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    yuki

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    yuki

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    オリジナルの話です。胸糞悪いDV野郎が幼馴染をNTRされてバッドエンドで救いのない短編なので注意。

    季節は巡り、彼はただ凪ぐ本文
     さて、桜咲く四月のことです。東京ではもう桜は散り始めている季節ですが、東京よりも少し北のこの地方都市ではようやく桜が見頃を迎えていました。
     その桜舞う地方都市のとある高校ではその日新一年生の入学式が行われています。入学式は滞り無く終わり、まだあどけない顔をした初々しい一年生達は嫌がらせかと思う程の山ほどの教科書や学習教材を渡されて帰宅するところです。
     帰宅する学生たちで賑わう生徒玄関。その隅、下駄箱の隅で隠れるように一人の新一年生の女子が壁に持たれながらもぐもぐとお菓子を頬張っています。彼女は浮船 公海(うきふね くみ)と言います。背が低くふっくらとした、というよりはふくよかな体型と言った方が正しいかもしれません。そんな彼女が棒状の駄菓子を頬張る姿はいかにも「食いしん坊の女子」と言う姿で微笑ましいものでした。しかしその目は何処か虚ろで視線は床の一点をじっと見つめています。食を楽しんでいるというよりはひたすらエネルギーを蓄えているようなそんな険しい雰囲気でした。
    「お待たせ公海」
     そんな公海の元に駆けつけたのは一人の少女です。同じ新一年生の潮路 灯理(しおじ あかり)です。幼い頃からバレエをやっていた彼女は公海とは全く正反対の背が高くほっそりとした体型で、傍からみるとまるで凸凹コンビです。
     そんな凸凹コンビですが中学からの公海の大親友でした。
    「ううん大丈夫」
     顔を上げながら公海は慌てて食べかけのお菓子を鞄の中に片付けようとしてあまりの荷物の多さにもたついてしまいます。お腹の肉も関係しています。
     そんな公海に声を潜めて灯理が顔を近づけました。
    「あいつまだ教室にいたからさ、先帰……」
    「まーた食ってんのかよデブ」
     灯理の背後からやってきた男が呆れた顔で開口一番に公海をそう罵ります。彼の名前は小湊凪。この話の主人公です。
    「バクバク豚みたいによく食えるよなあ」
     公海の丸い体型と彼女の鞄に雑に仕舞われたお菓子を見比べながら凪はせせら笑いました。この男外見はそこそこ美男子なのですがご覧の通り性格はとんでもなく悪いのです。
     凪の暴言に灯理がしかめ面をして何か言ってやろうと振り返りましたが、その瞬間公海はへらへらとおどけて笑いました。
    「だってブー、ブヒはお腹空いたんでブー」
    「ははっマジで違和感ねぇわその鳴き声。一生それで喋れば?」
     そう憎たらしく笑いながらさっさと玄関を出て歩き出す凪と公海を見比べて灯理は忌々しげに溜め息を吐きます。そんな親友の姿に公海は両手を合わせて謝りました。
     凪と公海は幼馴染です。さらに凪の父親は公海の父親の上司なのでした。自分が凪と喧嘩をしたら父親の立場が悪くなるかも知らない。だから公海は凪には逆らわないのです。自分が我慢してさえいれば問題ない。彼女は小学生の時からそう考えて生きてきたのでした。
    「てか本当あいつムカつく」
    「ごめんね灯理」
     親友をこうも悪く言われて頭に来ない人はいないと思いますが灯理も例に漏れず凪には相当腹を立てていました。
     姉御肌の彼女は直接凪に言ってやろうとしたことは一度や二度ではありません。それなのに何故野放しになっているかと言うと、公海の父親のこと以外にももう一つ理由がありました。
    「公海、あいつのことまだ好きなの?」
    「……あんなんでも初恋の人だからね」
     灯理の言葉に公海は弱々しく笑いながらも肯定します。幼稚園の頃は凪も優しかったのです。格好良くて優しい幼馴染の男の子。それがいつからかこんな風に変わり果ててしまったのでした。
    「おらハム何してんだ行くぞ、転がってこいよ」
     玄関と正門の間にあるグラウンドの真ん中に立ち止まって振り返るなり、凪は偉そうに公海に言いつけます。慌てて公海と灯理は駆け出しました。
    「待ってよ凪くん」
    「人間みてぇに二本足で走るんじゃねえよボンレスハム、転がった方が早いっての」
     太った姿がハムみたいだから「ハム」と凪は公美を呼びました。しかし昔は幼い凪が公美の「公」を「ハム」と読み間違えたこと、ハムスターのように小さくて可愛いから「ハム」と呼んでいたのです。
    「それにほら、言うでしょ。男の子って、好きな子をイジメるもんだって」
    「……言うけどさあ」
     そう言って何ともないと言いたげに笑う公海に、灯理はそれ以上何も言えなくなってしまいます。しかし灯理は知っているのです。
     公海は凪がストレスで過食に走っていることを知っていました。
     どんなに好きでも、人間耐えられることには限度があるのです。
    「だからやだって! 俺はもう剣道部辞めんの!」
    「そこをなんとか! ね!? 鳴海くん!」
     二人が凪に追いつくかどうかのところで、グラウンド中にそんな大声が響き渡りました。
     振り返ると後ろから如何にも不良そうな金髪の生徒と、教師でしょうか、大人の男性が何やら口論をしながらやってきました。
     更に異様なことに大人の方は逃げる不良にしがみついているのです。
    「離せって!」
    「いいや離さない! 君なら絶対に全国大会優勝を狙えるんだ! 我が剣道部をどうか日本一に導いてくれ!」
    「やだよ! 残りの高校生活、俺は自由気ままに面白おかしく生きるんだ!」
    「そこをなんとか考え直して! 剣道で汗を流して美しい青春を謳歌しようじゃないか!」
    「ぜってぇやだ!」
     部活を辞める辞めないで揉めている生徒は凪達の一年上の先輩、鳴海 武龍(なるみ たける)と言います。教師らしき大人、彼は剣道部の監督なのですが、は帰ろうとする武龍を必死に引き留めようとしていました。
     そんな珍しい騒動なので、周りも凪達三人もついその光景に見入ってしまいます。
    「しつけぇなぁもう……!」
     そう言って武龍が顔を上げた時です。ふと公海と彼は目が合ってしまいました。
     その瞬間、桜の香りがほのかに風に乗って世界を包みました。風なんか吹いてないかも知れませんが、まあ比喩としての表現です。
     公海を見た武龍は顔をほのかに桜色に染めながら目を見開きました。
    「か……可愛い……!!」
    「え?」
     突然武龍は監督をずるずると引き摺ったまま、公海の元まで近寄ります。
    「あの、新入生ですか? お名前聞いてもいいですか? あ、俺は二年の鳴海武龍と言います!」
    「あ、はあ……」
     武龍の勢いに押されて思わず公海がのけ反ります。金髪の不良にそんな風に矢継ぎ早に迫られたら誰だって怖がってしまうでしょう。
     それに気付いたのか、武龍も一歩だけ後ろに下がり、両手を上げます。
    「す、すまん! 驚かせちまった! 怖がらせるつもりはなくって、そのだな……!」
     武龍は口籠もりながら、そしていきなり九十度お辞儀をして右手を差し出しました。
    「お友達からでいいので、僕とお付き合いしてください!」
    「はいぃ?」
     武龍の突然すぎる告白に公海どころか凪も灯理も同じ言葉を発して固まってしまいます。
    「……ふざけないでください!」
     たっぷり固まって状況を理解した公海が、ようやくそれだけを口にしました。判断が遅いのではありません。状況が急展開すぎるのです。
    「なっふざけてなんかない!」
    「ふざけてます! 誰が私みたいなデ……デブ相手にすると思ってるんですか!?」
     自分で言った癖に自分で傷ついたような表情をする公海の後ろで凪がせせら笑います。
    「いやいや良かったじゃないか。お前みたいな豚好きだって言ってくれる物好きがいるんだから、ありがたく受け止めちまえば?」
    「おめえはこの子のなんなんだよ? あ?」
     さっきの急展開な告白が嘘のように武龍に凄まれて凪は憮然した顔で後退りました。凪には誰彼構わず暴言を吐くような蛮勇はありません。自分に逆らわない圧倒的に弱い存在にしか強く出れない、そう言うろくでもない男でした。
     まるで負け犬みたいな情けない表情をする凪を一瞥して武龍は公海の方を向きます。
    「いやあ体型どうのじゃなくて、そのなんというか、その……うーん?……存在? うん、存在自体が可愛い!」
     恋とは交通事故のようなものとはよく言ったものです。恋に落ちた方は運命かも知れませんが、ぶつかられた方にとっては最早事故以外の何物でもありません。
     初対面どころか出会って数分の男にいきなりそう言われても公海だって困ってしまいます。
    「な、だからそのお友達から……!」
     感極まったように公海の手を取る武龍を慌てて灯理が引き離しました。
    「お触り厳禁です!」
    「うわ、ごめんなさい!」
     灯理に言われてすぐに謝って手を挙げる辺り、悪い人ではないのかも知れないと公海は思いました。
     そこでようやく事の成り行きを見守っていた監督が名案が閃いたとばかりに大声を上げました。
    「そうだ! 君、剣道部のマネージャーになってくれ! 鳴海くん! 彼女が剣道部のマネージャーになったら退部を考え直してくれないか!?」
     うわびっくり。今時ブラック企業でももう少し段階を踏んで無茶振りしてきます。図々しいこと火の如しです。
    「この子に毎日会えるなら!」
    「じゃあ決定!」
    「私の意見は!?」
     本人不在で話が進む二人に思わず公海は大声を出してしまいました。
    「お願いします!」
    「お願いします!」
     しかし雨乞いの巫女が如く土下座して懇願する監督と武龍の姿にぐぬぬぬぬ、と口をわななかせ、やがて渋々と本当に渋々と頷くしかありませんでした。
     押しに弱い子なのです。
     そして、公海にとって新たな世界が幕を開きました。
     しかし実はこの話にとって大切なのはそこではないのです。
     何故ならこの話は今、大変に面白くなさそうな目でそのやり取りを眺めていた凪くんこと小湊凪こそが主人公の話なのですから。
     彼が何をどう誤りどう転落していくか。そこに一片の救いはありません。この話はそう言う物語です。

     ※※※

     さて時は流れ五月になりました。風薫る爽やかな緑の季節です。入学式の電撃的な出会いから渋々剣道部のマネージャーに就任した公海は毎日後悔するほどの超多忙な毎日を過ごしていました。
     朝練からドリンク作り、備品の買い出し、道場の掃除、洗濯。ビデオカメラでの撮影、記録の付け方に竹刀や防具の手入れ等々。今まで凪と同じ帰宅部であった公海にとってはまさに嵐のような忙しさでした。
    「公海、大丈夫……?」
     共にマネージャー(生贄)になってくれた灯理が道場の片隅で倒れ込んでいる公海に心配そうに問いかけます。
    「大丈夫……」
     どう見てもエネルギー切れを起こしたロボットの様に倒れ込んで動けない公海に慌てて灯理が道場の隅に置いていた自分の鞄を探りました。
    「そうだ、おやつ食べる? 公海好きだよねチョコ」
     そう言って小さなチョコを出しましたが公海は一瞥もせずに首を横に振ります。
    「……うう……疲れすぎて食欲ない……」
    「だよねえ〜」
     苦笑いしつつ差し出したチョコを灯理が鞄の中に戻します。それを公海は視線だけで追いました。やっぱり無理矢理でも食べると言えば良かったと言いたげな視線です。
     灯理は視線をキョロキョロと動かした後、周りに聞こえぬよう声を潜めて公海に顔を近付けました。
    「ねえ……もしだったら剣道部辞めない? ほら、そんなに疲れてるんだし」
     灯理の甘美な誘いに公海は古い道場の、けれどもピカピカに磨かれた床に倒れたまま逡巡し、それからゆっくりと起き上がりました。
    「……うう……ううん、もう少し頑張ってみる。凪くんと離れられる時間が……ちょっと……気が楽だし」
     紛れもない公海の本心に灯理は小さく頷きます。
    「そう……」
    「あっ! でも灯理が辞めたいんなら、その……!」
    「ううん、私は平気。段々楽しくなってきたし、それに体動かす方が性に合ってるし」
     公海はふと灯理の膝を見つめました。灯理は中学の頃までバレエをやっていたのですが膝の怪我が原因で辞めてしまったのです。
    「膝……大丈夫?」
    「うん、日常生活はもう全然問題ないの。ただ左右対象の本当に細かい動きが出来ないってだけ」
     日常生活には問題ないけれど指の先まで人と揃えるような緻密な動作を求められるバレエはできないのです。
    「痛くなったら言ってね、私も……頑張るから」
    「あはは、お互い助け合っていこうね」
     ふと二人が視線に気付くと稽古中の武龍が二人を、正確には公海を見つめていました。
     目が合うなり武龍はパアッと花が咲いたみたいににっこりと笑いかけ、ブンブンと手を振ります。
    「公海さんおはよう! 今日も可愛いの最高記録を更新してるね公海さんのご両親どうもありがとう!」
     日本語を話してるはずなのに彼の言ってる意味が全く分からないと言いたげな遠い目をして公海が力無く手を振り返します。こうしないと一生手を振り続けるのです。
    「それに……あんなに懐かれると辞めにくいって言うか……」
    「同情するわ……」
     朝の部活、友情に部活に、ついでに恋とまさに二人は青春真っ盛りのようです。
     だけれどもこの物語の主人公である凪くんの方はそうでもないようです。
    「……」
     彼は五月のゴールデンウィークを過ぎてもクラスに馴染めないようでした。特に趣味もなく帰宅部の彼は親しい仲間も出来ず、クラスの輪にも上手く入れていませんでした。
     いつもなら「おいハム豚こっち来いよ」だの、「ボンレスハムのハム子」とクラスメイトの前で公海をイジって笑いを取っていたのです。しかし剣道部マネージャーになった公海は朝は朝練、放課後も部活、昼休みすら部活の仕事があると言ってすぐにいなくなってしまいます。
     自分の十八番が使えない彼はクラスメイトの輪の中になんとなく入ることが出来ず、結果馴染めていない状況となってしまいました。
    「クソ……」
     不満たらたらの顔で仕方なく自席でスマホをいじるだけの日々です。
     
     ※※※

     それから更に時は立ちました。段々と暑くなり五月ももうすぐ終わろうかと言う頃です。いつも通り教室で凪は一人でスマートフォンをいじっています。
    「なあ、小湊」
     珍しくクラスメイトが凪に話しかけてきました。呼びかけて貰えた嬉しさを隠しながら凪は顔を上げます。
    「どうした?」
    「小湊って浮船と仲良いよな?」
     いきなり公海の名字を出されて凪は不思議そうに首を傾げます。
    「ああ、まあ……幼馴染だし」
     頷く凪にクラスメイトはパアッと顔を明るくしました。
    「あ、そうなんだ。なあじゃあ浮船、紹介してよ。可愛いからさ」
    「はあ?」
     いきなり公海が可愛いと言われて凪は驚きました。あの豚の何を気に入ったのか本気で不思議なのです。
    「あのボンレスハムのどこが可愛いんだよ?」
    「ぼ……? いや前は確かにぽちゃっとしてたけど、え? 可愛くね?」
     凪の質問に逆にクラスメイトの方が面食らったような表情をします。
     その時、ガラリと教室の引戸が開かれました。
     思わず振り返ると噂をすれば何とやら、公海が現れました。
    「……っ」
     凪は公海を凝視してはっとしてしまいます。
     毎日見ているせいで気づかなかったのですが、こうしてマジマジと見てみると公海は入学したてに比べて激痩せしていました。
     剣道部のマネージャーの激務は間食する暇もないほど過酷なものなのです。
     背筋も伸びたのか心なしか背も伸び、一回りも二回りも細くなっていた彼女はボンレスハムと呼ばれた頃の面影はほとんどありません。ただ小柄で小動物のような、そう、まるでつぶらな瞳をしたハムスターのような愛らしい少女がそこに立っていました。
    「おはよう、どうしたの?」
    「お、おはよ……」
     クラスメイトの男子が公海の顔を見るなり顔を赤くしてしどろもどろの挨拶を返します。
     それが凪には気に入りません。
    「ブスのボンレスハムがヤンキーに好かれたからって何調子乗ってんだよ」
     気づけばそんな言葉が口をついていました。
     途端に公海の表情が強ばります。
     でも悪いのは凪ではありません、公海なのです。と凪は信じてきっています。幼馴染の自分を放ったらかしにしておいて自分勝手に遊び歩く公海が悪いのです。公海のせいで自分は未だに親しい友達一人出来やしないのですから。
    「色気づいて馬っ鹿みたい。あ、やっべ俺あのヤンキーに殺されちゃう? 『せんぱぁい、凪くんがぁ私のことぉ毎日シュークリーム五個食ってたガチ豚女って、本当のこと言ってぇいじめるブヒィひどいブヒィ』って言い付けるんだろ?」
     公海が中学時代毎日コンビニのシュークリームを五個食べていたのは事実です。
     中学時代はこの話をするといつもクラスメイトが笑っていました。所謂凪の鉄板ネタというやつですね。
    「シュークリーム一日五個はあり得ない」と公海を指差してクラス中ゲラゲラ笑っていたのです。
     だからこの話をしたのだから、これで自分も中学の頃のように人気者になれると凪はほくそ笑みました。
     しかし。
    「え、浮船さんシュークリーム好きなの? 俺、俺もオーソンのWクリームシュークリームガチで好き! あれは五個は軽くいける!」
    「あ……私もオーソンのシュークリーム好き……」
     凪と一緒になって公海を笑ってくれるかと思っていたクラスメイトは、しかし凪の意に反してキラキラとした眼差しで公海に極めて好意的に話しかけます。
    「あー私最近あれ好きだわ、エイトのシフォン」
    「あーあれも美味いよねー」
     いつの間にか公海の後ろにやってきていた灯理もそう言って話に乗ってしました。そうして凪に冷ややかな視線を向けます。この女は一体どうしてこんなにも偉そうなんでしょうか。と凪は忌々しく思いますが、凪より口が強そうなので凪は灯理には何も言いません。勝てる相手にしか強く出ないのです。
     そしてクラスメイトの男子は残念ながら凪よりずっと精神年齢が高く、常識がありました。凪の暴言には付き合わず、サラリと話題を変えて尚且つ片想いの公海の好感度をあげようとしたのです。大人の対応と言うやつです。
    「公海は他に何が好き?」
     灯理の問いかけに公海は俯きながらおずおずと答えました。
    「あ、私、あと……どら焼き」
    「どら焼きいいよねー!」
     そんなことを三人で笑い合っていると周りの生徒たちも振り返って反応します。人は基本的に誰かが楽しそうにしていると自然と集まってくるものです。
    「えっなになに? コンビニスイーツ最強決定戦の話してる? 私もちょっと詳しいよ」
    「おれはねー……」
     いつの間にかクラス中の人たちが集まりどこどこのあれが好きだ、これが良いだのと和気藹々としたコンビニスイーツ談義が始まります。
     クラス中が盛り上がる中、その輪に入れないのは凪一人だけでした。

     ※※※

     凪は何故公海に辛く当たるのか。それはまあ単純に彼がゴミ野郎と言うだけなのですがそれを言ってしまうと身も蓋もありませんのでここで少し昔の話をしましょう。
     彼が幼い頃からどうしようもない性格の悪いクソガキだったかと言うとそうではありません。
     幼い彼は優しく明るく両親の愛を一心に受けた素直な良い子だったのです。
     公海の「公」をカタカナの「ハム」と勘違いして「ハムちゃん」と呼んでいました。今では食品のハムの意味として公海の体型を揶揄していますが当初は、そう言う微笑ましい勘違いから「ハム」と呼ぶようになったのです。
     小さくて可愛い「ハムスター」みたいだから「ハムちゃん」の意味もありました。
     そう、凪にとっても公海は幼馴染で初恋の人なのです。「でした」と言う過去形ではありません。まともな感性の人には俄かに信じがたいかも知れませんが、凪はこれでも公海のことを今でも好きなのです。
     それこそ子供の頃に互いの両親に言われた「凪くんは将来は公海ちゃんのお婿さんになってね」と言われた言葉を未だに当然のものとして考えているくらいには、公海のことが好きなのです。
     ならば何故あんな暴言を吐くのかと言う疑問にはこう答えるしかありません。
    『男の子は好きな女の子をいじめたくなるものだから』です。
     もう絶句するしかありませんね。
     さて話を戻しましょう。季節は移ろい、すっかり夏も近づいた六月です。梅雨に差し掛かり鉛色の空になることも多くなります。
     凪達が通う学校ではその日臨時の全校集会が開かれました。体育館のステージ上では剣道部の鳴海武龍が大きな大会で優勝したと校長先生が報告しました。
     パラパラとまばらな拍手の中、武龍が校長から表彰状を受け取ります。すると彼は表彰状を高々と掲げて生徒達の方に振り向きました。
    「よっしゃ勝ったぞ公海さん!」
     武龍の大声にわっと生徒達が歓声を上げます。恐らく剣道部員達の声でしょう。
     凪は整列した列からこっそり公海の方を確認しましたが、遠くにいた彼女の表情は確認できませんでした。
     そして一日はとど凝りなく流れ、放課後です。剣道部は大会が終わった為珍しく休みと言うことで、久々に凪は公海と二人で帰ることになりました。
     高校に入ってから凪と公海が二人並んで下校するのは初めてのことです。
    「それでね、武龍先輩がね、」
    「……」
     中学以来の久しぶりの帰り道ですが久しぶりだけあって、二人の会話は全く弾みません。片や剣道部のマネージャーとして多忙な毎日を過ごしている公海と未だに親しい友人の一人もいない凪では話題は何一つ合わないのです。
    「そしたら武龍先輩ったらねこう言ったんだ、」
    「……」
     それなのに楽しそうに武龍のことばかりを話す公海が気に入りません。と言うより自分ばかりが楽しい日々を過ごしている彼女が気に入らないのです。
    「ねぇ聞いてる?」
     上目遣いでそう尋ねてくる公海に不機嫌を露わにした凪はギロリと公海を睨みつけました。
    「いい加減にしろよ、知らねえ奴の話なんか聞いても分かんねえよブス。もっと面白い話しろよ」
    「……ごめん」
     自分のことは棚に上げる凪に罵られ、公海はしゅんと俯いてしまいます。そんか彼女を一瞥してさっさと凪は帰りました。とは言え同じ社宅なので行き先は同じです。だから凪の数メートル後ろをトボトボと公海がついていきます。
     その叱られた子犬のようなしょげた公海の姿に少しだけ凪の溜飲が下がりました。本当にどこまでも器の小さい男なのです。
     その時の公海が一体何を考えて凪の背中を眺めながら後ろを歩いていたのか、彼には知る由もありません。
     彼女の瞳がどのような感情の色をしていたのか。ちゃんと振り返って見たら分かったかも知れません。
     公海が何を考えているのか分かったところで、残念ながら凪は己を省みるような殊勝な人間ではありません。なのでまあ、彼にとっては公海が何を考えていたのかなんて、知ったところで全く意味はないのです。
     彼の世界は自分しかいないのです。
     しかし、それから公海はあからさまに凪を距離を置くようになりました。
     教室にいても顔どころか視線も合わせようとしません。休み時間となればさっさと教室から出て行きます。
     一体何処に行ってるのか。気になった凪は一度だけ公海の後をつけてみました。
     すると剣道部の部室で武龍と二人で楽しそうに笑い合う公海の姿があります。その光景にザワリと凪の心が痛みました。
     本来であれば武龍ではなく自分が公海と向かい合うはずでした。以前の太ったみっともない体型ならともかく、今の公海とならそうしてやってもいいと思っているのです。
     それなのに自分以外の男と談笑している姿が堪らなく気に入りません。
     それから、放課後になっても逃げる様に教室から出て行こうとする公海のその態度が気に入らず、とうとう凪は爆発してしまいました。
    「調子に乗んなよブス!」
     教室のど真ん中で公海の肩を掴んだ凪はそう言って彼女を怒鳴ってしまいます。
     怯えた顔をすると思ったけれど、公海は真っ直ぐに凪を睨み返してきました。その態度がますます気に入りません。
    「ちょっと痩せたくらいで、あんなヤンキーに気に入られたくらいで何勘違いしてんの? 自分がイケるとでも思ってんの?」
     畳みかけるようにそう言ってやりました。今までなら俯いて「そうだよね、私みたいなブスのデブが調子乗ったらダメだよね」と笑うはずなのです。
    「……確かに可愛くないし、そこまで痩せてもないしスタイルだって全然だけど……」
     そう沈黙の後ゆっくりと言って公海は一瞬俯きました。
    「でもだからって……馬鹿にされていい理由にも、自分からのこと馬鹿にしてもいい理由にもならない……!」
     しかしすぐに顔を上げて真っ直ぐに凪を見返しました。
    「は?」
    「嫌なこと言われて我慢しなきゃいけない理由にはならない! ずっと私我慢してた! でももう止める! 自分を馬鹿にするのもう止める!」
     公海が一体何を言っているのか凪には理解できませんでした。しかし涙で潤んだ瞳で自分を見返す公海がなんだか知らない人のようで、それが凪には酷く不気味に映りました。
    「私は変わるの!」
     そう強く言い切った彼女が酷く気味の悪い化け物のように見えてしまったのです。
    「キメェんだよ!」
     気づけば凪は公海の頬を力一杯叩いていました。
     彼が公海に手を上げたのはこれが初めてです。力加減を知らず公海の小さくなってしまった体はよろめいてそのまま机にぶつかりながら床に倒れてしまいました。
     クラスの女子の悲鳴が教室内に響き渡ります。
    「お前何してんだよ!?」
     怒号と共に近くにいた男子達が凪を羽交い締めにしました。
     その中には公海に片想いしていた男子もいます。
     彼らからしたら突然クラスメイトが女子を怒鳴って殴りつけたのです。
     しかも未だに六月になると言うのにクラスに親しい同性の友人もいないような所謂ちょっと変わった奴が、女子に手を上げたのです。
     完全にクラスメイト達が凪を見る目は要注意、要警戒の危険人物を見るそれでした。
     そうしてすっかり凪はクラスから孤立してしまったのです。

     ※※※

     そんなことがあっても季節は歩みを止めることなくどんどん移ろいます。陰鬱な梅雨も明け、いよいよ学生達にはお待ちかねの夏休み直前です。
     夏休みになったらアレがしたいコレがしたいと一番夢が膨らむ時期です。夏の暑さに負けずに実行出来るかどうかは別として一番楽しい時期です。
    「灯理は夏休み何するの?」
     部員達の水分補給用のドリンクが入ったウォータージャグを道場に運びながら公海が、同じくジャグを持って歩く灯理にそう尋ねました。
    「あー習い事を見学に行きたいんだよね」
    「習い事?」
    「そう、殺陣って分かる? 映画とか舞台でやる剣術のアクション。なんかマネージャーで剣道見てたら、自分も刀振ってみたくてさ。でも試合よりも剣舞とか殺陣みたいな演技をしたいんだ」
     ずっとバレエを頑張ってきたのに怪我で諦めざるを得なくなった灯理にとって、第二の夢が見つかったようです。
     いつになくキラキラとした瞳に公海も嬉しくなって紅潮した頬で何度も頷きました。
    「すごい、灯理なら絶対格好良いアクション女優になれるよ!」
    「いや飛躍しすぎでしょ」
     公海の言葉に苦笑いしますが、灯理は言葉を選ぶように視線を彷徨わせました。
    「あんたの方こそどうなの、武龍先輩とこないだデートしたんでしょ」
     六月の大会で優勝したら公海は武龍とデートすると約束をしていたのです。全校集会での表彰で武龍が大声で公海に呼びかけたのは「約束を守ってくれ」と言う宣言だったのです。
    「あ……うん……楽しかった、うん、すごく楽しかった」
    「そっか」
     二人きりのデートが楽しかったと言う事実が、むしろ罪深いものと思っているのでしょうか。ウォータージャグを運びながら公海が顔を辛そうに歪めました。
    「いいと思うよ武龍先輩。何故か公海のこと、さん付けで呼ぶし公海が嫌がること絶対しないじゃない」
     灯理が武龍をそう評価すると、公海は辛そうな顔を少しだけ嬉しそうに綻ばせました。
    「うん、すごく優しくしてくれる」
     そう武龍は優しいのです。金髪をツンツンに逆立てた髪と眼光の鋭さとは裏腹に女の子にはとても紳士的なのです。
    「優しいのはお姉さんの教育の賜物なんだって」
    「へえ……お姉さんってどんな人なんだろ」
    「こないだ会ったよ。すっごい綺麗な人だった。あと強い」
     公海が武龍の姉と会ったのは灯理も初耳でした。
    「お姉さんと会ったの? なんか話した?」
    「うん、武龍をよろしくって」
     どうやら公海と武龍は既に姉公認の仲らしいです。
     凪が見たように最近は二人で昼食を取ったり、帰り道は武龍と途中まで帰っていました。その姿は仲睦まじく、公海も凪といる時には見せないような溌剌とした笑顔を見せているのです。
     小さく息を吐くと灯理は公海にこう尋ねました。
    「ねえ回りくどい言い方しないよ。公海は武龍先輩のこと、好き?」
     ド直球な灯理の問いかけに、公海はピタリと歩みを止めて項垂れました。そして、こくんと小さくそれでも確かに首を縦に振ります。
    「じゃあもう付き合っちゃいなよ」
    「でも、でもこのまま凪くんを諦めていいのかなって。初恋の人をさ、そんな風に……その、乗り換えていいのかな」
    「乗り換えなよ」
     乗り換えなよ。
     まあ皆さん灯理と同じことを思ったでしょう。
     公海の言いたいことも分からないでもありません。
     このまま投資し続けても損失が出ると分かっている。しかし今まで投資した分を惜しんでしまってついつい投資を継続してしまう心理、コンコルド効果です。
     初恋が実る実らないではないのです。今まで我慢した時間は一体なんだったのか。そう思うとあっさりと諦められない気持ちは分かります。
    「お父さんと凪くんのお父さんの仲も悪くないし、このまま私が離れたらそれで多分上手く行くんだろうけど……でも」
    「うん、今までの灯理が報われないってことだね」
    「うん……」
     困ったような公海に灯理はうん、と一つ頷いて口を開きました。
    「じゃあ、こうしてみない?」

     そうして次の日の朝、灯理は一人で登校してきた凪を呼び止めました。
    「別に私あんたの味方ではないけど、あまりに公海が救われないから教えてあげる。いい? 夏祭りが最後のチャンスだから」
     凪には灯理が何を言っているのか理解できません。そもそもドジって怪我してバレエを辞めた鈍臭い、かつ口だけは一丁前なこの女のことが凪は大嫌いでした。
     それでも、灯理の表情や公海の最近の様子からして凪はとりあえず頷くのでした。

     ※※※
     
     そして夏休みは滞りなく進みいよいよこの街の一大イベントである夏祭り当日です。
     夏祭りは街で一番大きな神社で行われる祭りです。神社へ向かう道一帯に出店や屋台が隙間なく出店していて、いつもは閑静な住宅街が嘘のように沢山の人々で賑わう街の名物行事でした。
     祭りが一番賑わう初日の夜。キラキラと星が浮かぶ夜空にとうもろこしやたこ焼きなどの屋台フードを焼く煙がもくもくと霧のように上がっています。
    「……どう、凪くん……似合うかな」
     凪と待ち合わせをしてきた公海に凪は言葉を失いました。白地に黄色とピンクのチューリップの柄があしらわれた浴衣を着た公海はそれはそれは可愛らしいものでした。
     髪も丁寧にセットされ薄く化粧をしているらしい彼女はもうボンレスハムとは呼べない容姿です。
     いいえ、それどころか凪の目にはどんな美少女よりも特別な女の子に見えました。
     そして灯理が「夏祭りが最後のチャンス」だと言った理由がようやく分かりました。
     これが公海が与えてくれた最後のチャンスなのです。ここで公海との関係をやり直さないといけません。
    「馬子にも衣装って本当だなー?」
     しかし、凪にとって素直に褒めると言うのはとても気恥ずかしいものでした。まして今まで下に見ていた公海を褒めるのは負けを認めるようで嫌だったのです。
    「豚がミニブタみたいに可愛く見えるもんなー、頑張ったんだなー豚も」
     これが凪に出来る精一杯の褒め言葉でした。
     すると公海の表情がみるみる内に強張っていきます。それからこれでもかと見開いていたつぶらな瞳があっという間に潤んだかと思うとポロポロと透明な涙が溢れました。
    「なんで、なんでそんなことしか言えないのぉ……?」
     まるで子供のようにくしゃりと顔を歪ませて、とうとう公海は泣き出してしまいました。
     笑ってくれると思ったのです。いつもみたいに「もー凪くんはひどいなー」と笑ってくれると思ったのです。
     こんな風に泣くとは凪は思ってもいませんでした。
     今までこんな言葉を浴びせてもへらへらと笑っていたのにどうして、と凪には全く理解が出来ません。
     賑やかな祭りの喧騒がどんどんと遠ざかっていくように思えました。
    「こんなに頑張ったのに、メイクも着付けも全部頑張って……何頑張ってたんだろ……アハハ……」
     凪には公海が一体何を頑張っていたのか、何のために頑張っていたのか全く理解出来ません。
     泣きながら乾いた笑い声を上げる公海にもしかしたら間違えたのかも知れない、とだけは馬鹿な凪にもなんとなく思いました。
     けれど何を言ったらいいか思い浮かびません。
     その時点でもう何もかもが駄目だったのでしょう。
     終わりだったのでしょう。
     泣きながら踵を返すと公海はその場から立ち去りました。
     彼女の浴衣姿はまるで幻みたいに人混みに呑み込まれて消えていきます。
     凪は。
     追いかけることさえしませんでした。

     そのまましばらく呆然と案山子のように突っ立っていた凪でしたが、理解はできなかったものの悪いことはしたのだろうと思い至りました。そしてようやくノロノロと公海を探し始めます。人混みに流されて流されて、公海を探しているのかただ歩いているだけなのかも分からない状態です。スピーカーからエンドレスに流れる祭囃子がぐわんぐわんと凪の頭に反響していきます。人波に揉まれて、やがて吐き出されるように祭の外れに辿り着きました。
     人のいない神社の境内の外れ、小さな池のほとりに公海はいました。近づいて声を掛けようとして凪はふとその足を止まりました。
     公海は一人ではなくあの鳴海武龍がいたのです。
     二人は一言二言言葉を交わします。凪のいる場所からは何を話の内容までは聞こえません。
     ただ武龍は公海の目元を親指で拭いました。そしてそのまま慣れぬ手つきで抱き合います。それからやはり緊張した面持ちで武龍が顔を近付けると、公海を顔を上げて目を閉じてそのまま唇を重ね合わせました。
    「……!」
     その光景を見た瞬間、凪の心臓はずきりと潰されるように痛みました。目の前が真っ暗です。
     そしてやっと灯理の言っていた『最後』と言う言葉の意味が真に理解できました。
     公海はもう武龍に心を動かされていたのです。あれが最後だったのです。
     凪が考えた通り、公海は自分から離れる覚悟であの浴衣を着てきたのです。あれは公海なりの賭けだったのです。
     それを凪はなんと言ったのでしょうか。何と言って笑ったのでしょうか。
     彼は最後のチャンスをあっさりと手放してしまったのです。
     だから負け犬はその場からすごすごと退散するしか出来ませんでした。

    ※※※

     それで終わるのであれば凪はまだ救いはありました。若気の至りで暴走して大事な人を傷つけて、自分も傷付いてしまうなんてそんなに珍しい話ではありません。
     自分の酷い態度が原因で初恋の人を傷付けてしまい、ついに自分は振られてしまった。なら次は人に優しくしよう、自分に優しくしてくれる人、仲良くしてくれる友人や恋人は絶対大切にしようと反省して生きていくのです。それが成長と言うものです。
     しかし彼はそうはなりませんでした。
     あのボンレスハムが生意気にもこのオレを捨てやがった。とんでもない侮辱行為をオレに働いた。許せない。
     夏休み、誰にも会わないで自室に篭っていた彼はそう言う思考に走ってしまったのです。
     だから。
    『絶対許さない』
    『ハムの癖に人を馬鹿にしやがって』
    『謝るなら今だぞ』
    『返事しろ』
    『おい』
     とメッセージアプリを長々と送りつけてやりました。
     残念ながらモラハラ男の典型的行動です。彼が特別ではなくモラハラ男にとってはこの他責の思考こそが普通なのです。
     そしてその行動は地獄への片道切符でした。
     
     
    「よおモラハラ暴力クソ野郎くん!」
     さて楽しい夏休みは終わりを迎え九月に入りました。凪は何故か学校の廊下で明らかに柄の悪い不良達に囲まれていました。同じクラスの人もいるし、上級生もいます。
     如何にも不良と言った風貌のリーダー格の男が凪の肩を馴れ馴れしく抱き寄せました。
    「女いじめて、モラハラして殴ったゴミカス野郎ってお前だろ?」
    「しかもみんなの前で引っ叩いたんだってさ、最っ低」
     不良グループにいた如何にも派手な風貌の女子がそれに続きます。
    「うわえっぐ。それは引くわ」
    「しかも振った女の子にストーカー紛いの強迫までしてるんだってー」
    「……っ」
     公海に送ったメッセージを何故彼らが知っているのでしょうか。尋ねようとしましたが喉が恐怖で固まってしまい上手く言葉が出ません。
    「うわー、こりゃー許しておけないよなー?」
    「いじめダメ絶対!」
     そんな凪を無視して如何にも棒読みの空々しい台詞を吐いて不良達はゲラゲラと笑います。まるでその笑い声は地獄に棲む鬼のそれに聞こえました。
     どうにかして逃げようとする凪をしかし不良達は囲んでけして逃がそうとはしません。
    「そんなモラハラクズ野郎の小湊くんを放っておいていいんでしょうか!」
    「よくなーい!」
     ゲタゲタゲラゲラと鬼達は笑い転げます。凪の血の気は引き顔は真っ青に、そして指先がブルブルと震えてきました。
    「はーい! なーのーでー、俺たちが特別に小湊くんスペシャル更生プログラムを考えました! プログラムに耐えて強く心優しい男に生まれ変わろうね!」
     一見優しいような台詞ですが、彼らの表情は弱いものをいたぶる獣のような嗜虐的な表情をしていました。
     暦は九月なのに、今日は真夏のように暑い日です。それなのに指先だけではなくガタガタと凪の全身が震え始めました。
     これで彼は終わってしまったのです。
     それから毎日放課後は地獄でした。
     裸で廊下の端から端までを歩かされました。隣の教室を全裸で大声を上げながら一周させられました。
     赤い油が浮いたドブ水を栄養ドリンクと言って飲まされました。同じく生きた虫を無理矢理食べさせられたりもしました。
     所謂ハッテン場と言う噂のある公衆便所に裸で縛り付けられて一晩放置されました。そしてここでは言えないような屈辱的なことをたくさんされました。
     しかし剣道部のマネージャーとして公海と灯理はずっと道場にいたため凪が放課後どうなっているか知る由もありません。
     同じクラスの人たちも凪の惨状については薄々気づいている人も直接の加害者もいました。しかし誰も凪を助けようとはしません。
     下手に助けて自分がターゲットにされるのも嫌でしたし、弱いものいじめをするような男は制裁されるべきだからです。
    「正義」の名目を手に入れてしまうと、恐ろしいことに人は何処までも残酷になれるのです。
     ある日不良達に連れて行かれる時、たまたま部活に行く途中の武龍とすれ違いました。
     すれ違う一瞬、彼は凪を見るなりニタリと暴力的に笑いました。
     その笑みに凪は全てを悟りました。公海に送ったメッセージを武龍が見て、そしてこの不良グループを凪にけしかけたのです。
     しかしそれを知ったところで凪には何も出来ません。
     今日は学校のトイレで便器を舐めさせられました。

     家に帰ると、珍しく早く帰っていた父親にテーブルに座るよう促されました。
     もしかして凪がイジメに遭っていることを知ったのでしょうか。父は助けてくれるだろうかと凪は淡い希望を持って父親と母親の向かいに座りました。
    「お前、公海ちゃんに何をしていた」
     しかし父親の口から出てきたのは今まで聞いたこともないような厳しい声色です。
    「お前はずっと公海ちゃんを酷い言葉で罵ってきたそうだな。同じクラスの子に聞いたぞ。公海ちゃんを、お前本当に殴ったのか」
    「いやそれは、」
     誰がうちの父親にそんなことを密告したのでしょうか。あの灯理でしょうか。あの小生意気でいけ好かない女が、怪我くらいであっさり挫折した根性なしのバカ女が父親に密告したに決まっています。
     凪が口篭ったのを肯定とみなしたのか、激昂した様子で父親は凪の胸ぐらを掴みました。
    「お前、何てことをお前!」
     そう言って父親は怒鳴りつけます。それからこう続けました。
     自分が若い頃、上司の不正を暴こうとした時に後輩であった公海の父親が助けてくれたこと、自分が左遷された時も公海の父親が必死でとりなしてくれたこと、今でも陰に日向に自分を助けてくれていること。
     そんな大切な親友の娘さんになんて酷いことをしてきたんだ、謝って済む問題ではないのだと。
     そんなことを父親はずっと喚いていましたが凪の心には全く届きませんでした。
     ただ、この世界の誰も自分を助けてはくれないんだ、と悟っただけです。
     一体何が悪かったのか。
     凪には思い出せるのは灯理が「最後のチャンス」と言ったあの夏祭りの日です。
     あそこをまたやり直せば自分の人生はいくらでもやり直しがきくのです。また公海を捕まえれば自分の人生はいくらでも光輝けるのです。
     やり直したい。
     やり直したい。
     やり直したい。
     
     そうだやり直そう。
     
    「あはは……ははは」
     父親に胸ぐらを掴まれたまま凪はケラケラと笑い始めました。
     ケラケラケラケラケラケラ。
     そうして冬を迎える前に彼の心は壊れてしまったのです。

     ※※※
     
    「やり直すんだ。あの夏祭りに戻って、公海とやり直すんだ」
     両親にも見捨てられ完全に凪の心は折れてしまいました。
     彼の心のよすがはあの日野夏祭りに戻ってやり直しさえすれば全てが元に戻るという都合の良い幻想だけでした。
    「あの浴衣にきっとこの扇子が似合うはずなんだ」
     もうとっくに紅葉も落ちた冬に凪は季節外れにも程がある浴衣をきて神社に佇んでいます。
    「やり直そう、やり直せる、公海、愛してるよ」
     焦点の合わぬ目つきでぶつぶつと独り言を言いながら凪は木枯らしが吹き荒ぶ神社で一人公海を待っています。
     直接公海に会いに行って謝るのではなく、やり直してくれと懇願するのでもなく、あくまで彼女がこの神社にやって来るのを待っているのです。
     公海は最近竹刀と防具の手入れが得意になりました。店の人にも褒められているようです。
     武龍は全国大会に向けて頑張っています。優勝したら公海と有名遊園地でデートすると約束していました。灯理も殺陣教室に通い始めています。
     今日も凪は来るはずのない公海を一人待っています。
     恐らく今も。

     終わり。
     
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    Replies from the creator

    yuki

    DONEオリジナルの話です。胸糞悪いDV野郎が幼馴染をNTRされてバッドエンドで救いのない短編なので注意。
    季節は巡り、彼はただ凪ぐ本文
     さて、桜咲く四月のことです。東京ではもう桜は散り始めている季節ですが、東京よりも少し北のこの地方都市ではようやく桜が見頃を迎えていました。
     その桜舞う地方都市のとある高校ではその日新一年生の入学式が行われています。入学式は滞り無く終わり、まだあどけない顔をした初々しい一年生達は嫌がらせかと思う程の山ほどの教科書や学習教材を渡されて帰宅するところです。
     帰宅する学生たちで賑わう生徒玄関。その隅、下駄箱の隅で隠れるように一人の新一年生の女子が壁に持たれながらもぐもぐとお菓子を頬張っています。彼女は浮船 公海(うきふね くみ)と言います。背が低くふっくらとした、というよりはふくよかな体型と言った方が正しいかもしれません。そんな彼女が棒状の駄菓子を頬張る姿はいかにも「食いしん坊の女子」と言う姿で微笑ましいものでした。しかしその目は何処か虚ろで視線は床の一点をじっと見つめています。食を楽しんでいるというよりはひたすらエネルギーを蓄えているようなそんな険しい雰囲気でした。
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    yuki

    PROGRESS6月発行予定のはじぐ♀のサンプルのサンプルをポイピクに上げました!2部6章まで踏破済のカルデアにいるフレンド鯖の一ちゃんと新米ぐだちゃんの恋のお話です。一ちゃんを曇らせたい一心で書いています!
    ハッピーエンドになる予定なのでよろしくおねがいします!
    フレ鯖の一ちゃん 始まり

     並行世界と言うものがある。
     この世界は無数のページが綴じられた本のようなものだと仮定する。例えばこの世界の一枚捲ったページの世界は何もかも一緒だが、ただ一つ誰か一人の靴下の色だけが違う。次のページでは同じ者の靴下と靴の色が違うのだ。そう言った少しずつだが、確かに差異のある世界が合わせ鏡をしたように無数に存在しているのである。そしてページを捲れば捲るほどその差異は確かに広がっていくのだ。
     それは即ち、自分のマスターたる青年、藤丸立香が少女の世界もある。と言うことだ。
     この話はそんな並行世界の物語である。


     
     まず耳にしたのはパチパチと火が爆ぜる音であった。ゆっくりと周りを見渡せば街のあちこちで深紅の炎と黒煙が上がっているのが見える。遠くに視線をやると、高層ビルや近代的な赤い鉄橋が見えた。看板や標識に書かれた日本語から此処は現代の日本なのだろうと推察される。
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