あー、先生なのにこーんなにえっちなむちむち雄っぱいしてたらいっけないんだあ? えっち罪でこっちはもみもみの刑でーす」
「ちょっ……良い加減に!」
そうこうしている内に藤丸が甘ったるいはしゃぎ声を上げて斎藤の胸をまさぐり、無遠慮にぐにぐにと揉みしだく。
藤丸のその瞳は加虐と愉悦の笑みに爛々と輝いていた。
いつもの溌剌として元気いっぱいの彼女とは真逆の蠱惑的な表情である。黒いセーラー服がその蠱惑的な表情と相俟って退廃的な雰囲気を醸し出していた。
「駄目ですよせんせ。今時、貰った飲み物が未開封のペットボトルだからって安心して飲んじゃったら。そんなの女の子の常識なんですけどねー? 一ちゃん先生は先生なのにそんなことも分かんないんですかあ? 駄目な先生ですねぇ? ちゃんと親御さんに謝ってくださいね? すけべ雄っぱいの無知無知教師に育ってごめんなさいって。 うりゃ、乳首はここかなあ? くりくりー」
加虐的な笑いが含まれた藤丸の言葉に思わず視線を落とす。ドアの隙間から見える準備室の床には、お茶のペットボトルが開封され中身を静かに溢しながら転がっていた。
目を凝らすとそのボトルの底にはセロハンテープのようなものが貼られていたのが見える。
底に穴を開け、注射器で薬を盛り女性に飲ませて意識が朦朧となったところをホテルに連れ込み乱暴するという事件を以前聞いた覚えがあった。けれどまさか藤丸がそんなことを男性教諭にするだろうか。
あの向日葵みたいに明るく気さくな誰にでも親切な藤丸が。
自分の中の藤丸立香の姿がガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。
「……放し、て、藤丸さ……」
斎藤の息が更に荒くなってきた。もしかしたら藤丸に盛られた薬は媚薬という奴なのかも知れない。
「だめー。 だって先生ったらあの日から全然連絡もくれないし、私のこと避けるし。この一ヶ月間ずっと連絡待ってたのに。流石に立香さんも傷つくんだよ」
藤丸の手が踊るように斎藤の股間に伸びる。びくりと斎藤の体が跳ねて身を捩ろうとした。しかし小さな手はそれより早く斎藤の股間にするりと到達する。
「ふふっ、えー? ちょっと抱きついて触っただけでもうこんなに硬くなってんの? ふふふふ、男の人って分かりやすくていいね。それとも先生がいじめられるのが特別好きな人なのかな?」
ぐいと藤丸が斎藤の背中に自分の胸を押し付ける。自分が何度も妄想した藤丸の柔らかそうな胸だ。その膨らみが、斎藤の背中でふにゃりと潰れる様子に釘付けになってしまう。
「違っ……」
「せんせが飲んだ薬は興奮する薬なんだって。頭ん中やらしいことでいっぱいでしょ? ね? しようよ?」
ふっと斎藤の耳元に息を妖しく吹きかける。自分が藤丸でなくても可愛い女子にされたらその瞬間、理性を失うだろう。その点だけでも斎藤はすごいと素直に尊敬できた。
「いいよぉ? 逃げても。でも先生が社会科準備室で私の隠し撮り写真見ながら一人でえっちなことしてたことと、それを見た私に口止めって言って無理矢理せっくすしたことバラすからね」
「それは、逆、だろ!」
はあはあと息も荒く必死の様子で斎藤が否定する。
藤丸の手を押し退けようとするもその手つきは遅い。
「隠し撮りは本当だし、一人でにやにやして見てたのも本当でしょ?」
藤丸は薄笑いを浮かべながら、斎藤に更に体を密着させた。そして彼の耳たぶを甘噛みし首筋をその小さな桃色の舌でぺろりと舐め上げる。
セーラー服の少女に絡みつかれ、熱で赤く染まった首筋を舐められる男性教諭の姿はそれは背徳的なものであった。
「ふふふっ先生良い匂い。香水使ってる? これ優しい匂いで好きだな」
二人の話を総合すると、斎藤が藤丸を隠し撮りしていたのは本当で、自慰をしていたのは藤丸の嘘。しかし社会科準備室でその画像を見ていたのは確かだろう。
そしてそれを藤丸本人に見つかり、恐らく今の状況からして斎藤は藤丸に脅されて男女の関係を持ってしまった。
こんなところだろうかと推測する。
「それに一ちゃん先生っていっつもヘラヘラしてて何考えてるのか分かんないって言われてるじゃない? 私は先生が誠実で優しくて、一途な人ってこと分かってるけどさあ。でも私ってほら他の先生とも仲良くしてるし、割と学校でも友達多い方でしょ? そういう先生の言い分と私の言い分、みんなどっちを信じるかなぁ?」
低くくぐもった笑い声で藤丸が斎藤を脅す。
何が起きているのか全く理解出来ない。目の前で教師を脅している女生徒は果たして本当に自分が片想いしていた藤丸立香なのだろうか。表情も喋る言葉すら違う。
「もし、一ちゃん先生が私のことヤリ逃げしようとしてるつもりなら、私許さない。お友達みんなに先生を探し出して先生の人生めちゃくちゃにしてもらうようお願いするから。日本中でも世界中でも、どこにいようが絶対に逃してあげない」
その脅し文句は今までの笑みが消えた真剣な声色だった。どこでも聞くようなありきたりの脅し文句である。それなのに藤丸が言うと本当にやりかねないと言う妙なリアリティがあった。
「藤丸……」
「私のこと全部忘れてる一ちゃんなんてボロボロのぐちゃぐちゃになればいいんだ。折角全部上手く行ったのに、世界救ったのに、ご褒美一つくれない一ちゃんなんてボロ雑巾みたいにめちゃくちゃになっちゃえ」
淡々とした口調で藤丸は斎藤を責める。藤丸の言うことはさっぱり分からない。
とにかく斎藤は藤丸と昔出会っている。しかし斎藤はそれを忘れてしまっているようであった。そして出会いを忘れたことに対して藤丸は怒っている。いや、怒っていると言うよりは傷ついているのだろうか。
絡みあったまま二人は沈黙する。
社会科準備室の黄ばんだ壁に備え付けられた古ぼけた壁掛け時計だけが時を刻む音を立てていた。
「……すまん、本当に思い出せないんだ」
その沈黙を微かな声で斎藤が崩す。
「やっと両想いになれたと思ったのにな。一ちゃん先生のばか」
ちゅっとリップ音を立てて藤丸が斎藤の頬に軽くキスをする。
「罰としてえっちなことしよ? 辛いでしょ? それ」
「でも僕らは、その、教師、と生徒……でしょ」
「ここをガチガチにしながら言う台詞じゃないよねぇ?」
斎藤の股間を弄りながら、くすくすと藤丸は笑う。
「……っ」
とうとう耐えきれなくなったのか斎藤が自身に蔦のように絡みついている藤丸を自ら抱き寄せてキスをする。
二人の唇と唇の間から互いの分厚い舌と桃色の小さな舌を生き物の様に絡ませ合っている様子が見えた。そして藤丸の口から嬉しそうな嬌声が漏れる。
「良いよ、男の人って『分からせ』って言うの? こう言う生意気な子に乱暴して酷い目に遭わせるのが好きなんでしょ? 良いよ先生なら。叩いても殴っても良いよ」
「分からせってそう言うんじゃないから……」
呆れたような声を出す斎藤にそこで初めて藤丸がキョトンとした顔を見せる。
「そうなの?」
そこだけがいつもの藤丸で、逆に得体の知れない不気味さを感じさせた。
「とにかく、もうこれっきりだからね」
「それは一ちゃん先生の態度次第かなあ?」
そんなやり取りをして藤丸は斎藤の首に両手を回して抱きつく。
そんな時、一瞬だけこちらを向いた藤丸と目が合った。
やばいと凍りついたのも束の間である。彼女は人差し指を口に当ててシーッと悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
その笑みに思わず、身震いし自分は一目散に逃げ出してしまう。
音を立てないように逃げたのは自分でも凄いと思った。
こんなこと誰にも言えない。
誰にも何も言えないのだ。斎藤先生と自分は同じだ。
いくら藤丸の本性を見たからって、それを訴えたところで誰も信じてはくれない。言ったところで「藤丸に振られた腹いせにデマを流してる」と言われてしまうのがオチなのだ。
一気に階段を駆け降りて、玄関へ行くと下校しようとする生徒たちが疎らにいてやっとほっと安堵の息が漏れた。
普段、人当たりが良くて交友関係が広い人ほど怒らせたらいけない。
そう身に染みて分かった。
おわり
簡単な補足紹介
藤丸立香…世界は救ったが自分も犠牲になった。記憶ありとして転生し、他のサーヴァント達とも仲良くなって第二の人生を謳歌中。斎藤一のことが好きだった。
斎藤一…目の前で片想いしていたマスターが死んでしまう。その出来事があまりに辛すぎて記憶を失ったまま転生。骨董好きが高じて歴史教諭になった。