幾星霜の瞬きは、ただ常盤に燦いて4.
「……友、だと?」
「ああ」
半ば脅しで、それこそレオナの言葉を借りれば拐かされてきたような身の上であるロロの、マレウスに対する好感度は地に落ちていた。よりによって、その好感度がまずなければ始まらない友になって欲しいという思考回路はロロの中で理解出来なかった。
――何をたくらんでいる、マレウス・ドラコニア。
ロロは考え過ぎて軽く悪心がしていた。
ふと、マレウスを見越した先、天井から吊るされた武骨なシャンデリアが真っすぐ目に入る角度で顎を固定されたロロは、この部屋に入ってきた時よりも蝋燭の炎が明るいことに気付いた。ロロのよく知る蝋燭の炎とは、吹けば消えるような頼りないものだったが、この部屋の黄緑色の妖精の炎の勢いはガス燈を思わせる力強さがある。眼前のマレウスが、少し逆光気味に見えるほどだった。
二本の立派な角を脳天に戴いた黒い影には、黄緑色の光る瞳がまるでふたつの金の月のようにロロを見下ろし、また時折覗く尖った犬歯の先が喉元に突きつけた刃の切っ先を思わせた。己が対峙しているものが、人智が及ばず正体も知れぬ化け物のようにロロは感じた。
ロロは乾き始めた唇をはんで考えを巡らせた。
「……マレウスくんの考える友というものが、私の認識とズレがないか確認したいのだが」
「構わない」
「友とは隷属させる存在ではなく、対等な立場の者同士であると私は認識している。その位置に、脅して呼び寄せた私を据えたいのかね?」
ふたつの月がむくれたように細められる。
「今のお前は僕に『招待』された対等な立場で、特別な存在だ」
「では、私の認識と相違ないということで、間違いないと」
「そうだな」
ロロは己の手を握り締めた。
「では、対等な立場として条件を出したい。卿はこの訪問の期間をしばしと宣ったが、座学は良くとも実技の授業が遅れる上、生徒会の仕事を副会長や補佐に任せてある。ゆえに私や他の者に負担を掛けている行為であるという意識を持って頂きたい」
ロロは努めて静かな調子で、ふたつの月を見詰めて言い含める。
「また、私は卿らにすべきことを打ち砕かれた。マレウスくんのことを好ましいとは言い難い」
心なしか室内の光量が弱まり薄暗くなったが、構わずロロは言葉を続ける。
「私を友にしたいというならば、期間は一週間」
そして、語気を強めた。
「一週間で私をその気にさせてみたまえ!」
ロロの顎に指を掛けたままのマレウスは小首を傾げた。
「……その気に?」
「もちろん、マレウスくんの友となっても良いという気に、だ」
何故か黄緑色の妖精の炎が、また勢いを取り戻してきた。ヒースグレイの唇が優雅な弧を描く。
「ほう、面白い。この僕に、お前を落とせと言うんだな?」
今度はロロが首を傾げる番だった。
「……いささか語弊を感じるが、友に、だ……ッ?!」
ロロは眉間の皺を深くしていたが、マレウスはたまらないといった様子で、まるで咲いた花が花びらを落とすほどの破顔を浮かべてロロの身を抱き締めてしまった。ケープコートのベルトをくつろげただけのロロからは、仄かに百合の花の香りがした。
「ああ、それでこそ僕を落とした男だ!」
黄緑色の妖精の炎は、もはやちょっとした花火のような勢いを得て、きらきらと飛び散る火花が噴水のごとく室内の蝋燭という蝋燭から噴き出していた。
ナイトレイブンカレッジへ赴くまでの二週間、断罪されるものだとばかり思い込み、平静を装ってはいたが食べ物があまり喉を通らず、捕らえられる囚人のような心情でこの絶海の孤島へやってきたロロの疲れ切った脳みそでは、状況を上手く処理することが出来なかった。
ただ、抱き締められるとマレウスの程良く均整のとれた筋肉質な肉体と己の痩躯との差が様々と思い知らされ、同性として癪に障ったので、ロロはマレウスのしっかりした胸板を奥歯を噛み締めて押し返した。
「……近いッ!」
「あはは、すまない。気持ちがあふれてしまった」
腕が緩んでロロは身を引いた。妙な具合に動悸がして、ハンカチで口元を押さえ呼吸を整えた。
相変わらずふたりの頭上で部屋の光量は弾けている。小ぶりな打ち上げ花火が蝋燭の黄緑色の妖精の炎から細々と打ち上がってヒュルヒュルと音を立てている始末だ。
「ところで、このお祭り騒ぎのような蝋燭の灯りはどうにかならないのかね?」
ロロに指摘され、マレウスはきょとんと目を瞬かせた。
「おや、本当だな。気が付かなかった」
途端、嘘のように部屋は静かになり、蝋燭に灯る妖精の炎は皆すまし顔になった。
マレウスは先ほど腰掛けていたベッドへ戻ると、ゆったりとした動作でマントを払ってから坐した。ロロは怪訝な顔で落ち着くマレウスに問い掛ける。
「マレウスくんもそろそろ自室へ帰ったらどうかね」
「僕はお前が滞在する間はゲストルームで過ごすつもりだ」
さもありなんと言わんばかりにマレウスは宣った。
ロロは石造りのクローゼットから取り出したハンガーと手に持ったケープコートを床へ取り落としてしまった。
「何故?!」
マレウスは神妙な面持ちでロロに告げる。
「以前、セベクが学友たちとモルンへ出掛けた際の土産話で、夜は皆で枕投げをして楽しく過ごしたそうだ。『第一回 未来ある魔法士の集い』で、何の配慮か僕だけひとり部屋だったから、枕投げが出来ず心残りだったことをふと思い出してな」
「……私は枕投げなど断じてしないからな」
「ふふ、そういっていられるのも今のうちかも知れんぞ?」
「何を根拠にそのような戯言を……」
「僕とお前なら、きっと楽しいからだ」
飄々とした態度のマレウスに毒気を抜かれてロロはため息をついた。
疲れから、ロロは道端の花の名を尋ねるような何気なさでマレウスに問い掛ける。
「ところで、私を友としてマレウスくんは一体何がしたいのだ? 枕投げ以外で」
対するマレウスはどこまでも無邪気だった。
「僕はお前と話しがしたいんだ」
「今もしているではないか」
「ああ。でも友として話しをするというのは、また格別なものだ。紅茶の味も変わってくる」
「ふん、そういうものかね」
「僕が勝負に勝ちお前を落としたとて、一週間で郷へ帰すと約束しよう」
マレウスはロロが一週間で帰りたい理由を知っていた。
「んふふ、私は勝負に勝って帰るつもりだ。ゆえに要らぬ気遣いだな」
図らずもマレウスがロロを抱き締めた時、鼻腔へ感じた百合の花の香りは供花をその胸に抱いていた残り香だった。朝一番に花の街の霊廟へ花を手向けてから、ロロはこちらへ赴いたことが窺い知れた。
――生前のロロも毎週末そうやって弟の墓へ参っていた。
愛した人はもうこの世にいない。マレウス自身が心底自覚していることだった。
「僕も負けるつもりはない。離れていても友として文を送ろう。返事には是非ガーゴイルたちの様子などを綴って欲しい」
同じ魂と同じ姿形をしていても、心惹かれて融け合いながら紡いだ日々の糸で大切に織り上げた羽衣を纏う愛しい人と眼前のロロは、マレウスにとってあくまで別の人間だった。
「私も忙しい身ゆえ、友でなければ文は返さんとあらかじめ宣言しておこう」
故にマレウスは眼前のロロを愛した人の代わりに据えるつもりは毛頭なかった。
ただ、マレウスはロロという存在の傍に、隣に居たかった。縁の糸が切れてしまうことを恐れた。
愛した人とは違うとわかっている故、せめて友になることが出来れば本望だった。
マレウスはロロと言い合いながら口元に笑みを浮かべ、目蓋を閉じた。
「そう、つれないことを言ってくれるな」
目蓋の裏でマレウスは追憶の影と踊り続けていた。
ロロの此度の訪問はナイトレイブンカレッジからではなく、ガーゴイル研究会からの『招待』だった。
素晴らしいガーゴイルを見学させてもらった礼としての学園の施設紹介と、ディアソムニア寮でのガーゴイルに関する意見交換会が表立った名目とされている。よくこの名目が両校でまかり通ったなとロロは内心思った。発案者の権力が強すぎる故かも知れない。
授業の進み具合などが異なる為、ナイトレイブンカレッジの授業参加はあくまで体験程度としていた。ロロは人目を避けて滞在のほとんどをディアソムニア寮のゲストルームにて過ごすつもりでいた。人見の鏡のレプリカを用いて自校の授業を受けた後は生徒会執行部からの報告がある。
ロロの懐中時計が密やかにカンカンカンと時鐘を鳴らす。
時間ぴったりに人見の鏡のレプリカの鏡面に波紋が浮かび、亜麻色の癖毛をした口角が上がり気味の見慣れた顔が映ると、まるで温かいお茶を喫するようにロロは気がほぐれるのを感じた。知らぬ間に意識の奥底でずっと気を張っていたのだと気付かされる。
『会長、お疲れ様です! お変わりありませんか? ナイトレイブンカレッジはいかがですか?』
「副会長、気遣い感謝する。私は問題ない。お前たちも変わりないか? まだ一日しか経っていないが」
『ありがとうございます、僕らも大丈夫です! 会長がお留守でも無駄な予算は他所の委員会にとられないように努めます!』
「それは頼もしい限りだ」
『はい、頑張ります!』
「地域ヤギの個体数調査はどうなっている?」
ノーブルベルカレッジ生徒会では、地域ボランティアの一環として地域ヤギの保全活動を行っていた。
『それが、やはり心配されていた通り昨年より少し増加傾向にあるかも知れません』
ロロは副会長が提示したグラフを見遣り、形の整った眉を顰めた。
「個体数が増え過ぎれば、葡萄や小麦の肥料に回している排泄物の処理が追い付かなくなるだろう。街の有志が設置した飼料スポットはあるが、彼らに除草を兼ねて食してもらっている道端の草が足りなくなれば農作物に被害を及ぼす懸念もある。人為的個体数削減だけは避けたい」
『僕も同意見です。エリアごとに障壁魔法で地域ヤギを区分けすることは……やっぱり課外活動だけじゃ難しいかな』
「ならば南北の商業組合に掛け合ってみてはどうだろうか。北は飲食店や製菓店、南は乳製品加工小売の店が加盟している。皆、地域ヤギの恩恵を何かしら受けている。祭りの時期にあれだけ魔法士が湧いて来るのだから、初歩的な障壁魔法で花の街全体を区分けすることは造作もないだろう」
『さすがロロ会長! 早速先生や組合の方々にお伺いを立ててみます!』
「パストゥール副会長の起点があってこそだ。働きに期待している」
『はい、きっとお応えします! あ、マレウスさんにもよろしくお伝え下さい。シュヴァルに替わりますね。僕はこれにて失礼致します』
亜麻色の癖毛が退くと、入れ替わりに鈍色の艶やかなストレート髪を揺らして補佐が顔を見せた。副会長が駆けて行った方をちらりと見遣り肩をすくめる。
『お疲れ様です、ロロ会長。副会長は相変わらず忙しないですね』
「ああ。パストゥールは行動力があるし、何より人柄がいい。しかし、それゆえ仕事を抱え込み易いのが玉に瑕だ」
『仕事がいっぱいになっちゃうと、パストゥールさんよくテンパってますよね』
「シュヴァル、お前は二年生ながら視野が広く一歩引いて物事を見ることが出来る。よく副会長を補佐してやってほしい」
『ロロ会長に言われなくとも、僕は補佐ですからね。もちろんそのつもりです。かわいい副会長のことはお任せください』
胸を張る補佐の言葉に少し引っ掛かりを覚えたが、ロロは鐘撞き堂の清掃に関することなど二、三ばかり言伝をして人見の鏡の通信を切り、軽く咳払いをした。
「フランム、咳が出るのか?」
いつの間にか授業を終えて背後に立っていたマレウスが、書物机の前に坐していたロロを覗き込んだ。扉の開く音はしなかったので、ロロはびくりと肩が跳ねてしまった。
「んッ、マレウスくん。いつから私の背後に居たのかね?」
「今さっきだ。教室を出てひとっ飛びしたからな」
「もう少し気配を出してくれ、心臓に悪い」
「一刻も早くお前に会いたかったのだが、善処しよう」
にこりと微笑むマレウスの手には、硝子のキャニスターがあった。中には黄緑色の透き通った硝子のようなものが何枚か入っている。マレウスはキャニスターを開けて、棒のついたひと片を取り出すとロロへと手渡した。
「喉が痞えるなら、お前にこれを授けよう」
黄緑色の透き通った硝子のようなものはドラゴンの頭部を模した形をしていた。
「これは……キャンディか?」
「ああ、ライムミントの味がする」
「ただ喋り過ぎて声が嗄れただけだが、一度受け取ってしまったものを突き返すほど不躾ではない。ひとつだけ頂いておこう」
部屋の中の黄緑色の妖精の炎がぱっと明るくなり、ロロは少し目を細めた。
「このまま舐めてもいいし、ホットティーに溶かしてもいいだろう」
そう言うが早いか、マレウスの手には注ぎ口から仄かに湯気の立つ茨の絵柄のティーポットとカップとソーサーがあった。ロロはため息をついた。
「……そこまで準備をしているのならば、茶と共に頂こう」
ふたりはローテーブルを挟んで向かい合って坐すと、マレウスの点前で茶が供された。茶器が乱れ飛ぶ様をロロは想像しかけたが、マレウスの点前は魔法を使わない落ち着いた所作で行われた。
ロロは差し出された茶をまずはひと口服する。沸騰したお湯で渋みが出る前に旨味だけが抽出された茶に、温かさで血が集まった赤く艶めく唇からほっと息が漏れる。ソーサーに一旦置いてあったドラゴンキャンディをカップの中でくるくると回す。ドラゴンの意匠である棘が段々と丸くなり、再度紅茶を口に含むとライムの甘やかさとミントの清涼感が合わさってすっきりとした後味になった。
「確かに喉に効きそうだ。礼をいう。このキャンディは購買部で買ったものか?」
「いや、錬金術の授業の副産物だ」
ロロは途端に険しい表情をあらわにした。
「意味がわからないのだが」
マレウスはカップとソーサーで己も茶を服しながら、歌うようにドラゴンキャンディについて説き始めた。
「無理もない。我がナイトレイブンカレッジの錬金術教室には、かつて不死身の軍隊を生み出すことが出来るとされた伝説の大釜、ブラック・コルドロンを模したレプリカのフューシャ・コルドロンという大釜を使用して授業を行なっている。この大釜は泉の妖精王が造ったとされていて、フューシャの名の由来は、時折何を作っても釜の中身がピンクにしか見えなくなることからきている。気まぐれなんだ」
「それは、学習材として大いに問題があるのではないだろうか」
ロロが薄い飲み口のカップに唇を付けながら上目遣いにマレウスを見遣れば、こともな気に言葉が返される。
「だが、貴重な品であることに間違いはないからな。担当教諭のクルーウェルなどは予習確認として、本来ならどういった反応が現れるのかを学生たちへ抜き打ちでテストするのに使っている。古い道具は不便がつきものだ。不便ごと愛して活用するのも骨董の愛で方のひとつだと僕は思っている」
学習材として大変問題があるという点はロロの中で覆ることはなかったが、活用の仕方には納得した。
「さすがは名門で教鞭をとる人物といったところか。不便を愛し寄り添うという点は、私もマレウスくんに賛同出来る……キャンディはなんなのだね?」
「オリジナルのブラック・コルドロンは不死身の軍隊が出せるが、泉の妖精王は物騒に思ったのだろうな。フューシャ・コルドロンでは錬金の際に魔法を加えるとその魔法士の魂の容をかたどったキャンディが飛び出すんだ」
同じ妖精族ながら洒落が効いているとマレウスは得意気に頷いている。
対するロロは茶の味が急に苦くなったかのように渋面を表した。
「それでは、このキャンディはマレウスくんの魂と同じ容なのかね……」
「気負いなどしなくていい。錬金術の授業を受けると自然と貯まってしまうものだ。僕は夜の眷属ではない妖精たち、例えば仕立て屋の妖精に衣を新調して欲しい時など、何か頼み事をする際にこのキャンディを砕いて対価としている。なんのまじないも掛かっていない、ただのキャンディだ」
「コホッ……まあ今回はただのキャンディだと思うことにしよう」
ロロは怪訝な表情を浮かべたまま、カップの紅茶を飲み干した。
「つづく」